郷田晃生にとって氷室羽彩はどんな存在か?
原作では都合の良い従順な女という扱いだった。けれど今は違う。普通に笑い合える、俺の友達だ。
「氷室は俺の友達だ。それ以上でも以下でもない。こんな俺と仲良くしてくれる、すげえ良い奴だよ」
なので事実を答えた。
俺は仕方がないにしても、氷室はクラスの連中と仲良くできるはずだ。せっかくだから「すげえ良い奴」というところをアピールさせてもらった。
「そうなの? じゃあ郷田くんは学校以外で彼女を作っているの?」
「彼女がいる前提なのかよ。俺にそんな上等な関係の奴はいないぞ」
これは嘘ではない。郷田晃生自身、恋人という特別な関係を作ったことはない。
ただ、ワンナイトの関係だとか、セフレだとか……。期間の違いはあれど、大人の関係を持った女性はそれなりにいた。
「つまり……郷田くんは今フリーなのね」
白鳥の目から肉食獣の光が見えたような? いや、きっと気のせいだろう。気のせいだと言ってくれ!
……ラブホテルで悩みを聞いたせいで、白鳥が俺という男を勘違いしているみたいだ。
確かに俺は原作の郷田晃生のような寝取り最低野郎になるつもりはない。でもそれはまっとうに生きたいってだけで、クズにならない保証ではない。
「お、おい日葵。何聞いてんだよ」
最愛の幼馴染が校内一の不良に気安く接するものだから焦っているのだろう。野坂が白鳥を止めようと声を発した。いいぞもっと言ってやれ。
「別に。ただの恋バナよ。高校生なんだから、人の恋愛事情は気になる話題じゃない」
「わ、わかるけど。相手を考えろよ。郷田が女をとっかえひっかえしていないわけがないだろ。言っていることだってどこまでが本当か……」
「俺の目の前でそういう話題はやめてくれる?」
「ヒッ……。ご、ごめんっ」
優しく言ったつもりなのに怯えられてしまった。声は割とイケボだと思うのに……。やはりこの凶悪面がいけないのか。
それに怒ってなんかいない。野坂の言う通りだしな。郷田晃生は女をとっかえひっかえして遊ぶような最低の男である事実は確かなのだ。
「悪いな野坂。怯えさせるつもりじゃなかったんだ」
「いや、別に怯えてなんか……」
それなら目を逸らさないでほしいなー。目が合うと素直におしゃべりできない系の男子かな?
「ただ、最近思うところがあって自分を変えようとしているんだ。だからもう他人を雑に扱わない。そう決めただけだ」
「そ、そうか。郷田もいろいろ考えているんだな……」
野坂は興味がないのか居心地悪そうにしている。そりゃあ恐ろしい不良の身の上話なんぞ聞いても楽しくないよな。
話を打ち切ろうとした時、白鳥がずいと前のめりになった。
「つまり、次に彼女ができれば大切に扱うということね」
「あ、ああ……。そういうことになるな」
まともになろうとするからこそ彼女を作ることが難しくなったが。郷田晃生にとって他人の彼女を寝取ることは一種のコミュニケーションだったのかと、そんな可能性を最近ちょっとだけ考えている。……だとしたら最低のコミュ障だな。
「そっかぁ……そうなんだー……」
白鳥が熱い吐息を漏らす。何かいけないスイッチを入れてしまっただろうか? 少しだけ彼女から距離を取る。
「たっだいまー! あれ、何かあった?」
「いや、普通に雑談していただけだぞ」
氷室がトイレから帰ってきた。こいつのおかげでぎこちない空気が和らぐ。さっきとは逆の現象に、空気の入れ替えは大切なんだなと実感する。
「氷室さんも戻ってきたことだし、勉強を再開しましょうか」
「えー、もう少し休憩しても良くない?」
「ダメよ。試験勉強なのだからもっと集中してやらないと」
「ぶーぶー」
結局氷室は白鳥に押し切られて勉強を再開した。普段勉強しない子がよくがんばっていた。終わるころにはグロッキーになるほどに。
◇ ◇ ◇
勉強会を終えて、俺たちは白鳥家を出た。
「じゃあ、俺の家こっちだから」
野坂は白鳥と幼馴染だけあって、家が近所だった。すぐに俺と氷室とは別の道に分かれる。
「野坂、今日はありがとな」
「え?」
別れ際、俺は野坂に礼を言った。
「俺みたいな奴と一緒に勉強してくれて嬉しかったぞ。クラスのみんなは俺を怖がっていたからな。もしかしたら野坂は来ないんじゃないかって思っていたんだ。来てくれて本当にありがとう」
氷室にもだけど、本当に感謝している。もし白鳥と二人きりになってしまっていたら……。情けないかもしれないが、自制できないかもしれなかった。
お礼を口にする俺が意外すぎたのか、野坂は面食らったような顔をしていた。
目をパチパチと瞬かせて、口を半開きにしていた。それからはっとして、表情を引き締める。
「か、勘違いするなよなっ。俺は日葵を守るために来ただけだ。別に郷田と仲良くしようだとか……そんなつもりは一切ないんだからな!」
おおっ、なんというツンデレ。ツンデレっぽく聞こえるが、本当に白鳥のことが心配だっただけなのだろう。
振られたばかりだとしても、大好きな幼馴染を心配せずにはいられない。それほどに野坂の気持ちは強いんだろうな。
「ああ、わかってる。野坂が白鳥を大切にする限り、俺はあいつに悪いことをしないよ」
「絶対だな。俺が傍にいれば、日葵に手を出さないんだな?」
「もちろんだ。だから絶対に守ってやれよ」
「言われるまでもない!」
野坂はバッと音がしそうな勢いで背を向けて走り去った。格好つけたのか、恥ずかしくなったのか、それは当人にしかわからない。
「へぇ、野坂って案外面白い奴だねー」
男同士のやり取りを黙って見てくれていた氷室が口を開いた。
「野坂は真っ直ぐな奴なんだろうな。茶化してやるなよ?」
「茶化さないってば。良いじゃん、はっきりと好きな子を守りたいって言える男子。アタシは好きだよ」
おおっ、さすがは本来の主人公だ。氷室に「好き」と言わせるとは、やはりモテる素養を持っているってことなんだろうな。
「ねえ晃生、話は変わるんだけど……これから晃生んち行っていい?」
「……俺、一人暮らしなんだよ」
「それで?」
「いや、だから男一人暮らしの家に女子が来るのはまずいだろって話」
ダメな理由を言ったはずなのに、氷室はニヤニヤしていた。
「えー? 何がまずいのー? アタシわかんなーい♪」
こいつ滅茶苦茶ウゼェ……。郷田晃生が彼女をぞんざいに扱った理由、少しだけわかった気がした。
「まっ、冗談はこのくらいにして」
「冗談だったのかよ……」
「あれ、もしかして期待しちゃった? 本当に家に行ってもいいの?」
ウザ絡みされないようにスルーした。氷室はくすくす笑って俺の反応を楽しんでいるようだった。
「まあ、晃生が勉強がんばってるのに、アタシが今のまんまじゃいけないでしょ。今日のところは大人しく帰って、使いすぎた脳をリフレッシュしようかねー」
「普段使わない分、勉強しすぎてオーバーヒートしているかもな。帰ったら頭をよーく冷やしておくんだぞ」
「言ったなこいつー」
氷室が金髪の頭を俺の腹にぐりぐりと押しつけてきた。俺も「やったなこいつー」と言いながら彼女の頭をくしゃくしゃに撫でる。
二人してバカ笑いして、ただそれだけのことがすごく楽しかった。
こういうくだらなくて、楽しい時間こそが青春っていうのかも。なんとなく、そんなことを思った。
◇ ◇ ◇
ただぼんやりと青春を噛みしめている場合ではなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ」
息が荒くなる。身体が熱い。腹の奥で何かが暴れ狂っているような感覚にとらわれる。
白鳥の甘い匂いのする部屋。あそこにいるだけで獣欲が刺激され続けていた。さらに氷室に身体を触れられて……もう限界だ。
下半身がムズムズする。それは段々と熱塊となって、いつ爆発してもおかしくなかった。
郷田晃生の意識は完全には死んでいなかった。ここまでの状態になって、やっとそのことを認識できた。
早く家に帰らないと……。意識が朦朧となりながらも、なんとか住んでいるアパートに辿り着く。
「あっ、お帰りなさい晃生くん」
俺の部屋のドアの前で、美しい青髪の美女が座り込んでいた。
よりによってこんな時に……っ。女の姿を目にした瞬間、カッと下腹部が燃えた気がした。
無意識に口元が歪む。この世界はどうしても郷田晃生を最低の男にしたいらしい。