俺達が通う学園はバイト禁止である。
この校則があったからこそ、俺はメイドカフェでバイトしている琴音ちゃんを彼女になるようにと脅せたのだ。
だが、本当にばれてしまえば大変なことになる。だからこそ脅しに使えるネタだった。だからこそ、ばれてはならない事実だった。
「あー、あたしのクラスでもうわさになってましたね」
「マジで!?」
井出から聞いた情報。琴音ちゃんがバイトしていることがうわさになっていると教えたが、当の本人はあっけらかんとしたものだった。
「まあ、うわさを流した張本人はわかっているんですけどねー」
「マジで!?」
それは俺にとって新事実だった。
「だ、誰なんだよ? そもそもなんでこんなうわさを流したんだ」
そして、けっこうやばい事実を暴露されている当人はなんで焦っていないんだ?
「えーと、一から説明しますね」
苦笑いしながら琴音ちゃんが事の顛末を語ってくれた。
そう、この問題はすでに終わっていることである。
つい先日、琴音ちゃんがバイトしているメイドカフェに一人の男子がやってきた。
その男子は同じ学園の生徒だった。さらに言えばクラスは違うものの、琴音ちゃんとは同学年だった。
「その人とは選択授業が同じでして、顔見知りだったのですぐにあたしだってばれちゃったんですよね」
エンカウントした瞬間に大ピンチである。
「それから声をかけられてしまいまして。『話があるから少し時間をくれ』、と」
「で、ついて行ったのか?」
「ええまあ……、行きましたね」
だから琴音ちゃん! 君は脇が甘いんだよ!
美少女の弱みを握った男なんて簡単に野獣と化すんだからな。まったく、男なんざロクな奴がいねえよ。
「それで話を切り出されたんですが、『バイトしていることをばらされたくなければ俺のいいなり奴隷になれ』と言われまして」
「マジでロクな奴じゃなかった!?」
何そいつ鬼畜じゃんか。さすがの俺もびっくりだよ。きっと生まれた世界を間違えてしまったのだろう。
せめて「俺の彼女になってください!」くらいならまだ可愛げがあったよ。そのくらいなら笑顔で右ストレートを叩き込むくらいで許してやれたってのにな。
「えーっと……それで、琴音ちゃんはなんて返したの?」
「とりあえず店長に報告しました」
「報告したんだ!?」
いやまあ、相手の鬼畜さを考えると一人で対峙するのは悪手か。
でも弱みを握られたのは確かだ。それなのに、よくすぐに助けを求められたものだ。
「店長がその人と話し合いをしてくれてですね、すぐに帰ってくれたんですよ。店長も『しっかり話し合いができましたからね。もう大丈夫ですよ』って言ってくれたから安心しちゃってました」
店長さんも従業員をかばってくれるところまではいいが、詰めが甘いな。なんとなく汗っかきでにやけ顔をした中年男だと予想する。
「あたしが拒否したからでしょうね。その人は何人かにあたしがバイトしていることを言いました」
「本格的にまずいな」
「なのでお姉ちゃんを使いました」
「ん?」
琴音ちゃんによれば、藤咲彩音の名前を使ったとのことだ。
学園のアイドルの影響力は凄まじいという言葉すら生ぬるい。この学園では藤咲さんが白と言えば、たとえ黒いものでも白となるだろう。まあ本人はそんな横暴なことしたことないだろうが。
「そんなわけで、あたしを陥れようとしている悪い人。その人の評価はガクンと落ちちゃいましたね」
しかも生活指導の先生にこってり絞られたのだとか。周囲から責められ続けた彼の牙はぽっきり折れてしまったらしい。
琴音ちゃんに向けられた毒牙がなくなったのは一安心だ。だが琴音ちゃんがけっこうな悪女ムーブをしてた気がする。お願いだからゲス顔を浮かべるのだけはやめておくれ。
「でも弱みを握られているのは変わらないだろ? 仕事先までばれているんだから、また何しでかすかわかんないぞ」
「それなら大丈夫ですよ」
自信満々な琴音ちゃん。何か秘策でもあるのだろうか?
「その人と会った日が、あたしがバイトする最後の日でしたからね」
……ん?
「琴音ちゃん琴音ちゃん」
「なんですか祐二先輩?」
「今さ、琴音ちゃんがバイト最後って言った気がするんだけども」
「そうですよ。あたし、バイト辞めました」
「え、何それ聞いてない」
「言ってませんからね」
え、いや、あれ、え……?
戸惑う俺。対する琴音ちゃんは頬を朱に染めた。なぜだ。
「だって、もうバイトする必要ないですし」
琴音ちゃんが校則で禁止されているバイトをしていた理由。それは彼女の口から聞いていた。
家に居づらかった。友達の輪に入りづらかった。それから、早く自立してどこかへ行ってしまいたかった。
琴音ちゃんは自分を浅はかだと笑った。行動の理由は全部姉へのコンプレックスからで、それから逃れられる術は大人になっても理解できる保証はない。
「そっか」
だから、バイトを辞めたというのなら、琴音ちゃんの中で何かが変わったのだろう。
無理も無茶もしなくていいのだと、自分に言ってあげられるようになったのだろう。
「それにしてもすげえな。脅してくる相手によく一人で対処できたもんだ」
井出からの情報は遅れてたってことか。一応その残りカスとなったうわさも井出が対処してくれていたりする。初めて友達の能力に感謝した。
あれ、今回本当に俺って何もしてないぞ。というか井出の方が役に立ったと言ってもいい。自分の存在意義を見失いそうだ。
「ふふっ、だって脅されたのは初めてじゃないですしね。それに、あたしには心強い後ろ盾がありますから」
「んー、後ろ盾って藤咲さんのこと?」
「違いますよ。祐二先輩のことです」
真っすぐ見つめてくる瞳。そこには俺の顔が映し出されていた。
「それは……、薄っぺらい盾じゃないか?」
「あたしにとっては大きくて、硬くて、分厚くて、丈夫で、立派な……素敵な盾ですよ」
大きな信頼だ。初めて人から向けられた信頼。心を預けられるというのは、こんなにも気恥ずかしいものなのだと初めて知った。
強い気持ちに顔を逸らしてしまいそうになる。それ以上に、彼女を見つめていたかった。
そのためには、言わなければならないことがある。
「あのさ、話があるんだけど……」
琴音ちゃんは俺を見つめている。喉を鳴らし、続きを口にした。
「俺の彼女になってくれ。最初にそう言った時に、期間限定って言ったよな。夏休み前まででいいって……」
もう七月だ。
期末試験が終われば夏休みまですぐだ。それどころか、琴音ちゃんはメイドカフェでのバイトを辞めてしまっている。俺が彼女を脅せるネタは、もうないってことだ。
だとしても、伝えたいことがある。
「その、期間限定じゃなくて……えっと……俺の彼女になってくれる件だけど、無期限にしてくれないかな?」
自分でも情けないほど声が震えていた。
でも、一度は諦めた誰かに選ばれたいという気持ち。それがまた芽生えたのだからしょうがない。いや、名前のない誰かなんかじゃなく、琴音ちゃんに選ばれたいと、本気で思ったのだ。
だから口にせずにはいられなかった。図々しいと自覚しながらも、彼女を求めてしまったのだ。