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第18話 ウィットネス・トゥ・ザ・タイムス

ディアからの連絡が入ったのは一ヶ月後だった。が正確にはディアの電話でかけてきたのは娘のミラーだった。ミラーの話によると、ふらりと散歩に出てから帰ってこず心配になり部屋を捜索すると電話が残されていた。連絡がつくように電話を持つ人であったことから彼が置いて出ることはないようだ。

その後クルスとゼロからも連絡があり、共に誘拐されたのではないかと考えていた。

シヴァも同じ考えではあったが、傍にいるカイルのことを考えると気が気ではない。引越しをして登録をされたカイルの名前にたどり着くのは簡単なはずだ。

ホテルを転々とすることも考えたが、それにはカイルは良い顔はしなかった。

どちらにしろ時間の問題でもあるし外にいることでのリスクもある。シヴァが離れられない状況となってしまうと全てが回らなくなる。ただカイルを閉じ込めることもしたくなくてシヴァは頭を抱えていた。

午前の買い物に街へと出かけるもシヴァはカイルの手を握っていた。

『大丈夫ですよ、ここにいます。』

カイルは心配性なシヴァに苦笑するが握り返した手の力は強い。

『そうだが…一人にならないでくれ。』

カイルにだけ聞こえるように呟くとシヴァは俯いた。

『はい。』

買い物を済ませて家に帰ると、庭に誰かがぽつりと立っていた。車から降りた二人に気付くと軽く手を上げた。

『ティルさん!』

カイルが駆け出すとティルは蕩けそうな顔でカイルを抱きしめた。

『ああ、カイル。会いたかった…元気そうだな。』

昨晩のうちに連絡したティルがすぐにきてくれたようだった。

『すまないな…ティル。』

『いや、かまわん。お前もやるべきことがあるだろうしな…それにゼロも話がしたいと言っていた。これから時間があるなら行ってやれ、クルスもいる。』

『ああ、そうか。わかった。』

シヴァは買い物袋を家に入れると、必要なものを持ち玄関に立った。

『カイル…ティルといてくれ、彼女がいれば問題ないだろうが、どうか気をつけて。戸締りはきちんと。』

『はい、わかっています。ティルさんとお留守番していますね。』

カイルの言葉にシヴァは荷物を下に置くとぎゅっと抱きしめキスをした。

『行って来る。』

パタンとドアが閉まり残されたカイルは顔を赤くして俯いた。それを見ていたティルは鼻で笑う。

『珍しい…人前ではしない性質なのにな。』

『…心配なんでしょうね。きっと。』

『それはそうだ、私も同じ。さて、カイルお茶にしよう。こんな機会がなければ二人きりで話などできなかったから、私も楽しみにしていた。』

ティルはそう言うと優しく微笑む。カイルは頷くと玄関の鍵を閉めてティルの元へ向かった。




風変わりなレストランの一室、個室の中にはシヴァ、ゼロ、クルスそしてメイリルがいた。それぞれが軽い食事を終えてメイリルが話始める。

『すいません、急に集まっていただいて。』

隣にいたゼロが片手をひらひら動かして笑った。

『いいよ、メイリル。気にしなくて…どっちみち時間がないってのもあるけど。』

『そうですね。あ、先に謝っておきますが、情報の漏洩ってわけじゃないですからね?新しく私に依頼したのが彼ですから。』

メイリルは視線をクルスに向けると彼はにこりと笑った。

『横取りしちゃって申し訳ない。』

『それはいいけど…本題に入ってくれる?ディアのこともあるし。』

『そうですね。では。』

メイリルは調べてきたことを書類にまとめていたのかテーブルの空いた場所へ置くと説明を始めた。ディアがいなくなったのは突然のことでそれは娘のミラーの話にも一致する。またディアは自宅の傍の商店の主人が見かけている。主人いわく誰かと話していたようにも見えたと。ただその相手が彼にはわからず独り言だったのかもとも言っていた。

『なるほど。』

クルスが書類に目を通しながら頷く、

『それから…これは私のほうで情報筋に問い合わせた結果なんですが…どうも以前も同じようなことがあったとかで。でもそれは要領を得なかったので、そこから違う筋に…詳細は伏せますがその人は以前政府の中枢で働いていたようです。』

『珍しいね…生きていることが。』

ゼロが腕を組むとメイリルは苦笑する。

『ええ、死に物狂いで逃げたそうですよ。今はもう本当に老人ですけど…それで、その人が言うには政府を牛耳る薬屋というのは存在するそうです。危ないので名前までは教えてはくれませんでしたが、多分…皆さんの想像通りの機関のようです。』

メイリルは書類を一枚取り上げてくるくると丸めた。

『その機関がどのようなものなのかはわかりません。本当に危ないらしくて。ただ以前森の魔女たちの失踪を追った時に政府の要人の管理する保護施設に老人が保護されたという情報に行き着きました。その要人が少し前に病死したとされる代議士の一人です。』

『ほう、そこに繋がるのか。』

クルスはグラスのワインを飲む。

『はい、あれから結構な代議士が病死していますが…それはクルスさんから聞いています。薬のようですね。』

『そうだ。』

ゼロが頷くと続けるように顎をしゃくった。メイリルが苦笑して続ける。

『続々と死者が出る中で首は挿げ替えられていきます。誰がなっても同じなのかも知れませんけど。で、少し前のマグマ議長の件ですがやはり何もなく終わったようです、が彼は現在入院中です。病院は明らかにされていませんから、もしかしたらどこかホテルなどにいるのかも知れません。』

『そうか…それは追って欲しいところだがあまり長くもないんだろ?』

クルスの問いにゼロは頷く。

『ああ、彼は常習だったようだからね。もう気にしなくていいんじゃないかな?』

『そうか。』

『それでディアの件をその老人にも聞いてみたんですが、どうやら彼を知っていたようで…ディアは優秀な人材だったようです。新しい薬を開発するのに必要だったようですね。』

クルスは頷くと苦笑した。

『ああ、そのようだったよ。彼が抜けるために協力して欲しいと言って俺が匿ったりとしたわけだが…一苦労だったよ。こんな大事だとは思ってはいなかったがね。それでその老人はなんと?』

『ええ、いなくなった状況から考えてその機関の仕業だろうと。』

『しかし…商店の主人だったかが見てないんだろう?』

『ええ、それはディアも以前言っていましたが、見ることが出来ない人がいるようです。彼は気付かないんだと言っていましたが。』

『なるほど。』

クルスが頷くとゼロは頬杖をついた。

『それで魔女狩りの動画については聞いたの?』

『ええ、勿論。老人もそれを知っていたようです…が、やり方がどうも素人臭いと。あんな風にあぶりだすようなことはしないそうです。』

『となると…違う可能性があるってこと?』

『それも違うようです。機関の仕業ではあるが、その仕事を下に回して、そこからやった人間があまりにも杜撰だった、もしくはそれしか出来なかったとか。老人は低脳な輩がやることだと言っていましたね。』

『辛辣だな。どっちみち酷いに変わりないけどね。じゃあ、ディアはそこに誘拐監禁されている可能性が高いってことになるか。』

ゼロの言葉にメイリルは頷くと顎に手を置いた。

『でもコンタクトはできません。助けようにも老人は協力はできないと。それに囚われたのであれば死んでいるか生きているかはもうわからないと。』

『なるほど…八方塞がりだな。』

クルスは頬杖を付くと唸った。

『私は今も色々手を尽くしてはいますが…どうにもそこには繋がらないんです。そうなると…今こちらにいるカイルさんを囮にするくらいしか…。』

メイリルの言葉をさえぎるようにシヴァがテーブルを叩いた。

『いい加減にしろ。』

『すいません…。』

メイリルは肩をすくめて椅子に座った。それを見てクルスはシヴァに視線を向ける。

『シヴァ…黙って聞いていると思っていたら…少し落ち着け。』

シヴァは腕を組むと息を吐いた。

『ここにカイルを連れてこなくて良かった。』

その言葉を飲み込むようにメイリルが俯くとゼロが立ち上がる。

『シヴァ、メイリルをいじめるんじゃないよ。彼は調べて来てくれたんだから。それにどうしようもないのは皆同じだろう。』

『そうだな…。』

『シヴァは何か策があるの?』

ゼロはメイリルに微笑みかけてグラスを渡す。

『そうだな…ないわけではない。』

『うん?』

シヴァの言葉に皆が顔を上げた。クルスが最初に口を開く。

『どういうことだ?何を知ってる?』

皆がシヴァの言葉を待つように黙り込むと部屋がしんと静まった。シヴァは視線を逸らすとぽつりと話す。

『出来れば…なにもかも穏便に済ませたほうがいい。私はディアだけならこんな話し合いにも参加はしないし、関係がないのなら一切口も出さない。けれどカイルが危ないというのなら参加せざるを得ない。』

そっとグラスを取るとワインを飲む。

『御伽噺だ…世界は崩壊してやり直し再び栄華を極めた。けれどつまらなくなった奴らはまた色んな種を蒔いた。幸福にも不幸にも転がるようにな。そして争いが起きるたびに人を配置して遊んでいた。』

メイリルが何か言いかけたがゼロに制止される。シヴァは椅子にもたれると足を組んだ。

『また世界は穏やかに戻ろうとする、そのたびに何かをいじくる。信仰するものには神を与え、欲に溺れるものには金を与える。永遠を欲しがるものには…。そうやって時間の渦の中に混乱をいくつも放り込んだ。禁忌とされていた異種族間の交配すらも失くし秩序は消え、あげく人々は自分たちで永遠を見つけようとした。』

大きく息を吐いてシヴァは目を伏せる。

『永遠は子供たちの中にある…などと嘯いて、今度は快楽に溺れていった。だから子供たちの誘拐も生贄もいまだ続いている。』

『シヴァ…あなたは。』

クルスが言葉を飲み込むとシヴァは続ける。

『混血が進み、純粋な種族は少なくなった。エルフも同じく、血が混じれば混じるほどに永遠とは遠くなり、他のものとはさほど変わらない。ヴァンパイアも同じ。カイルのように突然性別が変わるものまで現れたのはこうした新しい世界への入り口だからだろうな。でも一部のヴァンパイアだけが本物の永遠を生きる。』

『あなたがそうだと?』

メイリルの問いにシヴァは肩を竦めて笑った。

『じゃあ…え?待ってください…さっきの話からすれば。』

メイリルは困惑しテーブルに手を付くと俯いた。

『けれど…あなたならディアを救えるということか?』

クルスが問うとシヴァは首を傾けた。

『どうだろうな…けれどコンタクトはできる。』

『…今まで言わなかった理由はそこか?』

『ああ、さっきも言ったがディアだけなら放っておいた。関わるとろくなことがない。』

ゼロは苦笑すると椅子にもたれた。

『なるほどね…昔の君みたいに冷血な人間ってことか。』

シヴァは鼻で笑った。

『それ以上だ。』

『では、もし助けにいけるのなら一緒に行っても?』

クルスが問うとシヴァは笑う。

『囚人になりたいならな。』



シヴァが帰った後、三人は黙ったまま椅子に座っていた。にわかに信じがたいがシヴァが嘘を言う人物でないことはゼロがよく知っている。

あのうんざりした顔で全てはカイルのためだけに動いているのだと分かった。

『あの…シヴァさんにお任せしていいんでしょうか?』

メイリルが上目遣いで言うとゼロは頬杖を付く。

『そこしか道はないからね。どっちみち…カイルが攫われるまで待つなんてことはシヴァはしないだろうし、そんなこと許さないだろう。』

『でも…繋がりはあるんでしょうか?この事件と。』

『フフ、気付いてなかったのか?シヴァはあえて話をした。あの話がどうであれ指示を出しているのは俺たちの知る連中だけではないと教えてくれたんだよ。』

クルスが笑うとメイリルはあっと目を見開いた。

『そうか…。』

『それに我々と違ってあの連中は権力に弱いからね。』

『なるほど。』

『でも、シヴァがあそこまで嫌がるというのはどういうことだろう、どういった関係だ?』

クルスがゼロに視線を向けると首を横に振った。

『僕は知らないんだ。シヴァのことは…若い頃に出会って綺麗な人だと思ってね…友達になったんだけど、シヴァは自分のことはあまり話さない。恋の話はするけどね。』

『へえ…恋の話か。』

メイリルが頷くとクルスが眉をひそめた。

『恋の話を自分の話としていたんだろうな…そうすれば人となりは見えるから。彼は俺たちの知らない世界を生きてきた、ということか。』

『ああ。』

ゼロは溜息を付いた。

『きっと本当にディアだけなら動かないつもりだったんだろうな。』

『そうかもな…。』

クルスの言葉にゼロは頷く。

『今日の顔は出会った頃に戻ったようだったよ。』

少し寂しげにゼロは笑うとテーブルの上で拳を握り締めた。



シヴァが家に戻ったのは明け方近くで、ぐったりと疲れていた。自室のベットに寝転がるとそのまま眠りについてしまった。カイルはティルと二人で暖炉の前に座り話をしている。

『何をしていたんだろうな?』

ティルが暖炉の火を見つめて言うとカイルが俯いた。

『そうですね…少し前にゼロさんから電話がありましたからね。』

『シヴァは隠し事が多いか?』

ティルの言葉にカイルが顔を上げる。

『いいえ…でも私は何も聞きませんから、実際に隠し事かどうかはわかりません。』

『そうか…カイルはいい女だな。』

『ティルさん、普通は聞くものですか?』

『いや、そうでもない。うちはあいつがベラベラ喋るからな。』

フフとカイルが笑うとティルは微笑む。

『シヴァが目を覚ますまでは私がいる。カイルは少し眠ったほうがいいだろう。』

『でも…。』

『不安ならシヴァのベットにもぐりこめばいい。』

カイルの顔がぽんと赤くなってティルは破顔した。

『私はここを使う。暖炉の傍は落ち着くのでな。』

『じゃあ、少し休んできます。ティルさん…。』

『うん?』

『ありがとう、おやすみなさい。』

『ああ。』

カイルが自室に戻るとティルはソファに置いてあった毛布を体にかけ、暖炉の火をぼんやりと見つめる。眠らないことなら慣れている。昔に比べれば今のほうが安全ではある。

ティルは少し目を開くとカイルの部屋のドアを見た。静かにドアが開きカイルが出てくるとシヴァの部屋へと入っていった。

『フフ。』

一人で眠るよりも安心感は増す。十分ではないか?とティルは体を丸めた。


朝、シヴァとカイルの二人が目を覚ますと、暖炉の前にいたティルがいつもどおりの顔でお茶を飲んでいた。

『おはよう。台所を勝手に使ってしまった。』

『ああ、それはかまわない。ティル、すまなかったね。』

『いや、そろそろ起きる頃だと思っていたから迎えに来させている。』

『そうか。色々とありがとう。』

シヴァの言葉にティルは微笑む。

『いいさ。カイルのためなら私はなんでもやろう。』

車の音に気付きティルは立ち上がると傍にいたカイルを抱きしめた。

『何かあったらすぐに呼べ、私はいつでも来るから。』

『はい。』

ティルが帰ってしまうとカイルは暖炉の前を片付け始めた。毛布を畳むとソファの上に置く。

『うん?片付けないのか?』

『ああ…なんだか使う気がして。』

『そうか、なら置いておくといい。暖炉の前は眠くなりやすいからね。』

シヴァはそう言うと椅子に座った。

『少しいいだろうか?』

『はい。』

カイルも傍に座るとシヴァの手を握った。

『ディアのことだが…居場所が分かったよ。』

『本当ですか?良かった、じゃあ迎えに…。』

『いや、それが少し難しくて。私が行ってくる、君は留守番をしていて欲しい。』

『え?でも…。』

『大丈夫、もう狙われることはない。君は安全だ。』

ホッと息を吐くもカイルはシヴァの顔を覗きこんだ。

『安全ならどうしてそんな不安そうな顔をしているんです?』

シヴァは苦笑した。

『どうしてだろうな…。』

『シヴァ?』

『私は君が無事ならそれでいい、願いはそれだけだ。』

カイルに手を伸ばしてそっと抱き寄せる。

『ただこうしているだけの幸福がずっと続けばいい。何事もなく。』

シヴァの祈りのような言葉にカイルは黙っていた。

『カイル…君を愛している。ただそれだけなんだ。』

そっとシヴァの体に腕を回して優しく抱きしめる。彼の体がやけに細く感じられて体を寄せた。

『シヴァ?』

『うん?』

『溶けてしまえたらあなたの寂しさはなくなりますか?』

『フフ、どうだろう。』

『こうして…あなたを包んで私の中に隠してしまえたらいいのに。』

『そうだな。』

シヴァの腕が強くカイルを抱きしめた。その強さにカイルの目がにじんだ。

どうして涙なんて…。

溢れる涙が頬を伝って落ちていく。悲しみでもない感情にカイルはシヴァを抱きしめ続けた。

次の日の夜遅く、眠りについたカイルを置いてシヴァは一人家を出た。

夜通し車を走らせ続け、森の奥深くまで迷い込むように進むと原っぱで車を止めた。満月が煌々と照らしている。歩き続けまた奥の森に入ると大きな屋敷のドアを開く。埃まみれの床を踏み廊下奥にしゃがむと、右手で床板を叩いた。ぽんと床板が上がり隙間に手を入れるとそれが持ちあがった。

その下には階段が続いている。シヴァはゆっくりとそこへ入ると階段を下りた。

長い階段を抜けるとそこには広い敷地があり大きな家が建っている。

門を抜けて玄関の扉を開くと中は灯りがついており、メイドが二人頭を下げた。

『おかえりなさいませ。』

『ああ。』

シヴァは小さく息を吐いて奥へと進む。廊下を通り過ぎるたびに聞こえるうめき声はこの家の住人のものではない。最奥にたどり着くと両手で扉を開いた。

部屋は随分と広く、長いテーブルが置かれ椅子が点々と置いてある。

一番奥に男が座っている。銀と白が混じった長い髪を後ろで束ねて、美しい顔の口元には髭が蓄えられている。白いシャツにツイードのベストが色を添えている。

彼はシヴァを見ると品よく微笑んだ。

『やあ、シヴァ。何時ぶりかな?』

『さあ…お久しぶりですね、叔父上。』

『クラウンでいいと言っているのに、頑なだな。久しぶりの家族の再会だぞ?』

クラウンはシヴァに歩み寄るとそっと抱きしめた。

『それで…?』

『ええ、用があって。連絡をしたでしょう?』

シヴァがそう言うとクラウンは微笑み椅子に促した。それに従いシヴァは席に着いた。




低い天井に鉄格子が嵌っている。冷たい床は錆びて泥と血で汚れていた。

ディアは鎖に繋がれてそこにいた。場所もわからずに、数メートル先の檻には蠢く何かがいる。時々悲鳴か怒号かも分からない声をあげるためかろうじて生き物のようだ。

視線を下ろすと自分の指先が映った。爪がいくつか剥がされて赤く染まり動かすたびにビリビリと痛みで震えた。

大昔捕まったことがあったが、精神的に来る拷問はここが始めてだった。

このままここで一生を終えるのか?そう思うと絶望感が酷く体が固まった。

ディアは顔を上げて視線を右奥に向ける。小さな灯りの下に檻がある。そこには少し前に身なりの良い男が入れられていた。

彼はディアに気付くと助けてくれと繰り返し、ここの看守がやってくると酷く詰られ嬲られていた。数日して連れて行かれたかと思うと絶叫が聞こえ二度と戻ることはなかった。

どうやらここは本格的にやばい場所らしい。そう感じた時にはもう遅く、ディアも拷問のたびに看守に嬲られた。

ここへ連れてこられたのは誘拐されて少ししてからだ。見知らぬ男に攫われて昔共に仕事をしていた連中の前に突き出された。

彼らが欲しいのはレシピとディア本人だ。レシピはいいがディア自身が薬を作ることを拒否をしたため、カイルにも追手がかかった。

初めはまだ話が出来る連中だったのに、ディアはどこで間違えたのか、ここに送られてしまった。

看守はここへ来ると楽しそうに檻を叩いて歩いていく。そのガンガンという金属音が酷く痛めつけられた傷に響き、ディアはそれが始まる度に体を丸めた。

どんどん恐怖しかなくなって、時々不死の自分を呪いたくなった。

それからどれくらいの時をそうして過ごしていたのかわからないが、看守が檻を開けてディアを連れ出した。また拷問されるのかとビクビクしていたが連れて来られたのは大きな広間だった。

広間には長いテーブルがあり奥に品の良い美しい老紳士ともう一人が席に着いている。

ディアが顔を上げるともう一人と目があった。美しく冷酷な目をした男はシヴァによく似ており、彼らは何か話していた。ディアは黙ってそれを聞いた。

老紳士はシヴァに良く似た男に問いかける。

『ああ、そうだった。それで用とは?』

男は小さく息を吐くと感情のない声で言った。

『ここで飼われている男を一人貰いたい。』

『うん?奴隷か?どれのことを言っている?』

老紳士は髭を触ると冷たい瞳で男を見る。

『頭の悪い連中が連れてきた比較的賢い種族の男だ。』

『ああ。ヴァンパイアの男か。』

パチンと手を鳴らしてメイドを呼ぶと老紳士は指示を出した。

看守からメイドは鎖を受け取りディアを連れて行く。

『これだろう?』

『ああ、そう。』

シヴァだ。間違いない。顔も声も同じ。ただ以前のように温厚な雰囲気はなく酷く冷たい。シヴァは一瞥するとすぐに目を逸らした。

『貰っていっても?』

助けに来たんだろうか?それにしてはあまりに冷たい物言いだ。

ディアの顔が不安に染まると老紳士はシヴァを睨んだ。その瞳は冷たく温かみもない。

『ほう、知り合いか…。』

『ああ、でも叔父上には関係がない。』

『フフ、関係がない。確かにないな…だが今は私の所有物だ。』

老紳士はシヴァの顎を指ですくうと微笑んだ。

『お前は何をくれるんだ?シヴァ。』

『何も。』

シヴァの返答に老紳士は大笑いするとメイドに鎖を外すように指示をした。

ようやく首が開放されて一気に体の力が抜けると酷く咳き込んだ。

ディアは顔を上げてシヴァに向かって呟く。

『シヴァ…何故ここに?』

シヴァは答えない。ただ椅子に座ってじっとしている。

『ふむ、さてどうするか?』

コツコツとヒールを鳴らして歩きまわり老紳士はポンと手を叩いた。

ディアの傍に来ると優しく微笑む。

『奴隷よ、名はなんと?』

奴隷?ディアが訝しがると男の目は冷たく光った。

『名は?』

『ディアだ。』

『ディア…ふむ、答えよ、お前はあれとはどういう関係だ?』

老紳士はシヴァを指差す。それにディアは首を横に振ると冷たく言い放たれた。

『沈黙はイエスだ。また拷問部屋に戻るか?それとも私の質問に答えるか?』

ディアの背中がぞくりとした。シヴァを見ると彼は目を閉じ黙っている。

『イエス?オア、ノー?』

冷たい声が耳元で聞こえてディアは頷いた。

この男は話ができる人間ではない。

『わかった。言う、彼は私の娘の婿だ。』

『なるほど…シヴァは大切な父上を迎えに来たのか。なるほど、なるほど。』

その声は本当に愉快そうで、それでいて不快そうだった。

老紳士はコツコツとヒールを鳴らしシヴァの傍に行くと顔を覗きこむ。

『シヴァ…お前の気高さは私には美しく映るが屈服させてみたくもなる。』

『叔父上は相変わらずだな。』

男は大笑いすると、それだ。と破顔する。

『何をくれるんだ?ディアを救うために来たシヴァ、私に何をくれる?』

狂っている男にシヴァはただ息を吐くと呟いた。

けれどその声は小さく老紳士は首を傾げるとシヴァを覗き込む。

シヴァは感情なく呟いた。

『好きなように。』

『ほう、ほう。好きなようにか…今まで手を出せずにいたがここに来て嬉しいことだな。でも、体を奪っても心は奪えまい、お前を屈服させるにも出来そうにない。ふむ。ではディア…お前の娘の名は?』

突然問われてディアは固まった。カイルまで巻き込むことはできないと首を横に振るも男の『イエス?オア、ノー?』の声に恐怖が勝って叫んだ。

『ああ!カイルだ。』

視線を移すとシヴァはただ目を閉じていた。

『カイル…ほう、そうか。シヴァ…お前はヴァンパイアを愛したか?』

『…。』

『ヴァンパイアなど愛さないと豪語していたお前が!人間ではなくヴァンパイアを!素晴らしいことだな。』

黙り込んでいるシヴァの顔を男は見つめた。

『そういえば…ディア、お前は薬以外にも価値があったな。記憶を消すことができたな?』

『それは…。』

ディアが首を横に振ると男はこちらへ来るように指を動かした。

戸惑いながらディアが近づくとその手を掴む。冷たい指が食い込みディアの体が震えた。

『さて、ディア。お前に頼みたいことがある。それをしてくれたらお前はシヴァと戻るがいい。お前たちの世界へ。』

『え…。』

『シヴァの中にあるカイルの記憶を消せ。全てだ。』

『そんなこと出来ない。』

拒否したディアの目を男は覗き込む。闇に飲まれた瞳は酷く恐ろしくディアは目を逸らした。

『いいや、お前は出来るだろう?やったことがあるはずだ。さあ、消せ。簡単なことだ、お前の娘の記憶を彼の頭から消すのだよ。』

『…一つ聞きたい。』

ディアは眉をひそめると震える声で言った。

『何故…シヴァはあなたの家族ではないのか?』

それを聞き男は笑う。

『何故?何故?おかしなことを聞く。私はシヴァを愛している。けれど全てを奪いたい、屈服させ怯えるさまを見たい。しかしシヴァはそうはならん。気高いのだよ。お前にはわからない。さあ、帰りたい、帰してくれと懇願していたろう?聞こえていた。願いが叶うのならそれを選べ。お前に選択の余地はない。それとも檻に戻るのか?』

そう言われてディアは唇を噛む。

あの場所へは戻りたくはない。戻ると考えただけで足がすくんだ。

ディアはシヴァの傍に近づくと呟いた。

『シヴァ…。』

シヴァはディアを見ると何も言わずに頷いた。

『すまない。』

男の笑い声が響く中でディアはシヴァの瞳を覗き込む。深く深く進入し彼に暗示をかけた。パチンと音がしてシヴァは瞳を閉じる。その目から涙が一筋零れ落ちた。

老紳士は拍手をするとディアに微笑みかける。

『よくやった。さあ、お帰り、お前の家へ。ここのことは他言無用だ。いいね?』

ディアは頷くとシヴァを抱えてその場を逃げ出した。

ディアは無我夢中で地上へ這い出すとシヴァを抱えて走り出す。シヴァは時々意識を取り戻してはディアに車の場所を伝えた。そして車にたどり着くとぐったりとシートにもたれこんだ。


車は随分と走ったもののディアが時々恐怖から止めてしまい遅々として進まず、やっと公道に入ったところで路肩に止めてしまっていた。

じんじんと痛み震える手でハンドルを握るが、何度も思い出す光景に目を閉じる。

『くそっ!』

ハンドルを叩くと助手席のシヴァが小さく唸った。

『シヴァ…大丈夫か?』

シヴァは薄目を開けると小さく頷く。

『ああ…遅くなってすまなかった。』

『いや、そんなことはない。私のほうこそ…申し訳ない。』

『気にするな。』

ディアは息を吐くと車をまた走らせ始めた。

『フフ、ディアは運転がうまいようだ。』

シヴァは目を閉じたままで呟くとディアは微笑む。

『そうでもない、あれから幾分か経っているのに進んでもいない。』

『あそこにいたんだろ?何をされたのかは察しがつくさ。』

ディアはごくっと唾を飲んだ。頭をよぎる嫌な光景を振り払い冷静を装う。

『忘れてしまえ…あんな場所は。あなたなら朝飯前だろ?』

『そうだな。』

シヴァが体を少し起こして服を整える。

『あんなじめじめした場所は私はごめんなんだ。』

『…聞いてもいいか?』

『どうぞ。』

『君の一族か?』

『…そうなる。親は選べないからな…と言っても両親は死んだ。』

『死…。』

『ヴァンパイアは不死だから、もしかしたら最悪死んでは生き返りを続けているのかも知れない。近づくことさえ出来ないから不明だがな。』

ふうとシヴァは息を吐くと遠くを見る。

『嫌なことばかり思い出す。』

『…君はもう一人なのか?他には…。』

『姉が一人いた。けれど彼女は私を逃がして捕まった。きっとどこかで監禁されているか殺されているかのどちらかだ。叔父上は強い者を愛するから。』

『私の知る愛とは違う感じがするが…。』

『それはそうだ。あの人は随分とゆがんでいる。だから私は姉と逃げて、一人になっても逃げたんだ。まあ、そんなことも百も承知で泳がせていたんだろうけど。』

シヴァは溜息をつくとシートにもたれこむ。

『これで済んだのならもう十分だろう…体の一部もしくは永遠に監禁されることも覚悟はしていたからな。』

ディアは眉をひそめると呟いた。

『すまない…。』

『フフ、冗談だ。』

シヴァの言葉を冗談には受け取れずディアは苦虫を噛み潰した。

『気にするな。これは私の問題だからな。そして他言無用だ。』

フフと笑い先ほどとは違う優しい声で言った。

視界に見知った景色が見えてきてディアはホッと息を吐く。少しスピードを上げると帰路についた。シヴァの指示に従い、ディアは城の前で降りた。

『いいのか?少し休まなくても。』

『大丈夫だ、残してきたカイルが心配だからな。』

『シヴァ…。』

『記憶はいつ消える?』

シヴァはサングラスをかけると顔を上げた。

『君が眠りについてカイルの瞳を見た時に全て消える。』

『では…眠るまでは大丈夫ということか?』

『ああ、そうなる。』

心配顔のディアにシヴァはフフと笑った。

『ありがとう、少しの猶予をくれて。』

車を発進させるとシヴァはカイルの待つ家へと向かった。

日は暮れて暗闇の中にぽつんと立つ家の前に車を止めるとシヴァが降りるより早くカイルが玄関から飛び出してきた。

シヴァを見つけて彼が車から降りるや否やその胸に飛び込んだ。

『シヴァ…おかえりなさい。おかえり…なさい。』

『ただいま。』

ぎゅっと抱きしめて彼女の温もりを確かめる。髪に顔をうずめてその背を撫でた。

愛しさに息を吐くとカイルの声が響いた。

『中に入りましょう。ここは寒いから。』

『ああ、そうしよう。』

家に入るとカイルの匂いがしてシヴァはホッと胸をなでおろした。

暖炉は赤々と燃えカイルはシヴァをソファに座らせると急ぎお茶を入れてきた。

暖かいカップを手渡されてシヴァは微笑む。

『ありがとう…。』

カップに口をつけると暖かさが喉から肺へと流れ込む。体の力が抜けたのか珍しくカップを落としそうになった。

『大丈夫ですか?』

『ああ、大丈夫。』

カップをテーブルに置き、カイルを引き寄せると口付ける。

『君にとても会いたかった。なんだかずっと離れていた気分がする。』

『私もです、心配で…怖かった。』

『フフ…。』

シヴァは指を絡ませると愛しそうに口付けた。

『ディアは無事に家に戻ったよ。』

その言葉にカイルは大きく息を吐いて泣き出しそうに眉を下げた。

『良かった…ありがとうございます、シヴァ。』

『いいんだ、それよりも。』

カイルの体を片手で引き寄せると彼女のシャツのボタンを外した。

『今は君を抱きたい、いいか?』

カイルが頷くとシヴァはその場で覆いかぶさった。


暖炉は火がパチパチと燃えている。時々大きく爆ぜては形を崩して。

カイルが眠たげな顔でシヴァの腕に包まれている。先ほどからシヴァもまた眠りに誘われていた。

『カイル…。』

『はい。』

『私は君を忘れるだろう。私が明日目を覚ましたら。』

『え?』

カイルが目を見開いてシヴァを見つめる。

『何故?』

『これが条件だから…君が覚えているなら問題ない。』

カイルは意味が分からず首を横に振る。

『待って…わかりません。』

『それでいい、カイル、心配するな。』

『どうして、忘れて欲しくなどありません。絶対に。』

シヴァはフフと笑うと頷いた。

『忘れないさ…。』

『忘れたら?』

『私を殺せばいい。』

カイルは泣き出しそうな顔で見つめた。

『そんな…いやです。それにヴァンパイアは不死ですよ?』

『ああ…私は一生かけて君に殺されよう。』

『そんなのいやです。ずっと片思いじゃないですか。』

シヴァは微笑むとカイルを抱き寄せ額にキスをした。

『大丈夫、私は必ず君に恋をする。何度も何度も。』

『嘘つき。』

『嘘じゃない。明日、私が忘れてしまっても…また君を愛する。』

『シヴァ…。』

『カイル、君を愛している。私の中で永遠に変わらない。』

『…じゃあ、眠るまでこうしていてください。』

『ああ、そうしよう。』

柔らかな毛布に包まれてカイルは涙を隠した。

『シヴァ、愛しています。永遠に。』

シヴァが眠りについたのを確認するとカイルは服を着た。彼の寝顔を見つめて頬に触れると毛布を肩までかけた、暖炉に薪をくべ、静かにシヴァの元を離れ彼の部屋へ入ると震える手で電話を取った。呼び出し音がカイルの胸に重く響いた。

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