「いよいよトーナメントか……うわあ、緊張する」
イブが身支度をしてくれている間、アリシアは目を瞑り、精神統一をする。
ベルモント伯爵をガゼボで目撃して以降、バーベナが伯爵と繋がりのありそうな人物について洗っている。鉱物の精製や加工に関わる産業、武器を取り扱う商会。だがどちらもロベリア国内にはいくつもあり、この短い期間では特定までは至っていない。
バーベナと話し合った結果、アリシアは試合に専念しつつ、彼が怪しい動きをする人物を探し、アラン王子暗殺計画に関わっている人間を特定するということになった。
——気を引き締めなきゃ。うっかり殺されたりしないように。
「アラン王子、準備が整いました」
「ありがとうイブ、行ってくるよ」
「……どうかご無事で」
心配そうなイブを部屋に残し、アリシアは闘技場の控え室に向かう。
戦いに向けての覚悟を固めつつ、廊下を曲がったところで、突如男が飛び出してきた。
全速力で突っ込んでくる彼に気づき、紙一重のところでアリシアは避ける。
すると男はそのままの勢いで壁に正面衝突した。
「いててて……」
「あれ? ノア? 何してんのこんなところで」
「あっ! アラン王子! よかった、行き違いにならなくて……。聞いてくれよ大変なんだ!」
「何かあったの?」
超がつく楽天家のノアが、ここまで焦っているのは珍しい。彼のあとをついていった先にあったのは、メンシスの騎士たちが住む寮だった。
「何これ、どういうこと?」
案内されたのは食堂。食べかけの食事が二十人分ほど残っている。床は綺麗に清掃されていたが、酸っぱい匂いが残っていた。
「メンシスの上位騎士たちが軒並み食中毒で倒れたんだ」
メンシスの騎士たちはレベル別に上位・中位、下位騎士に分けられている。今回倒れたのは上位騎士のみで、他の騎士たちの体調に変化はないという。
「食中毒……? 上位騎士だけが?」
「上位騎士だけは料理も豪華だし、食器も上等なものを使ってるはずだけど。担当のコックかメイドが衛生管理を怠ったんだろうな。最悪だよ、もう」
——このタイミングで、メンシスの食事担当がそんなミスを犯すなんておかしい。もしかして毒を盛られた?
正攻法で戦ってはグラジオの上位騎士に敵わないと思ったロベリア側が、上位騎士の食事だけに何か薬を盛ったのではないか。アリシアはそう考え、腕を組んだ。中位、下位騎士さえいれば試合は成り立つ。そうすればロベリアが優勝することはそんなに難しくないはずだ。彼らのほとんどは、中位の騎士より上の実力があるとセオドアから聞いている。
「アラン王子……」
「セオドア!」
騎士服姿のセオドアが、階段の壁に寄りかかりながら二階から降りてきた。いつものような威厳はなく、顔色が悪い。
「セオドアは休んでいて。もしロベリアの騎士が勝ち上がってきたとしても、なんとか勝ってみせる」
「棄権してください。行ってはいけません」
「へ……?」
セオドアは肩で息をしながらも、アリシアを説得しようと必死の形相で言葉を紡ぐ。
「あなた、女性なんでしょう? これは食中毒などではない。先ほど騎士団付きの医師に確かめさせましたが、上位騎士の器にのみ薬が塗られていたことがわかりました。この調子だと、最終戦でも何か仕掛けてくるはずです」
「いや、でも」
——あれ。もしかして私が女ってことだけ、この人には伝わってなかったの?
「あなたが多少腕の立つ女性なのだと知っていたならば、初めから鍛錬場にさえ入ることを許可しませんでした。王子の仕事は私が全て担当し、あなたにはお飾りの役目だけ任せていたことでしょう」
弱々しい手で、セオドアはアリシアの両肩を掴む。
「棄権してください。あなたが痛めつけられる様を、私は見たくありません」
「ああー、副団長、女性にとてつもなく優しいですからね。それでアリシアが女っていう情報だけあえて伝えられなかったのかぁ」
間の抜けた声でノアがそう言ったのを聞き、アリシアも状況を理解した。
——昨日のあれは、そのことを確認しようとしてたのね。
アリシアは屈託なく笑い、自分の肩に置かれたセオドアの手に自分の手を重ねる。
「セオドア、安心して。必ず勝ってくるから。あなたが教えてくれたことを無駄にはしない。それに、危険を承知でこの役を引き受けているんだから。この後に及んで私は逃げたりしないよ!」
彼は目を見開き、驚いたような顔でアリシアを見る。
「ノア、セオドアをベッドまで運んであげて。立っているのも辛そうだし。私は闘技場へ向かう。騎士たちの士気も下がっているかもしれない。声をかけてくるよ」
「おう! 任せとけ!」
「あとできれば、セオドアの代わりに最終戦まで上がってきてよね」
「わかってらあ!」
下位騎士であるノアが上がってくるのは難しいだろうが。やる気を高めておいて損はない。アリシアは二人に背を向けると、王子の仮面を被って戦場へと向かった。