一方、シュテファンとティレイアの恋はなぜか『秘密の恋』であるらしかった。
「レオさま、お二人の事情はわかりましたか?」
「いや……。シュテファンの親族や友人、同僚たちに探りを入れてみたが、誰もが知らぬ存ぜぬの一点張りだったよ。そっちはどうだ?」
「だめですわ。おねえさまも、恋人はいません、男の方はみんなお友だちだとしか……」
「そうか……」
二人は今日、レオの家ーーの馬車で王都をあちこち走り回っていた。
今ではすっかり王都名物になった『シュテファンを追い回すレディ・リズとレオ』。同タイトルの絵画が密かに出回っているとかいないとか。そして同タイトルの小説も出回っている。ペンネームはリズママーーリズの母である。
前世では娘の書いた作品の熱心な読者だったが今生では自分が書き手になったのである。それらのヒットもあり、シュテファンとリズ、レオは大人気である。
仕事以外の時間は常に己が仕えている相手に追い回されているシュテファンもたまったものではないが、
「あんな派手な二人に追い回されて、気付かない人はいないと思うんだよね。さて、今日はどこを走ってから目的地へ行こうかな」
と、面白がっている節がある。
だが、この二人に四六時中張り付かれては――隠せるものも隠せないのもまた、事実である。
「困ったな、彼女に迷惑がかかってはいけない……」
ティレイアの強い希望で、二人の仲は秘密なのだ。それどころか、おそらくティレイアはいつでも身を引くつもりだ。だからどれだけプロポーズをしても首を縦に振ってくれない。
「……どうしたもんかな……」
馬車の窓から曇り空を見て重たいため息をついてしまう。こんなときこそ、ティレイアが誰よりも大切にしている異母妹エリザベスに相談したいのだが……。
「どうしたらいいかなぁ……」
その日の夕暮れ時、ティレイアは自宅でショックを受けて青褪めていた。目の前には満面の笑みの両親がいる。
「ティレイア、またとないよい話だと思いますよ。お受けしなさい」
「お母さま……でも!」
「後ろ盾もない貴族の凡庸な娘のお前が、あたしたちを助けてくれたこの家のために何ができるんだい? いいかい? お返事は十日後だよ」
「か、考えさせてください……」
「まったく……何を考えるのやら」
「わ、わたくしの、人生の一大事です、か、ら……」
震える声でそう告げて部屋を後にする。
「シュテファンさまに……会いにいかなくちゃ……」
とっくに日は落ちていたが、馬を引っ張り出す。リズに教えられたとおりに馬を優しく撫でながら告げる。
「お願い……いつもの教会まで連れて行って!」
乗馬は、リズにこっそり教わった。一人で手綱を握るのは初めてだが、今はやらなければならない。
「……お願い、走って」
馬は、心得たとばかりに暮れなずむ町を走り出した。
翌日の昼も過ぎた頃、一台の馬車がお城のそばでレオを捕まえた。
「お、どうした?」
「レオさま、乗ってください。おねえさまが昨夜、突然一人で教会に駆け込んできたそうです」
「なに? 穏やかじゃないな」
「青褪めて泣いているのにシュテファンさまと連絡が取れなくて……。シュテファンさまやレオさまにこのことを知らせてほしいとアンドリューから知らせが来て、わたくしがここへ参りました」
「よし来た、行こう。シュテファンは、王立騎士団の本部にいるはずだ。今日は会議だらけだから」
「はい」
王都を暴走馬車が通る。鼻息の荒い鍛えられた馬がどかどかと走る。誰もが慌てて飛びのくが、以前のように「イシュタルさまのお通りだ」とはもう言わない。
「彼女はいつ、レオさまの正体と恋心に気付くのかねぇ……」
「レオさまがこれでふられたら、わたくしたちはどうしたらいいのでしょう?」
「さぁ……これまで通り、見て見ぬふりだろ」
なかなか良くできた……皇太子思いの市民である。
レオが多忙なシュテファンを拉致同然で馬車に押し込んだのは、すでに日が落ちていた。それでも馬車は軽快に走る。
「うええ……揺れて……は、はやっ……」
「シュテファン……教会はもうすぐだ、辛抱しろっ……」
「はいぃ……」
「シュテファンさま、おねえさまの一大事なのです! どうか、どうかよろしく……」
吐き気と戦いながらシュテファンは、自国の皇太子と歩調を合わせられるレディはリズしかいないと確信していた。
シュテファンが駆け付けたとき、ティレイアは教会の裏庭に座り込んで讃美歌を歌っていた。
雲の切れ目から満月が顔を出した。月光の下、慌ててシュテファンに背を向けるティレイアの涙さえ美しく光る。
「おねえさま、泣いてる?」
あわてて駆け寄ろうとするリズの肩を、レオが抑えた。
「部外者の俺たちはちょっと離れて話を聞いてみよう。深刻そうだ」
「で、でも!」
「ここは恋人のシュテファンに任せよう」
「そうですね……」
二人して大きな茂みに潜り込む。ぴったりと体を寄せる形になり、レオは柄にもなくドキドキして落ち着かないが、リズはちっともそれに気付かない。
真剣な表情でシュテファンとティレイアを見ている。
「わたくしは……後ろ盾も持たないただの貴族の娘です。貴方さまには釣り合いません」
「そんなことはないんだよ、ティレイア! だからといって、お母上の持ち込んだ縁談を受ける理由にはならないだろう!」
「いいえ、お母さまの希望を叶えて差し上げるのが、わたくしの務め……最初から、叶わぬ恋だったのです」
「親子以上に年の離れた老公爵に嫁ぐことが、本当に幸せか?」
「ええ、わたくしが嫁げば、公爵さまは莫大な我が家の借金をすべて肩代わりしてくださると……」
このところよくある話だ、とレオは月を仰いだ。金持ちの老貴族が見初めた若い娘を自分の妻にするために、貴族の借金を肩代わりする。たしか、ティレイアの家の借金は、当代になって膨れ上がっている。奥方の浪費というところまで調べはついていたはずだ。
「……それを返してやれるほど、シュテファンの家に余裕はない、か……」
「そんなの……そんなのってないわ!」
がばっと茂みから飛び出したリズは、ティレイアの傍へ突進していた。
「おねえさま!」
「リズ! ど、どうしたの! あの、頭に葉っぱが……」
「本当に、それでいいのですか? 愛する人と――いえ、自分を愛してくれる人と、一緒になるのが幸せ、違いますか?」
リズは転生を重ねてきた分だけ、いくつもの『幸せの形』があることを知っている。が、この場合の二人は、一緒になることが何よりの幸せだと確信を持てた。
「リズ、あなた……簡単に、一緒になるだなんていうけれど……」
月の光に照らされたティレイアは、今にも消えてしまいそうな果敢無さと美しさがある。寄り添うリズも月の精かと思われるほどに美しい。やはり姉妹、そんなところはよく似ている。
「いいえ。王国で一番のレディであるおねえさまと、このわたくしが認めた男であるシュテファンさま、お二人がお似合いに決まっているでしょう」
聞きようによっては大変なセリフだが、完璧令嬢と自他共に認めるリズなら許されてしまう。
「つまるところ、レディ・エリザベスが認めた王国一の美男美女ってとこだな。その点は俺も同感だ。一緒になっちまえ。なに、色ボケ老公爵は俺がなんとかしておく」
と、レオも言葉を添える。
が、ティレイアは俯き、その場から駆け出してしまった。
「おねえさま、待って!」
「あ、こら、レディたち! 夜道を走るな危ないぞ……っていっちまった……」
その場に残されたシュテファンは、力なく座り込む。
「殿下……結婚がこんなに難しかったなんて知りませんでしたよ」
「おいおい、お前が弱気になってどうする、しっかりしろ」
「しかし……彼女の家の借財をなんとかしなければ」
はぁ、と、項垂れるシュテファンの傍で、レオはオロオロするしかなかった。