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葩の白き舞う
葩の白き舞う
七瀬京
文芸・その他ノンジャンル
2025年03月07日
公開日
4,277字
完結済
この世とあの世の境の場所にいるアキト。
誰にも顧みられることなく無為に過ごしているアキトは、新月の夜のことを聞く。。

第1話


 さかい、と呼ばれる場所がある。


 この世とあの世の間にある、どちら付かずの中間の場所。狭間の世界。中有ちゅううなどとよばれることもある。

 この世とあの世の狭間は、天と地を繋ぐほどおおきな桜の樹がそびえ立っていてそれは、結界と呼ばれ、と何人なんぴとも侵すことは出来ない。


 狭間の世界には、行き場のない人が彷徨さまよっている。

 現世うつしよで、意識を失い、けれどまだ肉体は生きているもの。

 死んでしまったが、死者の世界へ行くことが出来ないもの。

 死者の世界を拒んだもの。

 鬼や妖怪の類いも、現世うつしよを追われて、ここで暮らしていた。

 この世界へ定住を決めたものは、なにか役割をもって、それを生業なりわいにして生きる。

 ある美しき鬼は、狭間の世界で、古書店を営んでおり、その伴侶として死者の国を拒んだものが付いていたりする。

 また、夢喰らう獏なども、ここで暮らして、時折人の世に降りて、悪夢を喰らっている。



 この世界で、アヤトと呼ばれる一人の青年がいる。

 彼は元々人間だった。高等学校という人の世の学び舎で過ごす若者であったが、あるとき、部屋で一人寂しく亡くなっていたらしい。

 狭間の世界でも、彼はいつも一人で、誰とも関わらずに暮らしているようだった。

「アヤトは、また、薄ぼんやりと通りに立っていたらしいよ」

「なんだろうね、あいつは」

「気持ちが悪いね」

 子鬼たちが、アヤトの姿を見かけてらしく、口々に文句を言っている。

「ちょっと、子鬼たち! ……何をお言いだいっ! アヤトに文句を言ってるくらいなら、とっとと使いに行くんだよっ!」

 地を擦るほど長い金髪に十二単じゅうにひとえを纏った美しき鬼が、子鬼たちを散らす。

 瑪瑙を貼り付けたように長く美しい、赤い爪を翻しながら、彼は、アヤトに向かった。

 アヤトは、少々申し訳なさそうな顔をして、視線を逸らす。

「済まなかったねぇ。……うちの眷属達が、揶揄からかったりして……」

「いえ」

 小さな声で、アヤトは呟く。

 そのアヤトの姿を見て、町ゆくものたちが、口々に噂していた。

「あいつ、人の世に居たときもあの調子だったから、誰にも相手にされていなかったらしいぜ」

「とっとと、あの世に行けば良いのになあ」

 その心ない声は、アヤトにも聞こえていたのだろうが、アヤトの表情は、微塵も動かなかった。

「ああいう輩は、放っておくんだよ? ……それにしても、あんた。……すこしは、喋ったらどうだい?」

 アヤトが顔を上げる。黒瞳こくとうは闇を宿したうろのように、くらく淀んでいる。

 くちが、ぱくぱくと動いたが言葉にならないらしい。

 鬼は、アヤトが声を紡ぐまで辛抱強く待つ。

「良いんです。どうせ。誰にも相手にされないのは、生きていた頃からでした。ただ……、なぜか、あの世へ行こうとしても拒まれるのです」

「拒まれる?」

 アヤトの言葉は意外だった。普通、招かれこそすれ、死者の国への戸が、誰かを拒むというのは考えられないことだったからだ。

「そうなんです。だから、僕は、どこからも、誰からも必要とされないんだと思います」

「そんなことはないだろうよ……。まあ……もし、あんたがここに居るなら、何か役割を持つ必要があるよ。あんたに出来ることをちゃんとお探し」

「僕に出来ることなんて」

 彼は俯く。生きていた頃から、そうだったのだろう。

「そうだねぇ、あんまり長い間ふらふらされていても困るから……、次の新月の晩、桜が舞うはずだからね。その時までに考えておいで」

 じゃあ、あたしは生業に戻るよ、と言い残して鬼は去って行く。

 アヤトは、まだ、ぼんやりと立ち尽くしていた。



 新月の夜は、あたりが、そわそわしているような空気があって、アヤトも落ち着かない。

「こんにちは、アヤトさん」

 相変わらず通りに断っているだけのアヤトだったが、通りすがりのざるを小脇に持った老婆に挨拶をされた。

「どうも」

 アヤトは鳩のように首をちょこっと動かして、挨拶する。

「この間は、小豆を拾ってくれてありがとうね。助かったよ」

 この老婆は、小豆を洗う妖怪らしい。ところが三日ほど前、通りでざるに上げた小豆がその辺中に転がってしまったのだった。あたりの人たちは素通りしていったが、アヤトは拾い集めるのを手伝って、それ以後、ここを通る度に声を掛けられるようになった。

「……今日は、新月だろ。だから、人だったものたちがそわそわしててね」

「なぜ?」

「新月は桜が人への道を繋ぐんだよ。……ここへ迷い込んで、肉体が回復したものは新月の晩に出来る桜の回廊を通って、人の世へもどる」

「へぇ……」

 アヤトは空を見上げた。薄ぼんやりとした淡いオレンジ色をした空を覆うように、桜の天蓋てんがいが広がっている。この狭間の世界、どこからでもあの桜を見ることが出来る。

「その時にね。あんたにもきっと、贈り物があるはずだよ」

 小豆洗の老婆は、そう言って優しく笑ってから「じゃ、あたしは小豆洗いがあるからね」と去って行く。

「贈り物……」

 今までアヤトは物心ついてから、贈り物を貰った記憶がない。

 家には父親が居ず、母親は家に居着かず、ゴミのたまった部屋で暮らしていた。給食と残飯を貰って生きていた。バイトが出来るようになってから、それは学費と食費で消えた。けれど、腹を減らして、眠れない夜を過ごすことは少なくなった。

 そうしているウチに、あのゴミの中で死んだのだろうと、アヤトは理解している。

 そして、周りの、かつて人だったものたちは、それを知っているのだろう。

 贈り物、という甘い響きに、らしくもなく胸が躍ったその時、アヤトの前に、いつも突っかかってくる子鬼が現れた。十二単の鬼の眷属というものだ。

「アハハ! こいつ、自分も贈り物がもらえるっ期待してるよっ!」

「そんなことないのにね!!」

「アハハハハ!」

 笑い声が耳障りだった。子鬼たちは、アヤトの足許をくるくる回って飛び跳ねている。苛立った。この世界へ来て、初めて、強く気持ちが動いた。

「アハハハハ!」

「お前が贈り物を貰えるはずがないのにっ!!」

 その言葉が癪に障って「なんでだよ」と思わず口にしてしまうと、子鬼たちはぴたり、と動きを止めた。

「知らないの?」

「……贈り物はね。生きてる人がくれるんだよ」

「生きてる人が、死んだ人を忍んで大切に思うとき。あの桜がその思われていた分の花を、送ってくれるんだよ!」

「一人で死んだお前が、貰えるはずがないのにっ!!」

「怨霊だ、怨霊になっちゃえよ!!」

 子鬼たちの言葉を聞いて、アヤトは、期待して膨らんでいた気持ちが、一気にしぼんで萎れていくのを感じていた。

 この、鬱陶しい子鬼たちの言う通りだ。

 アヤトは、実の母親にも父親にも見捨てられただろう。そして、誰にも顧みられることなく、一人で死んだのだ。そんなアヤトの亡骸やその他のものを処分するのに、沢山の人が迷惑な思いをしただろう。嫌な思いをさせられたと、恨まれても、誰かに大切にされる人生ではなかった……。

 アヤトの視界が、滲んだ。

 子鬼たちは、飛び跳ねながら、どこかへ消えていく。

 もはや立っている気力もなくて、アヤトは膝を抱えてしゃがみ込んだ。



 この、狭間の世界に居る意味を、アヤトは考えて居た。

 死者の国へ行くことも出来ないというのは、死人として、不十分ということだろうと、考えたのだった。であれば、この狭間の国で何か出来ることを探して、尽くす必要があるのかもしれない。

(けど、僕に何が出来るんだろうか……)

 アルバイトは、ファストフードと、新聞配達と、居酒屋だった。

 接客と、簡単な調理ならなんとかなる。狭間の世界では、食べ物屋はあるだろうか。通りを見回すが、どこに何があるか、解らない。

 そこに建物があるのは理解出来るのに、頭の中に入ってこない。認識が阻害されているような感があった。

 やがて、新月の贈り物の時間が近付いたのだろう。

 あたりには人の姿が多くなった。

 みな笑顔で、生きている人たちからの思いを、楽しみに待っているようだった。

 その光景を見て、アヤトは胸が痛くなる。見ていることが辛くなって抱えた膝に、額を預けて俯いた。

「あいつ、一枚も葩もらえないだろうね」

「かわいそうに」

 遠くからそういう声が聞こえてきた。

 それが、事実であるだけに、悲しくなる。

 けれど、どこかへ逃げようにも、どこへ逃げて良いかわからなかった。

「あっ、葩だ!!」

 新月の葩が降り始めたらしい。

 見ていたくないはずなのに、アヤトは顔を上げた。

 空から繽紛ひんぷんと、白い葩が舞い降りてくる。雪のように舞うそれは、人の思いそのものだという。

 葩は、人の祈り。そして、人の愛情。

 アヤトには決して触れることが出来ないそれに、手を伸ばそうと思って、引っ込めた。誰かの為に捧げられた祈りを、横取りするわけには行かないからだ。

「綺麗だな……」

 こうして、誰かから悼まれるような生でありたかった。

 誰か一人からでも、一枚でも葩があれば―――。

 祈るような気持ちでいたその時、アヤトの頭上から、数え切れないほどの数多の葩が舞い降りて落ちてくる。

 アヤトの足許に積もって、抱えた膝くらいまで、埋まるほど、沢山の葩が、アヤトにだけ降り続いている。

「えっ! なんであいつが……」

「一人で死んだんだろ?」

 あたりが騒然とする中、ゆうらりと十二単を引いて現れたのは、金髪の美しい鬼だった。

「あら、思ったより少ないわね。まだまだ、沢山降ってくるわよ。あんた、立たないと埋もれて息が出来なくなるわよ!」

 美しき鬼は、ころころと笑う。

 言われるままに立ち上がったアキトは、意味がわからずに鬼の顔を見る。

「ヤだあんた、本当に一枚も貰えないって思ったの? ばーかねぇ。……あんた、毎日、近所のおばあちゃんに親切にしたり、虐められてる同級生に親切にしたり、通りすがりの迷子を助けたり、猫を世話したり、行き倒れた鳩に親切にしたり……みんな、あんたにずっと感謝してんのよ?」

「俺は……たいしたことは……」

「してないって思ってるでしょ。違うのよ、あんたは沢山してたの。他の人がしないことを、沢山してくれたのよ。……あんたが、親切にしなかったら、死んでた人だって居たの!

 桜はね……あんたが、誰からも思われていなかったと思ったままで死者の国へ行ったら、ろくなことにならないかも知れないと思って、ここに呼んだの。たまに、そう言うお節介をするのよ、あいつは」

 鬼は、桜の木を見上げる。

 アキトは目頭が熱くなって、涙が止まらなくなった。

 知らなかったのだ。誰かが―――自分を思ってくれる人がいたことを。

「存分に浴びなさい。その葩は、あんたが受け取るものよ」

 じゃあねと言いながら、鬼は去って行く。

 抱えきれないほどの葩を抱きしめて、そこに顔を埋めた。白く舞う葩たちは、アキトの涙を暖かく受け止めていた。



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