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105.父親に会いに行く竿役

 父親と対面する、その約束の日。


「し、白鳥さん……。それは、さすがにくっつきすぎではないかな?」

「えー? これが私と晃生くんのいつもの距離感なんですよ。お父様とお会いするんですから、私たちがどれだけラブラブなのかしっかり伝えないと」


 俺の腕に抱き着いている日葵と、その前に立ちはだかる音無先輩が睨み合っていた。

 睨み合っているとはいえ、二人は笑顔だ。傍から見れば、にこやかにおしゃべりしているようにしか見えないだろう。

 だが、至近距離にいる俺だからこそ見える。日葵と音無先輩の間には火花が散っていた。それはもうバチバチと。誤って二人の視線の間に入ってしまえば、火傷では済まないだろうと確信するくらいには激しい。


「……くっ、目の前で見せつけられるとこれほど胸が痛むなんてっ。わかってはいたけど……わかってはいたんだけども!」


 音無先輩は胸を押さえて、よろよろと後ずさる。だがそれも一瞬のこと。すぐに笑顔を取り戻す。


「ま、まあいいだろう。郷田会長の前でもその態度でいられるとは思えないしね。後のことは私に任せたまえ」

「ご心配なく。今回は晃生くんとの関係を認めてもらうために彼のお父様にごあいさつしに来ましたから。音無先輩のお手を煩わせないようにしますよ」

「……君はもっと物わかりの良い人だと思っていたよ」

「私は生徒会長のこと、もっと器が大きい人かと思っていました」


 うふふ、あはは。表面上は華やかな二人なのに、その間に流れる雰囲気はピリついていた。心なしか息苦しく感じる。

 美少女の笑い声に恐怖を覚える日が来るとは思いもしなかったな。エロ漫画世界にあるまじきギスギスした空気である。


「そろそろ時間だ。行こうぜ」


 そんな日葵と音無先輩の雰囲気をぶった切る。

 俺は歩き始める。二人も慌ててついて来た。女子のギスギスなんて、悪役男には関係ないって顔をしておいた。



  ◇ ◇ ◇



「お待ちしておりました晃生様。どうぞこちらへ」


 待ち合わせ場所は会社のビルの中。受付で名乗ると、すぐにパリッとしたスーツの似合う美女が現れた。

 どうやら会長秘書のようだ。秘書という単語だけで美人度が上がっているように感じる不思議。

 秘書に促されるままエレベーターに乗った。最上階に到着するまで密閉された女の匂いを堪能する。


「やはり緊張しているのかい?」


 目をつぶって嗅覚に集中していた俺を、緊張しているようにでも見えたのだろう。音無先輩が俺に寄り添うようにしながら小声で話しかけてきた。


「いや別に。いつも通りっすよ」


 匂いを堪能していたと正直に答えることはできないが、だからと言って親に会うくらいで緊張しているなんて嘘もつきたくはない。

 ぶっきらぼうな返事になってしまったのに、音無先輩は優しい笑みを向けてくれた。


「大丈夫さ。安心してほしい。何があっても私が君を守るよ」


 え、何この人カッコいい……。

 頼り甲斐のある先輩に危うくときめいてしまうところだった。危ない危ない。これから気を引き締めないといけないってのに緩んでる場合じゃねえよな。


「お?」


 音無先輩とは反対方向に引っ張られる。俺の腕にくっついていた日葵が思いっきり力を入れたのだ。


「甘い言葉で誘惑されちゃダメよ。晃生くんを思い通りにするつもりに決まっているんだから」

「ははっ……。白鳥さんには本当に嫌われてしまっているんだね」


 警戒心を露わにする日葵に、音無先輩は苦笑いしていた。うちの日葵がどうもすいません。


「着きました。どうぞこちらへ」


 エレベーターがチンと音を立てて停止する。ドアが開くと急にドキドキしてきた。

 秘書に案内されるがままついて行く。美女の後ろ姿を楽しむ余裕はなかった。

 そうして案内された部屋にいたのは、一人の男だった。


「大きくなったな晃生。会いに来てくれて嬉しいぞ」


 俺と同じくらいの体格。けれど悪役顔とは対照的な柔和な笑みを浮かべていた。


「お、おう……」


 男の顔に刻まれたしわから中年だとわかる。だが、あまりにも優しい顔をするものだから、本当に郷田晃生の父親なのかと疑わずにはいられなかった。

 金持ちグループの会長はどんな悪役面をしているのかと思ってみれば……。偏見かもしれないが、悪役男の父親ともなればそう考えても仕方がないだろう。

 それにしても、想像していた人物とは全然違っていたな。何と言うか普通の人? とてもお偉いさんだとは思えなかった。


「は、初めましてっ。私は晃生くんとお付き合いさせていただいています白鳥日葵です。よ、よろしくお願いしますっ!」


 日葵はぱっと俺から離れると、父親にあいさつをした。この状況に、さすがの日葵も緊張するか。


「うん。君が晃生の彼女さんなんだね。美人でしっかり者のようだ。こちらこそ、これからも晃生のことをよろしくね」

「はうあっ!」


 日葵が奇声を上げた。「お父様によろしくお願いされてしまったわ」と小声で喜んでいるのが聞こえてくる。


「夏樹くんも。いつも晃生のことを気にかけてくれてありがとう。感謝しているよ」

「いえ……。婚約者として当然のことですので」


 音無先輩は「婚約者」を強調した。それはわかっているのか父親は満足そうに頷く。

 俺に彼女がいるのを喜び、婚約者の存在も当たり前のように受け入れている。矛盾している反応に思えるが、ここはエロ漫画世界だ。こっちが慣れていかなきゃならない。


「それで晃生。こんなところまで来て、僕に何か用でもあったのか?」

「用が……」


 用がなければ会いに来ちゃいけねえのか? ……なんて、子供みたいな文句はぐっと飲み込む。


「今日は……」


 ここでふと疑問が浮かんだ。

 あれ、父親をどう呼べばいいんだ? と。

 父さん……。いや、親父か? 顔を覚えてないくらいだから、呼び方の記憶があるはずもなく。少し迷ってしまった。


「……今日は、親父に言いたいことがあってな」


 うん。たぶんこれでいいんだろう。親父も普通に受け入れているって顔をしているし。

 大丈夫だ。俺は普段通りにやれてい──


「っ」


 右手が日葵の両手に包まれる。知らず拳を握っていたことに気づかされた。

 彼女を見れば、俺を安心させるように笑いかけてくれる。すると力が抜けて、言いたいことを思い出せた。

 ふっと、小さく息をつく。


「俺と音無先輩の婚約を……破棄しに来た!」


 そして、俺は大仰にそう宣言したのであった。



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