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108.それはまるで敗北者のようで

「うぇ……っ」


 鮮明に蘇った幼い頃の記憶。郷田晃生のあんまりな過去に、気持ち悪くて吐きそうになった。


「どうしたの晃生くん!? 顔が真っ青よ……」


 日葵に身体を支えられる。それで立っているのがやっとだった。


「俺は……お、俺は……っ」


 音無先輩との婚約を破棄するだとか、親父とどう話をしようだとか、ここに来るまでに考えていたことのすべてがどうでもよくなった。

 なぜ郷田晃生が「余計なことをするな」と言っていたのかようやくわかった。記憶を封印したのはあいつ自身で、思い出せないまでも、こうなることを予測していたのかもしれない。

 決定的な記憶が欠けていたせいで、ずっと両親が最低なのだと思い込んでいた。とくに残っていた母親の記憶は子供にするような態度じゃなかったから、自分勝手に子供を疎むなんてひどい大人だと思ってしまっていた。


「本当にひどいのは……」


 口から勝手に出ようとした言葉を飲み込む。今のは俺じゃない。意識の奥底で眠っている郷田晃生もショックを受けているようだ。

 ……いや、違う。郷田晃生は笑っていた。狂っているかのように笑い転げていた。

 何がそんなにおかしいんだ? 自分の母親が被害に遭っていた。そのことを思い出したってのに、なんで笑っていられるんだ?

 しかも、その原因は自分──


「晃生くんっ!」

「ぶっ!? ひ、日葵?」


 頬に走った衝撃で日葵にぶたれたのだと遅れて気づく。

 痛みで現実に引き戻された。日葵が俺を正気に戻すために心を鬼にしてぶったのだと思い至る。


「あ、ありがとう日葵。もう大丈──ぶほっ!?」

「晃生くんっ! 気をしっかり持って!」

「ぶはっ!? ぶへっ! ぼほぉっ!!」


 日葵の往復ビンタが止まらない。右へ左へと顔が弾かれる。

 って、力が強くね!? この太い首でもダメージを感じているんですけど!


「オイ日葵っ。もういいつってんだろうが!」


 日葵の手首を掴んでビンタを止めさせる。俺の目を見たからか、彼女はほっと息をついた。


「晃生くん……。顔色が良くなったようで安心したわ」

「おかげ様でな」


 そりゃああれだけ引っ叩かれたら頬が真っ赤になるだろうよ。これが顔色が良いと判断するのは意見が分かれそうだけどな。

 ……まあそんな心配そうな顔を見せられたら、彼女の気遣いを無下にできるわけもないか。


「……」

「はっ! お、お父様っ。これは……誤解なんです!」


 親父の視線に気づいた日葵は弁明を試みる。彼女の焦りをわかってか、親父は首を振った。


「あー、大丈夫大丈夫。僕のことは気にせず続けていいよ」

「続けさせんなよっ」


 親父の視線がこっちに向く。しまった、思わずツッコんでしまった。

 親父はろくでなしの父親だ。今まで顔も見せず、親らしいことなんか何一つしてこなかった。そのくせ婚約者を勝手に決めたりして……。身勝手で最低の親父だと決めつけていた。

 きっとそうなのだろう。そうなのかもしれないけど……、それに文句を言えるほど、俺に非がないとも言い切れなかった。

 俺は郷田晃生だ。やっぱり本物とは言えないのかもしれないけれど、段々と意識が同化していて、ただの別人というわけでもなくなっている。他人の身体に乗り移ったというよりも、元から自分の身体だったんじゃないかってくらい馴染んでいる。

 だから責任も俺のものだ。転生してからだけじゃない。それより以前からのことだって目を背けられない。


「そうか。それなら婚約破棄の話の続きでもするかい? 僕としては息子の意見を一番に尊重しようとは思っているよ」


 親父の発言に、音無先輩はピクリと肩を震わせる。その表情は記憶の中の幼女にそっくりで、嫌でも過去の記憶を刺激する。


「いや……」


 言葉が詰まる。突然の記憶の奔流で、わけがわからなくなっていた。

 俺はここで何をすればいいんだ? やるべき行動どころか、怒ればいいのか泣けばいいのか、その感情さえ定まらない。


「お、俺は……」

「はい! お父様いいですか?」


 言葉とも言えない俺の呟きをかき消すかのような声。見れば日葵が腕を真っ直ぐ伸ばして挙手をしていた。


「えっと、日葵さんだったよね。何かな?」

「晃生くんの気分が優れないようなので、今日は帰らせてもらってもいいですか?」


 そんな授業中に保健室に連れて行くみたいなノリで言われても……。ツッコみたかったが喉が上手く動いてくれない。


「そうか、それなら仕方がないね。今日は顔を見られただけで満足しておこう」


 仕方がないで済ませるのかよ!? 企業グループの会長としてそんな対応でいいのか?


「ありがとうございます! このお詫びはまた改めてさせてください。ほら、行くわよ晃生くん」

「あ、ああ……」


 日葵に腕を引っ張られる。

 腕を引かれて脚を動かしていると気づく。身体に力が全然入っていない。日葵の支えがなければ今にも崩れ落ちてしまいそうだった。

 話をするどころじゃないんだな。どこか他人事のように自分の状態を理解する。


「またいつでも連絡するといい。僕はいつでも待っているからね」


 別れ際、親父は人の好さそうな笑みをしていた。俺がどういう息子なのかわかっているのかいないのか。そのどちらだったとしても、息子に向ける笑い方としては違っているように感じた。


「郷田くん……」


 音無先輩は呆然としながら俺たちを見送った。婚約破棄を宣言した相手とは一緒にいられないのだろう。ちゃんと説明しなかったことだけは申し訳ないと思う。

 親父のことも、音無先輩のことも、気にはなったがそれだけだった。


「しっかりして晃生くんっ。お、重いわよ~……」


 今は自分のことで精いっぱいで、周りのことなんかに気が回らなかった。日葵に支えられて、秘書の案内に従っている。その事実のみが頭に入っていくだけだった。


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