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第19話  ジャスト・ライク・ミー

『父さん!父さん!』

シヴァの耳に子供の声が聞こえて、目の前の光景に視界がにじんだ。

ああ、これは夢だ。昔の、思い出したくもない記憶だ。

叔父が父を棺おけに押し込めると銀の海に沈めた。銀の海は熱く煙が激しく上がっている。棺おけが滑り込むと聞いたことのない激しい声が響き渡った。

シヴァは耳を塞いで傍にいた母に寄り添った。が叔父は母の手を引き、何かを話している。父の酷く辛い声に耳を塞いだまま彼らの声を聞くことが出来ない。

『母さん!』

シヴァが叫んだと同時に叔父の手は母を銀の海に突き落とした。どぷんと落ちて、彼女は浮上すると体が切り裂かれるような声を上げた。

『あああ!』

シヴァはただ耳を塞いで目を閉じた。

どうして…今になって思い出す?こんな夢を見るなんて…。

もっと幸福に満たされることが沢山あったはずだ。そう思い、手探りでそれを掴んだ。愛しいカイル。彼女はシヴァの顔を見ると微笑んだ。

腕の中に抱きしめて優しく口付ける。

そうだ、私には彼女がいる…やっとのことで手に入れた幸福だ。なのにどうしてこんなに不安になる?

シヴァがカイルの名を呼ぶと彼女は消えてしまった。

『カイル!』

辺りを見回しても彼女はいない。

ふと目の前が変化してクラウンが椅子に座っている。シヴァも席についていた。

ああ、また夢か?もう十分なのに。

クラウンは微笑み頬杖をついてシヴァを見た。

『くだらないな。お前はヴァンパイアなど愛さないというのか?』

『そうだ!叔父さんは人殺しじゃないか!』

『人殺しか…アハハハ。お前も同じ一族だぞ?愚か者が。』

シヴァは立ち上がると拳を握った。

『叔父さんなんて嫌いだ。僕はあなたを許さない!』

『許さないか、残念な響きだな。しかしお前は一人では生きてはいけまいよ。屈辱にゆがむお前の顔は美しいぞ。』

『やめろ!』

シヴァの怒声にクラウンは煙のように消えてしまった。

どうしてこんなことを夢に見る?もう十分だろう…どうして繰り返す?

シヴァは頭を抱えるとその場に崩れ落ちた。

『彼女の元に返してくれ、もう十分だ。』

ぽつりと呟き頬を涙が伝った。

『シヴァ?』

懐かしい声に顔を上げると姉がいた。姉はあの時と同じ顔で微笑みシヴァの頭を撫でた。

『しっかりしなさい。いい?あなたがヴァンパイアを許せないのなら人間と恋をしなさい。彼らは優しい、優しく愚かだけどあなたの心に触れるでしょう。』

『でも…人間は先に死んでしまうでしょう?』

『そうね、中にはヴァンパイアになって共に生きてくれる人がいるかも知れない。ねえ、シヴァ?どうか生きることに失望しないで。あなたを愛してくれる人が必ず現れる。』

『姉さんは?一緒にいてくれないの?』

『もう…きっと。時間がないからあなただけを逃がすわ。シヴァ、愛してる。どうか物音が遠ざかるまでは静かにね。』

シヴァの前から姉は消え、暗闇の奥で鍵のかかる音がした。

小さな体を抱きしめてシヴァは俯いた。長く長く気が遠くなるほどに。深い記憶の海の底に沈んでいった。



昼過ぎ、暖炉の前にはティルとゼロそしてカイルが座っていた。五日経ってもいまだシヴァは眠り続けている。心配したゼロがティルを連れてやってきたのだ。

『ティル、シヴァはどうなの?』

ゼロが聞くとティルは首を横に振ると椅子に座った。

『まったく異常はない。ただ眠り続けているだけだ。』

『そう。』

ティルがカイルを見ると少し疲れた様子で息を吐いた。

『どうした?眠れているのか?』

『え…ああ、眠れていますよ。大丈夫です。』

『カイル、聞け。お前が倒れるとシヴァが心配するんだぞ?休めるのなら休んだ方がいい。私たちがいるから少し眠りなさい。』

『でも…。』

ゼロは微笑むと頷いた。

『うん、そうしておいで。シヴァの傍で眠ってきたらいい。』

『…はい。すいません。』

頭を下げてカイルはふらふらと自室に戻った。

その様子を見ていてティルは心配そうに眉をひそめる。

『大丈夫だろうか?カイルは。』

『どうだろうね…シヴァが戻るまではこんな風じゃないのかな。』

その言葉にティルが睨みつけるとゼロは苦笑した。

『それで…ディアからは話を聞いたんだろう?』

『ああ、そう。シヴァのお陰で帰ってこれたって連絡があってね…ちょっと怪我の具合も良くないからそっちには行けないって言ってたね。』

『ふむ。詳細は聞いたのか?』

『うーん、内容は言えないのだそうだ。相当怖い思いをしたのかもしれないね。あの自信満々のディアが言葉を選んでいたし。』

ティルはテーブルの上のカップを取ると口をつけた。

『なるほどな…全てはシヴァとディアのみぞ知るとなったわけか。』

『それでも僕らは想像はできる。それにディアは今ああしてカイルが悩んでいる理由を知っていたよ。』

『うん?なんのことだ。』

『ディアはシヴァの中にあるカイルの記憶を消したと言っていた。』

『何故だ、助けられたのはディアだろうに。』

『うん、交換条件だったそうだよ。シヴァと二人で帰るための。』

ティルは頭を掻くと目を瞑った。

『くだらない条件だ…けれどシヴァがそれを受け入れたのか。』

『うん。目覚めたときに記憶は消えてしまうそうだ。』

『…くだらん。』

ティルは苛立ち煙草に火をつける。

『でも起こってしまったことを戻すこともできん…。』

はあっと大きな溜息をついて足を組むと頬杖をついた。

ゼロはポケットから携帯灰皿をティルの前に置くと笑う。

『そうだね…ねえ、ティル。君は記憶とかそういうものに詳しいじゃない?シヴァの状態はそれに当てはめるとどうなの?』

『うん?さっぱりわからん。ただ…私がわかるのは…そうだな。』

ティルは煙草の灰を落とす。

『人間というものは水で出来ている。殆どがな。そして記憶というものはその水に溶けているわけだ…けして何かが管理しているというものではない。勿論脳はその役割を担ってはいるがな。私の師は水に溶けた記憶は水のあるところ全てに存在すると。いわば記憶を消すのではなく蓋をするという考えのようだ。私はそのオカルトじみた説明が好きでな…。』

『へえ、じゃあ記憶は戻るということ?』

『そうだな。戻るというよりもあるが正しい。気付いていないだけなんだと思う。だからふとした時に本人が分からない状態であっても体は反応している。』

『そうか…でもそうかも知れないな。深く深く催眠で記憶を封印してもフラッシュバックすることがあるってドクターの一人が言ってた。』

『ふむ。まあ、本人が拒否することでそれに強く蓋ができるのかも知れないがな。』

ゼロは足の上で両手を合わせ指を組んだ。

『となるとシヴァは忘れるんだろうか?やっぱり…。』

『さあな、そればかりは本人次第としか言えん。奴からすればカイルの記憶を忘れるなどありえんことだろう。』

『そうだね。』

『奴がそのことで眠り続けているのなら、足掻き抵抗をしているのかも知れん。』

『ねえ、ティル…君はシヴァがカイルを忘れたほうがいいと思う?』

ゼロは真面目な顔をして言うとティルは眉をひそめる。

『馬鹿なことをいうな。何故カイルが泣くのを見なければならん、私はあの二人を愛してはいるが、サディストではない。』

『うん、僕もそう思うよ。』

『なら聞くな!バカらしい!』

ティルは煙草を銜えるとそっぽを向いた。

『ごめん。でも聞きたくなるじゃない。』

ゼロが苦笑すると俯いた、その姿にティルは煙を長く吐き出した。

『では聞こう。お前は何故子供たちに執着する?』

『なあに急に。』

『お前が言ったんだ。聞きたくなると。答えろ。』

ティルは椅子にもたれると足を組む。

『…昔のことだよ。』

ゼロは天を仰いだ。

『あの病院がまだ小さかった頃、施設も不十分でね…それでも頑張ってた。ある日、子供が担ぎこまれて…見たら体を開けられていた。必死で処置をしたけど出血も多くてね…その日の夜に亡くなったんだ。皆が悲しみに暮れていた頃にその子供の親がやって来た。子供を返せと言う。勿論遺体は返すことが出来るけど、彼らの言っていることが問題だった。両親共に生贄が必要だと、死んでも大丈夫だろうか?と口々に言ってて。現場にいた僕たちは混乱した。』

ティルは黙ったまま煙草を吸う。

『担ぎ込んだのは儀式を見ていた信徒だったんだよ。子供を生贄にしたのは親だった。ナースの一人が警察に通報して彼らは逮捕されたけど、その後も子供は見つかったんだ。計三人、その夜に三人も子供が死んだ。それから随分と沢山のことを調べてね…子供たちが運ばれてくるたびに新しいものを探すの繰り返し。終わらない悪夢のようだった。』

『そうか…。』

『それで病院をとにかく大きくして子供たちの受け入れ態勢を強化したんだ。もちろん他の患者たちのためにでもあったけどね。反対されてなかなか子供たちのために動けなかった…少しずつ救えるようになっても、救える命はわずかで指の間から零れ落ちていくんだよ。』

ゼロは情けない顔をして笑うと俯く。ぽたりと涙が落ちてティルは目を逸らした。

『今も悔しい思いばかりだ。』

『そうか。』

ゼロが顔を上げるとティルは向こうを見ていて彼は微笑んだ。

『ティルが来てくれて感謝してる。本当に。』

『そうだな…役に立てていればいいがな。』

ティルはそっぽを向いたまま、でも優しく微笑んだ。



ぼやけた視界の中でシヴァは古い名刺を取り出すと電話をかける。

名刺はずっと車の中に眠らせていたものだ。

すぐに繋がった相手は機械音声でシヴァは名前を告げた。機械音声は電子音に変わり、少しして不愉快そうな声が電話口で聞こえた。

シヴァは電話をスピーカーにすると助手席に投げた。

これは夢だ。あの日、仕方なく電話をかけたはいいがその声を聞いてまた凍り付いてしまった。

『もしもし?』

電話口の相手はもう一度声を出した。それに出来るだけ冷静に、かつ感情を殺してシヴァは答えた。

『久しぶりですね、叔父上。』

『シヴァか?どうした?逃げ出してから連絡などしたことはなかったのに。』

『ええ…少し頼みたいことがあって。』

相手は大笑いするとシヴァの言葉を先に言った。

『ああ、あの件か。それで?』

『追跡をやめてもらいたい。』

『ふむ、私はかまわんが、奴らがどうするかな。』

『男を捕らえてレシピは聞き出したのでは?』

『ああ、そう聞いている。それに強欲だったようでな、今は私の所有物だ。その子供も捕まえたいと息巻いていた。』

『レシピを渡したのだから問題ないはずだ。』

『さてな。だが奴らも腹の虫が治まるものかな?』

『どうせもう拷問を開始しているんでしょう?』

『ああ、そうだ。そのとおり。それでお前は何をしてくれるんだ?』

『私がそこへ。』

『わかった。ではそうしよう。』

電話口で聞こえる笑い声は不快でシヴァはたまらず目を閉じた。

夢の中であろうとも繰り返される悪夢は最悪で反吐がでる。

叔父があっさりと手を引いたのも自分だからだろう。あんな狂った人物のもとへカイルをやれるわけがない。

ただ叔父が言ったとおり、もう追跡されることはない。これでカイルの無事は確保された。

はあと息を吐くとうっと口元を押さえた。吐き気が止まらずに車の中でぐったりと倒れこむ。

何を奪われるだろうか?彼女の元に帰れるのならそれだけでも十分だが見込みはない。二度と会えなくなる可能性のほうが高い。それでも約束を破れば今度こそ彼女が狙われる。

恐怖の支配する世界がシヴァが子供の頃に過ごした家だ。多くの人間が媚び諂い、酷い時には目の前で命が奪われる。機嫌がいいとか悪いとかそんなことで。

シヴァはその光景から目を背けると光の方へと走り始めた。

あんな場所は二度とごめんだ。




鳥のさえずりが聞こえるベットの上でカイルは眠れずに寝返りを打つ。

美しく彩られた部屋はシヴァが手がけたものだ。それでも一人でいるのは不安になる。

ティルとゼロがいる手前、シヴァの部屋に入れずにいるがどうしても不安で部屋のドアを静かに開けるとシヴァの部屋にもぐりこんだ。

きっと二人には気付かれただろうが、どうしようもない。

シヴァの部屋は彼の几帳面さが良く出た綺麗な部屋だ。カイルは見渡してからゆっくりと足を進めた。

シヴァはベットの上で眠り続けている。あの日ソファで眠っていた彼を運んでくれたのはゼロだ。カイルだけでは彼を運べなかったので感謝しかない。

そっとベットに乗りかかるとシヴァの傍に座り頬を撫でた。

『目が覚めたらあなたは私を忘れてしまうの?』

ぽつりと呟くと涙が溢れた。あまりに弱い自分が嫌いになりそうだ。涙をぬぐって彼の傍に寝転ぶと顔を近づけた。

『神様、どうかいるのならシヴァを返して。』

呟いた言葉にシヴァの手がカイルを抱き寄せた。

『え?』

彼を見ると眠り続けているが、この行動はカイルがシヴァのベットにもぐりこんだ時に彼がしてくれることだ。

じわりと涙が溢れてカイルはシヴァの胸にしがみ付いた。涙がとめどなく溢れる。

『シヴァ…。』

シヴァの暖かさに抱かれてカイルはゆっくりと眠りに落ちた。




光の中でシヴァは目を覚ました。胸が温かく感じられてそっと両手で抱きしめる。

まだ夢は続くようだ。もう十分だが、目を覚ました時にはカイルを忘れてしまう自分を思い出して少しうなだれた。

忘れることなどけしてない。があの子の泣く顔は見たくない。

何が正解かもわからない…こうして夢の中でもがき続けている。答えはあるだろうか?

ふとシャツの胸元が濡れて腕の中が熱くなった。そっと抱きしめると小さな光が弱く鈍くシヴァに寄り添っている。

シヴァはその場に座るとそれを優しく抱きしめた。懐かしい匂いに愛しさがこみ上げる。腕の中で大切にそれを暖め、薄れていく光に口付けた。

唇が触れて温かな息がかかる。そっと目を閉じると感触はリアルになった。

彼女を近くで感じているそんな気がした。それが心地よくてシヴァは呟いた。

『愛している。』

それに答えるように耳元で聞こえる甘い声は誰の声だろうか。よく知る声に思わず目を閉じた。

まだ、君を忘れたくない…君を。

また遠くで名前を呼ばれてシヴァは立ち上がると光を抱えて歩き出した。

忘れないために何をすべきか。何を忘れないために?

ただ歩いて…歩いて立ち止まる。私は…。

視界の先がぼやけてゆっくり崩壊し始めた。夢が終わるようだ。ふと腕の中の光を撫でて微笑むと足元がぐらついて落ちていった。

現実の世界でシヴァは目を覚ました。暖かな部屋の中は静寂に満ちている。

ベットの上で体を起こすと傍にカイルが眠っていた。シヴァの手を握ったままでその顔は涙で濡れている。

そっと涙を指でぬぐうとカイルが目を覚ました。

『おはよう。』

シヴァの声に驚いてカイルが体を起こす。

『おはようございます…シヴァ?』

『うん?』

カイルはくしゃくしゃに笑うと大粒の涙を流した。

『よかった…。』

『フフ、カイルは泣き虫だ。』

シヴァはそっとカイルの肩を抱くと優しく抱きしめる。

それに気付いてカイルは目を見開くとまた涙した。




全ての問題は解決した。二人に普通の日常が帰ってきたように思えたのは記憶をなくしたシヴァだけだった。彼は確かにカイルのことは忘れてはいなかったが、彼の中にあったカイルを愛するシヴァは消えてしまった。

それに気付いたのはカイルだった。シヴァが目を覚ました朝、彼は何も変わってはいなかったが昔の頃のように距離のある抱き方をした。

その後、駆けつけたティルやゼロもシヴァの異変に気付いたものの、カイルを思って何も告げることはなかった。

シヴァが戻ってきたことは本当に喜ばしかったが、カイルに愛をくれるシヴァがいなくなったことで落ち込んだ。しかしそれを知らないシヴァが心配するためにカイルはそれを自分の中に押し込んだ。愛し合った記憶もその中にしまいこんで。

半年を過ぎる頃には、以前のように普通に二人は暮らしていた。

『カイル?買い物に行くが何か必要か?』

シヴァが出かける支度をして声をかけるとカイルは顔を出した。

『いいえ、大丈夫です。いってらっしゃい。』

『行ってくる。』

車を見送って家に戻るとカイルは掃除を始めた。今日は月に一度の大掃除だ。

いつもこの時間に買い物にでかけるシヴァに合わせてカイルも掃除をしていた。

床掃除を終えて息を吐くと部屋の中を見渡した。

我ながら綺麗にできたと自負して、掃除用具を片付ける。そして暖炉の火を強めるとソファに座った。

数時間すれば彼も戻るだろうと思い、ふと目に入った本棚からファイルを取り出した。シヴァの仕事道具で沢山の写真が纏められている。

カイルはテーブルにそれを置くと一枚一枚ページを捲った。

昔撮ったといっていた誰かのポートレイト。美しい女性が微笑んでいる。ページを捲るたびに微笑が続いてカイルも自然と笑みがこぼれた。

中盤になってシヴァの何か言っている写真が出てきた。

『ああ、これ。私が撮ったやつだ。』

何枚も連続写真のように彼が話している。フフと笑うと次のページにカイルの写真が現れた。まだ幼く優しく微笑む自分に、その時を思い出して苦笑する。

『初めてのカメラでとても嬉しかった。』

そしてまだページを捲ると見たことのないカイルの写真が出てきた。

『え?いつの間に。』

写真は大人になったカイルが庭で何かをしている所を映している。他にも沢山あって洗濯している所、料理している所と自然に撮られている。

カイルはそれを見て笑うと涙が零れた。

『知らなかった…いつも見ていてくれたんだ。』

ポタポタと写真の上に涙が落ちて、あっ、と拭き取ると後ろから声がした。

『カイル?』

振り返るとシヴァが買い物から帰っていたらしく驚いた顔で傍に膝をついた。

『どうした?』

『いえ…ただ懐かしかったから。』

『うん?写真?』

シヴァはテーブルの上のファイルに手を伸ばすとページを捲る。

カイルの写真が何枚も何枚も現れて彼の眼が釘付けになった。

『シヴァ?』

シヴァははっとした顔をすると首を横に振る。

『どうしました?』

『いや、大丈夫。写真を沢山撮っていたんだな…忘れていた。』

『そうですか。片付けますね?』

彼の手からファイルを取りカイルは苦笑して本棚へと戻す。

『沢山買い物してきたんですね?』

カイルの声にシヴァが頷くといつもどおりの顔で買い物袋に駆け寄った。


その後も何度か同じようにシヴァが何かに釘付けになることがあった。

けれどシヴァ自身もよくわからない様子でカイルは心配した。

『大丈夫ですか?ドクターゼロに診てもらいますか?』

『いや…あいつはちょっと。』

『でも、今日来ますよね?診てもらったほうがいいです。ね?』

カイルが念押しするのでシヴァが降参したように苦笑する。

『わかった。』

ほどなくしてゼロはティルとやって来た。ティルはいつもどおり挨拶にカイルを抱きしめると幸せそうにソファに座る。

そしてゼロがカイルを抱きしめようとした時、シヴァが彼女の手を引いて後ろへ隠した。

『なあに?僕が恋人を抱きしめる邪魔をするわけ?』

ゼロが嘯くとシヴァは眉をしかめる。

『恋人じゃないだろ。彼女は女性なんだから抱きしめるならそこにいるティルにしろ。』

『うーん、ティルー抱きしめてもいい?』

『断る。』

ティルとゼロのやり取りに笑うシヴァを見ながらカイルはさっき触れられた手を抱きしめた。あれからシヴァは滅多にカイルに触れることがないから手がとても熱かった。

『どうした?』

声をかけられてカイルは首を横に振ると台所へと向かった。

ドキドキと胸が高鳴るのを押さえてお茶の用意をすると顔を戻して、皆の元へお茶を運んだ。

きっかけは沢山あった。何が起きているのかはわからないがシヴァはそれがある度に何か考えカイルに話しかけようとしてはやめていた。

一歩進んでは二歩下がるような感覚ではあったがカイルはシヴァの様子を見ては何も言わずじっとそれを待っていた。

ある日の午後、シヴァがソファで眠っているのを見つけてカイルは毛布をかけようと彼に近づいた。そっと首元で手を離したときシヴァの手がカイルの体を抱きしめた。確かに聞こえる寝息に彼が無意識にしていることだと感じてただ身を預ける。

少ししてシヴァが起きると目の前のカイルに驚いて顔を赤くし謝罪した。

恐縮とばかりに謝るシヴァにカイルは首を横に振った。

『本当にすまない…なんで無意識に。』

『本当に大丈夫ですよ?気にしていませんから。』

『え?』

シヴァは少し戸惑った顔を上げるとカイルの手を掴んだ。

『あ、いや…ああ。もう。』

シヴァは自分のしていることに混乱したように苦笑した。

『カイル…話を聞いて欲しい。』

『はい。』

カイルは傍の椅子に座ると頷いた。

『私は…その、君が傍にいるのに遠くにいる感じがしているんだ。手が届かなくて…。なのにこうして勝手に体は動いてしまう。だから正直になろうと思う。』

『はい。』

『私は…君の心に触れたいと思う。』

シヴァの顔が赤く染まって彼は俯いた。

『きっと…ずっと好きだったんだと思う。』

『はい。』

『君がいるだけで幸せなのに、触れられないことがたまらなくて。それは恋人ではないからだけど…それでも私は君に恋をしている。』

『…。』

カイルは胸が熱くなって涙がにじんだ。あの日のシヴァの言葉が胸に響く。

『大丈夫、私は必ず君に恋をする。何度も何度も。』

目の前のシヴァに惹かれている自分はあの日のシヴァの面影も求めてしまう。溢れる涙を止められずにカイルは嗚咽した。

『カイル?…ああ、すまない。君を泣かせるつもりじゃ…。』

『…いえ、違います。ごめんなさい。』

慌てて否定するも涙が止まらない。

俯いたままのカイルの顔にシヴァの手が触れる。その手が震えていた。

『どうか泣かないで欲しい。君に泣かれるとどうしたらいいかわからなくなる。私は君に弱いんだ。』

『はい。』

カイルは両手で涙をぬぐうと顔を上げて笑ってみせた。

『もう、大丈夫です。』

『うん…。』

シヴァはそっとカイルの手を握り締めた。熱い指が触れて心臓が走り出す。

『私は…君が。』

『はい。』

『君は…どう思う?一緒に暮らしてきて私を好きになったりしないだろうか?いや、こんな言い方はずるいな。すまない。』

少し困った顔でシヴァは笑う。

『ああして写真を勝手に撮っていたり…思い出せばそうだった。いつも傍にいてすぐ傍にいるのに、気持ちすら伝えられずに何をしているんだろうって。』

その瞳が伏せられて長い睫毛が揺れた。

『私は…君が当たり前のように傍にいてくれることに甘えている。今までだって色々あったのに、どうしてそれでいいと思っていたのか。』

シヴァは片手でくしゃりと前髪を潰した。

『すまない。うまく言えない…ぐちゃぐちゃだ。』

カイルはフフと笑うとシヴァの手を握り返した。

『ねえ、シヴァ。あなたは私がずっとあなたを見ていたことを知っていましたか?』

その言葉にシヴァは小さく頷いた。

『…知っていた。』

『ねえ、シヴァ。私はあなたを愛していました。ずっと。』

カイルは微笑むとまた涙が零れた。

『ずっとです。あなたが覚えていなくても私はあなたの傍に、あなたの心に寄り添っていましたよ。』

シヴァの顔が優しく微笑み嬉しそうに俯いた。

『カイル…。』

『愛しています。』

カイルはそっとシヴァに顔を近づけて口付けた。唇が触れて離れると小さく息を吐く。ふと視線をあげるとシヴァが驚いたようにカイルを見つめていた。

『シヴァ?』

シヴァはカイルの手を持ち上げてその手に触れる。そして頬に触れると髪を撫でて瞳を見つめた。何かを確かめるように、カイルの肩に触れ背中に触れると抱き寄せる。

今までとは違う抱き方にカイルは目を見開いた。

シヴァは何も言わずゆっくりと力をこめて抱きしめている。けれど優しく暖かい。

カイルも何も言わずにただ身を寄せて彼を抱きしめた。

沈黙の中で心臓の音だけが響いている。小さな息遣いに耳を凝らすとシヴァが呟いた。

『ただいま。』

その声にカイルは体を離すとシヴァの顔を見た。シヴァはただ優しくもう一度呟く。

『ただいま、カイル。』

さっきまでとは違う眼差しにカイルの中にあったシヴァが重なった。

『…本当に?』

『ああ。』

カイルはシヴァの胸に飛び込むとぎゅっと抱きしめた。抱きしめられた体に以前に感じていた感覚が戻ってきて胸が熱くなり心臓が走り出す。

シヴァはカイルの額、頬、唇にキスを落とすとその懐かしさに涙がにじんだ。

『もう…会えないかと思いました。』

『すまない。随分と長い旅だったからな。』

『…すごく会いたかったんですよ。』

『ああ、悪かった。カイル、こっちを向いて?』

カイルの顔を覗きこみシヴァが微笑む。

『もう大丈夫だ。ありがとう、待っていてくれて。』

声にならず頷くとシヴァの胸に顔を押し付けた。

『おかえり…なさい。』

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