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111.償いの心

 親という存在は好き嫌いにかかわらず切っても切れない関係だ。

 俺を捨てた母親。俺のせいで不幸になった母親。最低だったのは俺の方だった。きっと二度と会うべきではないのだろう。

 それでも親子の縁までは切れない。俺が母を忘れられないように、彼女もまた俺の存在をなかったことにはできないのだ。


「……まるで呪いだな」


 そんなの、恨まずにはいられないだろう。恨んでいなけりゃやっていられない。

 加害者の俺でさえそう思うのだ。母さんがこれまでどんな気持ちで生きてきたのか。それを想像するだけで胸に痛みを覚える。


「寝取りはせずに済んだが……今の俺を見たら軽蔑するだろうな」


 原作知識のおかげで、無理やり女を襲うようなことはしなかった。けれど、息子が多数の女性をたぶらかしたと知れば、母さんが嫌な気持ちになるであろうことは容易に想像できた。

 昔の失敗。それに現在の状況……。俺に親のことを言える資格なんてなかった。


「こんなナリでマザコンって……笑えねえよなぁ」


 母親がひどい目に遭ったのだから、他の女も同じ思いをすればいい。それかヒーローに相応しくない自分を悪に染めるため、あの時の男みたいになろうとしていたのか……。どちらにせよ、捻じ曲がった成長をした郷田晃生がこれだ。まさにトチ狂ってやがる。


「こんな俺と一緒にいたんじゃああいつらも不幸になっちまう……」


 俺を好きでいてくれる女たち。あいつらがあの時の母さんのような目に遭ってしまったら? そう考えただけで心が滅茶苦茶になってしまいそうになる。

 絶対に否定できる未来ではない。郷田晃生を憎む輩は多いだろう。そんな奴の女に手を出そうとするバカがいてもおかしくはない。

 母さんの悲鳴が頭の中で何度も響く。ただ震えているばかりだった幼い自分を思い出して、自己嫌悪でどうにかなりそうだった。

 こんな苦しい思いをするのなら愛情なんてなければ良かったのに……。


「俺は……」


 目を覚ます。いつの間にか眠っていたようだ。

 だいぶ時間が経っていたのだろう。すでに外は真っ暗になっていた。


「あいつらは……」


 俺以外に誰もいない自室。遅い時間だから全員家に帰ったのだろう。


「エリカは?」


 現在エリカの帰る場所はここだけだ。俺があまりにも不甲斐ない姿を見せるもんだから別のところへ行ってしまったのかもしれない。


「……何寂しがってんだか」


 あいつらとは距離を置いた方がいいのかもしれない。頭ではそう思いながらも、誰かの温もりを感じないと落ち着かない。

 俺って奴は根っからの竿役だ。これは心の問題じゃなく、身体の問題なのだ。寂しいのは、女の身体に触れられないからに決まっている。

 ……そのはずなのに、なぜ下半身に熱が集まらないのだろうか?


「くそっ、情けねえ……」


 悪態をつくが迫力がない。竿役とは思えないほどの元気のなさだった。

 俺は悪役で自由気ままに女を食う。そんな男が元気をなくすだけでこれほどまでに弱々しくなるとは……。

 落ち込みかけた俺の耳に、玄関のドアがノックされる音が届いた。


「誰だ?」


 エリカが帰ってきたか? いや、あいつなら合鍵を使って入ってくるはずだ。

 なら日葵か、それとも羽彩や梨乃か? いいや、あいつらにも合鍵は渡してある。

 ノックして俺の様子をうかがっているだけか? 明らかに元気がなかったからな。気を遣わせてしまったのかもしれない。

 待っていても入ってくる様子はない。俺は立ち上がって玄関へと向かった。

 だがどんな顔をすればいいんだ? 気持ちの整理がつかなくて、エリカたちにどう接していいか定まらない。

 それでも会いたかった。相変わらず元気がないけど、そんな姿を見せたらがっかりさせてしまうだろうけれど、それでもあいつらの誰でもいいから会って温もりを感じたかった。


「待たせた……な?」

「こ、こんばんは。郷田、くん……」


 玄関を開けた先にいたのはエリカでも日葵でも、羽彩や梨乃でもなかった。

 なぜか純白のワンピースに麦わら帽子を被った音無先輩が立っていた。太陽が沈んでいるこの時間に麦わら帽子を被る意味とは?


「……」


 意外な人物の来訪にしばらく固まってしまう。あと服装が変わったのはなんでだ? 親父の会社に行った時は違っていたよな?


「あの、入ってもいいかな?」

「あ、ああ」


 音無先輩は軽く会釈をして部屋へと入る。まるでお嬢様みたいだ……いや、一応お嬢様なんだっけか。

 一人暮らしの男の部屋に清楚なワンピースに身を包んだ女子がいる。夏の青空とひまわりがあればよく似合いそうではあるが、こんな暗くて狭い部屋にいると浮いていた。むしろちょっとホラーっぽいぞ。


「今日はすみませんでした。せっかく親父との予定を組んでくれたってのに台無しにして……」

「だ、大丈夫だ。問題はないよ。郷田会長も気にしていないようだったからね」

「それならまあ、良かったです」

「う、うん……」

「……」

「……」


 か、会話が続かねえ!

 親父が怒っていないならどうして音無先輩はここに来たんだ? 俺が勝手に帰ったもんだからそれを咎めるために来たんじゃないのか?


「郷田くんは……思い出したんだね」

「何をっすか?」

「昔、私を助けてくれた日のこと」

「あ……」


 音無先輩を助けた。それが始まりだった。

 俺が余計なことをしたせいで母さんが……。あの時の光景がフラッシュバックする。

 ぐわんと立ち眩みのように足元が揺れた。倒れそうになる俺を音無先輩が抱き締める。俺にぶつかったせいで麦わら帽子がゆっくりと床に落ちた。


「すみません。寝起きだったもんでちょっとフラついただけっすよ」


 そう言って身体を離そうとしたが、彼女の腕の力は弱くなるどころか強くなった。


「ちょっ、音無先輩?」

「私のせいで郷田くんを不幸にさせてしまった……。すまない。どんなことをしたって許されないだろうけれど、償いたいと思っているんだ」


 音無先輩が顔を上げる。いつも余裕そうにしていた表情がくしゃくしゃに歪んでいた。


「私のすべてで償いたい……。この心も身体も、全部君に捧げる。だから……傷ついた心を私を使って埋めてくれ」


 今にも涙を零しそうな彼女を、俺は冷めた目で見下ろしていた。


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