前門に彼女の母親、後門に彼女の父親。
つまり詰んだってことかもしれん。この状況に耐えられる彼氏くんがどれだけいるだろうか? いやいない。
目の前のお母様は美人であり、上品に微笑んでいらっしゃる。そこに「テメーが娘の彼氏だなんて認めるか、あーん?」などという物騒な意思はなさそうに見える。
この雰囲気を信じるのであれば、問題はお父様だけのはず……。
「夜分遅くにすみません。俺……いや、僕は会田祐二と申します。えっとー……あ、怪しい者ではありませんよ」
そう言って振り返れば、やっぱり藤咲父の姿がそこにあった。
スーツ姿の中年男性。帰宅したばかりだってのにくたびれた感じは全然していない。俺よりも背筋が伸びているほどだ。
彼は俺をチラリと見ただけで、すぐに視線を切った。
「何をしているんだ。早く家に入りなさい」
オイコラ無視してんじゃねえぞ!
顔を合わせたのはこれで二回目だぞ。しかも今回はあいさつまでしてんだよ。いくらなんでもスルーすんのはひどすぎるだろ!
内心とても憤慨しました! 頭に血が上ったせいでもう一人の俺が目覚めそうだ。俺の隠された闇人格を見せてやろうか。あーん?
「お父さん、祐二先輩を無視しないでよ」
俺の心の声が言葉になるよりも早く、琴音ちゃんが口を開いた。
「なんだと? 琴音、お前は俺に口答えするのか?」
そして琴音ちゃんのお父様は俺よりも短気だった。声色にイラ立ちを乗せるんじゃないよ。琴音ちゃんが震えてしまったじゃないか。
子供にとって父親は大きな存在だ。
俺も身体だけはそれなりに大きくなったつもりだが、やはりまだまだ子供だと思い知らされる。父さんがお小遣いをくれるからメイドカフェ通いができていたわけだしな。父親には感謝ばかりである。
だからといって、俺の父親と琴音ちゃんの父親は違う。違う存在で、まったく別人なのだ。
だから思い描いた父親像なんてものがあったとして、たぶん当てはまる人ばかりじゃない。実際に俺は藤咲父を父親らしくは思えなかった。まあすれ違った程度の接点しかない俺が何言ってんだって感じだがな。
「琴音ちゃんの言う通りですよ。人のあいさつを無視するなんて、いい大人なのに常識を疑われてしまいますよ」
「……あ?」
うん、ちょっと怖いね。
藤咲父に睨まれる。ここでようやくお父様と目が合った。もうこの人をお父様とか呼びたくないなぁ。
琴音ちゃんから少しだけ父親のことを聞いていた。たくさんの人から姉と比較されていたけれど、それを一番していたのはこいつだ。
父親という一番近くて信じられる存在のはずなのに、彼は琴音ちゃんに劣等感を与え続けた。
なぜこんなこともできない? 彩音は簡単にできていたぞ。お前は失敗作だ。どこで育て方を間違えたんだ。こんな結果しか出せないのか? もう琴音に期待するのはやめだ。せめて彩音の足を引っ張るのだけはやめてくれ……。
この父親が琴音ちゃんにどれだけの言葉を浴びせてきたのだろうか。彼女から聞けたのはほんの一部で……。それだけでも俺はドン引きした。
一言でまとめるなら「ないわー」である。
言葉を浴びせてきただなんてものじゃない。これはもう脅しである。
琴音ちゃんを脅して委縮させてきた。今いる場所を苦しくさせて、どこか遠くへ行きたいと思わせた。
娘を守る守らないって話ですらない。それは俺の抱いている父親像とは大きくかけ離れていた。
「初めまして。……いや、初めましてではないですが、とにかくもう一度ごあいさつしますね」
藤咲父から目を逸らさない。睨みつけられたって関係ない。
息を大きく吸う。倒れてしまわないように、腹に力を入れて言った。
「俺の名前は会田祐二! あんたの娘、藤咲琴音の彼氏だ!」
聞き違いなんて許さない。無視できない声量で言ってやった。
背後から息を呑む気配。それと嬉しそうな「あらあらまあまあ」という声が聞こえた。お母様はちょっと黙っていてくれないだろうか。
「……琴音、本当か?」
藤咲父は俺ではなく琴音ちゃんに顔を向ける。
「……うん、本当だよ。祐二先輩はあたしの……か、彼氏、だよ」
恥ずかしそうに、でもちゃんと言葉にしてくれた。やばい、感動してしまった。お母様の嬉しそうな「きゃー!」で台無しになりそうだったけどな。ほんとに口塞いでいてくれませんかね?
「君は何か得意なことでもあるのか?」
こっちに顔を戻してくれたと思ったら、そんな質問をされた。
何それ面接? 自己PRは自慢じゃないが苦手分野だぜ。
「いえ、得意と言えるものはないですね」
素直にそう答えると同時にバカにしたように鼻で笑われた。
「やっぱりな。第一印象からパッとしない男だと思っていたさ。顔も二流以下。こんな奴と付き合おうだなんて、琴音は男を見る目もなかったか」
バカにしたような、じゃなかったわ。ここまではっきりバカにされると清々しささえ感じるね。
ムカつきはないと言ったら嘘になるが、琴音ちゃんでさえ平気で罵倒する父親である。むしろこれで済んでいるのは他人だから加減しているのかと思ってみる。知らんけど。
「どんだけアンタ様が偉いのか知らねえですが、少なくとも俺の方が琴音ちゃんを好きだし、守ってやれるし、大事にできるね! その一点に関しちゃ、父親のあなたよりも俺の方が上だ!」
ずいっと一歩前に出て言い放った。
やっぱり滅茶苦茶イラついてたわ。反射的に口に出しちゃった。出したもんはしょうがないし、胸でも張っておこう。
時差でもあったのか、何秒か経ってから藤咲父の顔がみるみる赤くなった。
「貴様っ!」
「貴方」
藤咲父の怒号が響いてすぐに、優し気な呼びかけがそれを止めた。
声の主は琴音ちゃんの母親だ。本当に優し気な声で、声を張ったわけでもないのに怒った藤咲父を簡単に止めてしまった。
「これ以上はご近所に迷惑をかけてしまうわ。外では静かに、ね?」
なんだかお母様はしゃべるだけでも色気がすごいな。
その色気にやられてしまったのか、藤咲父はフンッと鼻を鳴らして俺の横を通り過ぎた。
「……」
そのまま琴音ちゃんとお母様を横切って、家の中へと入っていった。
結局、話し合いどころかあいさつもまともにできなかった。ていうか印象最悪すぎて前途多難どころの話じゃなくなった気がするんだけども……。
呆然と立ち尽くす俺に、琴音ちゃんが体当たりしてきた。格好つけたい俺の魂が意地でも倒れまいと踏ん張った。
「ゆ、祐二先輩っ」
「お、おう?」
うるうる目の琴音ちゃん。え、泣かないよね?
「あたし、祐二先輩の彼女です!」
何を言うかと思いきや、ただの事実確認だった。
ここは気の利いたセリフが求められているのか? いや、普通でいこう。事実確認されたのだから、俺が述べるのは事実だけでいい。
「ああ。俺は琴音ちゃんの彼氏だ」