夕食後、王宮からの逃亡を試みたアリシアだったが。部屋の外には見張りのメイドがいるし、部屋の中にもメイドがいる。そしてトイレに行ったと見せかけて、窓の外へと身を乗り出してみれば、そこにもメイドがいた。
「くうう、どこもかしこもメイドだらけで逃げられない!」
「諦めてください、アラン様」
「私はアランじゃない!」
長い黒髪を頭頂でお団子にまとめたこのメイドの名はイブ。まだ十代の少女だが、アラン王子ことアリシア付きのメイドを任されているらしい。可愛らしい顔をしているが、まるで鉄仮面の如く表情が動かない。
「アラン王子を連れ戻せばいいでしょ? 私を身代わりに仕立て上げるより、ずっと現実的な策だと思うんだけど」
「マリア商会は表向き、王子を匿っている事実を隠しています。交渉に際し、マーブレの王族を頼ることもできるかもしれませんが……。表面上友好を保っていますけど、マーブレは最近軍備を強化しているとの情報もあり。ロベリアと緊張状態にある今、陛下はマーブレ王族に借りは作りたくないというお考えなのです」
「……国どうしのやり取りって、難しいのね……でも! それはそれ、これはこれでしょ。王子役だなんて、私には務まらないよ。家に帰して欲しいって王様に伝えてよ」
「それはできかねます」
「どうして!」
イブの眉間のシワが険しくなる。彼女は重要なことを強調するように、声を落としてゆっくりと語りかけてきた。
「いいですかアラン様。王子失踪の件は国家機密です。それを知った今、あなたが選べるのは『王子の身代わりを務めること』か『ギロチン』なのです」
「ギロチン……?!」
アリシアは絶句した。
二十歳という若さで、なんと身代わり人生が決まってしまった。しかも自分の選択ではなく、幼馴染のお節介のせいで。
「アラン様。あなたがアラン様として勤められる限り、私たちは全力で尽くします。生きる希望を捨てないでください。……同じ女として、とてもお可哀想だとは思っております」
「……イブー!」
とっくに成人は迎えた年齢だというのに。アリシアはこの晩、彼女に縋るようにして泣き続けた。
◇◇◇
「姫が到着するのは三日後。それまでに必要最低限の知識と身のこなしを身につける……って無理にも程があるでしょ!!」
アラン王子としての人生一日目。アリシアは早々に壁にぶつかった。
「頑張ってください、アラン様」
無表情でそう言うイブに、アリシアはゲンナリした顔を見せる。
港町の倉庫街育ちのアリシアは、姿勢や歩き方、その身のこなしの全てを矯正する必要があった。話し言葉も下町感が溢れているので、直していかなければならない。
王族同士の会話についていける時事の知識だって学ぶ必要がある。
どう考えても、姫を迎える晩餐会が開かれる三日後までに、完璧にマスターできる気がしない。
「グラジオに嫁がれるロベリアの姫は、バーベナ姫といいます。女性としては背が高く、銀色の髪に紫色の瞳をされた美しい方です。三日後の晩餐会ののち、歓迎の催しがいくつも予定されております。そして二か月後、国を挙げての結婚式が行われます」
「……バーベナ姫は、王子に会ったことあるの?」
「両国の友好関係を深めるための舞踏会で、一度ダンスを踊っておられます。でも、アラン王子はロベリア嫌いでしたから。周囲から説得されイヤイヤ踊られたような状況でしたので、ほとんど会話はなかったと聞いています」
「そっか。はあ、でもさあイブ。結婚式まではいいとして。その後どうすればいいと思う? だってさ、その……初夜とかあるわけでしょ? 王族は子どもをもうけるのが仕事みたいなところあるしさ。女同士じゃ、どう頑張っても子どもできないよ?」
「……そうですね。そこはもう、どうにか誤魔化して、養子を迎えるしかないのではないでしょうか……」
「誤魔化すってどうやって?!」
「お茶を淹れて参ります」
くるりとアリシアに背を向けて遠ざかっていくイブ。取り残されたアリシアは、特大のため息をついた。
「どーすりゃいいのよ……」
三日後、いよいよバーベナ姫をのせた馬車が、グラジオ王国の中央広場へ到着した。
色とりどりの布を纏った象たちの行進が花嫁行列を先導し、ロベリアの国鳥が中心に描かれた赤い旗を掲げた旗手たちが、一糸乱れぬカラーガードを披露しながら王宮へ向けて進んでくる。
そしてついに、姫の乗った真っ白な馬車が現れた。馬車には金色の装飾が施されていて、ロベリアの紋章が刻まれている。窓にかけられた薄紫色のカーテンが開くと、見物に来ていた民衆からため息が漏れた。
銀色の長い髪に、純白の花をあしらったその姿は、地上に降り立った女神のように美しい。ピンク色のレースをふんだんに使った豪華なドレスは、彼女の美しさを引き立たせている。
アリシアは、式典のために設られた青いベルベットの軍服を着て、首都の門から王宮まで続く赤絨毯の上、王宮前で姫を待っていた。
教えられた通り背筋を伸ばし、顔には微笑みを貼り付け、必死に王子を演じている。
——偽物だってバレませんように。
そう願っているうちに、白い馬車が目の前に到着した。
降りてきた女性の神がかった美貌に息を呑むが、向けられた強い視線にドギマギする。
——綺麗だけど……めちゃくちゃ気が強そう!
きりりとした目元に、紫色の瞳。鼻筋の通った高い鼻。
目の前に降り立った美女は、アリシアを思い切り睨みつけていた。
「……手を」
小さな声でバーベナにそう言われ、慌てて手を差し出す。あまりの迫力に、完全に手順が飛んでいた。女神のような容姿に対し、彼女の声は思っていたより低く、ハスキーだ。
「あ、お手をどうぞ」
「遅すぎますわ」
——今、舌打ちしなかった?!
初対面の段階で、早速嫌われてしまったのではないか。
両国の友好関係を築く第一歩に浮かれる民衆の中で、アリシアはひとり震えていた。
「お! アラン様!」
自室に入ろうとしたところで、向こうから歩いてきたノアと出会した。お花畑を背負ったような緊張感のない顔を見たら、イライラが込み上げてくる。
アリシアはノアを手招きし、部屋に入れた。
今回の「王子の身代わり」作戦は、グラジオ王国でも一部の人間にしか知らされていない。そのためノアをボコボコにするためには、部屋に引き込む必要があった。
「歯を食いしばれ!」
「おわっ、やめろ! 落ち着けってアリシア!」
「これが落ち着いていられるか! ノアのせいで私の人生狂っちゃったんだから!」
「でもいい生活はできるだろ?」
「そういう問題じゃない! この馬鹿野郎」
両手で思い切りノアの頬をつねり上げ、声は抑えながらも思い切り怒りをぶつける。
「いへっ、いへへへへ! なんだよ、バーベナ姫様とうまくいかなかったのかよ? お手手繋いで歩いてたじゃないか」
「ずーっと睨みつけられてたよ! バレたんじゃないかとヒヤヒヤしたよ!」
「いや、もしバレてたらもっと大変な騒ぎになってるはずだろ? 単に、この結婚自体に乗り気じゃないんじゃないか?」
確かにノアの言う通りだ。今のところスケジュール通りことは進んでいる。少しだけ落ち着きを取り戻したアリシアは、ノアの顔から両手を離す。
「そういえば、夜の営みの方はなんとかなりそうなのか?」
あまりにも無神経な質問に、アリシアは収めた怒りを再びあらわにし、栗色の癖っ毛にゲンコツを食らわせた。
「いってー! これでも心配してんだって。まあ今はないかもだけど、結婚式後は逃げられないだろ?」
「どうにかできるわけないだろ!」
「仕方ねえなあ、俺が教えてやるか。まずはな」
「私に触るな! 引っこ抜くぞ!」
「おわっ、やめろ! ズボンを引っ張るな! なんてやつだ」
取っ組み合いの喧嘩を繰り広げたのち。力尽きた二人は、子どもの頃のように絨毯の上に大の字で寝そべった。
体を動かしたら少しスッキリした気がする。まだまだ殴り足りないが。
「まあ、姫様も人間だからさ。とりあえず話してみれば? それでうまくいかなきゃ、また相談に乗るからさ」
「ノアに相談に乗ってもらっても解決する気がしない。ストレスが溜まったら、また殴らせて。その方がスッキリするから」
「ひどいな!」
ノアを部屋から蹴り出してすぐ、部屋に戻ってきたイブが晩餐会の支度のために衣装の準備を始める。ちょっとの間しか着ていないのに、また着替えねばならないらしい。王族というのも大変だな、とアリシアは思ったのだった。