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第30話

 静まり返った21号館の廊下を歩きつつ、俺は首を捻った。

 走りすぎで、ちょっと疲れてたとか。起きたまんまで、夢を見ることもあるって言うし。


『トキちゃん、覚えてないの……?』


 でも、イノリの驚いたような声を思い出す。

 俺って、なんか忘れてるらしいじゃん。

 俺としては、何か忘れてるような覚えはなくて。だから今までも、今だって困ってはないんだけどさ。

 でも、やっぱり、俺の記憶に「欠けてる」部分があるから。こんな、ささいなことが気になっちまうんだろうか?


「うーん」



 よくわかんねえや。

 俺は、305教室の戸を、ガラッと開けた。

 中から、ふわんと出汁の匂いが漂ってきた。


「へっ?」

「あ、トキちゃん。おはよー」

「おう、おはよ……てかお前、何してんの?」

「んー。うどん煮てるー」

「うどん?!」


 俺、目がまん丸になってる気がする。

 イノリは、机にカセットコンロを置いて、本人の宣言通りうどんを煮ていた。いや、何でうどんなわけ?


「ちょっとねー。あったかいもの食べたいかなあって思ってぇ」


 イノリは箸でうどんの具合を見ながら、にこにこ言う。

 よく見ると、うどんはアルミ鍋に入った冷凍食品で、イノリの家に常備されていたもんだった。


「ネット通販で、まとめて頼んでおいたんだー。夜中に腹減ったときとかー、学食行くのめんどくせーってときに食べようと思って」


 カセットコンロは、生徒会室にあったのをがめてきたらしい。

 思いっきりいいとこあるよな、こいつ。てか、生徒会も、なんでコンロなんか置いてんだろ。

 対面に座って、もうもうと立つ湯気越しに端正な顔を見てると、にこっと笑いかけられる。


「はい、煮えたよー。トキちゃんもどうぞ」


 ひょい、と割り箸を渡される。


「お、サンキュ。いいの?」

「いーの。一緒に食べたほうが美味しいもん」


 せっかくだから、お言葉に甘えてご相伴にあずかることにした。

 向かい合って雑談しながら、アルミ鍋のうどんを突っつく。

 湯気が籠ったらだめだから、窓を開けて食ってたんだけど。それでも、かなりあったまる。

 まあ、実際さ。煮えたて、ホカホカのうどんってうまいよなぁ。

 俺は今、いくら良い天気でも、この季節ずっと外にいたら冷えるんだっていうのを実感してるところ。優しい出汁の味がさ、五臓六腑にしみわたるっていうかんじ。


「トキちゃん、あーん」

「あー」


 イノリは、箸で切った油揚げを、俺に差し出してくる。とっさに口を開けると、揚げを差し込まれた。出汁がじわっと染みてうまい。

 てか、イノリのうどんなのに、俺ばっか食ってるじゃん。

 と、思って揚げを口に入れてやろうとしたら、「嬉しいけど、ダチョウ倶楽部になっちゃうから」って遠慮された。


「えっ、そんな熱くなかったぞ?」

「ふふ、良かったぁ。トキちゃん、あとで俺にもあーんてやってね。ね?」

「? おう」


 イノリって、猫舌とかじゃなかったと思うんだけど。首を傾げつつ、俺は勧められるままうどんを啜った。

 結局、俺がほとんど食べたので、イノリにはお詫びにパンを進呈した。チョココロネ、買ってきてあってよかった。

 そういや、冷めてから、約束通り揚げをあーんしたわけだけど。イノリがやたら感激していて、ちょっとびびった。

 イノリの奴、よっぽど寂しいんかな……。けっこう、心配だぜ。





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