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第15話 タンブリング・ゾーン

小さな部屋の一角でモニターだけが光っている。パーカーのフードを被った男は椅子に座るとギッと音を鳴らして背もたれにもたれかかった。

モニターには可愛らしいデザインの猫がおり、その下にはチャットルームが並んでいる。カラス部屋と書かれたチャットルームに入りそれが展開する。

ピコピコと電子音。

カラス:ヤットキタ オニビ、グッモーニン

オニビ:ヤホー シュビハドウダイ?

モグラ:アルアル キキタイ?

オニビ:イエース!オシエテ

イカスミ:ビョウインノ サワギハ ソレカクジツ

モグラ:デモ スグニモドサレタ

カラス:ザマァネエナ コッカケンリョク

モグラ:デモ シンダヤツト ウゴイテルソシキ オナジ

オニビ:ドウイウコト?

イカスミ:シンダヤツ オナジグループ 

カラス:ニュースデ ミナカッタ?

オニビ:ネテタ

カラス:ズコー

モグラ:オモロ

イカスミ:ケド ハッキリシタナ

オニビ:ウン チャント ツカワレテル

カラス:ヤッタゼ ベイビー

モニターに照らされたフードの下の顔が微笑む。

足元に置いてあった飲み物を取るとぐいっと飲み干した。

カラス:アト キモチワルイ ドウガ ミタ

モグラ:アノ ドウガ ノコト?

イカスミ:マダ ミテナイ ドンナノ

カラス:モリノナカデ オバアチャンガ モヤサレルヤツ

イカスミ:ウエー ヤベー

モグラ:タイトル マジョガリ デショ?

オニビ:ナニ ソレ フェイク? スナッフ?

カラス:ワカンナイ デモ ケサレナイ

イカスミ:ソレハ オカシイ

モグラ:ツゴウノ ワルイ ドウガハ ケサレルノニ

イカスミ:ソウソウ ケストフエール

オニビ:モシカシテ メッセージトカ?

カラス:アリエール

モグラ:チョット シラベタケド ゼンゼン ワカンナイ

モグラ:キニナルナラ オニビモ ミテ

オニビ:オケ

イカスミ:オレ モウ ネルー

カラス:オヤスミー

オニビ:オヤスミー オレモネルー

モグラ:オハヨウカラ オヤスミマデー

カラス:オヤスミー

チャットルームを閉じて動画サイトをチェックする。件の動画はすぐに見つかった。二分位の動画で老婆が木に縛り付けられて火をつけられている。

何か言っているが聞き取れない。音量を上げても分からず、動画に付いたコメントを確認すると思ったとおり、やはり同じような感想ばかりだ。

フェイクかスナッフか。しかしこのような動画は通常すぐに削除されてしまう。

小さく唸って頬杖を付くと足元で金属音が大きく鳴った。

『おっと。』

椅子にぶつかった両の義足をそっとぶつからない位置へと移動した。



早朝の都心はいつもどおりで昨日まで騒がしかった駐車場も今では喧騒を忘れている。ゼロは上階からのエレベーターを降りて窓の外を見た。

先ほどまで病院の上役たちに呼び出され小言を聞かされていたのだ。

『はあ…なんでジジイばっかりなのかな?一人くらい美女がいてもいいのに。』

くだらないことを呟いてゼロは階下へのエレベーターに乗り込んだ。

ボタンを押そうとした時、ポケットの中で電話が鳴る。

『はーい、なあに?』

『面白いものを見せるのですぐに来てください。』

電話口の声は用件だけ伝えるとすぐに切れた。

ゼロは電話の主の住む数字を押すとゆったりと壁にもたれる。そして箱が止まると早足で廊下を進み研究室のドアを開いた。

『なあに?面白いものって。』

モニターにかじりついているドクターミライはその場を動かずにゼロを手招きする。

ゼロは苦笑しつつ彼の傍に行くと、モニターには可愛らしい猫のデザインのチャットルームが開かれている。

『ん?チャット?』

『はい。これなんですけど。』

『うん?オニビ…なんだか興味深いことを話してるね。』

『ええ、そうです。あなたには言ってませんでしたが、ここには薬の暗号が落ちてたりするんですよ。』

『そうなの?じゃあチェンバーも?』

『ええ、そうです。ただ暗号が相当難しいのと知識がないと解けないんですよ。それに解けても作れないと意味がない。』

『ふうん…なるほどね。で、ここの子たちが関係してるんじゃないかって?』

『それもありますが…この一番最後の話見てください。』

ミライが指差すとゼロが眉をひそめた。

『魔女狩り…そんなヤバイ動画が公開されてるの?』

『ええ、見ます?』

『いや、興味ないかな。それで見た感想は?』

『彼らと同じです。作り物かすらわからない、そもそも映像が荒いんですよ。けど…ちょっと思い出して。』

ミライは傍に置いてあった古新聞の中から一つを取り出すとゼロに渡した。

『これ、覚えてます?森が燃えた事件、テロリストが燃やしたとか言われてますが実際には誰も検挙されていない。』

『うん…僕もこれは色々調査してたんだけど…あの森には実際に魔女がいたらしいよ。しかも人攫いの話もあったりしてとんでもなかったけど。』

『問題がなければ教えてください。』

ああ、とゼロはディアたちのことは伏せて説明をした。

『なるほど…もし、もし仮に…ですが、その逃げ出した魔女というのが今回の動画の老婆だとしたら…。』

ミライは腕組すると視線を上げる。

『関係性はありそうじゃないですか?』

ゼロはフフと笑うと椅子に座った。

『君の考えを聞こうか?』

『はい、魔女はつい最近まで麻薬を作ってはいたんですよね?けれど森は燃やされて居場所は無くなってしまった。彼女らは移動した。そして今回仮に動画の老婆がその一人だとすれば、何か見せしめかのようにも感じます。』

『フム、そうだね。確認しようがないからアレだけど…関連してるんだとしたら、彼女たちが作っていた麻薬に関係しているだろうね。』

『そうなりますね。リークでもしたんでしょうか?製造方法とか。』

ゼロが黙っているとミライは苦笑した。

『もしくは製造方法を忘れてしまったとか…、まあ、ともかく謎は多いです。』

『うん、そうだ、ミライ。これなんだけど。』

ゼロはモニターに視線を移すと指差した。

『チャットは誰でも入れるんだよね?君、接触できないかな?』

『ええ?難しいかもですよ?彼らが入れる人間を指定していた場合はできませんし。』

『うーん、だったらおびき寄せるとか?』

『ああ、それならなんとか。やれるだけやりますよ。』

『よろしく。』



錆付いた手すりの階段を義足の男がゆっくりと下りてくる。生憎の雨だ。

丁度屋根のある部分を抜けるところでパーカーのフードを被った。大き目のサングラスが少し日焼けした肌に映えている。

階段を降りて大通りに出ると小さなバーガー屋で買い物をして、来た道とは反対へと進みマンションに入って行く。部屋番号を押すとすぐに扉は開かれた。

部屋の前に着くと軽くノックする。中から女性の声がしてドアが開くと足元から猫が覗き込んだ。

『だめよ、出ちゃ。』

声に反応して猫はくるりと部屋へ戻っていく。玄関で義足を拭き男は部屋へと入った。

部屋は大きくキッチンと一体型で、奥にベランダ、それから幾つか部屋が続いている。部屋の中央にはテーブルが置かれそこに集まるように男が二人、そしてキッチンに女が一人いる。

彼らは皆十代から二十代前半くらいでそれぞれが変わった格好をしている。

テーブルの上のラップトップに触っている青い髪の男は義足の男を見て微笑む。

『お、ご飯じゃん、俺らの分もある?』

『ハハ、みんなの分あるよ。』

『じゃあ先に食事にしよ。』

買ってきた袋を開けてそれぞれが好きなものを取ると頬張った。キッチンで用意された飲み物を手に分厚いゴーグルをかけた女が笑う。

『ここの美味しい。』

『だよな。みんなの好物だから買ってきたんだ。』

『それでさ…。』

ぶかぶかのトレーナーを着た男が片付けながら話を切り出した。

『あれからチャットはしてないじゃない?』

『ああ、うん。』

『変なヤツがいるんだ。俺たちみたいに暗号出してる。しかも難しい。』

『まじで?』

ラップトップを操作して猫のチャットルームを開くと、ヘロンの部屋を指差した。

『ここ。』

『ヘロン?しかも誰でもOKなんだ?』

『そう。』

ヘロンの部屋を展開すると、すでに結構な人数が賑わっているが暗号は解けていない。難しすぎるというコメントが流れている。

『暗号はこれ…これってさ。』

『待って…解けるかも。つうか、これは俺が作った奴になんか混ぜてる。』

『うん?まじで?』

『うん。もしかしてこのヘロンが薬を作ったのか?』

四人の視線が絡み皆が小さく頷く。

『じゃあ、試してみよう。』

ラップトップのライトが点滅する。

キャッツ:ハロー?アンゴウ トケタヨ

ヘロン:ホントニ? ワカルヨウニ カイテ

キャッツ:キミニ ワカルヨウニカクヨ DDOYU

ヘロン:ブーブー チガウヨ

キャッツ:ザンネン マタネ

ヘロン:マッテ ハナシシタイナ

キャッツ:イイヨ ホカノヘヤデ マッテル

ヘロン:オケ

『乗ってきたね?』

『うん、悪い人か良い人か…どっちかな?』

『さあ、でも話してみるだけ損はないかもよ?』

『わかった。』

猫のチャットルームにキャッツの部屋を作る。中に入ると少ししてヘロンもやってきた。ヘロンが入ると他をブロックして部屋を閉じた。

『これで誰も見れないし入れない。』

『うん。じゃあ話をしてみよう。』

ヘロン:コンニチハ ヨロシクネ 

キャッツ:サッキノ ヘロン?

ヘロン:ソウダヨ ネエ ドウシテ コタエ マチガッタノ?

キャッツ:ドコガ?

ヘロン:コタエハDDOYUジャナク DOYDU ドウシテカエタノ?

キャッツ:キヅイタンダ?

ヘロン:ミンナ トケナカッタカラネ キミスゴイネ

キャッツ:アンタモスゴイヨ 

ヘロン:ボクハ アンゴウヲトイテ ツクッタカラネ

『…。』

『嘘じゃない?』

『でも答えは正しいのを示してる。間違いないよ。』

キャッツ:ナニヲ ツクッタノ?

ヘロン:クスリ ボクハ イシャ

キャッツ:イシャ? ホントニ?

ヘロン:ウン

キャッツ:ドコノイシャ?

ヘロンが答えない、少しの間が空いてヘロンは数字の羅列を送ってきた。

ヘロン:ココ

『これってもしかして…。』

『位置情報だね。待って。』

小さなモニターを操作して数字の羅列を入力した。モニターが切り替わり場所が示される。

『病院だ。都心で一番大きな病院。』

キャッツ:ビョウインダネ? ココニイルノ?

ヘロン:イルヨ アイニクル?

キャッツ:ナンデ アイタイノ?

ヘロン:ダッテ キミガ クスリヲ ツクッテルンデショ?

『ねえ、罠じゃない?変だよ。』

『うん…。』

キャッツ:チガウヨ ソレニ イカナイヨ

ヘロン:ウーン ソッカ ゴメンネ

チャットルームからヘロンが消えた。

『案外引き際が早いな。なんだろう?』

『さあ、わかんないけど…病院か。』

青い髪の男は後ろに手を付くと天井を仰いだ。

『どっちみち病院なんてしょっちゅう行ってるじゃん、俺ら。』

『違いない。』

ゴーグルの女がぷうと頬を膨らせる。

『どうすんの?』

『うーん、探ってみる?』

『そうする?じゃあオニビが適任だね?』

指差されて義足の男はくしゃりと笑うと頭を掻いた。



深夜の病院は静まり返っている。外に出れば獣か人か区別の付かない咆哮が時折聞こえてはくるが、上階のベランダで一人煙草をふかすゼロの耳には届かない。

『やめたんじゃなかったのか?』

後方からティルの声がしてゼロが微笑んで振り返る。

『やめたんだよー、やめたんだけどね。』

『我が夫はだらしないな。』

『そんなこと言わないでよ。』

ティルはゼロの隣に立つと煙草を銜えて火をつけた。

『それでなにやらゴソゴソしているようだが?』

ゼロは鉄柵にもたれると天を仰ぐ。空は曇り空に少し星が見えている。

『それはまだ内緒。君は君でやることがあるでしょ?』

『それはそうだが…なんだか心配になってな。』

『珍しいね?どうして?』

『なんだろうな…昔から奇妙なことが起きる前は胸騒ぎがする。お前がどうとか言うつもりはないが、気をつけろ。』

フフとゼロは苦笑してティルの肩に手を置いた。

『分かってるよ。僕は死ぬ気なんてないからね?でもそうなったら…君は悲しい?』

ティルは睨みつけるようにゼロを見ると両手で彼のシャツを握った。首元を絞められてゼロが少し唸る。

『馬鹿はほどほどにしろ。悲しむのは私だけだ。』

『ご、ごめん。』

反省の色のないゼロにそっぽを向いてティルは手を離した。

『お前となど結婚なんてするんじゃなかった。』

ゼロはそっとティルの手を掴んでその指に口付ける。

『僕は君と結婚できてよかったよ。』

『…。』

重ねられた指をするりと引き抜いてティルはベランダから出て行った。

『ティル、愛してるよ。』

ぽつりと呟いてポケットの中の電話に出た。

『はあい?』

『ミライです、接触できましたよ。』

『へえ、どんな感じ?』

ゼロの髪を風が攫っていく。

『特にはわかりません、けどこの病院にいる医者であることは伝えました。』

『食いついてくれればいいけどね。』

『そうですけど…でも分かったとしてどうするつもりです?』

『そうだね…それは相手を見てからかな?』

電話口のミライが黙り込んだところでべランダのドアが開いてナースが顔を出した。

『ドクター、そろそろ戻ってくださいね。』

『わかった、ありがとう。』

ナースが戻るのを待ってからゼロは電話を切るとポケットに突っ込んだ。

階下の病室の並ぶ廊下ではナースと患者が立ち話をしている。それを横目に通り過ぎて診察室に向かう。診察室は複数存在するが、ゼロが使うのは限られた場所だ。

子供たち用に飾られたディスプレイが点灯している。硝子のドアを開くと中は静まり返っている。以前は隔離病棟として使用されていたが今は子供たちのために開かれている。

診察室に入ると椅子に座り大きく息を吐く。モニターの電源を入れると仕事を始めた。

深夜に子供たちを診ることはあまりないが救急が飛び込んでくることが多い。ゼロ以外にも複数の医者が交代で入っているが数は増してきている。

年齢の幅も広く、知識があればあるほど助けられる状態でもある。勿論例外もあるが。今夜は一度も呼び出しもなく穏やかな夜だ。

ゼロは頬杖を付くと少し目を閉じた。


再び目を開ける頃にはナースが傍にいてゼロを覗き込んでいた。

『あ、おはよう。眠ってたみたいだ。』

『そうですね、昨日は平和でしたから。少し時間がありますから休憩なさってくださいね?』

『そうしようかな。君は大丈夫?』

ナースはにこりと頷くとゼロは部屋を出た。ぐんと伸びをして廊下にいた小さな少年に微笑みかける。

『おはようドクター。』

『おはよう、また後でね。』

ゼロは別館へと向い、スタッフオンリーと書かれたドアを開くと鍵をかけた。部屋の中はシャワーが併設されており身だしなみを整えることができる。

シャワーを浴びていつもどおりの顔に戻ると汚れた服をランドリーボックスに放り投げた。そして新しい服に着替え白衣を着ると鏡の前で髪を整えた。

ふと鏡の傍に置かれたボードに視線を移す。子供たちの写真が沢山貼られている。

笑顔の写真だが子供たちは皆包帯を巻いている。

ゼロはそっと写真触れると目を閉じて部屋を出た。

診察室に戻りナースと打ち合わせをしてから業務を開始する。二時間ほど経ち、子供たちが途切れると診察室のドアが開いた。

独特な足音に派手なピンクの髪が入ってくる。パーカーの胸には叩き潰すと描かれており大きなサングラスがライトを反射した。

『あれ?マデリーン?』

ゼロが嬉しそうに笑うとマデリーンと呼ばれた青年はにこっと笑った。

『久しぶり、ドクター。』

『元気だった?いつもは下で診てもらってるんだよね?』

椅子に座ってマデリーンは小さく息を吐くとサングラスを外した。薄い赤紫の瞳に少し日焼けした肌にはそばかすが散っている。

『うん、ここまで来るのは大変だしね、でも今日はいるって聞いて…ってかニュースを聞いてね?』

『ああ…あれ?心配かけちゃった?ごめんね、大丈夫だよ。』

『そっか、よかった。』

マデリーンは膝をぽんぽんと叩く。その先の義足が足を動かすたびに音を鳴らした。

ゼロが視線を落としたのでマデリーンは笑う。

『フフ、下のドクターがさ、足は治せるって…でもこれもさ気に入ってるんだ。』

マデリーンは片手で足を叩いた。

『もうずっと付き合ってる。上手に走れるようになったし。』

『うん、そうだね。それにしても派手だね、とっても似合ってる。』

『でしょ?俺もそう思う。生え際がさ、少し茶色くなってきたんだ。』

ゼロは頷くとマデリーンの頭を撫でる。

『本当に大きくなった。僕は嬉しいよ。』

『ヘヘ、あの時はすぐに死ぬなんて言われてたから…でもドクターは幾らでも生かしてやるって言ってた。』

『言った、確かね。フフ、懐かしい。』

『…まだ小さい子たち、運ばれてくる?』

マデリーンは少し小さな声でゼロを見上げた。

『そう…だね。人はそんなに簡単に変われないものだからね…。』

『そう。』

小さく呼吸をしてゼロは微笑を浮かべた。

『そういえばマデリーン…薬学の道に進むらしいじゃない?下のドクターに聞いたけど。』

『うん…もうあのドクターおしゃべりだ。』

『そう怒らないでよ。僕が無理に君のことだから聞いちゃったんだよ。』

マデリーンは眉を下げて笑う。

『仕方ないな。まだ…色々わかんないこともあって。ドクター、詳しい人で教えてくれる人いない?』

『ああ、いるよ。連絡しておくから行ってみる?』

『本当?嬉しいな。ありがとう。』

ゼロは急ぎ電話で連絡をしてマデリーンに場所を伝えると彼はゆっくり立ち上がり診察室を出て行った。

また独特な足音が遠ざかっていく。ゼロは椅子にもたれると傍にいたナースが笑いかけた。

『ドクターゼロ、マデリーンは大きくなりましたね?』

『うん、嬉しいなあ…。』

ゼロは片手で顔を覆うと破顔した。

目を閉じるとまだ小さなマデリーンが思い出されるのに、立派な青年が微笑みかけるのがたまらなく愛しかった。



午後、マデリーンはいつものようにバーガー屋で買い物をしてからマンションへ入った。すでに集まっていた者たちはマデリーンの登場に微笑み、食事を取る。

『それでどうだった?』

ベットにもたれてグラスを傾けている男は笑う。短い青い髪を立てて黒い皮のジャケットに身を包んでいる。

『うん、カラスが言ってた通りだったよ。ドクターゼロは関係者だね。』

『なるほど、じゃあそこにヘロンもいたわけ?』

大きなゴーグルに赤いリップの女は頬杖を付く、薄茶色の長い髪を下ろしモノクロのワンピースを着ている。

『多分ね、さすがに聞くわけはいかなかったけど…多分あの人だよ。モグラ。』

テーブルのラップトップに視線を落としていた男は小さく息を吐いた。

『さすがにそうだよねえ…。』

サイズの大きなパーカーに長い袖から指がちょこんとはみ出ている。少年のような面立ちだがその瞳はほの暗い。

『落ち込まないでよ、イカスミ。』

『うん、そうだけど。オニビは見てきてくれたわけでさ…俺たち何も出来てないから。』

『そうだよー。』

イカスミがしょんぼりしたのを見てモグラが彼の肩を抱いた。

『でもさあ…どうする?実際にドクターたち大人がこっちに付いてくれる可能性ってあるのかな?』

カラスが膝を抱えるとマデリーンはうーんと唸った。

『どうだろう…多分、ヘロンだと思われるドクターは協力してくれるとは思うよ。でも…ドクターゼロはきっと…。』

『止めるかな?』

モグラが首を傾けるとその場にいた者は小さく頷いた。

『だろうね…きっと。』

『オニビはさ、こっからどうするつもり?まだ聞いてなかったよね?』

イカスミは上目遣いにマデリーンを見る。その目は怯えているようにも見える。

『そうだな…俺としてはやっと手に入れたアレを使いたいんだ。アレが公に出たらきっと色々変わるだろうから。』

『ああ、でも公表したとして握りつぶされたりしたら終わりだよ?それに俺たちも危なくなる。一番オニビが危ないけど…。』

『分かってる。皆は一緒でなくてもいいんだ。俺はこの足があるからね?』

マデリーンは微笑み、コンコンと足を叩く。

それを見てモグラは首を横に振った。

『そんなの私たちだってあるじゃない!オニビだけじゃない、皆一緒だよ。私は付いていくからね?』

『俺もだよ。』

イカスミが両手の袖をぎゅっと握り締める。

『そうだぜ?俺だってそうだ。俺らは皆一緒なんだよ。』

カラスはニッと笑うとイカスミ、モグラそしてマデリーンを抱きしめる。

『やってやろうじゃん?できるだけ。』

『うん。』

マデリーンは唇を噛むと小さく頷いた。

『んで、さっきの話だけどヘロンはどんな人だったの?』

カラスが体を起こしてイカスミ、モグラの間に座った。

『ああ確定ではないけど、変わった人。ドクターゼロに紹介してもらった人なんだけど…いろいろ詳しいんだよ。薬もそうだけど、色んな事件についても色々話してた。』

『ふうん。』

『あの病院は一番受け入れてるからかも知れないけど…俺のことは知らないっぽかった、最近も多いみたいだ。』

皆の顔が神妙になる。

『…でもさ、一個嬉しい話をしてて。』

『なに?』

『助かったんだって。誘拐されてた子、犯罪に巻き込まれた勇敢な人が助けたって。』

『そうなんだ…。良かった。』

『うん、良かった。』

皆が口々に良かったと呟く。マデリーンは頷くと破顔する。

『そうだよね、きっとずっと怖かっただろうから…聞いた時嬉しかった。』

イカスミが何度も頷きその目に涙がにじんだ。

『そっか…まだ救いはあるよね?』

『ある。』

顔を見合わせるとそれぞれがフフと笑い、そして大きな声で笑った。




明け方、ゼロは地下室からエレベーターで上がりドクターミライのいる研究室のドアを開いた。ミライは机の前の椅子に座ったまま眠りこけている。

ゼロはミライの前のモニターを点灯させるとそれを見た。

そこには病院のデータベースから患者のリストが開かれている。写真つきのリストはサイファ・マデリーン・Lとララ、そして多くの子供たちのデータだ。

それぞれページを押すと赤い文字で死亡と書かれている子供が多くいる。ゼロは小さな息を吐くと後ろで寝ているミライの上にどかっと乗りかかった。

『うっ。』と背中で鈍い声がして、ちょっとちょっと、と両手でもがくように背中を押している。

『おはよう。』

ゼロが重い腰を上げると息を切らした青い顔のミライが見上げている。

『やめてください、そういう起こし方。象に踏み潰される夢見たじゃないですか。』

『ああ、ごめん。それで君は何を調べてたわけ?』

モニターに映ったものを見てミライは頷いた。

『はい、昨日紹介されたマデリーンのことを少し、それから子供たちのことも。』

『なに?マデリーンが何か言ってた?』

『いえ、ただ…子供が助かった話をした時…彼は少し泣いていました。どうしてかと気になって。』

『ああ、それでわかったの?』

『いいえ。データベースには両足が何故義足なのかについても殆ど書かれていません。それで他の子供たちはどのように書かれているのか調べてもいたんですが。』

ミライは首を横に振った。

『何も…データとして残してはいないようですね?』

ゼロは小さく頷く。

『そう…僕らの記憶だけが頼りだよ。本当に一番初めの頃…君が思ったようにデータには残されていた。でもこのデータってのが後々買い上げられてることが分かったんだ。そうなると何かと危険もあるってことで書かなくなったんだ。』

『ああ…なるほど。買い上げているのは製薬会社でしょうけど…。』

『うん。子供たちについては慎重にということだ。』

『どこにも信用を置いてはいけない、ですか…。』

『そういうこと、で…まだ僕に言うべきことがあるでしょ?』

ゼロは机にもたれると腕を組んだ。その顔が険しく見えてミライは口を噤む。

『何?話さないつもり?』

『…。』

ミライは椅子にもたれると大きく息を吐く。その態度にゼロは椅子に乗りかかると顔を近づけた。息がかかりそうな距離にミライは顔を背ける。

『…やめてください。僕はそういう趣味はない…って何か言わないとキスするつもりでしょ?』

『言うの?』

唇の先が触れそうになってミライが苦虫を噛み潰す。

『言いますよ、わかりました、わかりましたから!離れてください。』

ゼロは苦笑すると体を離した。

『それはそれでムカツクな。』

『本当にやめてください。聞きたいのはマデリーンがチャットの子じゃないかってことでしょ?』

『そうだね…で?』

『確信はないですよ?確認もしてないし。けど…彼はそうだと思います。僕らしか知らないことに反応してた。』

『詳しく。』

『混ぜ物ですよ。僕らが混ぜ物をしたことを彼はわかってた。』

『聞いたの?』

『いいえ、話の流れで…彼は賢いです。それで…それを知ってドクターゼロはどうするんですか?』

ミライがそう言うとゼロはただ黙り込んだ。それにミライが溜息を付く。

『まあ、いいですよ。どっちみち公に出なければ問題なんてない。そうでしょ?』

『そう…だね。』

『なんだか口が重いですね。まあ当分は動かないんじゃないですか?』

『だといいけど。』

『何かあるんですか?』

『マデリーンは普段下の技能で診てもらってるはずだ、もう何年も上には来なかった。けど僕の事件を見たから心配になって来たと言ったが、君がチャットに書き込んでるタイミングとも合いすぎる。』

ミライはモニターのデータベースを閉じるとまた猫のチャットを開いた。

『まあ、偶然ってこともありますよ。本当にただの偶然で心配になって来たのかも知れない…実際のところはわかりませんけどね。』

『嫌なことを言うね?』

『フフ、どっちみち僕が知っていることとあなたが知っていることは差がありすぎる。知らないことまでは想像でしか言えませんよ。それにあなたは話す気がないでしょ?』

『よく分かってるね。けどそうすれば巻き込まれなくて済む。』

『どうでしょうね?どちらにしろあなたと縁があるものは何かしら繋がっていくものだし、願おうと願わまいと同じことですよ。実際、ドクタ-ティルも事情を聞かれていましたから。』

『そう。』

『ドクターゼロ、あなたは子供たちのことになると躍起だ。何故です?』

『…。』

ゼロは黙り込むとただ微笑んだ。

『まあ、いずれわかるんでしょうけど。』

ミライはモニターに視線を落とした。だがその手は止まったままで動かない。

ゼロは体を起こすとミライの頭をポンと叩き、ドアのほうへ向かった。そして振り返ると優しい声で呟いた。

『君もね。いずれわかることだ。』

パタンとドアが閉まりゼロがいなくなった場所をミライはじっと見つめていた。

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