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第12話

 ずっと没交渉だったイノリから、意味ありげなメモを貰った。

 おかげさんで、午前の授業は散々だった。

 そわそわしちまって、先生の講義も右から左。

 移動したら、校舎にまだ不案内なせいもあって、三年と途中まで授業受ける始末だし。先輩たちも「誰よ?」って言ってくれりゃ、いいのにな。

 傑作なのは四限に、「訳して」って言われて、でっかい声で答えたときな。苦笑しながら、先生が言ったわけ。


「うんうん、bornは「骨」じゃなくて「生まれる」だね。モザルトは、モオツァルトのことかな。あと、今は英語じゃなくて、漢文だよね」


 教科まで、間違ってるとは驚きだったわ。

 俺の代わりに、鳶尾が答えてマル貰ってた。やな奴だけど、頭いいんだよ。

 ずっとこんな調子だったから、四限終了のチャイムが鳴ったころにはホッとした。



 さっそく、財布をケツポケに突っ込んで、教室を出た。

 途中、購買に立ち寄って昼飯を買った。イノリがどうして、こんな風に俺を呼び出したのかわかんねえけど、念のため。

 昼休みの廊下は生徒達であふれ返ってて、ぶつかんねえように気合を入れて歩いた。ほら、腹を減らした男子高校生くらい、気が立ってるもんはないし。今日は、マジで一分も無駄にしたくない気分だったから。

 でも、俺って奴は、やっぱ迂闊なんだよな。



「ここどこよ?」


 見渡す限り、似たような校舎。ひとつ、なんか温室みたいのがあるけど、どう見ても平屋で。21号館じゃないなら、別に用はねえわけで。

 いや、浮かれるあまり、忘れていたわけよ。

 21号館の305教室って、どこよ? ってことをさ。

 この学校は、広い。

 こんなでけえ学校が建つ土地が、日本にあったのかってくらい。

 転校して一か月にはなるけど、まだ全部の校舎見れてねえくらいだし。

 見取り図を見てくるんだったって、後悔しても後の祭り。

 誰かに聞こうにも、校庭を突っきったあたりで、生徒の姿が減っていて。今いるとこには、俺以外には、ポプラくらいしか生えてねえ。


「うおおお、どうしよう?!」


 俺は、頭を抱えた。

 刻一刻と、時間は経っていくのがわかり、焦りが募る。

 待ちに待った、イノリと、コンタクトをとる機会なんだ。絶対、ふいになんかしたくねえ。

 俺は、グッと腹に力を込めて立ち上がる。


「ようし! こうなったら、猛ダッシュで全部見て回るだけ――」

「なあ」

「おわあ!?」


 突然、うしろから声をかけられた。

 ちょうど、気合を入れ直したところだったから、ぎょっとして叫ぶ。

 つうか、どっから現れた。さっきまで誰もいなかったはずだぞ。

 相手も、俺の悲鳴にびっくりしたのか、目を丸くしていた。

 真っ青のふわふわした髪と、改造した制服。背は俺より小さくて、顔が女の子みてえに可愛い。

 どっかで見たことある気がして、じっと見てたら相手がにこっと笑う。


「おどかしてしもた? ごめんなあ、てっきり気づいてると思ててん」

「え、いやいや。こちらこそ」


 まごついていると、相手はますます笑みを深くする。

 男子校なんだから、男に決まってんだけど。顔のせいか、女子と話すみたいに落ち着かない。


「ところで君、どっか行くとこやったんちゃう?」

「あっ、そうなんす! 俺、道が分かんなくて」

「はあ、迷子ちゃんか。ええよ、ぼくが連れてったろ」




 先を行く美少年の髪が、一歩ごとにふわふわ揺れている。

 昼休みって言ったら、誰でも一分一秒惜しいじゃん。

 それを、道案内を買って出てくれるとは。謎の美少年には感謝してもしきれない。


「ありがとうございます」

「ええのよ。吉村くん、転校してきたばっかりやろ? ここ広いからわかりにくいよなあ」

「そうなんす、全然覚えられなくて」


 あれ、俺名乗ったっけ? 不思議に思ったとき、美少年はニコっと笑った。


「吉村くん、一個注意しとくわ。さっき居たとこの温室。あこ、松代のスポットやから、一般生徒は近寄らへんの。一応、気ィ付けたほうがええよ。くだらんルールやけど、過激な奴もおるさかい」

「えっ?」

「ほら、着いた。ここが21号館。ちなみに、君の普段おるC館は、花壇挟んだすぐ裏手にあるで」

「んなっ?!」


 美少年が指し示した先を見れば、確かに見覚えのある校舎があった。なんてこった、こんな近くだったなんて。俺は、ガクッと肩を落とした。


「あはは、灯台下暗しやな。ほな、ぼくはこれで」


 美少年は、朗らかな笑い声を上げると、くるりと身を翻した。おれは、慌てて頭を下げる。


「あざっした! マジ、助かりましたっ」

「ふふ……桜沢によろしくな」

「えっ」


 美少年は、謎めいた笑顔を見せて去って行った。

 なんで、俺がイノリと待ち合わせてること知ってんだろう。


「まあ、いいか」



 昼休みは有限なのだ。

 俺は、21号館に飛び込むと、階段を駆け上がった。

 21号館は、人っ子一人いなかった。なんかの実験棟なのか、ところどころ薬品の匂いがする。でも清潔そうで、日当たりだって悪くない。もっと生徒が集まっててもよさそうなもんだけど。

 305教室は、すぐ見つかった。

 イノリの奴、もう来てるかな。

 引き戸に手をかけて、カラカラと引っ張る。ひょっと、頭をつっこんで室内の様子を窺った。

 カーテンが閉まっていて、ほんのり薄暗い。教卓と、整然と並んだ白い机がある。誰もいない。


「イノリ、いねえの……?」


 俺は、呟くくらいに呼びかけた。

 すると、突然横から腕をはしっと掴まれる。


「わっ」


 ぐい、と強い力で腕を引かれた。そのまま、教室の中へ強引に引っ張り込まれる。戸が、ガタンと乱暴に閉められる。

 たたらを踏んだ俺の体は、固い、温かなものに受け止められた。


「うぐっ」


 背中を、痛いほど締め付けられ、喉で息がつぶれた。

 抱きしめられてると気づいたのは、ふわりと甘い匂いがしたからだ。

 こめかみに、さらりとした髪が触れて、苦しいのにくすぐったい。


「トキちゃん、トキちゃん……」


 泣きそうに切羽詰まった声で、イノリが俺を呼んだ。

 その声を聞いていると、なんか、俺もジワリとこみあげてきて。意味わかんなかった、この頃のこととか。聞きたいことも、吹っ飛んでさ。

 両腕を、イノリのでっかい背中に回した。ぎゅっと、カーディガンを握ると、頬が頭頂に摺り寄せられる。


「来てくれないかと思った……」

「……ばーか」


 俺は、イノリの背をぽんと叩いた。




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