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第32話 わたくし、お異母姉さまの恋を応援いたしますわ!

「さあ、着いたぞ」

 レオの言葉の直後、馬車がゆっくり停車した。だが、リズは呆けたように瞬きを繰り返すばかりだ。

「ん? まさか、初めてのキス、とか言わないよな?」

 ぎく、とリズが小さく震えた。

「あちゃ、それは……いや謝らないぞ」

 レオは小さく笑うと、何事もなかったかのようにひょい、とリズを横抱きにして馬車から下ろした。

 道路に下ろされたリズの頬を、さあっと柔らかな風が撫でた。その心地よさにようやく我に返ったリズは、慌ててその場を見渡した。

「……ここ!?」

「そう、ここ」

「歌劇場と目と鼻の先、ですわよ?」

 リズが、くるっと首を後ろへ向けた。ほんの数ブロック先に、歌劇場の屋根が見えている。

「うん、尾行している者がいた時に備えて、あちこち適当に走り回ってから来たんだろうな。念の入ったことだよ」


 それでも尾行を撒くのに失敗したわけである。

「さ、行こうか」

 こくこくと頷くリズは、少し緊張しているらしい。ぎこちないリズをエスコートしてレオが建物へと入っていく。

「なんだか……覚えのあるパターンだよな……」

「……足を踏み入れたら……その瞬間アンドリューが飛んでくると思うの……」

「同感……いや、アレを見ろ、レディ……」

 あんな恥ずかしいやつだったとは、と、レオが小さく呟けばリズもくすくす笑う。

「いいじゃない、あの物おじしない天真爛漫さが彼の持ち味だわ」

「違いない」


 果たしてアンドリューは、聖歌隊の列の真ん中にいて両手をぶんぶん振っていた。満面の笑みである。一体誰に向かって手を振っているのかと周囲の人が詮索するため、レオとリズに自然と自然が集まる。

 普通のレディと貴公子だったなら多少なりとも照れたり恥じらったりするところであるが――。この二人の場合は違った。

「アンドリュー! あなたが聖歌隊だって領地のみんなに教えてあげたいわ! きっと喜んで見に来るわ」

「おいおい、きみの道間声で聖歌を歌ったら神が気絶して天から落ちてくるんじゃないかい?」

 恭しく頭を下げて見せたアンドリューは、

「二人ともいいところへ! 今日はこれから歌姫、いや、天使の歌声が聴けるよ。ほら、シュテファンの隣が空いているからどうぞ」

 と、宣言した。シュテファンが、「こっちだ、レオ、それからレディ!」と声を掛けてくれるので、そちらに向かう。


 教会の歌姫。

 もしかして、と、リズの心臓が跳ねた。直後、登場した『歌姫』は静謐な空気を纏った若い女性だった。修道女の格好をしていても、穏やかで優しい雰囲気が伝わってくる。

 ぱぁぁぁ、と、リズの表情が明るくなった。

「お異母姉さまっ……」

 思わず叫んでしまう。

 ティレイアが優雅に挨拶をし、リズに小さく手を振ってくれた。それだけでリズは幸せな心地になる。

 そして胸の前で軽く手を組んだティレイアは、十字をきったあと静かに歌い始めた。誰もが知っている讃美歌、さほど難しい曲でも格別美しい旋律でもない。

 しかしそれは、格別の歌となって教会に降り注ぐ。ふと思い立ってリズは、小さく魔法を唱えた。


(お母さま……使います……最後にするから……)


 出来るだけ使わないようにと母に念をおされている禁断魔法にカテゴライズされる、難度の高い魔法である。

 その場にいる人の想いや関係性をくっきりと可視化できる、使い方によっては国際情勢を左右することが可能なのだ。

(わたくしへの感情が反映されないのは残念だけど……仕方ないわね)

 魔法の使い手によって表現の仕方は様々だが、リズの場合は人物相関図が出来上がる。まつほどのこともなく、リズの脳裏に人物相関図が浮かんだ。


 まず、アンドリュー。鬱陶しいほどに何本も線が出ているがティレイアにむけて『大ファン・心酔』という強烈な線が出ている。そして一本はレオへと向けられ『友情・忠誠』となっている。神職たるもの、心が広いのだろう。

 次いでシュテファン。矢印が何本も伸びるが、そのうち一本はレオへと向けられ、こちらも『敬愛・忠誠』となっている。

(忠誠ってお友達同士で大げさねぇ……)

 レオが、シュテファンやアンドリューが忠誠を誓うほどの優れた人物とは到底思えないのだが、社交界では見せない別の面があるのかもしれない。


 そしてもう一本。


「……ああ、やっぱり……」

 リズは涙を堪えた。完璧なレディたるもの、人前で気絶することはあっても泣き喚くことがあってはならない。ハンカチでそっと目元を拭って背筋を伸ばす。

 そう。シュテファンとティレイアは互いに矢印で結ばれている。この二人は想いあっている。

 そしてその二人を蹴散らすことは、リズにはできない。

(わたくし、決定的に失恋ですわ……ああ、憧れのシュテファンさまがお義兄さまに……)


 しかし自分でも不思議なほどに心は穏やかだった。いや、失恋には違いないのでショックだし痛いのは痛いのだが、頭の片隅でこの結果を予想していた。


(……お異母姉さまとお幸せ……に……?)


 リズははたと動きを止めた。

 ティレイアが頻繁に教会に来ているのは、親の再婚相手と折り合いが悪いから。一度だけすれ違った高慢な中年女性がティレイアの母だろうが――彼女はティレイアの結婚を祝福するだろうか。

「お姉さまの恋……うまくいくのかしら?」


 聖歌隊の歌が終わり、ぼんやりとしたままミサも終わってしまった。

「レディ・リズ? どうしたんだい?」

「レオさま……わかりましたわ。やっぱりシュテファンさまは……」

「やっぱり? 予想していたのかい?」

 ええ、と、リズは唇を引き結ぶ。それでも鼻の奥がツンと痛むが、ぎゅっと目を閉じてやり過ごす。そして、まさか魔法で確認したとは言えないため、ティレイアの歌を聞きながら考えた『セリフ』を口にした。


「シュテファンさまが……この、完璧なわたくしに靡かないということは、わたくしより優れた女性が好き、つまり『国一番のいい女』が好きと言うこと。それはつまり……レディ•ティレイア。わたくしの自慢のお姉さまよ」

 一気に述べたリズの顔をじっと見つめていたレオが、そうか、と穏やかに微笑んだ。

「確か……きみたちは母君が違う姉妹だったな」

「はい」

「きみは……異母姉の幸せを願うんだな?」

「もちろんですわ! 胸を張って言えますわ、わたくし自慢のお姉さま! 幸せになっていただかなくては。お姉さまを泣かせる男は許しません、天誅です!」

 頷いたレオが、無理矢理笑うリズの頭をぽん、と撫でた。その拍子に、大きな瞳から涙がぼろっと零れ落ちた。

「あ……ごめん、なさい……失礼を……」

「泣いたっていいんだよ、レディ……ほら、俺の影にいろ。誰にも見えないから」

「あ、ありがとうございます……すぐに、泣き止みますから」

 リズの意に反して、涙は次から次へと流れる。

「……いい恋、だったんだな」

「え?」

「シュテファンの野郎……こんな素敵なレディを泣かせたんだ。レディ・ティレイアと幸せにならなきゃ、許さないぞ」


 レオさまったら、と、リズが泣き笑いのような表情になった。そのまま、レオのジャケットを掴んで泣き続ける。完璧なレディの振る舞いにしてははしたないが、レオの前ではそんなことは気にならなかった。

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