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第12話 センス・オブ・インモラリティ

『ごめんなさい。』

『カイル?そんなに気にしなくても。』

シヴァの言葉も聞かずカイルはバタバタと自室に戻った。

ドアを後ろ手に閉めてカイルはぎゅっと目を閉じる。

『なんで…。私のお部屋はこっちでしょ?』

カイルは自分に問いかけるように呟くとベットを片付けて服を着替える。

いつも夜中に寝ぼけてシヴァの部屋へ行ってしまう。

しかもしっかり彼の腕の中で眠ってしまっている。

最近は彼に抱きしめられると以前よりも居心地が悪くなってしまって逃げ出してしまうのに、意識が殆どないとはいえ勝手に体が動くのは困ってしまう。

背中越しにドアのノックが聞こえた。

『カイル?出ておいで。少し話をしよう。』

『はい。』

カイルは髪を整えてからシヴァが待つ居間へ向かう。少し寒くなってきた廊下から暖かな空気が流れる部屋へ入る。暖炉がもう燃えていた。

『寒いから暖炉の前へ。今日は少し何か食事をしよう。』

シヴァは入れ替わりに台所へ向かうと簡単な食事を作って持ってきた。

『さて、いただこうか?』

『はい。』

二人はテーブルにつき食事を始めた。皿の上が空になるとカップに手をつけたシヴァが視線を上げた。

『カイル。』

『はい…。』

カイルが少し困った顔をしたのでシヴァが苦笑する。

『そんな顔しないで。君が私の部屋に入ってくることだけどね…。』

『寝ぼけてて…。』

『ああ、かまわない。それに寝ぼけてる相手に何かすることはないよ?』

『うっ…すいません。その。』

『いや待って。そんな顔されると何かしない私がおかしい感じがするだろう?』

カイルはしどろもどろになると俯いた。

『ごめんなさい。』

シヴァは溜息をつく。

『カイル、私は以前も言ったように君が望まなければ…君を無理矢理抱いたりしない。でも…あ、いや、忘れてくれ。』

カイルは上目遣いに彼を見た。

『ごめんなさい。なんだか最近変なんです。よくわからなくて…。』

『そうか…でも気にすることはない。そういうことはあるから。』

『あるんですか?』

『まあね。そうだな、じゃあ少し外に出てみるか?』

『いいんですか?』

『ああ、けれど私は少し仕事で外すことになる。君は一人の時間を過ごすことになるがかまわないか?』

『はい。』

シヴァが仕事の準備を整えるとカイルと共に車に乗り込む、いつもとは違う方向へ進路を切った。

『今日は撮る仕事なんですか?』

『ああ…現場についたら三時間ほどは。君を連れてもいいんだが…気分転換になるだろう。あの辺りは素敵だから。』

『そうなんだ…。』

『フフ、気に入ると思うよ。』

シヴァが言ったとおり車が止まった先は風景が綺麗な場所で大きな美術館がある。

『うわあ、綺麗なところ。』

駐車場でシヴァと別れるとカイルは散策を始めた。美術館は木々で覆われている。紅葉で美しいそれは時々風に揺らされて煉瓦の道路に色をつけていた。

カイルはそれを踏みながら色々なものを見て、あまり遠くに行かないように注意しながら歩いていた。煉瓦並木が途切れるところで折り返し、視線に止まった美術館を見る。

『外はここで終わりかなあ…。』

肩から提げたポーチの中にはシヴァが持たせてくれた小遣いがある。

美術館の入場料と何か買うくらいはあるらしい。

カイルは美術館へと向かうと入場券を買い足を踏み入れた。

入り口から展示は始まっている。美しい彫刻がポツポツと並び人気は少ない。

シヴァとの時間までには丁度いいかも知れないとゆっくり美術品を見ることにした。

一つ一つを眺めると小さな頃に実家にあった父の書物の中に見た覚えがあった。

懐かしい気持ちで足を進めていく、この美術館は二階建てで飾られた美術品は多くあるようだ。

父は本を眺めている時によく話していた。美しい品の数々は創作する者の欲そのものだ。何かを抱えているものはそれが投影され、形を作る。

父はよく母の絵を描いていたが、それは子供ながらに恐ろしいほどに美しいものだった。

カイルの目にはもう少し優しく映っていたものだけど。

ふと視線を感じてそちらに顔を向けた。

奥の絵画の前に立つ男がじっとカイルを見つめている。カイルは首を傾けると彼はこちらへやってきた。

男はカイルの顔をじっと見つめて上から下まで眺める。

『人だよね?びっくりした…どこか絵の中から出てきたのかと思ったよ。』

『…?』

カイルが困っていると男は人懐っこい顔で苦笑した。

『ああ、すいません。ごめんなさい。僕はレイ。レイ・ブラントです。』

『ああ…私はカイルです。』

『ん?カイル?ただのカイル?』

『はい。そうです。』

レイはそう言って微笑むと片手を差し出した。カイルは戸惑ったが手を出すと彼の手ががっしりと掴んだ。シヴァとは違う大きな手だ。

『あれ?レイさんって…何か作る人?』

『うん?』

『ああ、手が何かを作ってるというか…昔彫刻家の人の手を触ったことがあって。』

『ああ、それで。そう。僕は彫刻を作ってる。』

彼は自分がしていることを話してくれた。

『そうなんだ。凄いなあ。』

カイルが笑うと彼が一度止まり、そしてすぐに反応する。

『どうかしました?』

『あ、いや…あのもしよければ少し話をしませんか?二階に椅子があるんです。あ、いや、あの…変なところじゃなくて、大きな絵が飾ってあって首が疲れるから。』

レイは照れた顔をして両手を横に振る。その姿にカイルはフフと笑った。

『はい、そうですね。』

二人はレイの話した大きな絵の前へと移動した。壁一面の大きな絵は圧倒的で地獄から天国へと描かれているような異様さがある。

一人掛けのソファに座るとレイは笑った。

『すごいでしょう?僕はこれをよく見に来るんですよ。』

カイルもレイの隣のソファに座る。

『凄い、大きい絵ですね。私は本でしか絵を見ることがなかったから…目の前でみるのは初めてです。』

『そうなの?じゃあ良い経験になるね。』

『フフ…そうですね。』

カイルはじっくりと絵を眺める。けれど隣から視線が飛んできて少し集中できずに苦笑した。

『あの…そんなに見られると。』

レイは顔を赤くすると俯いた。

『す、すいません。ごめんなさい。綺麗な人だからつい。』

カイルはふとシヴァを思い出す。彼もよく人の目を集めている。シヴァは美しい人でカイルも惚れ惚れするほどだから。

『まあ、わかります。』

『もしかして…恋人とか?』

レイは目を見開いてカイルをじっと見る。

『え?ああ…うん、そんな感じかな。』

『あれ?なんでそんな感じ?うまくいってないの?』

『え?いや…そんなつもりは。』

『喧嘩中とか?』

カイルは俯くと唸り声をあげた。

レイは少し引くと首を横に振った。

『ごめん、つい調子に乗ってしまった…気を悪くしないで。』

少しの沈黙の後、レイは独り言のように話し出した。

『僕の恋人はね、君のように美しい人だった。花の似合う人で僕は彼女に会うたびに花束を持って出かけたんだよ。』

レイは苦笑する。

『思い出だよ。大切な人だった…手に触れるだけで硝子のように壊れそうで…。でも彼女はどうしてか心配性で。僕が誰かをモデルにするたびに家に押しかけてきた。』

カイルがレイを見ると彼は首を横に振る。

『彼女は止まらなかった。どんどん病んでいって…一人閉じこもるようになったんだ。僕は彼女に会うために花を持って出かけていったけど、追い返されてね。』

『そんな…どうして。』

『モデルを使ってする彫刻はね、仕事だったんだ。だから彼女が嫌がっても辞められなかった。彼女はそれを理解したけど、本当のところは理解しなかったんだろうね。』

レイは両手を握り締める。

『それからはもう…おかしくなっていってね。なんども自殺未遂をしてた。でも死ぬ気なんてなかったんだよ、きっと。生きたくてそうしたんだろうね。それから少しして本当に死んじゃった。病気だったんだ。』

『ああ…。』

『うん、大丈夫…もう随分と時間が経っているからね。』

レイが俯いたのでカイルは呟くように聞いた。

『一緒に生きる方法はなかったんでしょうか?』

『ああ、そうだね。』

彼は俯いたまま息を吐くと天井を仰いだ。

『彼女は僕とは同じ速さで歩いてはくれなかったから…そうしてくれたなら一緒に生きられたのかもね?』

カイルは俯くとそっと呟く。

『悲しいですね。それは…。』

『フフ、君の恋人は君と同じ速さで歩いてくれる人なの?』

『そう…ですね。』

シヴァはカイルと同じヴァンパイアだ。不死のヴァンパイアが共に生きるのには理想的だろう。

『いいなあ…僕もそうだったらどれだけ良かっただろう。』

カイルが言葉に詰まるとレイは笑った。

『彼女はね、タンポポが好きな人だったんだ。』

『え?』

『花屋でね、色々買って花束にして彼女に会いに行くだろう?そうしたらこんなにお金を使わなくてもいいのよって。私はタンポポが好きなのって。でも季節が限られてる…僕はタンポポの咲く季節になると一生懸命探してね。』

レイが笑う。

『くだらない話だろ?』

『そんなことはありません。素敵な話です。きっと彼女も嬉しかったと思いますよ。』

『そうかな?そうだといいな。』

『ええ…。』

ふとレイがカイルの後ろに視線を向けた。それに気付いてカイルも振り返る。

その先にシヴァが立っていた。

レイはシヴァに気付き会釈すると呟く。

『あの人が恋人?お似合いだね。』

『ありがとう。』

カイルが立ち上がると彼は頷いた。

『喧嘩しちゃだめだよ。さようなら元気で。』

『さようなら、あなたも…。』

レイに別れを告げてシヴァの元へ駆けて行く。シヴァはカイルに微笑むとさっきまでいた場所を見つめた。

『…もういいのか?』

『はい、もちろん。シヴァはお仕事は終わりですか?』

『ああ、無事に終わった。それで仕事仲間たちが夕食に招待してくれてね。』

『素敵ですね。私は…どうしましょうか?車で待っていたら?』

シヴァは首を横に振るとカイルの手を繋ぐ。

『君もだ。この美術館の裏のガーデンだから行こう。』

『いいんでしょうか?』

『君も招待客だからな。それにしても素晴らしい美術館だな…楽しかったか?』

『ええ、色んな話が聞けましたし。』

シヴァは口を閉じると頷き、そうかと言った。

美術館の裏には美しいガーデンがある、昼間には見られなかったが夜は小さなライトがつけらて花が飾られていた。

ガーデンにはすでに複数いて、簡易テーブルには食事が用意されていた。人数が多いため立食らしく皆楽しげに会話している。

『シヴァさん、来た来た。』

中にいた一人が声を上げると皆がこちらを向き笑顔を見せた。

『すまない。こちらはカイル、私の恋人だ。』

シヴァはそう言うとカイルの背をポンと押した。

『初めまして、カイルです。』

よろしくと口々に言い、二人はテーブルに案内された。カイルはシヴァの隣でグラスに入った果実ジュースを飲んでいる。それは甘く口に優しい。

『今日は素敵な一日だった。』

シヴァの前に立つ美しいエルフの女は今日のモデルらしく、皆の話によると彼女は大変有名なモデルだそうだ。

『ああ、確かに。久しぶりに君を撮ったが良いものになる。ありがとう。』

『フフ、それでその隣の恋人さんはモデルにはならないの?美しい人だけど。』

急に振られてカイルが顔を上げた。

『私は…写真はよくわかりませんから。』

シヴァが笑うとエルフも微笑んだ。

『撮ればいいのに、シヴァはその人のこと撮りたくならないの?』

『フフ、随分前に一緒に撮った。それに私には瞳というカメラがあるからね。』

『まあ。』

二人がクスクス笑うのをカイルはただ黙って聞いていた。

なんとなく邪魔をしたくなくてグラスを傾けている。

エルフは少し考えてからカイルを見た。その瞳はとても優しい。

『今日は何をしていたの?撮影中はいなかったわね?』

『はい、この辺りは綺麗だったから散策したり…美術館を見たり。』

『へえ、いいわね。私もアートは好きよ、二階の絵は見た?』

『はい。そこで知り合った人と一緒に…。』

カイルの言葉にシヴァが声をかけた。

『ああ、やっぱり。さっきの彼か。』

『はい、あ、でも変な人じゃありませんよ?彫刻家なんですって。』

『へえ…。』

エルフは首を傾げるとカイルにその人物を聞いた。

『ええと、普通の人ですよ、二十代くらいでその絵が好きだって話してて。』

『そう。』

彼女はそう言うと腕を組んでそっと指先をあごに寄せた。

『ごめんなさい…知ってる人かと思ったのよ。でも二十代なら違うわ、だって彼は人間だし…。』

シヴァは微笑むとエルフの前のグラスにワインを注いだ。

『君の話を聞きたいな。どういう人だったの?』

『え?…そうね、いいわ。昔話よ。私は昔からこうしたモデルのような仕事をしていたの。その頃は写真はなかったから絵を描いてもらってね。』

『ああ、素敵な時代だね。』

『ええ、彼は同じような芸術家でね…私たちは恋に落ちた。いつも花束を持って会いに来てくれたのよ。でも彼は私がモデルをすることをあまり好きじゃなかったの。だって裸になることもあったから。』

エルフは苦笑する。

『芸術家たちとそういう関係になる人も確かにいたわ、私は…違ったのにね。彼はある日、家におしかけてきてモデルをやめて一緒に暮らそうと言ったの。でも私はモデルを誇りにしていたしアートも大好きだった。お互いを尊重して生きていきたかったの。』

そっとワイングラスを持ち一口飲み干した。

『彼は違ったかしらね、どんどんおかしくなって、終いには閉じこもるようになったのよ。』

それを聞いてカイルが声を出そうとしたがシヴァが横目で制止した。

『彼は自殺未遂をしてね…それでも私が訪ねるたびに、今日は花がないから会えないって言うの…変よね。そんなのいいって私が言っても君が笑う顔が見たいなんて言って。そして会えなくなったの。』

『どうして?』

『うん?彼がいなくなって…色んな人に聞いたけどわからなかった。引っ越したんじゃないかって言われて、私はそれから一人モデルを続けたの。…彼が私を見つけられるように。だけどそんな日は来なかった…、やっぱり私はエルフだったし。時間ばかりが過ぎて行くのよ。その時はまた会えたら素敵だと思っていたけど。』

彼女はワインを飲むと悲しそうに笑った。

シヴァはカイルに視線を向ける。

『今日の彼はなんという人なの?』

『レイ・ブラントさんです。彫刻家で…美しい人が恋人だと言っていました。』

『レイ・ブラント?』

エルフは繰り返すと目を見開いた。

『はい。彼の話では自分がモデルをとって仕事をすることを恋人が嫌がったのだと。そして恋人は死んでしまったと。』

シヴァは頷き微笑む。

『そう…それから?』

『彼は恋人は花が好きな人だったと。花が似合う人で花束をいつも持って出かけたそうです。彼女はタンポポが好きだったと。』

『タンポポ…。』

エルフの指先がかすかに震えている。

シヴァはカイルに微笑むとエルフに言った。

『よく似た話だが、どうだろうね?』

『…幽霊になって待っているとでも?それに彼だという確信もない。』

エルフは首を横に振る。

『ああ。そうだね。カイル?彼はなにか特徴はあったかい?』

『うん…特徴ですか…あ、彼は謝るとき、すいません、ごめんなさいって。でもこんなの特徴じゃ…。』

カイルがレイを思い出してそれを口にした時、エルフの瞳が涙が滲んだ。

彼女はただ視線を逸らすと目を閉じる。

『あの…。』

カイルはおそるおそる聞いた。

『その人と一緒に生きれたらよかったですか?』

『ええ…そうしたかったわね。』

カイルはレイの言葉を思い出す。

 『彼女は僕とは同じ速さで歩いてはくれなかったから…そうしてくれたなら一緒に生きられたのかもね?』

彼女の語る思い出と彼が語った思い出は違っていた。本当に彼女がいうとおり違う人なのかも知れない。

そうならばこの言葉は伝える意味もない。

黙り込むカイルにエルフは苦笑した。

『ごめんなさい。みっともないわ。少し感傷に浸ったわ。彼が生きているわけはないのよ。』

『そうですね。』

カイルの胸が詰まって息苦しくなり俯いた。それに気付きシヴァがカイルの肩を抱く。

エルフは頷きいつもどおりの顔をしてグラスを掲げた。

『乾杯しましょう。』



家路、シヴァが少し休憩をと言い路肩に車を止めた。

車から降りると暗くなってきた空を見上げてボンネットに腰を下ろす。

カイルも車から降りるとうんと背伸びをした。

まだ夜には早く藍とオレンジが交じり合っている。

『なんだか、忙しない一日のような気がします。』

『うん?そうだな。』

『けど素敵な一日でもありました。一人で色々と見られましたし気分転換にもなりました。』

『フフ、そうか。良かった。』

シヴァは足の上で両手を組むとカイルに微笑む。

『レイ・ブラントにはどうやって出会った?』

『え?ああ、声をかけられたんです。綺麗な人だとか…なんとか。』

『フ、それはナンパだな。』

カイルが目を丸くするとシヴァは首を横に振る。

『そんな所かと思ってはいたんだが…。』

『ごめんなさい、私気がつかなくて。』

『いや、怒ってない。でもこれからは気をつけることだ、危ない奴もいる。』

『はい。』

『それにしても…とんだすれ違いだな。』

『さっきのモデルの人ですか?』

『ああ。』

『カイルはどう思った?』

シヴァにそう聞かれてカイルは俯くと首をかしげた。

『レイさんは違う人なのかそれとももう存在しない人なのかはわかりません、それに二人の話は同じようで違うから。』

『フフ、幽霊だとでも?レイ・ブラントは存在する。彼は生身で存在する。』

シヴァはそう言うと笑った。

『二人がどうしてああまでもすれ違ってしまったのかは本当の理由はわからない、この世界には自分のことを知らない人間が多いと言っただろ?彼らもまさにそうだ。』

『どういうことですか?』

『彼もエルフだ。エルフも不死、けれどレイ・ブラントは彼女のモデルを嫌っていた、そして死にかけたんだろうが…死ねなかった。そして多分、姿を隠したのか。彼女が自分を探してくれることを願ったのかなんのかは知らんが。』

シヴァは溜息をついた。

『…彼女はエルフのモデルの中で素晴らしい功績を持つ女性だ。けれどそれまではパトロンに世話になって小さな仕事をこなしていた。沢山のパトロンを持つ彼女にはトラブルがついてまわってた。』

『あ…。』

『彼らはそれぞれの立場で話をしていた。嘘はないだろうがね。』

『そう思いたかったということでしょうか?』

シヴァは苦笑する。

『さあ、どうだろう。それは彼らにしかわからないことだ。』

カイルはレイの言っていた言葉を口にした。

『彼女は僕とは同じ速さで歩いてはくれなかったから…そうしてくれたなら一緒に生きられたのかもね?』

『うん?』

『彼が言っていた言葉です。』

シヴァは頷いた。

『なるほど、ならばきっと私が見立てたとおりだろうな。互いのことを知らずに恋をして、互いを知り合う前に壊れてしまった。』

『でも…生き方が違えば歩く速度は違わないですか?』

『そうだな。確かにそうだ。同じ種族で進んでいく時間は同じだとしても、足早に行ってしまうことはあるだろう。』

カイルはシヴァの袖を掴んだ。

『彼らはあのままなのでしょうか?』

『…そうだな、レイ・ブラント、彼があの美術館にいることは彼女には伝わった。けれどそれをどうするかは彼女次第だ。私たちが干渉することじゃない。』

『戻らないのでしょうか?』

『さあ…人間だと思い込んでいた彼女にとって時の変化は大変なものだったろうから。彼が知っていたのかは知らないが、思い出の中で美しく輝かせる、そんな風にしたかったのかも知れないな。』

『そっか…。』

カイルは視線を遠くに移した。

美しい夕焼けが闇夜に変わっていく途中だ。

『レイさんは、彼女が生きていることを知っているんでしょうか?』

シヴァは苦笑した。

『これは私の想像だが、彼は知っているんだろう。』

『やっぱりそうですか?』

『フフ、カイルも同じように思ったのか?』

『はい。彼が生きているのだとすれば有名なモデルのあの人のことは耳に入るでしょうし、それならどうして会いに行かないんだろうって。』

『さっきカイルが言った彼の言葉そのままだろうな。』

『ああ。』

『どちらにしろ同じ速度で歩いてくれない人だから、共に生きることは望めない。』

『寂しいですね。私はシヴァがそうだったら少し…。』

『少し?』

『いえ、シヴァは私より先に立っていて、私を待っていますよね?』

シヴァはふうと息を吐くと遠くを見た。

『確かに…そうだな。』

『私は追いつこうとまだ走っています。』

『うん、分かっている。』

『色々なことがわからなくて手探りです。いつもあなたが傍にいてくれたらとも思うけどそうもいかない時が来るのかなって。』

カイルは横目でシヴァを見る。彼は遠くを見たままだ。

『カイル、私たちの時間は永遠に近い。私は君よりも早く生まれて先に世界を知った。ただそれだけだ、私たちは同じ速度で歩む同じ種族だ。』

そっとシヴァの大きな手がカイルの手を握る。

『私は偶然などない、全て必然だと思っている。君に出会うのも運命だと。今日この一日も大切な時間だ。君にとっても、私にとっても。』

『はい…。』

シヴァはカイルの顔を覗きこむ。

『私では不満だろうか?』

『いえ、そうじゃなくて。』

カイルは首を横に振った。

『私とあなたの時間の長さ、その距離はいつまで経っても変わらないんじゃないかって。どんなに努力しても私はあなたに追いつけない気がする。』

『うむ、カイルは私のようになりたいのか?』

『それはそうですよ。』

カイルは苦笑する。

『あなたは私の憧れです、美しくて素敵で…なにもかもが手に届かない。』

『そうか…。それは少し残念だ。』

『え?』

『私は君の目の前にいて、ずっと君を待っている。手を伸ばせば届く距離だ。もちろん君が違う意味でそれを言っているのはわかる。しかし私は君が手を伸ばせば私の心にすら触れられることを知ってる。』

シヴァはそう言うと俯き目を伏せた。長い睫毛が揺れている。

カイルは慌てて彼の手を握り返した。

『あ、すいません。そんなつもりじゃ。』

『君は分かってない。私の心はいつも君に向かって開いている。どんな時でも。』

シヴァはそう言うと黙り込んだ。

怒らせただろうか?それでも繋いだ手は優しく暖かい。

カイルはシヴァを覗き込むと顔をそっと近づけた。

『怒ってます?』

『いいや、怒ってないよ。ただ寂しいだけだ。ほんの少し。』

『私のせいですよね…。』

シヴァは視線を上げると苦笑する。

『カイル…私は君が思うよりも君に弱いんだ。』

『そんな…こと。』

ぽつりとカイルが言った言葉を飲み込むようにシヴァの唇が触れた。

そっと触れるだけのキスで瞳がぶつかった。

淡い色の瞳がカイルを映している。

『私は君が好きなんだよ、カイル。』

情けない顔をしてシヴァは笑う。

カイルの心臓がドッと音を立てて走り出した。

ああ…そうか、私。

カイルはシヴァの顔に両手を伸ばした。

『好きです、あなたが。あなたとは違うかも知れない。』

『違う?』

『ええ、あなたが心に触れるほど私を好きだと言うのなら、私はあなたに殺されてもいい。』

シヴァの目が大きく見開かれた。

『カイル…。』

『今頃分かるなんて…遅いでしょうか?』

『いや。』

『私は…。』

カイルは言いかけて言葉に詰まった。飲み込みそうになって俯く。

『言ってくれないか?』

囁くようにシヴァが言った。

心臓の音がやけにうるさい。

『私は…あなたを愛している。』

シヴァの瞳が少し潤み瞼が伏せられた。

『ああ…私もだ。君を愛している。』

ドッドッと耳の奥まで心臓が鳴り響いている。

シヴァの手がカイルを引き寄せそっと抱きしめた。

うるさい心臓の音に重なるように大きな音がもう一つ聞こえてカイルは彼の胸に耳を当てる。

シヴァの胸で同じように激しく叩いている。

私は思い違いをしているんだろうか?

『シヴァ、あなたは先にいるけれど傍にいる?』

『うん?』

『私、あなたはずっとずっと向こうにいるのだと思ってた。』

『ああ、そうか。私は君の傍にいる。必ず目の届く範囲に。』

『そうか…。』

カイルが笑うとシヴァが首をかしげた。

『いいえ。ただ私はちゃんとあなたのすぐ傍にいたんだなって。』

『フフ、そうか。分かってくれたならよかった。』

シヴァの腕が少し力をこめてカイルを抱きしめた。

『良かった…。』

ぽつりと呟く声が聞こえて、それがカイルの目をにじませた。



真夜中、シヴァの部屋のベットには二人がいた。

ただ向かい合って見つめあい何気ない話をしている。

シヴァが少し灯りの量を減らすとカイルがベットに寝転んだ。

『眠くなったか?』

『いえ…でもこのくらいの明るさは好きですね。』

『ああ、我々はヴァンパイアだからな。暗がりが好きだ。』

『フフ、私…少し思い出しました。』

『うん?』

『寝ぼけてこの部屋に入った時のこと…。』

シヴァは枕にもたれると足を放り出して腕を組んだ。

『どんな?』

『フフ、眠くて…でも一人の部屋が少し怖くて、こっちの部屋に行けばあなたがいるってそんな風に思ってベットにもぐりこんだんです。ごめんなさい。』

『いや。私は気にしてない。』

シヴァが何か言いたげな顔をしたのでカイルが上半身を起こした。

『どうしました?』

『ああ、少し思ったんだが…。』

『はい。』

カイルが首をかしげるとシヴァが苦笑した。

『君は体が変化した時のことを覚えているか?』

『あ…実はあまり覚えていません…。』

『そうか、やっぱり。』

シヴァは大きく息を吐く。

『うん。』

『なんです?』

『おかしいとは思っていたんだよ、私は君にちゃんと思いを伝えていたから。』

『え?』

『君と…抱き合ったこともある。』

『ええ?それは本当ですか?』

カイルが目を丸くするとシヴァが小さく頷いた。

『本当に覚えてないんだな…それは少し悲しい。』

『ご、ごめんなさい。私。』

カイルは慌ててシヴァの胸に乗りかかるとシャツを掴んだ。

顔が近づいて、あっとカイルが顔を赤くした。

『ごめんなさい…重いですよね?』

『いや。大丈夫。』

『フフ…。』

シヴァはカイルの頬に触れると優しく笑った。

『君は今しっかりしているかい?』

『え?』

『ちゃんと私が見えている?』

『はい。ちゃんと見えています。』

『うん。』

シヴァはカイルの腕を掴んでベットに転がすと彼女の上に乗りかかった。

『あっ。』

カイルのシャツの胸元がはじけそうに開く。

それに気付いてシヴァが顔をそっとうずめるとカイルが小さな声を上げた。

『ま、待って、あの。』

『怖いかい?』

『いえ…ただドキドキして。』

シヴァは笑うとカイルの首筋に口付けた。

『うん…嫌なら言って。』

『嫌じゃないです。』

『そうか。』

シヴァはそっと灯りに手を伸ばすと部屋を暗闇に落とした。


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