あれから頭がぼーっとする。
アリシアは、自室のベランダから夜の庭を眺めていた。
王子としての勉強に集中しようとしても、どうしてもバーベナの顔が脳裏を掠める。
触れられた指先、耳元で囁かれる男の声。愛しむように包まれた大きな手の温もり。
美しい紫色の瞳は、熱を帯びた瞳でこちらを見上げていた。
「はあ、もう……ただ手を握られただけなのに」
ため息をついても、余韻は振り払えない。
彼の顔を思い出すと、どうしても姫の姿の向こうにいる、男としての「キリヤ」がチラつく。
——あれからもっと先に進むわけでしょ? 私、耐えられるかなあ……。
「アラン王子」
「うっひゃああああ!」
突然背後から声をかけられ、驚きのあまり悲鳴をあげてしまった。
「あの……先ほどから何度も声をかけさせていただいていたのですが……」
振り返れば、イブが立っていた。片手にはアラン王子用の青い上着を持ち、険しい顔をしている。
「なに、どしたの?」
「セオドア様が、内密のご用件でお越しになっています」
「セオドアが……? え、もう私寝る支度しちゃったんだけど」
「夜警の合間に抜けてきたそうで。あまり時間がないそうなのです。上着だけ着てお迎えするのはどうでしょうか」
「ええ……」
追い返したい気持ちでいっぱいなのだが。内密の用件ということは、きっと身代わりがらみの話なのだろう。仕方なく了承の意をイブに伝えれば、黒い鎧に身を包んだ金髪の美丈夫——セオドアが中に入ってきた。
「お勤めご苦労様です。今イブに紅茶を出させますので」
「すぐに戻らねばなりませんので遠慮いたします。お休みのところ申し訳ございませんが直近の予定で共有しておきたいことがあり……」
その場に立ったまま、無表情でそう一気に言葉を放ったセオドアが視線を上げる。彼のエメラルド色の瞳と目があった。
セオドアは疑問を顔に浮かべると、まじまじとこちらを観察し始める。部下といえど、寝巻きというのが不味かっただろうか。
「私の顔に……何かついています?」
肩をすくめながらそう問えば、彼は顔を逸らし、片手で口元を覆う。
「……いえ……。あの……たとえ事情を知っている人間だとしても、その態度はいかがなものかと。人の目がない場所でも、王子としての態度を崩さぬ方が良いかと思います」
動揺した様子を見せた彼だったが、いつもの如く手厳しい様子に戻ったのを見て、アリシアは首を傾げる。今の表情はなんだったのか。
「わかった。で、話というのは?」
言われた通りに王子らしく振る舞ってみれば、気を取り直したらしきセオドアが、話を進める。
「実は毎年恒例の騎士団の行事がありまして。おそらくご存知ないと思いましたので、事前にお耳に入れておこうと」
セオドアはそう言うと、淡々と行事の内容を話し始める。
初めは腕を組み、王子らしさを意識しながら鷹揚に話を聞いていたアリシアだったが。内容を聞き進めるうち、みるみる顔から色が失われていった。