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第11話 ハイヤー・ラブⅡ

ドクターミライは微笑むと部屋の隅で冷えたコーヒーをカップに入れて差し出した。

『困ってたじゃないですか?何度目かに話した時…。』

トモノはカップを取ると冷えたコーヒーを飲む。

『ああ、はい。』

この病院へ来た頃は本当に成績不振で怒られてばかりだった。名ばかりの製薬会社のくせに社員を散々こき使う。

ミライはキーボードを触りながら視線を向けて笑う。

『変な世の中ですよね、実際薬っていえるものってどれくらいあるんだか。』

『そう…ですね。確かに今はなんでも薬っていえば認可が下りるんです、なにも機能していないのと同じですよ。だから使うものはドクター次第で。』

トモノは苦笑すると思い出す。自身が取り扱う薬の中にも麻薬まがいのものが多数あることを。

『嫌な…世の中。』

ぽつりとトモノが吐き出すとミライが笑う。

『ハハ、そんなことはないですよ。確かにアレですけどね。使い方さえ間違えなければ良薬ですよ。けど、誰が作ったのかもわからないものまで認可が下りるってのは凄いことだ。』

『フフ、笑っちゃだめですけど。確かにそう。知ってますか?ある薬は子供が作ったという話もあるんです。』

『へえ…それは面白い。けどどれかは知りたくないな。』

『そうですね。』

ミライは時計を確認すると頷いた。

『あ、すいません。長いこと拘束してしまって。』

『いえ。あの…。』

トモノは体をこわばらせると頭を下げた。

『ドクターゼロとのこと…内密にお願いできませんか?』

『言いませんよ、大丈夫。本当に公にしたらこの病院つぶれちゃう。』

ミライは笑ってそう言った。


トモノは車に乗り次の場所へと向かう。この後は直接取引がある。

車を走らせキャピタルドレスの地下駐車場へ滑り込んだ。車を止めて電話連絡をしてから中へ入る。このビルは厳重で中に入るにも許可が必要になる。

フロントを抜けてエレベーターで上階に上がり、ドアが開くとそこは部屋が広がっている。

中は美しい内装で立派な応接セットが置いてあり、そこには今日の取引相手が待っていた。

『お待ちしていました。』

高級スーツに体躯の良い男はトモノに席を促す。

『すいません、お待たせしました。』

『いいえ、かまいませんよ。お忙しいのにこちらこそ申し訳ない。』

彼は恐縮するとにこりと笑った。

目の前の男はTVでよく演説しているエクス議員だ。人当たりの良い顔で口が立つ。

トモノはさっそく鞄を開けると幾つかの薬を取り出した。

『ああ、これが噂の?』

エクスは目を見開いてテーブルの上の薬を手に取る。

『はい、それは若返り薬です。こちらは…希望されていた薬です。』

『これが…。あるだけ貰えるかな?欲しい人間が多くてね。』

『あ、はい。』

トモノが薬を用意しエクスは金をドンとテーブルに置いた。

『本当に簡単にこうして薬が買える時代で助かったよ…なんだと縛りがあったんじゃ話しにならないからね。』

トモノは苦笑すると鞄に金を詰め込む。

『でも規制はしたほうがいいんじゃないですか?』

トモノの言葉にエクスは鼻で笑った。

『大昔はそうだったにしろ、なにもかもが自由な時代だ。君たちだって金儲けができていいんじゃないか?みんなWINWINの関係だろう?』

『…そう、ですね。じゃあ、私はこれで。また何かあればいつでもお声掛けください。』

『ああ、そうしよう。』

『失礼します。』

トモノは会釈してエレベーターに乗り込む、扉が閉まると同時にもう一度開きエクスがトモノの手を引いた。

『忘れていた、これは私のプライベートな連絡先だ。』

エクスはにこりと笑い扉の向こうへ消えていく。

トモノの手に握らされた名刺はゴールドのプレートで成金趣味全開だ。

トモノは鼻で笑うと壁にもたれた。

地下に戻り車に乗り込むとゆっくりと走らせる。アクセルを踏み込むとゆっくりと息を吐いた。

車にセットした電話のデジタル音声が響き始める。

『セツロ製薬からお電話です。』

『繋いで。』

ピッと小さな音と共に低い男の声が話し始める。上司だ。

『トモノ、今どこだ?取引はどうなった?』

トモノはハンドルを握ったまま視線を遠くへ走らせる。

『お疲れ様です。もちろん、今後ともよろしくとのことです。』

『ハハハハ、そうか。ならばそのまま直帰していい。』

『いえ、今回の取引は現物で。それに持っている分を全部渡したので一度戻ります。』

『ああ、わかった。』

用件だけを話して電話は切れた。

『現金な男。』

トモノはシートにもたれるとうんざりとした顔をする。

彼女の勤めるセツロ製薬は伝統ある会社だ。長きに渡り愛されてきたという触れ込みで彼女もまた目を輝かせて入社したが、すでに全てが壊れた世界では何もかもが狂っていた。

薬と名のついた麻薬が作られては社会へと放出されていく。

『前はそんなに気にしなかったのにな…、あの夜のせいかな。』

あの地下室で彼に抱かれて全てが変わってしまった気がする。

ドクターゼロとの出会いはトモノの思いを揺らがせていた。理解していながらそれをしているのに彼の存在はその罪悪感を顔の前に突きつけてきていた。

それでもあの日彼はそれを否定はしなかった。

あの優しさが女を狂わせるんだろうか?現にトモノは彼に惹かれている。

けれどあの晩彼の傍にいた女の美しさにトモノは小さく舌打ちをした。


二週間後の深夜、トモノは急ぎキャピタルドレスへ向かっていた。

急な呼び出しはエクス議員のプライベート番号からだ。

地下駐車場へ入るとすぐに上へと通された。それだけ緊急らしい。

エレベーターの扉が開くと中はパーティをやっているようだった。以前とは様変わりした部屋、目の前では乱痴気騒ぎが広がっている。

トモノに気付いたエクスが片手を上げると笑顔でやって来た。

『すまないね、こんな遅くに。』

彼の服は乱れ、体にはべったりと口紅がついている。

トモノは平常心で微笑んだ。

『いえ、今日はある分だけお持ちしました。かまいませんか?』

『ああ、ありがとう。』

鞄から商品を取り出してふと視線を上げると奥のドアが開いた。その先は寝室らしく赤い瞳と目があった。

『え?』

瞬きの間にドアが閉まる。

エクスは電話のモニターを示すと首をかしげた。

『これでいいだろうか?ん?どうした?』

『いえ。お支払いは確かに。これで失礼します。』

トモノが帰り支度を始めるとエクスは笑う。

『混じっていくかい?君のような人でも歓迎はするが。』

『いえ、お楽しみの邪魔になりますから。』

にこりと笑いエレベーターに乗り込むと静かになった箱の中で溜息をついた。

駐車場の車に乗り込むと逃げるように走り出した。

『ああいうのって…。』

エクスはトモノを誘ったがあの場所にいた女たちから考えても歓迎などされないだろう。

社交辞令だと気がつかなければ今頃地獄になっていた。

部屋の中にいたのはどこかでよく見知った顔ばかりだった。

ゆっくりとハンドルを切り、部屋の奥に見えた赤い瞳が頭にちらついた。

『なんだったんだろう?あれ。見たことないけど…あんなの。』

トモノが呟くと電話がポケットで振動した。

スピーカーにして助手席に放りだす。

『はい。』

『こんばんは。』

挨拶だけなのにトモノの心臓がはねた。

『こんばんは、ドクターゼロ。』

『今は…もしかして運転中?』

『ええ。どうしました?あれから一度も連絡なんてなかったのに。』

『フフ、寂しかったのかい?ごめんね。』

トモノは唇を噛む。

『ち、違います。』

『ねえ、もしよければどうかな?今夜は僕は独りなんだ。』

『独り?いつもの女の子たちはどうしたんです?』

『フフ…今夜は君に会いたいと思ってね。』

『私に?』

『君だけに。』

ゼロの言葉にたまらずトモノは唾を飲み込んだ。

『待ってる、君が来なくても。じゃあね。』

電話が切れてもトモノは動けずにいた。ハンドルを握る指が震えている。

優しい言葉がここ最近の嫌な出来事を消してゆくようだった。

どうしてこんなに惹かれるんだろう?

いつもは冷たい目で関心のない言葉を投げられることが多かったからだろうか?

美しくもない自分のことなどよく分かっている。それでも人並みには優しくされたいと頭のどこかで思っていたんだろうか。

ドクターゼロ、彼の手はトモノに触れるとき誰よりも優しかった。向けられる視線も、誰よりも何よりも。

きっと彼は何気なくそうしているだけ。誰にでもきっと優しいのに、すがり付いてしまいたくなる。あの優しさに甘えたくなる。

トモノが気がつくとあの部屋の前にいた。

ドクターミライは言っていた。沢山の人がここを訪れていると。

トモノと同じ気持ちなんだろうか?

震える手でドアを開くと明るい部屋の中にゼロが座って待っていた。

『ありがとう、来てくれたんだね。』

優しい言葉に顔がにやけてくる。トモノは胸に中にある言葉を口にした。

『会いたかった。』

ゼロは優しく微笑みを浮かべ、手を差し伸べた。

『僕も会いたかったよ。おいで。』

そっと差し伸べられた手に触れる、暖かな手はトモノを暖かな胸に包み込んだ。

『どうしてそんなに優しいの?』

『優しくしてはいけないのかい?』

『いいえ、でも誤解しちゃう…私みたいな勘違いを。』

『優しさは誰しも持っているものだよ。君がこうして僕を抱きしめてくれる腕の強さは優しく暖かい。言葉もこの間より優しくなってるよ。』

トモノが顔を上げるとゼロの顔が近づいた。

『君は怖がりだね。小さな動物みたいに震えてる。僕はどんな君でも愛しているし、いつでも包んであげたい。』

『優しくなくても?』

『フフ、優しくされれば優しさを返してあげられる。こうして触れる手も君が返してくれるならもっと優しくしたくなる。』

ゼロの手がトモノの背中を撫でる。

『あなたは残酷だわ。』

『…そうかもね。けど僕は優しくしたいから優しくするんだよ。君は僕にそうしてくれないの?』

トモノは泣き出しそうな顔で呟いた。

『怖いのよ。優しくされたことなんてない…だから。』

ゼロはそっとトモノを抱きしめると口付けた。優しく抱き上げて大切な宝物のように扱う。

『寂しいのなら寂しいと言えばいい。』

トモノは泣き出すとゼロの首に手を回した。

『寂しい。』

ゼロはトモノの頭をそっと撫でるともう一度口付けた。



熱い情事の後、シャワーを浴びたトモノの髪をゼロがそっと拭いている。

『風邪をひかないようにね。』

『うん…やっぱり優しいのね?』

トモノが少し俯くとゼロの指が彼女の顎をすくった。

『そんな顔をしないんだよ。』

『どんな顔したって美しくなるわけじゃない。』

ゼロは苦笑した。

『なるほど、そこが君のコンプレックスか…では魔法をかけよう。』

『魔法?』

ゼロはタオルを肩にかけたままで電話をかける。少ししてドアが開くとナース姿の女が入ってきた。褐色の肌の彼女は以前ここで会った。

『彼女はシルクだ。この間会っただろ?』

シルクは軽く会釈すると優しく笑う。

『こんばんは。お久しぶりね、担当さん…いえトモノさん。』

トモノはシルクの美しい笑顔に困ったように俯いた。

『こんばんは。』

ゼロはトモノの隣に座ると優しく肩に触れる。

『トモノ、彼女はナースになる前はアーティストだったんだよ。』

『え?』

シルクは恥ずかしそうに笑う。

『メイキャップのです。』

ゼロはトモノの背中をポンと叩くと着替え始めた。

『じゃあトモノをよろしく。僕は隣にいるからね。』

『はあい。』

シルクの甘い返事にゼロは着替え終わると部屋を出て行った。

『この部屋って色々あるんですよね。フフ。』

そう言ってシルクは部屋の隅のドレッサーを開けた。手入れのされた美しい装飾に色とりどりの小瓶やメイクに必要なものが置かれている。

『これってね、私の私物なんです。捨てちゃおうかと思ってたらドクターが僕が貰うって言ってね。』

トモノを鏡の前に座らせてシルクは準備を始めた。

『あの…メイクでどうにかなるわけじゃ…。』

鏡に映る自分に戸惑いながらそこに映るシルクに問いかけると彼女はブラシを持って笑った。

『アハハ、違うの。私はメイクって言っても変えてしまうの。きっと気に入ると思う。』

シルクは色々なメイク道具を説明しながらブラシにとり、顔に乗せていく。

『口紅を塗るだけ、粉を叩くだけそんなのが普通でしょ?でもそうじゃなくて色を使って顔の見え方を変えるの。今でも整形手術はあるけど、それは一つの変化で留まってしまうの。もちろん続ければ変わってはいくけど元には戻らない。』

美しいシルクの顔がトモノの目の前に降って来る。

『このメイクのいい所はいくらでも変身ができて、元の自分も保てるということ。そしてまたまったく違う自分にもなれる。いくらでも作れるの。』

鏡の中で本当に魔法が起こっている。シルクがほんの少し色を足すだけで変化が起きた。

『幾らでも教えてあげる。私ね、映画でお仕事をしてたの。でもあの人たちそんなの求めてなくてね…で極端なものばかり要求されるからうんざりしちゃってね。ナースも楽しいの、でも時々こうやってしてあげるのも好きなのよ。』

シルクはトモノの髪にブラシをかけると綺麗に整えた。

鏡に映るトモノは驚いて目を見開いた。見たことのない自分がそこにいる。

『え?』

シルクは微笑むとトモノを立たせてドアを開いた。

『ドクター、見て。』

『うん?あら、素敵じゃない。』

ゼロはトモノを見ると優しく微笑み頷いた。

『本当に?』

『ああ、見たものを信じなさい。僕は今の君も以前の君もどちらも好きだよ。』

『そうよ。トモノさん。それに私もいるわ。』

トモノは恥ずかしそうに微笑むと頷いた。

『ありがとう、嬉しい。』

『いいのよ。ねえ、トモノさん、いつでも連絡してね。』

なんて素敵な時間だろう、全てが魔法のよう。トモノは帰宅する間もなく会社からの電話でそっちへと向かっていた。

誰もいない会社で薬を鞄に詰めて、もう一度キャピタルドレスに向かうことになった。

少し疲れてはいたが車を走らせると上司から電話が鳴った。

『もう出たのか?会社で待っていたんだが。』

『ああ、すいません。とりあえずピックアップだけしました。』

『そうか。君でなくてもいいらしんだがね…その、モノが届けば。』

彼は言いにくそうに言葉を切った。

『わかりました。商品だけ渡してすぐに帰ります。』

電話が切れてトモノは大きく息を吐く。

どうせ担当は顔の良い者に変えろとでも言われたんだろう。取引相手から目の前で言われるよりはましだろうけど。

キャピタルドレスとなるとエクス議員の所だろう。まだ乱痴気騒ぎをやっているのかと思うと少しうんざりした。

それにと車を降りて手に持った鞄に視線を落とす。

中に入っている薬は少々トラブルが多いとされているものが複数あった。クレームは付かないだろうが、病院に担ぎ込まれているという話も聞いていた。

エレベーターの扉が開き、少し灯りの落とされた部屋が目の前に広がった。

鼻につく嫌な匂いに、何か奥で悲鳴のような声も聞こえた。

トモノは少し躊躇したが足を踏み出した。それに気付いたのか奥から誰かが歩いてきた。

『ああ、来てくれたんだ?うん?君ってトモノさん?』

エクスだ。少し目が慣れてきたのか彼の顔がぼんやりと見えた。

『はい。遅くなり申し訳ありません。商品をお持ちしました。』

『ああ、ありがとう。もうね、皆けっこう出来上がっててね…。』

少し呂律のおかしな話し方からトモノは早く撤退した方がいいだろうと思った。

商品を渡し取引を終える。トモノが鞄を閉じるとエクスの手が彼女の腕を掴んだ。

『え?』

エクスは当たり前のように彼女を奥へと連れて行く。奥は本当に暗く、中央で何かが蠢いている。周りにも人がいる気配がしてトモノは背筋がぞくりとした。

『お客さんだよ、君たちのために持ってきてくれた我らがエンジェルだ。』

エクスの声に反応して周りがざわめく。トモノは怖くなってエクスの手を外そうとしたが部屋の中央へと投げ飛ばされた。

トモノは何かにぶつかってそれが小さな声を出すのを聞いた。

『なに?誰?』

しかしトモノがそれを確かめるよりも早く沢山の手が彼女に襲い掛かった。



真っ白に赤い瞳、目の前に転がっていたのは子供だ。泣きじゃくるでもなくただ呆然とそこに横たわっている。

痛みと吐き気、苦痛、多くの感情が一気になだれ込んできた。

何故ここにいて何故生きているのか考えたくなくなるほどに。

何かが始まって何かが終わる。そのたびに目を閉じる。目を閉じて同じように心も閉じてしまえたら、そんなことを祈り続けた。

ふとトモノの耳に優しい声が聞こえた。

『ねえ、大丈夫?あなたはここにいてはいけない、出してあげる。』

小さな囁きは沢山の気配の中に消えていく。やがて声が聞こえなくなりトモノ一人になったようだ。

痛む体を必死に起こしてかきあつめた服を着る。ふと傍にいた子供が目に付いて声をかけたが返事がない体に触れて暖かいと感じた時、トモノは何故か傍にあったシーツでその子を包んで抱え込んだ。

『じっとしてて、静かにね。』

部屋は真っ暗だ。奇声を発している何かに気付かれないようにそっと動く。

エレベーター前にたどり着くと、すぐ傍にあった鞄を持ちボタンを押した。

扉がゆっくり閉まり箱の中で息を吐く。震える声で落ち着かせるために数字を数えた。

やがて地下駐車場に止まるが車に乗り込むことはできないだろう。

エレベーターを出て車の後ろに隠れながらキャピタルドレスを出た。

外はまだ暗い。それでも夜明け前だ。トモノはビルの隙間に入り込むと鞄から電話を取り出し、震える指で電話をかける。

非常識な時間だ、それでもきっと取ってくれると信じていた。

『はい。』

電話口の声がとても優しい。

『ドクター…助けてください。』

『トモノ?今どこ?』

トモノは今いる場所を伝えて壁にもたれかかった。

『うん、わかった。少ししたら着くから待っていて。』

言葉の通りドクターゼロは目の前に現れた。

『大丈夫かい?とにかく移動しよう。』

『あの…この子を助けてあげて。』

トモノが腕の中に抱いていたシーツをはがす。

ゼロは頷くとトモノを抱き上げた。

『もう大丈夫。』

車に乗せられてトモノはゆっくりと目を閉じた。

再びトモノが目を覚ましたのは病室のベットの上だった。すぐ傍の椅子にナースのシルクが座って眠りこけている。

『シルクさん?』

シルクは顔を上げると目を覚ました。そしてトモノを確認して泣き出しそうな顔をした。

『トモノさん!心配したんですから!ううっ、ドクター!』

シルクの声にドアが開くとゼロが入ってきた。その隣には警察官がいる。

『良かった。彼が話があると…。』

警察官はトモノの前に立つと説明をしてくれた。

キャピタルドレスで何人かの投身事件があり、それは問題なく処理されたと。

『え?あの…他になにか…。』

彼は首を横に振るだけで、話し終えると病室から出て行った。

ゼロはベットに座るとトモノの頬を撫でる。

『無事でよかった。』

『あのどういうことですか?』

『何もなかったということだ。子供の誘拐も起きてないし、薬がどうとかって話もない。』

『え?』

『トモノが何か罪に問われることもない。』

ゼロはトモノをそっと抱きしめると息を吐いた。

『酷い目にあったね…一歩間違えば死んでいた。』

『あの…私!あの子は?』

シルクが頷いて微笑む。

『大丈夫です、病院で保護しています。あの子は誘拐されていた子供です。』

『誘拐?』

トモノの頭が混乱してくる。ゼロは体を離すとトモノの顔を覗き込んだ。

『落ち着きなさい、落ち着かないとわからないよ。あの子は誘拐されていたんだ。君が助けた、まだ話せる状態ではないけど、いずれ君にも会える。』

『はい…あの子の親御さんは?』

『さあ、どうだろうね。トモノはあの子がどんな姿だったか覚えている?』

『白くて赤い…。』

『そう。彼らは生まれることが珍しいんだよ。そして一部の連中からすれば貴重。』

『ああ…それで。でも、あそこには沢山の…。』

トモノは言いかけて口を押さえた。取引相手の情報を話すことは禁じられている。

『わかってる。大丈夫、殆ど分かっているんだよ。』

『まさか…だから何も起きてないと?』

『そうだ。これから数日は少し危険だから病院にいなさい。』

『数日?』

『ああ、君はどんな薬を売った?』

トモノはゼロの言葉を聞き、会社から持ち出した薬を思い出した。

『それは…。』

ゼロは微笑むとトモノの頭をポンと叩く。

『少しお休み、君は良くがんばった。』

病室からゼロ、シルクが出て行き一人きりになると今更ながらに手が震えた。

怖かった。あんな風に乱暴されるのはもう二度とごめんだ。

そっと腕に手をやると包帯の隙間に沢山の切り傷、痣ができていた。

けれど気にかかるのはあの子供。

あの時、無言でトモノに攫われたあの子はどんな気持ちであの場所にいたんだろう?

あんな光景を見続けていただんろうか?

トモノは腕の中に抱いたときの小ささを思い出す。

怖かっただろうに。

トモノが感じたようにあの子は小さな体で全部を受け止めていたんだろう、そう思うと涙が止まらなくなった。


一週間してトモノの傷も回復し病院の中を歩けるようになった。

自分ではたいしたことないと思っていたが、ダメージが酷かったようだ。

あの子の居場所をドクターゼロに教えてもらい、刺激しないように顔を覗かせる。

病室の中には女性のドクターと子供が話をしていた。ドクターはすぐにトモノに気付き、中に手招いた。

『そんなところにいたらこの子も集中できん。』

『すいません。』

ドクターはティルと名乗った。恐ろしいほどの美女で気をつけないと食い殺されそうな目をしてみてくる。

『それで…ガブリエルとは知り合いか?』

ティルは椅子に座った子供に視線を向ける。

ガブリエルと呼ばれた子供はあの時助けた子供でトモノの目を見ると大きな目が涙でにじんだ。

『ん?どうした?』

『うん…あのね、このおねえちゃん、助けてくれたの。』

『そうか。思い出したか…。』

『うん。』

ガブリエルは椅子から降りるとトモノの胸に飛び込んだ。

『おねえちゃん、こわかったよね。助けてくれてありがとう、助けてあげられなくてごめんね。』

トモノは跪き、小さな体をそっと抱きしめる。

『ううん、大丈夫、よかった、あなたが無事で。』

ティルは頷くと鼻で笑った。

『ああ、そうか。ゼロが言ってたのは君のことか。どうりであいつが夢中になるわけだ。』

『え?あの…。』

『少し話そうか?ガブリエルを寝かせてやってくれ。私は向こうのベランダで待っている。』

『はい。』

ティルを見送ってから少しガブリエルと話をしてトモノは病室を出る。ティルの待つベランダへ行くと、彼女は煙草をふかしていた。

『すまんな、ガブリエルは寝たか?』

『はい。あの…ドクターティルでしたか?』

『ああ、君のことはゼロから聞いている。あの不埒でろくでもない男の恋人だとな。』

ティルの言葉にトモノの顔が真っ赤に染まった。

『アハハハ、やはりな。あいつはろくでもない。』

『あの…あなたは。』

トモノは両手で顔を隠しつつ目の前で大笑いしている美女を見る。

『妻だ。あのろくでもない美しいエルフの。』

彼女はそう言うと銜え煙草でにやりと笑った。

トモノの顔から血の気が一気に引いた。

『え?お、奥様?』

『そうだ。』

トモノがあたふたし始めるとティルは片手で制止する。

『やめろ、そんな気にしなくていい。あいつにどれだけ愛人がいるかなんて知っているし、そんなこと気にしていたら日が暮れてしまう。』

『すいません。』

ティルは煙草を吸い込むと長く煙を吐いた。

『本当にあいつは見る目だけは確かだ、くだらない男に惹かれてはいかんぞ。』

『…。』

トモノは少し俯くと視線を落とした。

『私、わからなくて。どうしてあんなに優しくしてくれるんでしょうか?』

『うん?トモノと言ったか、君は鈍感なんだな。』

『鈍感?』

『ああ、男が優しくするときなんて好きだからに決まっている、愛してないと優しくなどできん。』

ティルはトモノに視線を移し苦笑する。

『自分に自信がないのか…でも愛するのは自由だぞ。心のままに愛すればいい。』

『それでいいんでしょうか?』

『いいさ。あいつは君に惚れてる。これは確かだ。』

『でも…奥様がいるのに。』

『ああ、それはさっきも言ったとおりだ。あいつは治らん。だがな、愛するのは止められん。こうして話している私も君に恋をしそうだ。』

『え?』

トモノが驚いて顔を上げるとティルは顔を近づけた。

『こういう初心で綺麗なものに会うと体がもっていかれるものだ。危ない女だな。』

『私は綺麗じゃありません。』

トモノが硬直して言うとティルは睨みつけた。

『だから鈍感なんだ。君の美しさはここにある。』

ティルの指がトモノの胸を指した。

『美しさはここでしか作られない。顔など心を映す鏡だ、どれほど造形が美しかろうとも心が醜ければ顔も変わってくる。そうだな?たとえば君の心にはいつも花があるんだ、それを咲かせるためにどれだけ犠牲を払ってきた?』

『犠牲を…確かに沢山、傷つけられたし傷つけてきた。』

『ああ、そうだろうな。ゼロは君の中の花を見つけて水をやった。それが咲くのを待っている。私もな。』

ティルは煙草をふかす。

『人は皆それぞれ違う、美しさの定義も、何を大切にするのかもな。我々は虐げられて生きてきた分を優しさに変換したいのさ。優しさは優しさでしか返すことができないから。それは愛と同じでただ一つ心に触れるものなんだ。』

『心に…。』

『そうだ。では聞こう、何故トモノはあの子を連れてきた?あんなに痛い思いをして怖い思いをしたのに、足が付くであろうあの子を何故連れてきた?』

『それは…。』

ティルは煙草をもみ消すと次の煙草に火をつけた。

『暖かかったから。』

トモノはあの時感じたものを思い出す。

『怖くてもう逃げ出したかった、やっとのチャンスだった、でもあの子に触れて暖かくて…だから無我夢中でシーツに包んで逃げ出した。どうしてなんて関係なかった。』

『ああ、そうだな。君は正しい…。』

『それでも…さっき、ガブリエルが助けられなくてごめんねって言った時、苦しくなりました。』

トモノの瞳から涙が零れた。

『フフ、自分のことに皆必死なのに他人を思いやってしまうものさ。あの子はそうやって君の心に触れたんだ。だから君はあの子を優しく抱きしめることができた。愛がなければ君は抱きしめなかったし、振り払うことだってできた。』

ティルはそう言うとトモノの頬にキスをした。

『あまり魅力的すぎるのも危険だからそれくらいでいろ。ゼロに飽きたら私のところへ来い、無理にとは言わないがな。』

そう言い残し病院へと戻っていった。

トモノはフフと笑うと空を見上げた、黒い雲が近づいている。また少し雨が降りそうだ。



数ヵ月後、病院のTVモニターで複数の議員が病死したと伝えている。

ナースたちは冷ややかな視線を向けていたが、奥から出てきたナース長のオガタが手を打った。

『はい、油売ってないで手を動かして。』

ナースたちは散り散りになって動くとそこにドクターゼロがやってきた。

TVモニターに視線を移し椅子に座る。

『ふうん、あっけないね。』

オガタは資料をまとめながら視線をゼロに向けた。

『あら、知った口ですこと。』

『いやいや、それで子供たちはどうなった?』

『ああ、それですか。やはり連絡のつく子は殆どありませんね。』

『そう…ガブリエルは?』

オガタは棚にカルテを戻す手を止めた。

『ああ、あの子は…一時ですが保護者が決まったそうですよ…名前は確か…。』

『トモノ?』

『ええ、そう。あら?ご存知でしたの?』

『まあね。んで僕の愛する奥さんのアイオンについては何か決まったのかな?』

『それですけど…聞いてないんですか?』

ゼロは口を尖らせると眉をしかめた。

『まあね。まだ怒ってるんだよね、色々と。』

『ハハ、ドクターゼロはつまみ食いばかりするからです。』

オガタは棚に置かれた資料を取るとゼロに差し出した。

『こちらに決まったそうですよ。』

資料には穏やかな子供たちが映った写真と色々な行事についてが書かれている。

『ああ、ここか。確か南の島だよね。』

『ええ、ここは色んな子がいますが皆幸せそうでしたよ。』

『うん?ってことは行ってきたの?』

『ええ、現地確認はいたしますよ。』

『そうか、なら安心だ。』

オガタはゼロの顔を覗きこむ。

『ちなみに今日ですよ?アイオンの出発は。』

『そうなの?ああ…もう間に合わないんじゃないの、これ。』

ゼロが椅子にもたれるとオガタが笑った。

『仕方ありませんよ。ドクターティルは涙は見せたくない人ですから。』

『そうねえ…。』

オガタはゼロに会釈すると仕事に戻っていった。

ゼロはまたTVモニターに視線を向ける。

ニュースでは議員たちの顔写真が並べられ功績などが述べられている。

その中でもエクス議員について持ち上げられていた。

いつまで待っても子供たちの誘拐事件や薬についてなど知らされることはない。

ゼロは頬杖をつくと息を吐いた。

ふと机の上の煙草に視線が止まって手を伸ばす。一本だけ取り出すとライターを持ち屋上へと向かった。

屋上のドアを開けて煙草に火をつける。

『ああ、僕も禁煙してたのになあ…。』

長く白い煙を吐くとゼロは遠くに飛んでいく鳥を眺めていた。

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