教室に入ると、すでに半分ほどの席が埋まっていた。
奥では、先生が待機している。
赤い長髪を三つ編みにし、赤い瞳を持つ若い女性。
昨日のオリエンテーションで名前を聞いた、エスリン・アシュフォード先生だ。
「おはよう。席につきなさい」
先生の声に、私たちは慌てて返事をし、適当な席へと座った。
その瞬間、先生は唐突に髪を払い上げ、そのまま燃え上がらせた。
数人の生徒が驚きの声を上げる。だが、私はさほど驚かなかった。
見慣れた光景だったから。
母も、お風呂上がりによく同じことをしていた。
彼女いわく、「高位の炎の魔法使いは、よく自分の髪を燃やして乾かす」らしい。
この技術は自己にしか使えない特別な魔法だとか。
つまり、この先生は高位の炎の魔法使い——いや、名門校の教師なのだから、当然か。
「前の時間でも話したけど、生まれながらにして炎魔法への適性を持つ君たち。
その才能を尊重し、最大限に活かす。
それがこの授業の目的であり、私の務め。まずは、それを理解してくれる?」
私を含め、全員が元気よく返事をした。
「ありがとう。……そうそう、言ってなかったけど、私も昔は君たちと同じ、この学校の生徒だったのよ」
先生は微笑みながら続ける。
「だからってわけじゃないけど、なるべく楽しい授業にしようと思ってる。よろしくね」
そんなことを言われなくても、楽しみだ。
少なくとも前世の退屈な授業よりは、はるかに——。
「それじゃあ、始めましょう。まずは教科書の5ページを開いて」
授業はテンポよく進んだ。
今回のテーマは、術式について。
簡易術式と正式術式の2種類があることは、シルフィンとの会話でも話題にしていた。
今日の授業では、そのうち簡易術式を実際に展開し、魔法を放ってみることになった。
先生の説明によると、簡易術式は「形を覚えて展開をイメージすれば、誰でも発動できる」らしい。
教科書には、その術式の絵が描かれていた。
ルーン文字がぎっしりと並んだ複雑な図形。
・・・これ、覚えられるのかな。
と、一瞬不安になったが——。
「実はね、単純に“円形の魔法陣”ってイメージすれば大丈夫よ」
先生の言葉に従い、試しに手を差し出しながら円形の魔法陣を思い浮かべた。
すると——本当に展開できた。
魔力の消費は、ほんの少しだけ。
基本魔法を二回使うのと、ほぼ変わらない。
「術式は、魔法の消費を抑え、詠唱時のイメージを補助するもの。
つまり、魔法を使う上での必須スキルといってもいいわね」
なるほど、これは確かに便利だ。
シルフィンの言っていた通り、実質基本魔法と同じ感覚で扱える。
ちなみに正式術式は、1年生では習わないらしい。
使用頻度が低く、難易度も高いため、まずは簡易術式をしっかり学ぶ必要があるとのこと。
これから「術式」と言えば、基本的に簡易術式のことを指すのだろう。
少なくとも、1年生の間は——。
授業が終わった後、先生に呼び止められた。
「アリア・ベルナード、ね?」
先生の声は穏やかだったが、その表情は笑っていなかった。
なぜか少し緊張する。
「はい・・・あの、何か?」
「いや、大したことじゃないわ。ただ——あなたのお母さんのことでね」
母さんのこと?
「実は私、あなたの母、セリエナ・ベルナードの同級生だったの」
まさかの事実に驚いた。
「特別親しいわけではなかったけど、彼女の魔法の才は当時から際立っていたわ。
・・・そして、今や“灼炎の女皇”と呼ばれるほどの存在になった」
先生の目が、どこか懐かしそうに細められる。
「今では手紙をやり取りする仲になったのよ。
・・・だから、あなたがこの学校に来るかもしれないって聞いて、ずっと楽しみにしてた」
そう言いながら、先生はそっと私の頬に手を添えた。
「あなたの顔・・・セリエナにそっくりね。
まるで20年前の彼女が、そのままここにいるみたい」
ふふ、と先生が微笑む。
——それは、先生自身のことを言っているのか。
それとも、私のことを言っているのか。
次の授業に向かおうとした時、廊下で突然、声をかけられた。
「おい、おまえ!」
振り向くと、紫の短髪の少年が立っていた。
顔だけなら、文句なしのイケメン。
・・・だが、次の言葉で全てが台無しになった。
「おまえ、アリア・ベルナードだな」
その言い方、そして険のある表情。
ああ、面倒なやつだ。
「母様の言った通りだ。実にうざったい顔をしている」
「・・・何よ、その態度。てか、あんた誰?」
「僕はジオル・アルバートだ」
ジオルは、冷たい視線を向けながら続けた。
「母様から聞いているぞ。
おまえの母は、才もないくせに八方美人を気取って、見た目だけで大魔女に成り上がったクズ女だとね」
・・・なるほど、母のことが気に入らないわけね。
「クズってのは、どっちのこと?」
「・・・なんだと?」
「先に悪口を言ってきたのはそっちでしょ?」
ジオルの表情が険しくなる。
「こいつ・・・まあいいさ。これで母様の言う通り、おまえもクズだと証明されたわけだ」
「へえ。それ、鏡の前で言ってみたら?」
「……なっ!」
ジオルが手を上げようとしたので、私は教科書でガード。
分厚い表紙に拳が当たり、ジオルは苦痛に顔を歪めた。
「・・・きれいな顔して、女の子に手を上げるんだ? 残念な人ね」
「・・・ちっ、覚えてろよ!」
吐き捨てるように言い残し、ジオルは去っていった。
——初日から、不穏な空気が漂ってきた。