町のショッピング街の路肩に車を止めてシヴァは町をぼんやり眺めている。
車の中には買い物袋が複数並んでいるが、それを買ってきた者の姿はない。
シヴァは胸ポケットのサングラスをかけると溜息をつく。
シートにもたれると開けた窓から風が吹き込んできた。
結構な時間をこうして過ごしている。時々荷物を抱えて戻ってくるティルには嘲笑され、カイルには申し訳ない顔をされ続けている。
けれど買い物に出かけていくカイルは嬉しそうで、それはそれでいいのかとも思ってしまう。
ふとポケットの電話が鳴り何気なく取った。
『はい。』
電話口の男は楽しそうな声で返事をした。
『シヴァ、今何してるの?』
『ゼロ、お前…わかってかけてきてるだろう?』
『ウフフ、ティルが出かける前に話してたのを聞いたんだよ。』
『ああ…。』
シヴァが少し電話を離してスピーカーにした。助手席に電話を置きシートにもたれこむ。
『それで?何か用か?』
『うん…カイル、おめでとう。大人になったんだってね。』
『ああ、ありがとう。無事に終えてよかった。』
『じゃあ女の子なんだね?良かったね…ウフフフ。』
ゼロの気持ち悪い笑いにシヴァは眉をひそめる。
『何だ?何が言いたい。』
『だって…シヴァあの子のこと好きじゃない?大事にしすぎてたからさ。』
シヴァは図星をつかれて黙り込む。
『ハハ、図星?変化したんなら、したんだよね?』
ゼロの言葉に閉口したままシヴァは動かない。
『プフ!』
スピーカーから大笑いするゼロの声が鳴り響く。
それが数分続き、咳き込んでからゼロが話し出した。
『なに?できなかったの?今の今まで散々色んな子に手を出してきたくせに、自分の好きな子には手を出せないとかどういうあれなの。』
『うるさい、お前とは違う。』
『反応しなかったわけじゃないんでしょ?君って結構あれだし。』
『当たり前だ。ただ変化してすぐだったのもある…それにあの子はまだ。』
『うん?』
『体は変化しても中身は変わってない。まだ子供のままだ。』
シヴァは自分の言った言葉に納得した。
でも理由はそれだけではないが。
『へえ、言い聞かしてんのね?フフ、まあいいじゃない、それでも。』
シヴァは髪を片手でくしゃりと潰す。
『そういうことだ。』
『フフ、シヴァったら。でもそうなる日が来るといいね。』
『ああ。』
『もし来なかったら僕もいるし。いつでも呼んで。』
ゼロが言葉を言い切る前にシヴァは電話を切った。
多分今頃電話に叫んでいることだろうが知ったことではない。
また電話が鳴り、モニターを見るとティルの名前だ。
『はい。』
『終わったぞ!荷物が多いから迎えに来い。』
『ああ、わかった。』
シヴァは場所を確認してから車を出した。
三時間前、車に揺られてやってきたショッピング街の傍らに一際目立つ黒尽くめの女が立っている。
シヴァとカイルは車を降りると声をかけた。
『すまないな、ティル。』
ティルはサングラスを外すとにこりと微笑んだが、カイルに目を留めて何度か瞬きをした。
その顔が驚きに満ちてやがて幸せそうになる。
『ティル?』
シヴァが声をかけたがティルはカイルに近づくとその手を握った。
『ああ、カイル。私のことは覚えているか?』
『ええと…すいません。私、その。』
『いや、それはかまわない。そうかこんなに美しく…思ったとおりだ。』
カイルは助け舟を求めてシヴァに視線を向けた。
『ティル?少し落ち着いてくれ、カイルが困っている。』
『ああ、すまない。ちょっと興奮してしまった。』
ティルがカイルの手を離してそれでも顔をまじまじと見ていたが、急にきりっと切り替わりシヴァに冷たい目を向けた。
『それで、カイルのために色々用意をするんだな?』
『ああ、私では入れない店があるからな。』
『ハッ、お前なら入れない店でも店主が喜んで入れてくれるだろう?』
『それはさすがに…。』
『まあいい、カイルのためなら一肌脱ごうじゃないか。それで私が全て支払えばいいのか?』
『いや、それは私が。』
シヴァがカードを手渡すとティルは鼻で笑った。
『私が払ってやってもいいんだが。こんなに美しいもののために使う金など惜しむものでもないしな。』
『ティルさん…あの。』
カイルが声を上げるとティルはすぐに反応して優しく笑う。
『ああ、すまない。気にしないでくれ。では行こうか。』
『はい。あ、シヴァはどうするんですか?』
『ああ、私は車にいる。楽しんでおいで…必要なら私を呼びなさい。』
微笑み頷いたカイルはシヴァと別れてティルと共に店に入っていく。
店は少し大人びた服が多く、ティルは指先で弾いて色んなものを見ている。
カイルはその様子を見ながら店内を見回した。
正直なところ今までこういった店に入ったことがなかったから見るものが新鮮だ。
ティルは幾つか手にもってくるとカイルに当てた。
『うん、悪くはないが…華がないな。』
そう言うとまた引っ込んでは探している。
店の奥から店主がやってきたがティルの勢いに負けたのか引っ込んでしまった。
ティルは幾つか見繕って購入するとカイルの手を引き次の店へと向かう。
そうして数件周り、何度かシヴァの車まで往復をすると小さな店の中へ入った。
『ここが最後かな。』
ティルはそう言いまた同じ事を繰り返す。カイルは少し疲れたのもあって溜息をついた。
『うん?疲れたか?』
『はい。すいません…こういうのって初めてで。』
『フフそうか。』
『ティルさんは疲れませんか?』
『そうだな、疲れるが…カイルのためなら何でもないことだ。奴も同じだろう。』
『奴?』
『シヴァだ。ああして車で待機するのも随分と疲れることだ。』
カイルが俯くとティルは手を伸ばしカイルの頬に触れる。
『そんな顔をするものじゃない、機嫌よくしていろ。』
『でも…。』
『いいか?今こうして選んでいるものはきっとシヴァは喜んでくれるだろう。見せるのを楽しみにしているといい。』
『そういうものですか?』
ティルは見繕ったものをカイルに当てると微笑む。
『ああ、そういうものだ。』
会計を済ませて店を出ると、少し奥まった場所にある店へと入る。レースが沢山飾られている店で奥に細長い店のようだった。
ティルはゆっくりと歩きカイルに振り返る。
『ここは下着屋だ。』
ティルは店主に声をかけるとカイルのサイズを測るように指示をした。カーテンの奥に連れ込まれメジャーを当てられると店主がメモを取る。
そして幾つか見繕った綺麗な下着をカイルに差し出した。
『こういったものお好きですか?』
店主の言葉にティルは笑う。
『どうだ、カイルは好きか?』
『あ…綺麗だと思います。』
カイルの返事に二人は笑うと同じ系統のものを選んで会計をする。
全ての買い物が終わる頃にはカイルは疲れてぐったりとしていた。
『疲れたか?すまないな…それにしても沢山買わなくてはいけなかったからな。』
ティルは荷物を持ってカイルに微笑む。
『はい、女性はこんなに沢山お洋服があるんですね。着方も色々あってびっくりしました。』
『フフ、そうだな。けれど下着はつけるようにな?』
『あ、はい。』
『今までは子供だったからどうでも良かったんだろうが、着ていたほうがいいし、その方が盛り上がるだろう。』
『盛り上がる?』
『ハハハ、冗談だ。で、あとは月のものだがな。』
ティルは足を止めるとカイルの持っている袋を指差した。
先ほど下着屋で買い揃えたものがぎっしり入っている。
『私の知識でヴァンパイアに必要なのかはわからないが、シヴァが私を必要としたのはこうしたものがあったのかも知れないから。使い方は店主が教えてくれたな?』
『はい。ちゃんと覚えています。』
『そうか…よかった。今後も何かあれば頼ってくれると嬉しいが。』
『そう言ってもらえると嬉しいです。ありがとうございます。』
カイルの微笑みにティルは蕩けるように微笑む。
『あ、奴に取りに来させよう。』
ティルは顔色を変えて電話をかけるとシヴァを呼んだ。
車がすぐにやってきてシヴァが荷物をトランクへと運び込む。後部座席にティルが乗り込むと助手席にカイルが乗り、車は走り出した。
『今日は時間を割いてくれて感謝する。』
シヴァは運転しながら少し頭を下げた。
『ああ、いいさ。カイルのためならな。』
ティルは助手席に座るカイルに優しい視線を送る。
『本当にありがとうございます。ティルさん。』
『うん、いいさ。お安い御用だ。』
『ああ、そういえば。』
カイルが後部座席に視線を向けた。
『うん?』
『ティルさんってゼロさんと結婚しているんですよね?』
『ああ…シヴァに聞いたのか?』
『はい、なんかお似合いだなって思って。』
『そうか?あの男はろくでもない男だが容姿だけは素晴らしくてな。』
シヴァが苦笑するとカイルも微笑む。
『ゼロさん素敵ですものね。』
『ああ、結婚した頃はもっと素敵だった…若さとは素晴らしいものだが、今も円熟味があっていい。』
『へえ…。』
『でもカイルも素敵だ。カイルが困ったりシヴァに飽きたら私の所においで。』
ティルは優しく笑うがシヴァが止めた。
『ティル、やめてくれ。』
『何を言うか?カイルにも選ぶ権利はあるんだぞ?お前にもな。』
シヴァは眉をひそめると呟くように言った。
『そうならないように努力するからやめてくれ。』
『珍しいな、弱気じゃないか。』
『勘弁してくれ。』
和やかなムードで会話が途切れて、ティルの自宅前に車が止まる。ティルは車を降りると運転席のシヴァに預かっていたカードを手渡した。
『随分と使ったぞ。まあ、減りはしないだろうがな。』
『別にかまわない。本当に今日はありがとう。ティルがいてくれてよかった。』
シヴァが微笑むとティルは満足げに微笑をかみ殺して俯いた。
『いや、かまわんさ。でも呼ぶときはカイルの時だけにしてくれ。』
『ああ、じゃあ。』
車がティルを残して走り去る。ポケットの鍵を取り出したティルは溜息をついた。
森の館に到着するとシヴァはトランクから大量の荷物を運び込む。
大小様々な袋は女性特有のショッピングさながらだろうか?
全て運び終えると小さく息をついて椅子に座った。
『ありがとうございます、シヴァ。』
カイルは荷物を小さくするためにラッピングを解いて畳んでいく。
『それにしても凄い量だ。でも…流行のものって感じではないな?』
『そうなんですか?私はよくわからなくて。』
『ああ、ティルはうまく選んでくれている。カイルに合うように、それと合わせやすいように。』
『そうか…。』
カイルはラッピングを解いて下着を取り出すとシヴァが視線を逸らした。
『カイル?』
『はい。』
『それは…自分の部屋で開けなさい。ここで開けるのはあまりよろしくない。』
『ああ、すいません。』
カイルは開けようとしていたものを袋に詰めてシヴァを見た。
彼は少し困った顔で口元を押さえている。
そういえばティルが言っていた。これは人前に出すものじゃないと。
『ああ、教えてもらったのに。ごめんなさい。』
ざっと荷物をまとめて自室へ戻るとベットの上に全て置いた。
目の前には真っ白なレースの下着がちょこんと乗っている。
『気をつけないと。』
カイルは部屋のクローゼットにかけてあった以前の服を全て片付けて、新しく買ってきた服をかけた。前よりも華やかで見ているだけでもとても楽しい。
ふと思いついて幾つか取り出すとそれを着てみた。
カイルの体に丁度よいサイズで体のラインが綺麗に見える。
そのままでシヴァのいる居間へと顔を出した。
『シヴァ?』
『うん?』
彼は本を読んでいたようで顔を上げるとカイルの様子に微笑む。
『ああ、着替えたのか?』
『はい。見てくれます?』
『ああ。出ておいで。』
カイルはぴょんと体を出すと両手を広げて首を傾けた。
『どうですか?といってもティルさんが選んでくれたものですが。』
『ああ、いいね。似合ってる。』
『良かった。あの…。』
『うん?』
カイルは俯くと上着の裾をぎゅっと握って少し上げた。
『私、素敵なのを買ってきて、えっと。でもさっきシヴァが…。』
『…。』
返事がないのでカイルが顔を上げるとシヴァが真っ赤な顔をしていた。
『あの…。』
『カ、カイル?』
『はい。』
シヴァは少し咳き込むと赤い顔のまま真面目に言った。
『それはいつかの楽しみにしておくから、今はさっき言ったとおり見せないでおいてくれるか?』
『ああ、はい。すいません。』
『片付けは終わったの?』
『あ、もう少し。片付けてきます。』
カイルが引っ込むとシヴァは椅子にうな垂れた。
都心部にある一軒家、黒を基調にした室内でティルはソファに座っている。
いつもならこの時間は夫であるゼロと二人外で食事をしている頃ではあるが、今日はティルが用事がありゼロも外出していることから独り過ごしている。
ティルはそっと両手を見て笑みを零す。
昼の間一緒にいた美しいカイルの姿を思い出してにやつきが止まらない。
一度目はカイルは床に臥せっており、小さな子供の姿だった。それでも熱に浮かされたヴァンパイアの姿は美しく閉じられた瞳が開くのが待ち遠しかった。
二度目は今日だ。美しい男と共に現れたのは女神のような女性だった。
シヴァの服を着ているが彼女の体のライン、顔の美しさは目を奪うものだった。
ふつふつと幸福がティルの体を支配していく。いつもこうだ、美しいものを目にしたときは。
『何?どうしたの?』
後ろから声をかけられてティルは素早く振り向いた。
夫のゼロが優しく微笑み立っていた。
『ああ、帰ったのか。珍しいな。』
『冷たいなあ…それで今日はどうだった?カイルはどんな?』
ゼロはティルの隣に座ると顔を覗き込む。
『ああ、美しかった。信じられないほどに…。』
『ふうん…君がそこまでいうほどか…すごいなあ。僕は男の子でも見たかったけど。』
『何を根拠に?』
『うん、カイルのお父さん、美人だもの。』
『ああ、なるほど、けれどあの美しさはシヴァの隣にいてもかすみもしないぞ。』
『それは凄い。』
ティルはにやついている顔を戻すとゼロを睨んだ。
『それで今日は愛人たちはいいのか?』
『ああ、あの子達だって自分の時間は必要さ。僕にだってね。』
ゼロはソファにもたれるとティルの髪をすくいあげた。
『君は今日も綺麗だ。僕にはシヴァもカイルも綺麗だけどティル、君が一番なんだよ。』
『嘘は休み休みにしろ。』
『そんなことないよ。あ、それでカイルの洋服を選んだんでしょ?』
『ああ、そうだ。色々とな。』
『ふうん、あ、もしかして意地悪したでしょ?』
ティルはゼロの言葉ににやりと笑う。
『わかったか?ああ、少しくらいならいいと思ってな。』
『何したの?』
『セクシーな下着を選んだのさ。そして買ったものを着て見せてやれと。』
『うわあ…それ多分。』
ゼロが笑うとティルも笑った。
『ああ、カイルは見せようとするだろうな。とびきり素敵なものを買ったから。』
『うわあ、意地悪だねえ。でも昔。散々意地悪されたものね。』
『フフ、まあ…あれは別に意地悪というわけじゃあ…ないがな。』
ティルが少し苦笑するとゼロが彼女の頭を抱いた。
『君もお馬鹿さんだね。僕がいながらシヴァに恋をするから。』
『お前もだろうが。』
『ああ、でも僕らは通じあっているんだから僕に頼ってくれてもいいじゃない。』
ティルはゼロに体を預けると目を閉じた。
『ああ、そうだな。でもどうしてシヴァはあんなに優しいんだろうな?』
『フフ、そうだね。彼の性分かなあ。』
『あんなに優しいとまた恋をしてしまうだろう…。』
『うん。』
ソファにティルを押し倒すとゼロは笑う。
『いいじゃない?また恋したら。カイルにも恋したんでしょ?』
『ああ…なんだろうな、あのヴァンパイアどもは。』
『フフ。仕方ないじゃない。僕らの性分だ。』
ティルはゼロの頬に指を触れさせると微笑んだ。
『お前も…美しいものは罪深いぞ。』
『ああ、それも仕方ない。君だって相当だよ?だから僕らはこうしているんだけど。』
『そうかもな。』
ティルは優しく微笑むとゼロの首に腕を回した。それに答えてゼロは彼女を抱き上げると部屋へと消えていった。
森の館の物置でがさごそと音がする。棚の前で箱を押し込んでいる手を後ろから大きな手が助けるように支えた。
『ああ、すいません。』
カイルは後ろに振り向きシヴァを見る。
『うん、これで終わりか?』
シヴァは箱を棚に綺麗に置くと視線を落とす。
『はい。』
『では今日はちょっと違うことをしようか?』
シヴァはカイルの手を引いて居間へと戻る。そして自室と何度か行ったりきたりした後、カイルにソファに座るように促した。
部屋の壁にはスクリーンが取り付けられて、棚の上には機械が置かれている。
『あれは何です?』
『うん?映画を見ようと思ってね。』
『映画…まだ見たことありません。』
『だと思った。映画には飲み物と何かスナックが必要かな。』
シヴァは台所から用意してきたトレイをテーブルに置いた。
飲み物と軽くつまめるお菓子が並んでいる。
カイルはにこりと笑うとソファに座った。
『では楽しもう。』
シヴァは部屋の灯りを消して機械を操作する。スクリーンには鮮やかな映像が映し出された。
カイルは初めての経験に少し身を乗り出してそれを見る。
映画は囚われの姫を救いにくる王子の話だったが、カイルはじっとそれを見て大きな瞳がにじんでいた。
エンドロールが上がりきるとカタンと映像が途切れる。
シヴァの隣で見ていたカイルは両手で顔を覆っていた。
『どうした?面白くなかったか?』
『いいえ、面白かったです。凄かった。』
カイルは破顔してシヴァの胸にもたれかかる。
『フフ、そうか。それは良かった。』
『あの、まだ見られますか?』
『疲れてないか?』
『はい。楽しいです。』
『わかった、では他のものを見よう。』
シヴァは再度機械を操作して他の映画をセットした。
映像が映し出されるとカイルは釘付けになり、シヴァはソファにもたれると苦笑する。
この映画は単調だから果たしてどうだろうか?
そう思いシヴァは腕組をして映画を見る。
昔の映画だ。単調で面白くないと当時批判されていたがシヴァは映像の美しさに惹かれていた。今こうして見ると確かにやはり面白くはない。
映画が終わりカタンと映像が途切れた。
『シヴァ…。』
カイルの声にシヴァは横を向く。
『すまない、面白くなかっただろうか?』
『いいえ、あの…とても綺麗でした。なんていうか…色が。』
カイルは俯くと嬉しそうに笑う。
『色が綺麗で…私は好きです。』
『そうか。でも今日はこれくらいにしよう…映画はずっと座ったままだから疲れてしまう。』
『そうですね。また見られますか?』
『ああ、時々こうして見よう。』
部屋を片付け終わるともう夜が深くなっていた。
小さくあくびをするカイルに声をかけて眠るように促すと、彼女は小さく返事をしてバスルームへと向かった。
カイルが寝た後シヴァはバスルームを使い、自室に入る。
大きなベットに倒れこむと今日の疲れのせいかすぐに夢の中へと迷い込んだ。
森の中だ。シヴァは自分の服装を確認してふと髪を上げた。
ああ、撮影だ。少し遠くから自分に向けてカメラのシャッターを切る音が聞こえる。
服を少し動かしたりしながら歩いていく。
『OK!』
カメラマンの声が聞こえてスタッフが駆け寄ってきた。
『お疲れ様です。今日はこれで終了です。』
シヴァはスタッフと共に森から出るとバスの中で服を着替える。
傍にいたスタッフは服を片付けると顔をあげた。
『あ、そうそう。シヴァさん、シモンさんが後でお話があるそうですよ。』
『ああ、はい。』
シモンとはカメラマンだ。言葉の通りシモンがやってくると彼は椅子に座った。
『なあ、シヴァ。私と契約しないか?君はいいモデルだ。』
『ハハ。そうですねえ…。』
この頃はもう専属契約などしておらず声をかけられたら仕事を請けていた。
『どのエージェンシーも君に声をかけるだろうが。』
確かに…大手から駆け出しまでシヴァの元に名刺があった。
『そう…ですね。』
『ふっ、まだ考えてるのか?シヴァ…次の冬のタイトルに君を使いたいんだ。』
『ああ…タイトルってシモンさんの雑誌の?』
『そうだ。冬のタイトルは特にいい。構想してるものがあるんだが相当良くて…。』
シモンはぺらぺらと自分が考えていることを話し出した。
シヴァはいつもこうした時にボウッとしてしまう。
『というわけだ。さすがに撮影は屋内になるが。』
『はあ…。』
『聞いてたか?…まあいい、本当に気が変わったら言ってくれ。待ってるから。』
『はい。』
バスを降りてスタッフたちに挨拶をすると、駐車場の車に乗り込む。
ふうと息をついて煙草を銜えると火をつけた。
そうだ、この頃は何をしてもあまり楽しくなくて、何かを見つけたくて色んなものを見ていた。
車を出すといつもどおりゆっくりとスピードを出していく。高速を抜けて私道に入り大きな屋敷の傍に車を止めた。
以前撮影で知り合った友人の家だ。薔薇のアーチが美しい庭で玄関はいつも開かれている。
『こんにちは。』
シヴァは玄関ポーチにいる老人に声をかけると彼はくしゃっと笑った。
『やあ、シヴァ。来てくれたんだね?』
『ええ…遅れましたか?』
老人は腕時計に視線を落として首を横に振る。
『いいや、三分ほどだ。』
彼は杖をつくとシヴァを連れて家の中へと案内した。
屋内は美しく磨かれ、天窓から光が入るためキラキラ光っている。
食堂へ案内されると席についた。すぐに人数分のお茶とケーキが用意されメイドたちが傍についた。
シヴァはお茶を口にして笑う。
『相変わらずですね、ここは。』
『ハハ、確かにな。けれど時間は進んでいくものだよ。』
『そうですね。』
老人は少し筋張った手でメイドを呼ぶと何か言付けた。すぐにメイドは用を済ませて老人に何か手渡した。
彼の手の中には古い機材用のバックが置かれている。
『ふう、重いな。』
ドンとテーブルに置いてシヴァのほうへ押し出した。
『何です?』
『開けてごらん?』
シヴァは止め具を外して箱を開けた。中には古いカメラと機材が入っている。
『これは…あなたの仕事道具じゃないですか。』
『ああ、でももう体がうまく動かない。』
老人はシヴァの手に触れると頷いた。
『君と会った時、私は君を撮るのに必死だった。君はいつも飄々としていて捕まえたかと思えば逃げてしまう。まるで鳥のようだよ。』
『そうでしたか?』
『ああ、私は若く…君に恋をするように捕まえてはシャッターを押し続けた。今も君は何も変わらない…同じように進むのに速度が違うんだ。』
シヴァは黙ったまま苦笑する。
『これを貰ってくれるか?私との想い出に。』
老人の言葉に何も言えずただ頷いた。
『よかった…シヴァ、君に出会えてよかった。きっと君には短い時間だろうが私には永遠だった。』
『ええ。』
老人はふうと息を吐く。
『いつになるか分からないがまた君と会うときには君が撮った写真を見せてくれるかい?』
『フフ、ヴァンパイアは不死ですよ。いつになるやら。』
『いいさ…待っている。君は私にとっていつまでも手の届かぬ花だから。』
老人は一年ほどしてこの世を去った。シヴァの元に黒い封筒が届いたのはそれから少し経ってから。
別れはいつもやってくる。シヴァにとって人生の中でふとした時に訪れる。
親しければ親しいほど悲しみも深い。何度見送っても慣れることなどない。
同じ時間を共有してくれる人、けれど彼らは歩くスピードが違いすぎる。
シヴァは誰かと恋をするたびに願わずにはいられなかった。
同じ速度で一緒に歩いてくれる人がいることを…。
車に戻り乗り込むとシヴァは電話をかけた。
『シヴァ?どうしたんだ?契約してくれる気になったのか?』
電話口のシモンは軽口だ。
『いや…これでモデルは辞めようと思います。』
シヴァは言葉少なにそう言うとシモンは苦笑した。
『やっぱりな。そうなる気がした。』
『すいません。』
『まあ、いいさ。いつかまた一緒に仕事が出来たらいいな。』
シモンは必要以上に聞かず電話を切る。
ふうと息を吐きシートにもたれるとエンジンをかけた。
煙草を銜えて火をつけ車を走らせる。
ふとバックミラーで後部座席にあるものを見る。老人からもらった機材用バックだ。
これからのことはまだ決まっていなかったが、一から始めるのも悪くはない。
『はっ。』と珍しく夢が途切れてシヴァは目を覚ました。
体を起こし髪をくしゃりと潰すと広いベットに視線を落とす。
ベットの端にカイルが眠りこけている。部屋のドアが開いたままだから間違えて入ってきたのかも知れない。
シヴァはベットから降りるとカイルの傍に立ち彼女を抱き上げベットに入れる。
小さな猫のように丸くなるとまた寝息を立て始めた。
シヴァはその隣に座り彼女の髪を触る。
あの日、願ったことの一つがこうして叶っている。
彼女は同じ速度で一緒に歩いてくれる人だ。
同じ思いで…。
けれどあの日約束したことはまだ果たせそうにはない。
もしかしたら永遠に来ないのかも知れない。
シヴァは彼が言っていたことを思い出す。
『君は私にとっていつまでも手の届かぬ花だから。』
届かぬ花か…。
シヴァにとっても今まで一緒に過ごし見送ってきた彼らは、いつまでも手の届かぬ花なのだ。
シヴァは目を閉じると古い友人たちに思いを馳せた。