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第29話 彼は彼女にいつまで隠し続けるのでしょう?

 このとき、殿下流血! という事態に側近が殺気立ち、あやうく傷害罪の犯人として捜される恐れがあったとは夢にも思わないリズは、城の近くの茂みに隠れていた。


(ここでシュテファンさまを待つわ……!)


 しかし残念なことに、枝を剪定されたばかりの茂みからはプラチナブロンドがはみ出ているし、ドレスの裾も、大きなエメラルドグリーンの瞳も丸見えである。

 彼女を知る誰もが「わ! イシュタルが潜んでいる!」と見て見ぬふりをする。ライバルを蹴落とすために潜んでいると思われたのだ。


 そんないかにも怪しい、誰もが回避する茂みに、果敢にも小走りで近寄る令嬢があった。ピンクのドレスに白いパラソルの令嬢は、茂みの傍に屈みこんだ。

「……隠れているおつもりでしょうけれども、横から丸見えですわ、レディ・リズ!」

「あ、レディ・アンナベル! え? どうしてここに?」

 今にも吹き出しそうなアンナベルに連れられて姿を現したリズは、眩い美貌はそのままにどこか生き生きとしていた。ただの『完璧令嬢』でもなく『イシュタル』と恐れられた令嬢でもない。

 どこか人形のような頑なさがあったのがすっかり取れて、瞳をキラキラ輝かせた年頃の令嬢である。

 この変化は、シュテファンに恋をしたから――ではないわね、と、アンナベルは内心つぶやく。

「レオさまが、貴女を心配していらっしゃるわ。わざわざ連絡してくださったのよ。無茶をするようなら止めて欲しいって」

「ああ、そうよね、あなたの婚約者はレオさまのお知り合い、だったわね」

「……ええ」


――皇太子殿下の側近よ! と、アンナベルは胸の内で小さく呟く。


 いつまでレオは身分を隠し続けるのだろうと、アンナベルは思う。そっと身分を打ち明けられたときはアンナベルも驚いたが、言われてみれば……と思う節がいくらもあった。

 いつもなら真っ先に気付いていそうなリズがちっとも気が付いていないのは、それはそれで面白くもあるが、あとになって「どうして教えてくれなかったの!」とリズが激怒しそうな気もする。


「アンナベル、レオさまは今日は退屈な会議だらけだそうよ。御気の毒に」

「退屈な会議だらけ? ご本人がそうおっしゃったの?」

「ええ、そうよ。シュテファンさまは、会議は午前中だけで午後は……あら? レオさまはどうしてシュテファンさまの行動予定をご存知なのかしら?」

 自分の最も信頼する側近の予定ですからね、と、喉元まで出かかったのを飲み込む。

「それはきっと――リズさまに教えようと思ってレオさまは調べてくださったのよ」

「ま、まぁ! お手数をおかけしていたのね。今度、お礼をしなくっちゃ」

 何がいいかしらねぇ、と、首をかしげるリズとアンナベルの目の前を、貴族の馬車が次々と通り過ぎていく、

「あ、リズさま! シュテファンさまのお出ましですわ!」

「たいへん、追いかけなくちゃ!」

 近くの茂みに隠していた自転車をがさごそと引っ張り出し、周囲の視線お構いなしで颯爽と跨る。

 ふちの広い白い帽子を取り出して被り、ボタンのたくさんついた手袋もつけてにっこりと優雅に微笑む。これが馬車の中ででもあれば、完璧な令嬢であったのだが――自転車である。些か活動的すぎる。


「リズさま、わたくしは馬車で追いかけます。行ってください」

「わかったわ。この時期にあの方角ならサウスエンドパークかしら?」

「わたくしもそう思います。えーと自転車の運転にはお気をつけて!」

「はーい」


 勢いをつけて、自転車を発進させる。心地よい風がリズのまろやかな頬を撫でる。

「シュテファンさま……どこまで行くのかしら?」

 こうして一人で自転車を走らせていると、つい、一つ前の人生、つまり現代日本でリサだったころの感覚を思い出す。ついには立ち漕ぎまでしてスピードを出していると――。


『はしたないにも程があるでしょう、エリザベス! 貴族の令嬢失格ですよ』


 滅多にない、母からの魔法のメッセージである。

『うわわ、ごめんなさい。気を付けます』

『あまりに規範から逸脱すると、会社に注意されてしまいますよ』

『はい』


 大人しく座って自転車を漕ぐ。ゆっくり流れる風景を見ながら、目の前を行く馬車を追いかける。

 案の定、紳士淑女の社交場であるサウスエンドパークでシュテファンの馬車は止まった。降りてきたシュテファンに、貴族の子弟と思しき連中が群がる。彼らがレディたちをシュテファンに紹介し、人脈が広がっていく。

(う、相変わらず誰が誰だか、さっぱりわからないわ……)

 小さく魔法を唱えて彼らの頭上に名前を表示させる。


(むむむ……会ったことがあるかどうか、覚えていないわね……)


 顔を合わせたことのある相手に「はじめまして!」などと挨拶しては大変である。さらに魔法を唱えて、名前の横に顔をあわせた回数が出るようにした。

(初、2回、4回……なんだか選挙の当選回数みたいになったわね……)

 それにしても、と、リズはちょっと自分が情けなくなった。ほとんどの人に1や2という数字がついている。つまり一度は紹介された人たちなのである。

「まったく覚えてないなんて……歴代最悪だわね」

 社交界にデビュー済の貴族令嬢失格である。


 これまでに何度も転生を繰り返しているが、そのすべてにおいて人の顔と名前を覚えるのが苦手だった。苦手という意識があるから物心ついたときから克服すべく努力していたが、今生は魔法が使えるため、その努力を怠っている――気がする。

「魔法に頼らず覚える努力をいたしましょう」

 そんなことを思いながら、憧れのシュテファンの姿を見つめる。その麗しい姿をゆっくりと眺めるのは久しぶりな気がする。彼の姿を見るだけでリズの心は弾むし、幸せな気分で満たされる。

「ああ、やっぱり素敵よ……」

 国内で二番目に有望な貴公子、シュテファン。

 そんなシュテファンに近寄ってくる人たちは、男女を問わず有望株や将来国を背負うであろう人たちが多い。

 その中にシュテファンの想い人がいるのではないかと思ったのだが、シュテファンは当たり障りのない対応ばかりである。

「変ねぇ……もう少し近寄ってみましょう」

 自転車を近くの木陰に止めて身だしなみを調える。髪が乱れているのを撫でつけ、スカートの裾を伸ばす。そしてそのままじっと木陰からシュテファンを見る。凝視、といってもいい。

「きゃっ、あの方……イシュタルさまよ! 今度は誰を蹴落としてシュテファンさまを手に入れるおつもりかしら」

「ダメよ、近寄っちゃ……嫌でも比較されてしまうわ……」


 こそこそと令嬢たちに好き放題言われていることに全く気付かないリズであった。

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