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72.西園寺タケルは勝利を疑わない

 僕、西園寺タケルは生まれながらの勝利者である。


「タケル。お前は将来この私の後継者として会社のトップに立つのだ。そのために一流の教育を受けさせてやっている。いいな、私の期待を裏切ることは許さんぞ」

「はい。お父様」


 約束された成功への道。父の言う通りにしているだけで、僕は自身の優秀さを実感できた。

 一流の教育を受ける日々を過ごし、同年代の連中との差が開いていった。周囲の無能さを理解すればするほど、自分がいかに恵まれているかを思い知る。


「タケルくんスゲー!」

「こんなこともできるんだぁ」

「タケルくん素敵……」


 大抵の奴は庶民だ。年収が二千万以下でどうやって生活するのか、僕には想像もつかなかった。

 庶民は僕を褒めそやす。無能な彼らには、それ以外の存在意義を感じなかった。

 進学校に通い、名門大学に進学した。その間にも庶民は紛れており、どいつもこいつも僕を失望させるばかりだった。

 自分の立場を弁えているのなら、寛大な僕は目をつぶっておいてやる。しかし、中には僕に対して無謀にも対抗心を燃やす輩がいた。


「西園寺は人をなんだと思っているんだ!」

「見下しているばかりだとろくなことにならねえぞ?」

「金ですべてを解決できると思うなよ。人がどう感じるかを想像しようともしないのなら、いつか足をすくわれるぞ」


 庶民……いや、下民の言葉はすべて負け犬の遠吠えだった。

 友人は選ばなければならない。僕は選ぶ側の人間だ。何を切り捨てるのか、覚えていかなければならなかった。

 そうして、有能な僕は大学を卒業して父の会社に就職した。

 一流の教養を身につけて、それに相応しい友人がいる。みんな将来の役に立つ人材ばかりだ。

 父は大企業の社長として、日本でも有数の権力を持っている。政治家ですら僕の父に頭を垂れていた。僕も将来は同じ立場になるのだと約束されている。


「タケル。お前の婚約者を選んでやったぞ。格下の家柄だが、娘の器量は良い。よくしつけてやり、足場を固めるんだ」

「はい、ありがとうございますお父様」


 僕に婚約者ができた。

 格下の家柄という単語に顔をしかめそうになった。もちろんお父様の選択だ。間違いはないのだろう。

 実際に目にすればどんな女かわかるだろう。一流を見てきた僕に、見抜けないものはない。


「これはこれは西園寺様。まさかご子息自らお越しくださるとは恐縮です」

「あいさつはいい。娘が僕の婚約者と聞いたぞ。どんな女か見せてくれ」

「顔合わせは後日と聞いておりましたが……」

「僕の言うことが聞けないのか?」

「め、滅相もないことですっ。エリカは西園寺様のお気に召すように、手塩にかけて育てた──」

「御託はいい。さっさとしろ」

「か、かしこまりました!」


 互いに親が勝手に決めた婚約者。思うところがないと言えば嘘になる。

 父を信じていないわけではなかったが、僕自身で判断したかった。もし婚約者が下民のような思考の持ち主なら、さすがの僕も父に意見をしなければならない。


「……初めまして。小山エリカと申します」

「っ!?」


 他人を見て、身体に電流が走ったのは初めてだった。

 優しく穏やかな態度。教養を感じさせる立ち振る舞い。何よりも彼女の美貌に僕は虜になった。

 こんな女性は初めてだ。僕に逆らわない女、賢いだけの女、顔だけしか取り柄のない女……。様々な女を見てきたが、彼女のような完璧な女性は見たことがなかった。

 美しい……。本当に美しい女性だ。心からエリカさんを愛せる。そう確信できるほどに。


「君こそが、いいや君だけがこの僕に相応しい! エリカさん、僕たちの未来は明るいよ!」

「あの……出会ったばかりでそんなことを言われても困ります。申し訳ございませんが、私はこの婚約を了承しておりませんので……少し話をさせていただいても──」

「大丈夫さエリカさん。君はまだ戸惑っているだけなんだ。わかるよ、急な婚約に驚いてしまったのだろう? 僕もそうさ。でも安心してほしい。僕の良さを知れば、エリカさんは僕に夢中になる。時間さえあれば僕たちの距離は自然に埋まっていくはずさ。エリカさんが大学を卒業するまでに時間は充分にある。それまで、僕に相応しい女性になれるように日々を過ごすんだよ」

「……」


 小山エリカ。彼女を婚約者に選んでくれた父に感謝した。やはり僕は成功者になる運命なんだ!



  ◇ ◇ ◇



 ……なのに、なぜなんだ?


「あなたがもっと話のわかる人なら、私も心を開いていたかもしれません。でも、そういう人ではないとわかってしまったから……。私はあなたとの婚約破棄を要求します」

「え……? エリカさん……な、何を?」


 あの優しくて聡明なエリカさんが、この僕に逆らっている……。あり得ない状況だ。

 あり得ないあり得ないあり得ないあり得ないぃぃぃぃぃぃぃぃっ!! こんなのは間違っている! 全部間違っているんだ!!


「この動画が世間に公表されれば、優秀なあなたならどうなるか予想がつくでしょう? 事を荒立てたくないのなら、婚約破棄に同意してください。それだけが私の望みです」


 僕がこんなにも苦しんでいるというのに、エリカさんは淡々と自分の都合ばかりを口にする。

 こんな所業、人として間違っているっ。きっと彼女は悪い影響を受けてしまったのだ。早くしつけてあげないと、彼女がダメになってしまう……。

 しかし、エリカさんの背後には身体がでかいだけで頭の悪そうな男が立っていた。そいつの目は鋭く僕を見据えており、何か行動を起こそうものなら非道な手段に出そうだった。

 これだから頭の悪い下民はっ! 僕は仕方がなく、言葉でエリカさんを説得しようと口を開く。


「聞いてくれエリカさん! 僕は君に初めて出会った時から恋に落ちていたんだ! エリカさんが大切だっただけなんだ。僕が行き過ぎたことをしてしまったというのなら謝ろう。だけど、婚約を破棄するのだけは考え直してくれないか? 悪いところは直す。約束しよう。僕はエリカさんを──」


 この僕がこれだけ譲歩したというのに、あろうことかエリカさんの態度は変わらなかった。


「黙ってください」

「……っ」


 エリカさんのものとは思えないほど、冷たい声色だった。

 たった一言で僕の口は動かなくなった。歯の根が合わない。本当にエリカさんなのかと疑いたくなるような目で容赦なく射抜かれる。

 ……ただ、その冷たい瞳ですら、彼女の美しさを損なうことはなかった。


「ぼ、坊ちゃん……」


 僕を正気に戻したのは、役立たずのボディガードの声だった。


「……帰るぞ」

「い、良いのですか?」

「うるさいっ! 僕に意見するな!」

「も、申し訳ございません!」


 エリカさんは正常な思考ができなくなっている。冷静になる時間が必要だと判断して、僕は車に乗った。


「……お父様に、話をしておく」

「お願いします」


 これ以上この場にとどまっていても、頭の悪い連中が何をしでかすかわからない。

 どうやってエリカさんをしつけるのか。父なら答えを知っているはずだ。だって、いつも僕に成功への道を示してくれていたのだから。

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