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第30話 頑張らなくちゃ



「何だったんだ」


 隼人は授業を受けながら、首を傾げていた。龍堂くんが会いに来てくれたのは、自分のはずだ。おそらく、たぶん、絶対そうだと思うのだけれど。

 しかし、あのユーヤの確信をもった口ぶりを聞くと、意味がわからなくなった。

 いやいや。

 首を振り、打ち消す。自分は友達がいないけど、自分にしてくれたことを受け取らないことは失礼ということはわかる。龍堂は、自分を心配してくれた。それでいいのだ、きっと。


「中条くん、さっきから聞いてるかな? 耳がお留守だけど」


 早川先生が、テキストをペンで叩きながら言った。笑っているけど、目は怒っている。隼人は慌てて「すみません」と謝る。先生は「できない子ほど、不注意なのはなんでかな?」と呟いた。ケンたちが忍び笑いを漏らした。


「まあいいや。次を訳して」

「はい!」


 隼人は汗をかきつつ、教科書に目を落とした。集中が切れていて、アルファベットの文字列にしか見えない。早川先生が、大きくため息を付く。


「もういいよ。ユーヤ、訳して?」

「OK!」


 ユーヤは立ち上がり、淀みなく答えた。美しいはつらつとした発声に、早川先生だけでなく、皆聞き惚れている。


「ん〜、Very Good!」

「Thank you!」


 機嫌を直した早川先生に、ユーヤが愛嬌たっぷりに笑いかける。そして授業はまた穏やかに進み始めた。

 一ノ瀬くん、勉強できるんだよな……。

 ユーヤだけじゃない。オージは言わずもがな、ケンもマオも、ヒロイさんも、皆、成績上位者だ。

 自分に嫌なことをする人が、自分よりもずっと容姿も成績もよく、周囲からの覚えもめでたい。そう思うと、なんだか不条理を覚えた。そして、そんなことを考える自分は、余計にむなしくて嫌だった。

 今の俺、嫌な感じだな……。ため息をつくと、隼人はノートにハヤトロクを書き出した。


「俺は



 そこで隼人は手を止めた。ハヤトでさえ、自分と同じ答えしか出なかった。隼人は唇を噛み締めて、シャープペンをぎゅっと握り直した。そして授業に一生懸命集中する。

 俺は。

 ここで頑張らなくちゃいけない。俺は、ここで戦わなくちゃいけないんだ。龍堂くんに相応しくなるために。

 ユーヤに負けないために。


 それから隼人は、自分を変えるために努力し始めた。


「ごちそうさま!」

「隼人、もういいの?」

「うん! ありがとうお母さん」


 ご飯を減らして、夜にウォーキングも始めた。


「えっと、xが……」


 宿題の他に、自主勉強もちゃんとし始めた。

 もちろん、最初からうまくいくわけはなかったし、毎日続くわけでもなかった。今までのんびりしてきた分、皆より遅れていたし、走り方も理解していなかった。だから、何度もつまずいたし、転んだ。

 けれども、起き上がって、走ることはやめない、その一念は持とうと思った。

 隼人は、ハヤトの世界に行くことは止めていた。けれども、ハヤトを忘れたわけではなかった。

 ハヤトならきっと、あきらめない――そう、心の師匠として胸に抱いた。

 頑張れば、きっと変われるはずだ。そう信じて。


「隼人、まだ寝ないの?」


 パジャマを着た月歌が、部屋を覗き込んでいた。


「あっ、お姉ちゃん。うん、もう少し頑張る」

「最近ちょっと頑張りすぎじゃない? 大丈夫?」

「大丈夫。期末こそ、頑張ろうと思って」

「そう? でも、もう今日は寝なね?」


 月歌は、とりわけ隼人を心配していたが、時間を見つけては、勉強を見てくれた。ありがたかった。



「中条」


 龍堂は、あれから教室を訪ねてきてくれるようになった。自分のことを、心配してくれているのだとわかった。隼人は嬉しくて、よりいっそう、頑張ろうと思った。早く、龍堂に相応しくなりたかった。



「隼人くん、なんだか最近、忙しい?」


 マリヤさんに聞かれた。隼人は、少し自分が変われた気がして、「うん」と答えた。するとマリヤさんは、


「ごめんね。じゃあ、迷惑だよね」


 と顔を曇らせた。隼人は慌てて、「そんなことないよ」と言った。マリヤさんの悲しげな顔を見て、自分は何か間違えたのだろうか、そう思った。忙しいとの字のごとく、心をなくしていたのだろうか。隼人は反省して、誠実さを忘れないようにと決めた。



「疲れた……!」


 隼人は自室の床に倒れ込んだ。日課のウォーキングを終え、ぜえぜえと息をついた。日増しに暑くなってきて、夜でもきつかった。でも、まだ今日の自習が終わっていない。

 頑張り続けることは、思ったより大変だった。今まで自分は、好きなことしかしてこなかったんだなあと痛感する。勉強に運動という、大多数の学生の本分が苦痛だなんて、気恥ずかしいわけだが、本音だった。


「ハヤト、助けて……」


 顔をおおい、弱音を吐く。頭を振ろうとして、やめた。

 頑張った期末テストは、なんにも手応えが感じられなかった。


「まだまだ、これから……」


 始めてひと月足らず、諦めるには早すぎた。まだまだ手応えがなくて当たり前。わかっている。けれど、どうしても焦っていた。


「龍堂くん」


 遠い。


「頑張れば頑張るほど、遠くなるんだ……」


 龍堂は今も、ずっと隼人に会いに来てくれていた。すごく嬉しいことなのに。

 日を重ねるほどに、隼人は自分が恥ずかしくて、怖くなっていた。

 龍堂は、成績もオージと並んで首位で、運動だって万能だった。

 前の自分だったら、「すごい! 流石だなあ」で済んでいたのに今だと、どうしても自分の不甲斐なさを感じてしまうのだ。

 隼人は、全然ハヤトじゃない。ハヤトにはなれないのかもしれない。


「まだわからない。あきらめちゃだめだ」


 隼人は固く目をつむった。





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