次は、「邪悪な魔法への対処術」の授業に行く。
正直こちらもあまり受けたくないが、仕方ない。
自由に受ける授業を選べるとはいえ、まったく受けないわけにはいかない。
今回の授業は、ライドと共に受ける。
席はもちろん、すぐ近くだ。
少しだけ距離を置くのは、毎度毎度隣で授業を受けていると、変な勘違いをされるかもしれないからだ。
教室の生徒の中には、ジオルたちの姿はなかった。
しかし、私がこの授業が嫌な理由はそこではない。
始業のベルが鳴ると共に、教壇の上に先生が現れる。
それは、文字通り「虚空から」現れるのだ。
「・・・」
紫の瞳に長い髪。紫のレオタード風の服に黒い眼鏡。腰には黒いベルトを巻き、腕も足も露出している。そして、視線を引かずにはいられないほど豊かな胸──
彼女の存在感は、ただ立っているだけで圧倒的だった。
おおよそ子供の前に現れていいものではないとも言える、妖艶な見た目の先生。
これが、「邪悪な魔法への対処術」の担当、メジェラ・ロイゼン先生だ。
始業のベルと同時に教室に現れ、終業のベルと同時に教室から消えるという、時間に厳格な先生。
そしてそれは、自他共に同様だ。
この先生はいつも無言で教室に現れる。
しかし多くの生徒、特に男子はその姿をすぐさま目に映すため、気づかないということはない。
でも、正直この先生は苦手だ。
好きになれそうにない。
「・・・では、授業を始める。教科書の24ページだ」
この先生は・・・何というか、高圧的だ。
いつも、こちらを低く見ているような感じがする。
少なくとも、他の先生とはだいぶ違う。
その振る舞いも、性格も。
「今日は、『狂信の魔法』とそれを破る魔法について教える。『操作の魔法』の一種であり、邪悪な魔法使いはしばしば使うものだ」
『操作の魔法』とは、簡単に言うと人を意のままに操る魔法。
言うまでもなく『邪悪な魔法』、この世界の悪しき者が使う魔法の一種だ。
相手を自然に誘導するものから、完全に意識を乗っ取るものまで、多様な形がある。
ちなみに、似たものに『魅了の魔法』というものがあるが、こちらは邪悪な魔法には分類されず、また基本的に異性にしか効果がない。
「『狂信の魔法』。それは、対象の理性と知性を失わせ、術者の思い通りに動く人形を作り出す魔法だ。ただし、意識を乗っ取るわけではない」
先生は、手に透明な水晶玉を生成した。
「この魔法を受けた者は、いわば意識をこのような・・・水晶玉の中に閉じ込められるのだ。
確かに存在はしている、だが手も足も外には出せない。そしてただひたすら、自らの体が意に反して動き、壊れてゆくのを見続けることになる」
実に恐ろしい魔法だ、と先生は続け、黒板の方を向いた。
と見せかけて、勢いよく振り向いた。
「エディラ・レディラ!」
先生の杖から黒い光が飛び、机に伏していた1人の女子に命中した。
すると、彼女は口をあんぐりと開けて大きく仰け反った後、ゆっくりと姿勢を正した。
「このように、例え相手の話を聞こうとしていない、同性の者であろうとも、従わせることができる。
それが、この魔法・・・エディラ・レディラ、狂信の魔法だ」
邪悪の魔法は、
そしてこの人・・・メジェラ・ロイゼン先生は、元々はその
「おっと、みんなを驚かせてしまったな。では、解除するとしよう」
先生は「アルスレン・ランフレル」と唱え、杖から白い光を放った。
するとたちまち魔法は解け、操られていた女の子ははっとしたような顔をした。
「・・・気分はどうだ?」
先生に見つめられ、彼女は震え上がって謝罪した。
でも、先生は謝罪を要求していたわけではない。
「私は謝罪しろとは言っていない。・・・まあ、いいだろう。狂信の魔法にかかった者の意識がどうなるか、これでよくわかっただろう」
女の子は、「は、はいぃ!」と震えながら言った。
この先生は、厳しいのだ・・・見た目の割に。
「では、次のページだ。今しがた私が唱えて見せたが、この魔法には対処法がある。
『理性の魔法』、アルスレン・ランフレル。心を鎮め、知性と理性を取り戻させる魔法だ」
教科書には、魔法の詠唱と浮かべるべきイメージ、そして実際に使った際の演出が描かれている。
これは、どの魔法にも共通していることだが。
「これは邪悪の魔法に属さず、精神に作用する魔法の中では強力な部類に入る。
上手く扱えば、酒や快楽に酔った者は元より、暴れる怪物でさえも鎮めることができる。最も、術者の実力次第だが」
先生は、では、実践練習と行こうか、と言った。
「相手は誰でもいい、2人で1つの組を作れ。そして、前に出てこい。
片方に私が『狂信の魔法』をかけるから、残った方が『理性の魔法』を使い、相手を正常に戻すのだ。
心配ない、君たちが怪我をすることはない」
そうは言われても、という感じだ。
明らかに、危ない授業ではないだろうか。
まあ、この先生はいつもこうだけど。
私は、ペアをライドと組んだ。
そして、先生に呼ばれるのを待った。
最初に呼ばれたのは、青い短髪の女の子と緑の短髪の男の子のペア。
女の子の方は、何度か話す機会があったから知っている。ジリアナ・マーフィアス、氷魔法を得意とする子だ。
氷属性と水属性の子は、シンボルカラーが「青」のアズールの組に多くいるが、彼女はジョーヌ。カラーは「黄色」の組だ。
一緒に組んでいる男子は、制服に青いラインが入っていたから、アズールの所属か。
教壇の前に並んだ2人に向かって、先生は「エディラ・レディラ!」と叫んだ。
杖からほとばしった光は、男子の方に飛んだ。
彼は、目を見開いて立ち尽くした。
ジリアナは術式を展開し、『理性の魔法』を使うべく一生懸命に杖を振り、「アルスレン・ランフレル!」と叫んだ。
何度か試して、5回目くらいでやっとジリアナは魔法を放つことができた。
彼が正気に戻ったのを見て、彼女は胸を撫で下ろした。
「まだ終わってはいないぞ。次は、君が受ける番だ」
そうして、先生は次はジリアナに魔法をかけた。
立場が逆転した男子は、若干困惑しつつも、さっきの彼女と同じように魔法を唱えた。
こちらは、2回目で上手くいった。
「よくやった。2人とも合格だ」
先生は、次のペアを呼んだ。
ところでふと気になったのだが、ジリアナの杖は、手に収まる20センチくらいの大きさのもので、「バトン」と呼ばれるタイプだ。
ゼスメリアでは、使う杖は基本的に自由だけど、あのような「バトン」 と呼ばれる短い杖を使っている人が生徒にも先生にも多い。
かくいう私の友人たち、シルフィン、ライド、マシェルもこのタイプの杖を使っている。
ちなみに私が使っている「ロームの魔杖」は、白塗りの傘くらいの長さがある杖で、「スタッフ」と呼ばれる部類に入る杖だ。
このような杖を使う魔法使いは割と珍しいそうだ・・・学校でも、外でも。
ルージュの組で、私の他にスタッフを使っているのは3人ほど。あいにく、誰ともまともに話したことがない。
先生は先にライドに魔法をかけた。
私は杖の先を彼に向け、術式を展開する。
「アルスレン・ランフレル!」
光が走り──成功。
一発で上手くいった。
先生は特に驚いた様子もない。これまでの授業でも、私は一発で魔法を成功させることが多かったからだろう。
「では、次は逆転しよう」
そうして、次は立場が逆になった。
魔法を受けた瞬間、意識が体から切り離され、隔離される感じがした・・・外ではなく中にある、広く何も無い空間に。
目に映っている景色は見え、意識も明確にある。でも、体はまるで透明な「何か」に閉じ込められたように動かなかった。
先生が言っていた、「水晶玉の中に閉じ込められる」というのは、言い得て妙だと思った。
やがて意識が戻り、体が動かせるようになった。
どうやら、ライドは4回目にして成功したらしい。
先生は、これまでのペアの時と同じく、暗く沈んだ目で私たちを見て「合格だ」と言ってきた。
「この時間の授業は、ここまでだ」
時計が11時を指す直前に、先生は授業を切り上げ、終わりのチャイムと共に消える。
これもいつものことだ。
そして、帰り際にライドがぼやくのもいつものことである。
「はあ・・・やっと終わった。
メジェラ先生、なんか苦手なんだよなあ・・・」
「私も。なんかあんまり好きじゃないんだよね、正直」
メジェラ先生は厳しいけど、悪い先生ではない。
でも、あの高圧的な態度はどうもいけ好かない。
なんだか、常に見下されているような・・・そんな感じがする。
「まあ、もともとダークマースだったしな。仕方ないとは思うけど……やっぱり苦手だよ」
ここで私はライドに、静かに・・・とジェスチャーで指示した。
というのも、こちらを見つめるヴィオレの生徒がいたのだ。
ヴィオレは、他ならぬメジェラ先生が担任を務める組。
当然、先生の陰口を叩いている者がヴィオレの生徒に見つかれば、密告されるだろう。
別に怖いわけではない。
くだらないことはしたくないだけだ。
学校生活において、いじめっ子の相手をすることと、先生との喧嘩ほど意味のないことはない。
もちろん、気に入らない奴にわざわざ絡んだりする必要もない。
どこかの誰かさんたちにも、それをわかってもらいたいものだ。