初々しく恥じらっていた琴音ちゃんがとても可愛い。心の底からそう思う。
「……」
なのに、さっきまでの恥じらいはどこへやら。表情が抜け落ちてしまったかのようだ。
ちょっと信じられないくらいの変わりっぷり。目をごしごししても真顔の琴音ちゃんがそこにいた。
状況が把握しきれないのは俺が悪いのか? 対人経験が希薄な俺ではあるが、あからさまなミスはなかったつもりである。
「お弁当はお母さんも……お姉ちゃんも、関係ないですよ。あたしが考えて、あたしが作りました。全部……です」
だが、何か地雷を踏んでしまった感触はしている。それが何かはわからないのが問題だ。
「そっか。俺のためにがんばってくれたんだな」
「そうですよ祐二先輩のために早起きしてがんばったんですっ」
琴音ちゃんは怒ったような顔をする。それでも何もない表情よりは安心させられる。喜怒哀楽の大切さを知った。
「ありがとな。正直手作り弁当を食べられるとは思ってなかったから感動した」
「感動って……大げさじゃないですか?」
「大げさ、だと?」
わかってない。琴音ちゃんは何もわかってない! 彼女の手作り弁当が男子の夢だということを!
非モテ男子ならなおのこと。感動したっていいじゃないか。俺は表情の出し惜しみはしないぞ。
「琴音ちゃんにはちゃんと教えてやらないといけないようだ。君に男の夢がなんたるかを叩き込んでやろう」
「え? え? ゆ、祐二先輩?」
困惑する彼女を見てひとまず安心した。無表情はどこかに行ってしまったってね。だからって手を抜く気はないがな。
俺は彼女手作り弁当が男子にとってどれだけのパワーになるか、こんこんと説明した。げんなりする琴音ちゃんを無視して言い切ってやった。
説明が終わるころには昼休みもあとわずかになっていた。語りすぎた……。
「さて、と。そろそろ教室に戻ろうか」
「あ、あのっ」
ベンチから立ち上がると、琴音ちゃんの声に止められた。
何かを言いたそうに口をパクパクさせている。見下ろしながら待っていると、ようやく言葉となってくれた。
「あたしと祐二先輩が付き合っていること……誰にも言わない方がいいんですか?」
「え、誰か言いたい人がいるの?」
「え?」
「え?」
……ん?
なんだか噛み合ってない気がする。ちょっと整理させてほしいぞ。
俺と琴音ちゃんは彼氏彼女の付き合いを始めた。学校で禁止されているバイトをしていた彼女の弱みを握った形ではあるが、恋人関係を了承してもらった。
しかし琴音ちゃんの姉である藤咲さんからは怪しまれていた。主に井出のせいではあるが、あまり良い関係とは思われていなかった。まあ実際そうなのだが。その事実が広まると俺にとってとても不都合だ。
だから琴音ちゃんに、藤咲さんには傘を貸したお礼として弁当を作ったということにしてくれ、とメッセージを送ったのだ。
「藤咲さんに嘘をつくのが心苦しいってことか?」
だからって本当のことを言われたら困る。さすがに妹が脅されて恋人にさせられたと知ったら姉は怒るだろう。彼女だけの怒りで済むならマシだがな。
「嘘……というか、あたしと祐二先輩が付き合ったことですよ。もちろんバイトしていることを言われるのは困りますので、そこは伏せてほしいんですけど」
「俺の彼女になったって、公表したいのか?」
「公表ってそんな大げさな……」
琴音ちゃんは困惑する。
そんな彼女には悪いが、そもそも付き合い始めたって誰かに言わなきゃならないもんなのか?
もともと井出には自慢するために言おうとは思っていたけども……。まあおかしな風に藤咲さんに伝わりそうになったからそれも諦めざるをえなかった。
でもわざわざ琴音ちゃんと付き合ったと明かそうと思ったのは井出くらいなものである。他にわざわざ明かすような奴がいないってのもあるが、それがなんの得になるのかわからない。
考え込む俺を見て、琴音ちゃんはため息らしきものを吐いた。
「わかりました。誰かに言う言わないについてはこれから話し合っていきましょう。でも、祐二先輩の彼女としての行動には文句はないですよね?」
「文句……はないです」
なんだか有無を言わせない圧力があった。主導権を取られている気がするのは気のせいかな?
「それと」
さらに続ける琴音ちゃん。お互いそろそろ教室に戻らなきゃまずいと思うんだが。
「祐二先輩は……あたしのお姉ちゃんのこと、好きなんですか?」
「は?」
いきなりの直接攻撃に面食らった。ていうか脈絡とかなかったよね?
あたしのお姉ちゃん。琴音ちゃんの姉ということは、つまりは藤咲彩音のことである。
俺のクラスメートであり、学園のアイドルと呼ばれる存在。全校生徒の支持率は男女ともにトップであろう。それほどまでに圧倒的な美少女として知られている。
そんな藤咲さんのことが好きになってしまう男子は多い。恋バナをすれば一番名前が挙げられる女子のはずだ。あまり人と関わらない俺の耳に入るくらいなのだから間違いない。
しかし今そんなことを聞かれる意味がわからない。わかるのは琴音ちゃんが真剣に聞いてきたということだけだ。
「別に好きじゃないぞ」
だから嘘偽りなく答えた。
「……」
だってのに信じてない顔されるのは心外だ。
それでも真剣な俺の顔を見たからなのだろう。
「……本当、ですか?」
「本当だって。好きの意味がラブで合ってるなら、藤咲さんに対してそんな感情はない」
しばらく俺の顔を見つめていた琴音ちゃんは、信じてくれたのかうんとうなずいた。
「もうお昼休み終わっちゃいますね。早く教室に戻らないと次の授業に遅れちゃいますよ」
「誰のせいで急がないといけなくなっちゃったのかな?」
「てへっ」
琴音ちゃんは悪戯っ子のように舌を出す。可愛いから許した。
俺達は別れて別々の教室へと向かう。
──藤咲さんのことが好きかと聞かれて、今は好きじゃないってのは嘘じゃない。
しかし、俺が藤咲さんに告白したことがあるというのは、あえて隠した事実であった。