養父の執務室へと二人で長い廊下を歩く。さっきから感じていた違和感を考えていた。
……妹。
考えたとき、脳裏に浮かんだのは、隣を歩くアルメリアではなく、黒髪ショートカットのボーイッシュな女の子だった。表情はわからない。ただ、シルエットだけが浮かんで、すぐに消えていく。
「おにぃ! そんなゲームばっかりしてたら、彼女できないでしょ? でもまぁ、キモオタ引きこもりのおにぃには、彼女だなんて縁も関係もない話か」
そんな耳にも心にも痛い声だけが、無常にも頭の中で響いていた。あと、僕の小さな部屋の扉を蹴る音もだ。
そもそものことを考えた。義妹であるアルメリアは、ティーリング公爵家の令嬢であり、妹……名前は覚えていないが、実の妹が好きだったゲームの悪役令嬢だったとうっすら記憶にある。
それと同時に思い出すのは、15歳のとき、僕がこの公爵家へ引き取られた記憶だ。それ以前の記憶が靄のかかったようにぼんやりとしてはっきりしないが、断片てきな記憶から、今と変わらぬ上質な服装を着ていたので、どこかの貴族の隠し子……貴族の子どもであったことは確かだろう。
このキャラの名は『ジャスティス・ティーリング』。ティーリング公爵家の養子だ。
ゲームの中では、名すらなかったはずのモブ中のモブ。役どころとしては、悪役令嬢であり義妹であるアルメリアに使用人と変らない扱いを受けていたという記述が即座に脳内に浮かんできた。
次期公爵として育てられ、王太子へ嫁ぐティーリング公爵唯一の子であるアルメリアの代わりに、遠縁の貴族から提供され連れてこられたといったところだろう。
実際のところは、アルメリアにも養父母にもとても大事にされていた。何より、この屋敷に来た最初の日に優しくしてくれたのは、他でもない義妹であるアルメリアだった。そんな優しいアルメリアに僕は一目惚れをした。
王太子レオナルドとの婚約が決まっていたアルメリアへの叶わない恋だとしても心の内に秘め、密かに想い続けた。どんな状況であろうとも、何を差し置いてでも、アルメリアの望みはどんな些細なことでも叶えてきたという記憶がある。
周りから見れば、重度のシスコンだ。現世であれば、痛いどころの話ではなく、正直なところ、アルメリア本人にも嫌われているはずだ。ただ、今の関係性をみる限り、そうなっていないことが不思議でならなかった。
ジャスティスにとって、重度のシスコンこそが幸せだった。秘めた想いの代わりだったのだ。他から何と言われようが苦にも思ってなかったようだが、それは意識が僕に移り変わったあとでも、アルメリアへ恋焦がれる気持ち自体は引き継がれているようだ。
「……はぁ」
「どうかされましたか? 先ほどから、お義兄様の様子がおかしいですわ」
「どうもしていないよ。少し混乱をしているんだ」
「……混乱を?」
僕の言葉の意味がわからないというふうに首を傾げるアルメリアに、ジャスティスの本当の想いを隠しながら、重度のシスコンを発動させる。
「あぁ、こんなに愛らしいアリアと婚約破棄をするなんて万死に値すると思うんだけど、王太子をなんとか窮地か死地に追いやってしまいたいなんて……。そんなこと、考えただけでも不敬なのに、悩ましすぎて、どっちがいいと思う?」
「そうですね。それは、素敵な提案だと思うのですが、曲がりなりにもレオナルド様は王族ですから、二度と口にはなさらないでくださいね? 私、お義兄様が私の側からいなくなるなんて、思いたくもありませんから!」
「わかったよ」と手をアルメリアの頭の上に置き撫でると、むぅっと頬を膨らませる。その姿は、とても幼く、僕に気を許してくれていることがわかった。
「お義兄様。淑女の頭を撫でるとは……、絶対に他所ではしないでくださいませ! 他家のご令嬢でしたら叱られてしまいますよ!」
「ごめん、ごめん。こんなことをするのは、
「許して」と懇願すると「仕方がないですね」と笑う。その姿を見ていたとき、ふと、窓ガラスに自身の姿が映って驚いた。
「誰だ? こいつ」
「何を言っているのですか? お義兄様ではありませんか。王族でもないのに綺麗な瞳をしていますよね。まるで、満月のような瞳。この国ではとても珍しいですわ」
同じようにガラス窓をのぞくアルメリアと視線があう。ニコリと表情を緩めてくれているので、僕も微笑んだ。
……そういえば、さっきも馬車の車窓で見たんだった。早く、この整いすぎた顔にも慣れないとな。
「行こうか。あまり遅くなると、養父上に申し訳ない」
「そうですね」
再度、歩き始め、突き当りの執務室の扉をノックする。入室を許可する声が聞こえ、部屋へと入った。
「なんだ? もう夜会から帰ってきたのか?」
「それでは、まるで帰ってきてはいけないかのようなおっしゃりようですわ、お父様」
「今日は、朝まで帰ってこないのかと思っていたから、予想より早くて驚いただけだ。ジャスも一緒だったか」
「はい、養父上。今日は、少々ゴタゴタがありましたので、早々に切り上げてきました」
僕の『少々ゴタゴタが』のフレーズを聞き、書類に目を通していた養父がこちらへ顔を向ける。その表情は、何をしてきたんだい? と問いかけのようなもので、僕は肩を上下しアルメリアに事情を聞くよう促した。
「だいたい想像はつくが、アリー。あのバカな王太子が、今度は一体何をしでかしたのかな?」
優しい声音ではあるのに厳しい視線を向けてくる養父に対し、微笑むアルメリア。これまでレオナルドが起こしてきた数々の問題行動をもみ消してきた養父のこめかみに青筋が入っていないかと確かめてしまう。アルメリアの表情で悟った養父はため息をついて、読んでいた書類を脇に片付けた。仕事どころではないと判断したらしい。
席を勧められ、アルメリアの隣に座る。向かい側に養父が座り、夜会であったことをアルメリアが丁寧に説明をした。
「そうか、バカだバカだとは思っていたが、あのクソ王太子め。自身の首をすげ替えねば、アルメリアの価値すらわからぬか……」
「お父様、仮にも一国の王太子に対してひどい言い方ですわ。婚約破棄をされたくらい、どうってこともありません。私が生きていくには十分なほどのお金はあります。お義兄様が私の側で支えて下さったおかげで、たくさんの事業ができていますから、お金には困りませんし……」
「確かに、アリーの始めた事業は、この公爵家に直結するものばかり。王であっても、書面に権利一切をアリーとジャスに与えるという王印がある以上、利権を奪うことはできない。それにしても、うちの可愛い娘に対しての非礼はどんなことがあっても詫びさせねばならぬ。慰謝料か……なるほど。ジャス」
義妹と同じように養父の顔も悪役と名がつくのではないかというほど悪い顔になった。アルメリアと同じようなことを養父も言うのだろうと思うと頭が痛いのだが、僕自身も望んでいることだ。アルメリアの心を傷つけたレオナルドを許すつもりはない。慰謝料とこれまでの迷惑料をレオナルド個人の資産から借金をさせてまで、取れるだけぶんどってやると心は固かった。
「はい、養父上。今回の婚約破棄に伴うアリア個人への損害額と公爵家やその事業への損害額、風評被害への対応に対する賠償額などを徹底的に調べあげ、他にも何かぶんどれるものがないかを探します!」
「あぁ、それはそれでいい。ジャスが好きなようにしてくれて構わない。事業に関しては、私の出る幕ではないからね。私は、二人の出したものに、色を付けるくらいの仕事でよさそうだ。……それより」
「……それより?」
「お父様?」
ニンマリ笑う養父に、あまりいい話ではないことを悟り身を引き締めた。王太子のバカな事件を処理するより、実は養父相手の方が手こずるだろう。養父の元で実務を学んできたからこそ、その厄介さを誰よりも知っていた。