「メアリー、あなた平民のくせに私と張り合おうだなんて、1千万年は早くてよ! 出直していらっしゃいっ!」
大きな物音と共にドレスを着た女性が階段上から踊り場へ転がり落ち、崩れるように倒れた。「メアリー」と呼ばれた少女は体をのそのそと起こす。涙で潤るむ瞳を階段の上で腕を絡めて仲睦まじそうに見える男女へむけた。怯えた様子で見上げる仕草や表情はとても儚げで、思わず手を差し伸べたくなるほど可愛らしい。
メアリーの周りを遠巻きに囲った貴族たちはみな口元を抑え、ヒソヒソと隣同士で小声で話をしているが、誰も彼女を助けに行こうとはしなかった。
その中の一人である僕自身も、可哀想な彼女に駆け寄ろうとは考えられず、どこか演技めいたメアリーの様子を冷たく傍観していた。
階段の上にいる
とうとう「メアリー」は、「酷いですわ、アルメリア様」と弱々しく震え、大粒の涙を流し始めた。
「メアリー!」
「気でもふれられましたか? レオナルド様。私の耳元で、叫ばないでくださいませ。煩いですわ!」
階段の上、アルメリアと呼ばれた高嶺の花のような女性は、突然腕を絡めている彼女ではなく、他の女性の名を叫んだレオナルドを眉間に深い皺をよせ、迷惑そうに睨んだ。
階上からアルメリアとメアリーのやり取りをアルメリアの隣で一部始終、ただ見ていたボンクラそうなレオナルドが、腕を組んでいたアルメリアをドンと押しやり、階下にいるメアリーの傍らに駆け寄った。
レオナルドは、メアリーをそっと抱きしめ「大丈夫か?」と心底心配しているような声音でケガの具合を聞いている。
僕から言わせれば、メアリーのケガなんてたいしたことはないだろう。せいぜい、どこか打ち付けた程度。どうせ、自身がか弱く見せるための演技なのだろうから心配するほどでもない。
あの手の女性は、ああいう頭の弱そうな王子様風の男に、
僕とは無縁の女性だからこそ、これっぽっちも興味がわかないし、正直、裏表がありそうで苦手なタイプでもある。好きなだけ、その頭の弱そうな甘ちゃん王子様をいいように使ってあげればいい。
むしろ、この後の展開こそが、僕には気になった。
階段の上から、甘い雰囲気を駄々洩れにさせている二人を見下ろし、微笑みを浮かべ気丈に振る舞っている彼女こそが、僕の目を惹いた。
大勢の貴族の目の中で、どのようにこの難局をすり抜け、さらに甘ちゃん王子様の顔を見るも無残に顔を歪めさせるのか。きっと、彼女……アルメリアと呼ばれた女性は、僕のこの高鳴る胸の鼓動と期待に応えてくれるに違いない。じっくりその場を見てやろうと意地の悪い僕はほくそ笑む。楽しくなって仕方がなかった。
「アルメリア! メアリーに何てことをしてくれるのだ! そなた、何の権限でこのような恐ろしいことができる! これまでのメアリーへの虐めや恐喝など学園でのことも含め、今すぐ悔い改めよ!」
階段の上、豪奢な赤い薔薇のドレスに輝くような金髪を揺らすアルメリアは、とても困ったような顔をしてレオナルドを見つめていた。……いや、
エスコートもなしに優雅にドレスを揺らし、二人のいる階段の中ほどの踊り場へゆっくりと降りていく。
その気品に満ちた彼女にどれほどのものが悩ましいため息をついたことだろう。
「『
アルメリアは、甘ちゃん王子レオナルドにニコッと笑いかけながら、スッと扇子を取り出し先端を自身の頬にあてる。その表情は、「何をおっしゃるのかしら? 全然意味が分かりませんわ」と少々威圧的であったが、それくらいで慄く王子ではないと思いたい。
実際は、アルメリアの動作ひとつで、レオナルドの腰が引けて尻餅をついたことが、遠目でも見て取れ、情けなくて笑えてくる。
「私が好き好んで、貴族の夜会に迷い込んでしまった礼儀知らずのお可哀想な勘違い平民を
「大げさね?」と詰め寄るようにレオナルドへズイッと近づき、口元をパッと開いた扇子で隠して睨んでいる。王子といえど、アルメリアのその堂々とした態度に逆らうことが難しいのか、子犬がきゃんきゃんと鳴いて喚く寸前のようで、見ていて情けない。
「……なっ、不敬であろう! 王太子である俺に、そのような……」
「ど、の、ようなです? ふふっ、レオナルド様。私、レオナルド様に対しても、メアリーに対しても、何もしておりませんわ。わざわざ私が何かすることすら煩わしい」
「き、き、貴族……、公爵家の娘であるだけのアルメリアには、王太子の婚約者候補だというだけで、権限など何もないであろう!」
「……そうですか。実に残念ですね? 見た目だけではなくて中身や頭までとは」
憂いを帯びた表情は美しく、アルメリアに注目していた貴族たちからは悩まし気なため息が再度聞こえてくる。こちらから見えるのは瞳だけであるのに、レオナルドの度重なる馬鹿な発言に表情をさらに曇らせていることが全てを雄弁に語っていた。
「レオナルド様は、私ではなく、あの小汚い何もできない小娘を妃としてお選びに?」
明らかにレオナルドへ挑発をしているアルメリア。憂い顔の裏側は、ひとつの決定を引き出そうと茶番を演じているようで、少し楽しそうに見えた。
「そ、そうだ! そ……そなた、アルメリア・ティーリングと……」
「と?」
「お、俺は、アルメリア・ティーリングとただちに婚約破棄をし、聖女メアリー・ブラックと婚約をする!」
さっきまで、ヒソヒソと話し合っていた階下の人だかりは、王太子の言葉に静まり返った。まるで、その言葉を王太子が言ってくれるのを待っていたかのようにだ。
みながその場へ一斉に膝をついた。メアリーの隣でアルメリアに人差し指をさし、婚約破棄を宣言した王太子レオナルドと、侮蔑の視線で王太子を見下している公爵令嬢アルメリアを仰いだ。
二人が婚約を宣言したかのような喜びに満ちた雰囲気には違和感しかないが、この貴族たちはどちらに向けて頭を垂れたのだろう? と観察する。
……残念ながら王太子ではないな。みるからに、アルメリアのほうが女王らしい風貌なのだから。
「ここに宣言する!」
「……ふーん」とレオナルドの堂々たる宣言を聞き流し、同時に興味なさげにアルメリアはレオナルドへ失笑した。広げていた扇子をパチンと閉じると、明らかにレオナルドはぶるっと大きく震える。
露わになったアルメリアの表情は、まさに悪役令嬢そのもの。ニィっと口角をあげ、高笑いがホールに響き渡る。その様子を見て顔をひきつらせたのは、他の誰でもなくレオナルドだ。
俯いたメアリーの表情は見えないが、一瞬、歯を食いしばったように見えた。
「レオナルド様」
「……ひゃ、ひゃい!」
「なんですの? その情けない返事は。王太子なら、もっとしっかりしてくださいませ! 王太子の位が泣いていますわ。クスクス」
「……アル、メリア?」
「気安く私の名を呼ばないでくださいませ。私はもう、あなた様の
扇子を華奢な顎に当てて「うーん」と考えている。言葉を選んでいるのだろう。アルメリアの年相応の可愛らしい仕草にみなが釘付けだ。
「そうですね……、今なら、私の靴を舐めるくらいで、許して差し上げますわ!」
「そ、そ、そんなことするわけが!」
「えぇ、えぇ、えぇ、そんなことできませんわよね? この国一高い山よりプライド
「な……何を!」
立ち上がろうとするレオナルドを扇子で肩を叩いて立たせない。レオナルドに向けられたその冷笑には、強い意志が込められていた。
「ふふっ、メアリーとのご婚約パーティーのおりは、是非とも私もご招待ください。とびっきりのドレスを着て、おしゃれし、お祝いにはせ参じますわ!」
「ごきげんよう!」とドレスを翻し、颯爽と残りの階段を下りるアルメリア。その手を取ろうと多くの階下にいた貴族令息が争っている。レオナルドはそんな令息たちのことを蔑む様に睨み、泣いていたはずのメアリーはさっきまでとは違い、意地の悪い微笑みを浮かべていた。
その様子を蚊帳の外である僕は、よくやるよなぁ……と壁際の花となり、ぼんやりと笑えない茶番劇を見ていた。