高校に入学してから一ヶ月が経過した。
今のところ順調に高校生活を送れていると思っている。葵と瞳子も楽しそうで、俺はこっそりと安堵していた。
中学生の頃の入学式だってこれからの期待に満ちていたなと思い出す。俺が葵と瞳子の二人と付き合っていることを知られてから後ろ指を差されることもあったけど、確かに楽しい日々はあったのだ。
※ ※ ※
小学生の卒業式の日に、晴れて俺達三人は恋人関係となった。
二人ではなく三人。今までの関係と同じようで違う。そんな初めての変化に戸惑いがあるのも確かだった。
俺なんて前世を通じて初めて恋人が出来たのだ。しかも二人同時のお付き合いである。
もし自分に恋人ができたのなら名前を呼び捨てにしてみたかった。ちょっとした憧れのつもりだったけれど、まさか二人同時に呼び捨てにするようになるとは考えもしなかったな。
「葵ちゃん……じゃなくて葵。瞳子ちゃん……じゃなくて瞳子」
ただそれだけのことでも嬉しくなってしまう。たぶん今の俺の顔は人前には出せないような締まりのないものになっていることだろう。
今までも葵と瞳子を大切に想ってきたつもりだけれど、関係が一段階上がった以上、もっと大切にしていかなければと気合を入れていた。
いつかは答えを出さなければならない前提の付き合いだ。だとしても、二人ともを大切にするのが当然だと思ったのだ。
「トシくんこっちこっちー」
満開になった桜が散っていく。花びらがはらはらと舞い落ちている日に、俺達は中学の入学式を迎えた。
桜色の景色の中に二人分の影。真新しいセーラー服を身につけた葵と瞳子が俺を待っていた。
「二人ともお待たせ」
「ううん、あたし達も今来たところよ」
銀髪のツインテールをなびかせながら瞳子がはにかむ。春休みにも会っていたはずなのに、新しい制服を身にまとった彼女がまた少し大人っぽく見えた。
「それに、トシくんを待っている時間もなんだか楽しいの」
「そうなのか?」
「そうだよ。トシくんが迎えにきてくれると思ったら安心して待っていられるんだよ」
葵は風を受けてなびく黒髪を手で押さえる。セーラー服を着ているからだけではなく、仕草の一つ一つが大人っぽくなっているのだと感じた。
家まで迎えに行くと言ったのに、二人は中学校までの道のりに待ち合わせ場所を指定してきた。
それはきっと恋人らしい雰囲気を味わいたかったのだろう。俺も同じ気持ちだったから。
「葵も瞳子もセーラー服がとても似合ってるよ。なんだか大人っぽいね」
「えへへ、ありがとうトシくん」
「俊成も制服似合っているわよ」
久しぶりに着る学ランが俺の背筋をシャキッとさせる。褒められると自分の格好が気になるね。
ゆったりとした空気が流れる。くすぐったいような、こそばゆいようなそんな感覚。
「じゃ、じゃあ学校に行こうか」
「そ、その前に……トシくん?」
葵が照れた様子で俺をうかがう。な、何かな? なぜだか緊張してしまう。
一歩二歩とゆっくり近づいてくる。その足取りは彼女の緊張と期待が見え隠れしていた。
「学校に行く前に、その……キスしてほしいな……なんて」
「う、うん……」
俺と葵は二人して顔を赤くしてしまう。
顔の熱さにぼーっとしていると、袖をくいと掴まれたのに気づく。
「あ、あたしも……お願い……」
見れば真っ赤な顔で俺を見つめる瞳子がいた。恥ずかしがりながらも唇を震わせる彼女がとても愛おしく感じてしまう。
いや、うん……愛おしく感じちゃってもいいんだよね? だって俺達付き合っているんだし。
勢いがあればキスしちゃえるんだけどさ。なんて言うかこう、意識しちゃうと恥ずかしさが勝っちゃうね……。
「瞳子ちゃん、私が先に言ったんだから私が先でいいよね?」
「あたしも先がいいのだけれど……」
「次は瞳子ちゃんに先を譲るよ。今回は私ね」
「……葵ってけっこう押しが強いわよね」
俺がぼーっとしている間に、葵と瞳子の間で話がついたようだ。葵が吐息が触れ合いそうなほどに接近してくる。
「トシくん……」
葵の大きな目が近づいてくる。綺麗な瞳が俺を映す。
まだまだ幼さを感じさせる顔だ。それでもその目はドキリとさせられるほどの色香があった。
唇は触れ合っていない。顔は近いけれど、これ以上彼女から近づこうとはしてこない。
最後の一歩は俺から踏み出さなければならない。いや、俺から彼女に近づきたいのだ。
「ん……」
互いに目をつむった。次の瞬間、唇が柔らかい感触で満たされる。
チュッと音を立ててすぐに離れる。照れくさくなって笑ってしまった。
「えへへ、……もう一回……ん」
今度は葵から唇を押しつけてくる。人のことは言えないけれど、不慣れな感じが出ているキスだった。
中学生になったばかりなのにこんなことをしていていいのだろうか。頭の片隅でそんなことを思う。唇が離れてまた俺の方から彼女の唇へと押し付けた。不慣れで拙い口づけだけれど、それでもいいやという気持ちになってしまっていた。
「と、俊成……」
「うん……瞳子……」
横から瞳子の震えた声がして彼女を抱き寄せる。葵は譲るように一歩退いた。
瞳子の青色の瞳が揺れている。緊張しているんだなと自分のことを棚に上げながら想った。
緊張をほぐすように頭を撫でる。彼女は気持ち良さそうに目を細めた。
俺は堪えられなくて瞳子に顔を近づけ、唇を触れ合わせた。
すぐに離れてしまうような軽いキス。それでも胸に広がる温かなものが本物だ。
二人のことが本当に好きだ。それを確かめるように何度もキスをする。
葵と瞳子は納得してくれたとはいえ、俺は本当に答えを出せるのだろうか? 二人を愛しいと想う気持ちが変わる様子がなくて、それに関してはちょっと自信がなくなりそうになる。だって二人ともかわいいんだもの。
彼女達の前では情けないことは口にできない。これは俺が真剣に向き合ってがんばっていかなければならないことだから。
「瞳子……もう一回……」
「うん……ん」
熱に浮かされたようにキスをする。肩をちょんちょんと叩かれて目を向けると、葵がニッコリと笑っていた。
「そろそろ学校に行かないと遅刻しちゃうよ」
「あ、時間」
「そ、そうね……うん」
瞳子が恥ずかしそうにツインテールを手くしで整える。俺もなんだか誤魔化すように頭をかいた。
ていうかこれから入学式なのに何をやってんだか……。こんなことをしていたら二人のことしか考えられなくなってしまう。
「トシくん、手つなご」
葵がいつものように手を差し出してくる。俺はいつものように彼女の手を取った。
「うーん、そうじゃなくてこうがいいかな」
彼女は丁寧に一本ずつ指を絡める。それはいわゆる恋人つなぎというものだった。
柔らかくて温かい感触が深くまでわかる。自然と笑みが零れた。
「ほらほら瞳子ちゃんも。トシくんはここまでやらなきゃわかんないんだから」
「そ、そうね……。俊成、あたしも手をつなぎたいわ」
「う、うん。喜んで……」
瞳子とも指を絡ませてしっかりと手をつなぐ。葵とは違ったぬくもりが感じられて笑顔が止まらなくなる。
両手で二人を感じているだけで胸がドキドキする。恋人つなぎをしているだけなのに、心がどこかへ飛んで行ってしまいそうだ。
三人で揃って学校へと向かう。新しい通学路。でも前世で通ったことのある道だ。なのに違った景色に見えるのは隣を歩いてくれる人が愛しい人だからだろうか。
中学校に辿り着くと初々しさを思わせる新入生が集まっていた。まあ俺達も同じく初々しい新入生なのだが。
同じ小学校から上がってきた子達がたくさんいる。その中に混じるように知らない子達がいた。違う小学校から上がってきたのだろう。だけど懐かしく感じるのは前世で見知っているからだ。
中には恰好から不良っぽさをアピールしている男子がいた。あれはリーゼント……。なかなかに気合が入っている。懐かしいなぁ。
当時は恐いと思っていたが、今はまだあどけなさを残しているせいか微笑ましく感じてしまう。だからと言って舐めた態度をしていたらケンカを売られてしまうかもしれないので気をつけたいところだ。
「トシくん?」
「俊成?」
葵と瞳子の手をぎゅっと握る。二人を守れる男になりたい。まずはそれができなければ話にならない。
これまでも未来が変わってきたように、この中学生としての未来が変わってくるのかもしれない。いや、変わるはずだ。そもそも葵と瞳子と付き合っている時点で未来は変わっているしね。
未来が変わるのは臨むところだ。そうするように行動してきた。
もちろん良い未来へと辿り着くように。幸せになりたい気持ちとともに、幸せにしたいという気持ちが大きくなってきた。
一度は辿った道とはいえ、油断はできない。人生は楽じゃないと知っているからな。
「二人とも、中学でもよろしくね」
俺の言葉に、葵はぱぁと笑顔を見せ、瞳子はくすくすと小さく笑った。
「うん! これからもよろしくねトシくん!」
「こちらこそ。俊成といっしょにいられて嬉しいわ」
こうやって俺達は入学式を迎える。心と体の成長が著しい中学生。子供から大人へと変化していく時期を、俺は葵と瞳子といっしょに過ごしていくのであった。
※ ※ ※
「最初は本当にドキドキしてばっかりで、余裕なんてなかったなぁ……」
まあ、今でも余裕があるとは言えないが。
中学生になったばかりの時は葵と瞳子と同じくらいだった身長も、今ではだいぶ差がついた。目線が変わって俺を見上げてくる二人がかわいくてたまらない。
そんなかわいい二人は当たり前だが人気があった。中学生にもなれば異性を意識するお年頃だ。元々かわいかった二人に対して向けられていた目の色が変わったことを俺は敏感に察知した。
救いだったのは男子が妬みでちょっかいをかけるのは俺の方に向いてくれていたところだろうか。葵と瞳子だって大変だったろうし、少しでも二人の盾になれたのなら良かったと思える。
佐藤を始めとして、味方になってくれた人達の存在も大きい。柔道部員なんて俺が困っているというだけで手を差し伸べてくれたりもした。今でも感謝している。
「まずは二人を守れるようになること。話はそれからだ。……じゃないとここから先へと進む資格なんてないよな」
腕に力を込める。中学生になったばかりと違って我ながらたくましくなった。力で何でもかんでも解決するつもりはないけれど、これなら二人を守れるんだって自信にはなる。
俺が成長したように、葵と瞳子だっていろいろな面で成長した。それはみんなも同じで、前世とは関係性が違ってきたこともあって印象が変わったように思える。
これからどんな未来に向かって行くのか。高校生活はまだ始まったばかりだ。
俺が答えを出すために悩んでいるように、きっとみんなも何かを悩んでいる。俺が困っていた時に助けてもらったように、できるだけみんなの力になりたい。
それは葵と瞳子も同じだと思うから。
できることならこの高校生活の中で俺は答えを出したい。みんなを急かすつもりはないけれど、それぞれの答えを出す時を見届けられたらと思うのだ。