黒羽さんちからの帰り道。ひまりんと別れて、アタシは一人でてくてくと歩いていた。
「黒羽さんって思ってたよりも面白かったなー。学校の時とはまた違ってるっていうかさ。アタシらの仲間になったんだし、呼び方変えた方がいいよね。うーん……りのちんとか?」
晃生がアタシの他に女を作っていることに対して何も思っていないわけじゃない。
でも、みんなと一緒にワイワイ過ごす時間は案外楽しかった。ひまりんもエリカさんも、今回のりのちんだって嫌いにはなれなくて……。だから良いかなって、そんな風に思っている自分がいた。
「ま、まあ晃生もちゃんとアタシを愛してくれるし? 今んとこ許してやらんでもないな! ……えへへ」
頼り甲斐のある身体のぬくもりを思い出して頬が緩む。晃生にぎゅってされるの、やっぱり好き。
愛されている……。晃生の気持ちを全身で感じているからこそ信じられる。こんなにも幸せになれるのなら、今の状況に文句なんてなかった。
「おっと、君はそんな幸せそうな顔で笑うんだね」
「っ!?」
突然の声にアタシは飛び上がるほどびっくりした。
晃生のことを考えていたからか、目の前に黒塗りの車が停まっているのに気づかなかった。つい最近似たような車を目にしていたから一気に警戒心が高くなる。
「すまない、急に話しかけたから驚かせてしまったね」
「って、生徒会長?」
黒塗りの車の後部座席に乗っていたのは生徒会長の音無先輩だった。窓から顔を出して人懐っこい表情を向けている。
「君は氷室羽彩さんだったよね。知っている顔だったからつい声をかけてしまったんだ。驚かせてしまったことを許してほしい」
「は、はあ……。別に怒ってないんで全然いいんですけど」
アタシっていつから生徒会長に気軽に話しかけられるようになったんだっけ? まともに話した覚えがないし、友達って呼べるほどの仲になったつもりもないんだけど……。
「ここで出会えたのは何かの縁だ。良ければこれから少し時間をもらえないかい?」
「え、アタシこれから家に帰るとこなんですけど……」
「もちろん家まで送るよ。それに、話題にしたいのは郷田晃生くんのことについてなんだけどなぁ」
なんで晃生のことで生徒会長と話すことがあるの? 不思議すぎてじーっと見つめてしまう。
「そんな訝しそうな目をしないでくれ。私はただ郷田くんの助けになりたいだけなんだ」
「晃生の助け? ちょっと言ってる意味がわからないんですけど」
「端的に言おう。私はこれから小山エリカさんを助けに行くところなんだ。それが郷田くんにとって今一番喜ばしいことなのだろう?」
「は……?」
なんで音無先輩がエリカさんのことを知ってんの? 生徒どころか学校の関係者でもないのに。
頭の中で「なんで?」が飛び回る。考えがまとまらないでいるアタシの目の前で、後部座席のドアが開く。音無先輩は人懐っこい表情のままだった。
「乗ってくれ。あまり時間がないんだ。説明は車の中でするよ」
◇ ◇ ◇
「西園寺タケル。郷田くんを含めた君たちは彼の弱味を握ったんだってね?」
車が走り出すと、音無先輩はいきなりそんなことを言った。
「な、なんでそれを知ってんですか? アタシら誰にも言ってないはずなのに……」
「それはね、私が生徒会長だからさ。生徒会長に知らないことはないんだよ」
「マジっすか!? 生徒会長すげー!!」
生徒会長ってくらいだから頭良さそうだもんね。ちょちょいのちょいで調べられる方法があるのかな?
「……ぷっ。くくっ、氷室さんは見かけによらず可愛いんだね」
「はい? どういう意味ですか」
よくわからないんだけど、なんだかバカにされている気がする。ムッとして音無先輩を睨みつけると、彼女は軽い調子で「ごめんね」と謝った。
「とにかくだ。そのことを彼の父親がよく思わなくてね。弱味となる証拠とやらを回収するために動いているんだ」
「動いているって……?」
「具体的に口にすることは憚られるけれど、簡単に言ってしまえば君たちは大ピンチってことさ」
「え、やばいじゃないですか」
大ピンチってことはかなりやばいってことだよね? あの西園寺って奴にはボディガードがいたし、力尽くで証拠動画を奪いに来るかもしれないってこと?
「それなら早く晃生に伝えないとっ」
「大丈夫さ。郷田くんは今自宅から離れているのだろう? 君と白鳥さんは名前や住所までは特定されていないから安心してくれ。とりあえず今すぐ危険があるわけじゃないよ」
「……なんで、そこまで知っているんですか。いくら生徒会長だからっておかしくないですか?」
音無先輩が怪しく笑う。なぜか背中がゾクッてした。
西園寺のあの性格を考えると、弱味を握られたとわめき立てそうなものだから、生徒会長の権力か何かで耳にすることもあるのかもしれない。それも学校とは関係ないし、かなり不思議ではあるんだけど……別にいい。
でも、晃生がりのちんの家に泊まったのは昨日からだ。それを知っているのはアタシらだけで、情報が漏れるわけがなかった。少なくとも、生徒会長が知るはずないんだ。
──エリカさんがやられていたみたいに、スマホにGPSでも仕込まれていない限りは。
「そう怯えないでくれ。大丈夫だと言っただろう?」
手を握られる。走行中の車からは逃げられそうになかった。
「一つだけ、聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「音無先輩は、一体なんなんですか? いくら生徒会長でも、アタシらの……晃生の行動を知っているなんておかしいですよ!」
音無先輩はクスッと笑う。彼女の笑顔は演技がかっているように見えた。
「そうだね。氷室さんがおかしいと思うのも無理はない。弁解の余地もない。でも、それが陰から守りたい人を助けるヒーローの宿命さ。批判を甘んじて受けよう」
「え、ヒーロー?」
子供っぽいことを言った音無先輩に、恥ずかしそうな感じは全然ない。堂々と、真っ直ぐな目でアタシを見つめる。
「そうとも。そして、氷室さんには私たちの協力者になってもらいたいと考えているんだ」
手を握られる力が強くなった。逃げることは許さない、そう言われているようで身体が強張る。
「郷田くんのピンチを救うために、まずは小山さんを助けたい。そのために協力してほしいんだよ」
「エリカさんを?」
「そうだ。今一番危険な状況なのが彼女だからね。一刻を争うんだ」
「だったら晃生に伝えなきゃ──」
「いいや、それには及ばないよ。郷田くんが関わる前に終わらせる。そのために、氷室さんに着替えてもらいたいんだ」
音無先輩はそう言うと、どこから取り出したのか一着の服を見せてきた。
「……メイド服?」
あれ、なんでメイド服?
そう見えるのはアタシの見間違いだろうか? 得意げな顔をしている生徒会長からは、冗談なのか本気なのか、その考えはわからなかった。