一頻り自転車を楽しんだあと、シュテファンは名残惜しそうに去っていった。
果たして名残惜しいのは自転車か、リズとの時間か。
「きっと自転車ね……」
しょんぼりするものの、しかしリズはめげない。
持ってきていた帽子を目深にかぶって顔と髪の毛を隠す。魔法を使ってドレスの色をネイビーへと変え、デザインはビジューやレース、コサージュを増やして、普段は着ない華やかな印象に変える。
「これで、わたくしだとはすぐにわからないはずよ!」
シュテファンの馬車を追いかけるべく、自転車をスタートさせる。
「んー! サイクリングは気持ちいいわね……」
馬車とは違うスピード感が、心地よい。前世でも撮影の合間によくサイクリングに出かけたから、乗り物が好きなのは魂に刻まれている記憶なのかもしれない。
と、ほどなくして小道から出てきた馬車に声を掛けられた。
「おはよう、レディ・リズ。本当にきみは面白い令嬢だねぇ……見ていてちっとも飽きないよ」
「……え!? レオさま、おはようございます」
どうしてわかったのかしら、と、リズは首をかしげるが、レオはそれすらお見通しだったらしい。けらけらと笑っている。
リズが自転車を止めようとすると、そのまま走れ、と言ってくれる。
「きみは本当にやることなすこと派手で猛進……いやいや、勢いのある美人だから……変装が意味をなさないね。遠くから見てもすぐにイシュタルだとわかったよ。まったく、とんでもない美貌と存在感だ」
国で二番目にいい女を目指してきたが、さすがにそこまでの美貌ではないと思う……と、リズは困惑する。
「それにね、覇気というか戦う気満々だろ? それに中てられた馬が嫌がる」
「な、なんですって! わたくし、そんな闘気を垂れ流していません!」
「いやいや、馬は正直だ。心なしか急ぎ足になっている」
レオが、びしっと愛馬であろう馬たちを指さす。鹿毛の馬たちは毛並みもよく、悪くない仕上がりだ。よく走りそうではあるが、リズの目から見れば若干太目である――が、今は馬のことは脇に置いていく。
「失礼しちゃうわね!」
「今のきみは、シュテファンのお相手探しに躍起になっているんだったね。で、相手は誰なのか、少しはわかりそうかい?」
いいえまったく、と、リズは肩を竦めてみせた。そんな仕草でさえ絵になるのだがリズ本人に自覚はない。
レオは眩しそうに眼を細める。
「この先の道は細いな……まっすぐ行った先で合流しよう」
「あ、はい」
レオは脇道へ逸れ、リズは真っ直ぐ。程なくして合流したレオは、リズの自転車に並走するように馬車を寄せてきた。しかも、いつの間にか御者台にいて、ニコニコ微笑んでいる。
「あ、レオさま、そんなに身を乗り出したら危険ですわ!」
「面白い形の自転車だな、と思ってさ。俺たちがいつも乗っているものは車輪のサイズが前後で異なるがそれとはだいぶ異なるな……どうやって作られているんだ? 職人は誰だろう」
「……目的は自転車なのね……」
少しがっかりしてしまう。
「何か、言った?」
「いいえ!」
レオの目が鋭く自転車を観察する。まさか魔法はばれることはないだろうが、なんとなくヒヤヒヤする。
「え、えっと、これは、わたくしのお父さまのお友達の職人に、あれこれ注文して改良してもらったのです」
ほう、と、レオがさらに身を乗り出す。隣の本職の御者が、慌ててレオの上着を掴む。
平気平気、と、レオは巧みにバランスをとってリズの自転車に興味津々である。重心だの加速だの、何やら思案している。
「レオさま、シュテファンさまの馬車が加速しましたぜ、どうしますか!」
と、御者が慌てた声をあげる。
「もちろん、追いかける。リズ、きみは?」
「当然、追いかけますわ!」
だが、速度を上げた馬車に、自転車で追いつけるだろうか。レオも同じことを思ったらしい。
「リズ、自転車だと大変だろう。この先は緩やかな上り坂だ。自転車ときみ、この馬車で運んであげよう」
「……はい、では、お言葉に甘えて……」
馬車がゆっくり路肩に止まり、馬車から降りてきたレオが自転車を熱心に眺めたあと、器用に筐体におさめた。どうやら本当はそれに乗りたかったらしい。それがありありとわかり、リズは思わず笑ってしまう。
「レオさま、乗ってみますか?」
「いいのかい!? って……今日は時間がない……残念だ。さあ、レディ、乗って」
「ありがとうございます」
二人並んで座席に座り、開閉式の屋根をあける。
「よし、もっと帽子を深くかぶって。――うん、俺が一緒にいれば、シュテファンの奴もまさかきみだとは気づかないだろう。なにせ、浮名を流しまくっているレオさまだからね」
至近距離でレオに見つめられて、リズは妙に慌ててしまう。だがレオはそれには気付かなかったらしい。
「さて! 今日のシュテファンは午前中は城で会議、午後はなんだかの会合に出るそうだから……そうだな、城で時間を潰したあと午後は自転車で追い回すといい」
「あの、レオさまは?」
「ん、今日は一日中城に缶詰めになっていなくちゃならないんだ。くだらない会議だらけでね、退屈だということが決まっている日なんだ。目が覚めた瞬間から憂鬱だったんだけど、朝からきみに出会えたから良しとする」
なんだ一緒にいられないのね、と、リズはちょっとしょんぼりしてしまう。
なんだかんだ、レオと一緒にいる時間は長くなっていて、毎回それなりに楽しいのよね――と思っていたら。
「……おや? もしかして一緒に行けないことにがっかりしてくれたのかな?」
「えっ……」
心を言い当てられたかと思った瞬間、ぼん、とリズの顔が真っ赤になった。
「……え!? ごめんまさか、図星だった?」
「んもうっ……レオさまの馬鹿っ!」
「じゃあ今度、自転車に乗りたいからきみのお屋敷へ行ってもいいかな?」
「え、は、はい……というか、興味がおありなのは自転車だけですか?」
「あ、それから馬と調教設備とやっぱり自転車」
思わずリズがぽかんとする。乗り物マニアなのだろうか、レオは。
「それから……きみにも――って言ったらどうする?」
整った顔のレオに突如、至近距離で熱っぽくささやかれ、冗談だとわかっていてもリズの心臓は予定外に早鐘を打つ。ついにはどうしていいかわからなくなり、照れ隠しに振り抜いた拳は、レオの美しい顔面を直撃し――御者が慌てた。
「きゃーっ、レオさま、ごめんなさい。やだ、どうしましょう。しっかりして! ああっ、鼻血よ、ハンカチでおさえなきゃ……」