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第30話 彼の素性にリズはなかなか気付きません。

 自転車に跨ってシュテファンを凝視するリズ、という新たな「名物」が王都に出来つつあるのだが、なぜか、当の本人であるシュテファンは全く気付いていない。むろん、リズも新しい噂には全く気付いていない。

 その状況を楽しむのはレオ、そしてヤキモキするのはアンナベル一人だけなのだーー。


「ああっ、シュテファンさまはどうしてどなたにも愛想が良いのかしら」

 そこがまたいいのだけれど、と、リズはうっとりとシュテファンを見つめる。馬車から降りる姿も、馬に乗る姿も、酔ってカードに負ける姿や仲間が出馬する選挙の応援演説の姿も、レオとじゃれ合う姿も、何もかもがリズの目には眩く映る。

 そしてシュテファンが遠ざかれば、双眼鏡を取り出して器用に操る。これも、前世の知識を総動員して、この時代にあるものを改良してもらった逸品だ。

 それの良さを知ったレオが「俺も欲しい!」と熱望し、現在、城下町の工房で二つ目が制作されている。

 しかるべき身分のレオが直々に職人の元を訪れたものだから職人は地面に平伏さんばかりに恐縮したのであるが、リズは「貴族の子弟相手に大袈裟ね」とクスクス笑い、職人を唖然とさせた。


「ああ本当に、いつまでも観ていられる美しさね……。この時代に生写真や写真集、動画がないのが悔やまれるわ。せめて肖像画でも買おうかしら」

 王都には、レディたちが密かに通う小さな店がある。

 意中の人を告げれば、十日ほどで肖像画を描いてくれるのだ。どうもこの絵描きは転生者なのではないかと、リズは疑っている。確信はないが、そんな気がする。

「そうだわ! レオさまとシュテファンさまとアンドリュー、三人が並んでいるところをお願いしましょう」

 あの三人はそれぞれタイプの異なる「いい男」なので、目の保養になる。

「さっそくお店へ行きましょう!」

 自転車に跨り、ウキウキとお店へと向かうリズである。

「いらっしゃいませー!」

「ちょっと描いて欲しい人がいるの」

「はい、ではそちらのオーダーシートにご記入ください。順番にお話しをお伺いします」

 前世の携帯ショップのようだわ、と、リズは小さく笑った。


 しかしリズ自身気が付いていないがーーそれは恋ではなく、憧れのタレントを追いかけている感覚と同じなのである。


 翌日。

「レディ・リズ、シュテファンの想い人が誰かわかったかい?」

 じっくりと花壇の陰からシュテファン鑑賞に勤しんでいるリズに、馬車を乗り付けたレオが声を掛けた。窓をあけて上半身を乗り出したレオもまた、非常に楽しそうである。

「レオさま!」

 ぱっと立ち上がったリズが馬車に駆け寄った。優雅に挨拶をしてにっこり微笑む。

「それがちっともわかりません! このところ、お屋敷とお城の往復だけなので、遠くからお姿を鑑賞しているだけになっていますわ」

「そうか。じゃあ今日のシュテファンの予定を教えてあげよう。この後、王立歌劇場で今人気のライオンたちの誇り高い土地が舞台の……えーっとそう『ライオンクイーン』と神々の風呂場が舞台の『万とよろずの神隠し』だったかな、立て続けに鑑賞だよ」

「ええっ……」

 リズが息を呑んで絶句した。何やらタイトルに聞き覚えがある。あるどころか前世で親しんだキャラやメロディも思い浮かぶ。

(パロディかしら? いえ、いずれにせよわたくしとお母さま以外の転生者がいて前世の知識でヒットメイカーになってるのね……)

「きみも観たかい?」

「いいえわたくし、まだ一度も観ていないのです!」

 なにせ、王立歌劇場のオペラは人気の歌手たちが勢ぞろいする場所である。

 これまでも人気作は多数あったが、『ライオンクイーン』と『万とよろずの神隠し』なぜか国民的大ヒット、異例のロングランになっている。面白いと噂が噂を呼び、見た人は次々とリピーターになる。デートそっちのけでストーリーにのめり込む面白さで、庶民向けチケットも貴族向けチケットも、あっという間に売り切れる。観劇できるなら庶民席だろうが貴族席だろうがお構いなしで誰もが購入するため、座席はどこもかしこも庶民も貴族もごちゃ混ぜである。さらにそのチケット代も転売に転売を重ねてあり得ないほどに跳ね上がっているものもあり、主催側も公演回数を増やしたり公演期間を延長したり補助いすを出したりして対策をしているが、とても追いつかない。

 適切な価格で残っている席は王族の隣だったり最上階の個室だったり極上の席ばかり、地方に領土を持っている程度のリズの家ではそう簡単に買えるものではない。


「……王立歌劇場……無理よ」


 リズが明らかに困った顔になった。

 シュテファンは本命と舞台を鑑賞するかもしれない。会場に本命ときているかもしれない。だからぜひとも入場したい。が、リズにはチケットが買えない。

「どうしたらいいかしらね」

 真正面からその眉根を寄せた顔を見たレオが相好を崩した。

「きみは、困った顔になっても可愛いんだな」

「え、え!?」

「崩れても美しいというか、愛嬌があるというか……いやぁ、良いものをみた」

 褒められたと思っていいのだろうか。リズが赤くなって両手で頬を押さえる。そんなリズを見つめながら、

「……あ―レディ・リズ、ここに運よくチケットが2枚あるんだけど……一緒にどうかな?」

 と、レオがチケットを取り出した。恭しく受け取ったリズの目が点になった。

「……ちょ、ちょっと、レオさま、これ王族のお席のすぐそばよ! どうしたの、どうやってこんな立派なお席を……」

 え、と、レオが返事に困った。


――いやだって俺、この国の皇太子なんだけど……


 とは、心の中だけでつぶやいておく。どうやらリズは演技ではなく本当にレオの正体に気が付いていないらしい。


 レオが、異国での遊学や視察を終えて数年ぶりに戻ってきた皇太子だと気が付いている人はそれなりに出てきている。ただ、レオも王家も正式に帰国の発表をしていないし、レオが偽名と偽の爵位をつかってまで王都で暮らしているので、人々が気を利かせて話を合わせてくれているのだ。

「ああ、そうか。デビュタントだと、出国前の俺を知らないから、わからないのか……」

 それならそれでいいか、と、レオは思う。あとで嫌味のひとつやふたつ言われるかもしれないが――。

「レディ、俺の父が正規のルートで手に入れたんだ。観るだろう?」

「は、はいっ」

 ぱぁぁ、と、薔薇の花が満開になった――ような錯覚をレオは覚えた。

「……自転車と双眼鏡をしまって、乗るかい? 劇場まで馬車ですぐだ」

「はい。ありがとうございます」

 いそいそと、乗り込んできたリズは、ニコニコと上機嫌だ。

 馬車の中でリズは、チケットのお礼を捲し立てたかと思うと、ストーリーに思いを馳せて少女のように頬を紅潮させる。実に表情豊かなレディである。

「ああ、きっと素敵な舞台よ! レオさま、楽しみましょうね」

「え、あ、うん」

 シュテファンの相手を見極めるんじゃなかったっけ、と思うが、黙っておく。

「レオさま、劇場はまだかしら」

「もうすぐさーーほら、建物が見えてきた」

「うわぁ……夢のようだわ。レオさま、レオさま、ありがとうございます!」

 にっこり。


 この笑顔が見られただけで良しとするか、と、レオは小さく笑った。

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