本郷が案内するままついて行くと、屋上で二人きりになっていた。とくに深い意味はない。
外はさえぎるものもなく日差しが降り注いでいる。少し強めの風がスカートを揺らした。夏服を着たばかりというのもあってか心地良いくらいの気候だ。
「そういえば、屋上は初めて来たかも」
「そうなのか? なんか意外だな」
「意外って言われる方が意外なんだけど。本郷はあたしのことどんな風に思っているんだか」
本当にどう思われているのだろうか? 本郷とは互いの認識について話し合った覚えがない。ある程度予想はできるだけで、実際に話すことといえば他愛のないことばかりだった気がする。
思ったよりも広い屋上の周りはフェンスで囲まれている。本郷はぽつぽつと並べられているベンチへと歩み寄った。
「赤城、こっち来いよ」
ベンチにハンカチを敷きながら手招きされる。当たり前のようにしている行動にあたしは密かに面食らっていた。
「ん? どうした?」
意識に空白ができるくらいには驚いていたらしい。あたしは固まってしまっていたことなんてなかったかのようにベンチに敷かれたハンカチの上へと腰を下ろした。
「まさか本郷がハンカチを敷いてくれる思いやりがあったなんてね」
「ああ、高木がやってるのを見たことがあるからさ」
納得。こんなのを素でやってたら多くの女子を泣かせてしまう結果になっていたと思う。
早速あたしは焼きそばパンの封を切った。
「いただきます」
食べ物に感謝。それからおごってくれた本郷にも感謝を。またおごってもらえますように。
本郷もあたしに続くようにパンへとかぶりついた。その食べっぷりはさすがは男の子と言いたくなるほどの豪快さがあった。
「この間の球技大会は惜しかったな」
「それは嫌味ですか? F組の本郷くん」
A組のあたしからすれば惜しい結果だけど、優勝した側のクラスである本郷に言われるとただの嫌味でしかない。どうせ負けましたとも。
「……木之下が活躍できてよかったね」
なので嫌味を返してやった。
「まあな。おかげで男女揃ってでの優勝だぜ」
なのに、本郷は明るく笑うだけだった。
いや、本郷に読み取れという方が酷だったか。まあサッカーバカだから仕方がないか。そのサッカーの実力はとんでもないけどね。
無言でパンを食べる。本郷はたくさんパンを買ったようで、がつがつという表現が当てはまるほどの食べっぷりを見せていた。
あたしが焼きそばパンを食べ終わり、メロンパンを手に取ったタイミングで本郷が口を開いた。
「高校では誰かと付き合ったりしないのか?」
唐突……というわけでもないか。
あたしは隣の本郷に目を向ける。本郷はこっちを向かずにもぐもぐとパンを咀嚼していて、本当に興味があるのかどうか判断できない。
中学時代のあたしはたくさんの男子と付き合った。そのことについて小学生の頃からあたしを知っている人達からは驚かれていたと思う。
早々に宮坂と木之下が高木と恋人関係になっていることが広まったのもあって、二人への告白ラッシュはすぐに収まった。二人の態度からどうにもならないと諦めた男子は多かったろう。
それであたしの方に告白してくるというのはヤケにでもなったのかと思ったほどだ。別に心配はしなかったけれど、恋人になるということはどういうことなのかと気になっていたあたしにはただのカモでしかなかった。
結果を言えばよくわからなかった。相手が悪いのかと他の人と付き合ってみてもしっくりこない。そんなことを繰り返しているうちに、付き合った回数は二桁に到達していた。
それでも数をこなしただけあって学んだことはある。
それは手間と時間を取られるということ。なんとも思わない相手に捧げるものとしては貴重すぎた。正直、同じことを繰り返すのはちょっとためらってしまう。
「さあ。むしろ本郷はどうなの? もう告白くらいされてるでしょ?」
「んー、まあ赤城よりは少ないとは思うけど……告白されたことはあるよ」
本郷は思い返すように空を仰いだ。顔が良くてサッカーの実力は全国レベル。これでモテないわけがない。
「でも、今は誰かと付き合う気はないかな」
「相手が木之下だったとしても?」
間髪入れずに意地悪なことを口にした。事実、本郷はあたしに恨みがましい目を向けている。
「普通、わかっててそういうこと言うか?」
「ごめん。意地悪言った」
素直に頭を下げる。あたしと本郷は互いの認識を擦り合わせたわけではないけど、互いに片思いしている者同士だと理解し合っていた。
……だからこそ、あたしはいつしか浮かべるようになった彼の未練を感じさせない表情に気づいていた。気になっていた。
どうしてそんな顔ができるのだろうか? やせ我慢なんかじゃなくて、本当に心の底から認めている。それがわかってしまうほどの明るい表情なのだ。
「もし木之下に告白されたら正気を疑うさ。高木と何かあってヤケになったんじゃないかってな。それに、俺が好きな木之下はあの関係からできたもんだろ」
あの関係。あの特別な関係を思い返し、チクりと胸に痛みが走る。
「つーか、今はサッカーが一番だしな。こんなにサッカーが好きになれたのも高木や木之下ってライバルのおかげだと思ってる。あいつらと競ったからこそ今の俺があると思ってる」
本郷は拳を握る。それはとても力強く見えた。
「まっ、俺の初恋なんてどうでもいいんだよ」
「初恋って断言しちゃうんだね」
「そりゃあ俺の大事な思い出だからな。これ話すの赤城だけだぞ。けっこう恥ずかしいんだからな」
端正な顔が朱に染まっている。その正直さがまぶしく映る。
本郷は恥ずかしさを誤魔化すように大きく口を開けてパンを頬張った。
「……未だに引きずっているあたしはどうしようもないね」
そんなところを見せられたからだろう。正直な想いが零れていた。
「ほんはほほへーはほ」
「しゃべるなら飲み込んでからにして」
ごっくんと嚥下する音が聞こえた。
「そんなことねえだろ」
言い直した本郷の表情は女子から黄色い声が上がりそうなほど引き締まっているけど、残念ながらさっきので台無しだ。
「いつかは自分の気持ちに決着はつけなきゃいけないんだろうけど、それを決めるのは赤城自身だろ。俺がふっ切れたからって合わせるもんでもない」
「……普通は諦めろとか言わない? これってただの横恋慕だよ」
実際にあたしの気持ちに感づいている人はそう思っているに違いなかった。
心が選べたらどんなによかっただろう。自由に選べたらまた別の人を好きになるだけでよかったのに。
自分でも強い眼差しになっているのがわかる。それを正面から受けた本郷はこてんと首をかしげた。
「……ヨコレンボってなんだ?」
「……」
ここで頭の悪さを見せつけなくてもいいのに……。わざとやってんのかな。
「もう付き合っている人がいるのに行動を起こすべきじゃない。それが友達ならなおさら。もしも関係が壊れたらって思わないの?」
「そこは上手くやればいいだけだろ」
あっけらかんと本郷は言った。あまりにもあっさりとしたものだから自分の耳を疑ってしまった。
でも、彼の言いたいことがわからないほど浅い付き合いではなかった。
「本郷っていい加減な奴」
「知らなかったのか? 俺ってデリカシーが欠けてるって言われたことがあるんだぜ」
それは胸を張って言うことじゃない。……って言っても無駄か。
あたしは残っていたパンを一気に頬張った。「小動物みたいだな」という言葉は聞こえないことにしてひたすらもぐもぐと口を動かす。
ようやく飲み込んだ。よく考えたら飲み物がない。なんでもいいから今すぐ飲み物がほしかった。
「わざわざこんなことを話すために昼食に誘ったの?」
「まさか。そもそも今日赤城に会ったのは偶然だったからな。でもまあ、タイミングがいいとは思ったよ」
「タイミング?」
本郷はパンの袋をひとまとめにして片付ける。気が付けば彼も食べ終わっていたようた。
「この間の球技大会。赤城がいつも通りのプレーをしていたら勝っていたと思うぜ」
「は?」
本郷は勢いよく立ち上がる。風が彼の髪を爽やかに揺らした。
「この俺からボールを奪ったことのある奴がいつまでもふぬけてるってのはなんか嫌なんだよ。言いたかったのはそれだけだ」
「ボール? え、なんのこと?」
なんのことを言っているのかわからなくて戸惑ってしまう。何度聞いても本郷は「覚えてないならそれでいい」と言って教えてはくれなかった。
※ ※ ※
「あっ、美穂さんどこ行ってたんですか。探しましたよー」
教室へと戻る途中で望月とばったり会った。どうやらあたしのことを探してくれていたらしい。
そういえばみんなには何も言わずに本郷と昼食を共にしたのだった。購買に行ったまま教室に戻らないものだから心配をかけてしまったようだ。
「美穂さんがなかなか戻ってこないから何かあったんじゃないかと思って、みんなと手分けして探していたところですよ」
……本当に心配をかけてしまったようだった。
「ごめんな。俺が赤城を無理やり誘ったんだ」
「えっ!? ほ、本郷くん!?」
あたしのフォローに回る本郷に、望月は飛び上がりそうなほど驚いていた。
同じく教室へと戻るため、あたしと本郷はいっしょにいたのだった。望月は声をかけられるまで気づかなかったみたいだけどね。
「え、えっと……。えとえとっ」
あ、望月がパニックになってる。もしかして、本郷の容姿にやられちゃってるのかな。女子は本郷に接近されるだけで舞い上がっちゃう子が多いから。
白い歯を光らせる本郷と顔を赤くしている望月を見て思う。
……面白そう。
と、いけないいけない。他人の色恋に興味を抱く余裕はあたしにはないはず。まったく、初心な反応を見せる望月が悪い。
あたしの内心に気づいたのではないだろうが、望月と目が合った。その目は忙しなくあたしと本郷の顔を行き来する。
そして、その動きがはたと止まった。
「も、もしかして二人は付き合っているのですか?」
「「それはない」」
あたしと本郷の声が重なった。この時ばかりは心が一つになった。
「俺達はただの友達だ。なあ赤城」
「な」
本郷がモテるのは認めるけれど、だからってあたしも好きになっていると思われるのは心外だ。なんかやだ。
「へ、へえ。そ、そうなんですか」
望月は緊張しているのか返事がぎこちない。こういう反応は本郷を前にした女子にはありがちである。
まあ中身はわりとバカなのだが。でも、だからこそデリカシーのない話題ができるのかもしれなかった。
ほんのちょっぴり本郷への認識を改めた。本日はそんな昼休みだった。