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第50話 青葉

「おはようございます。すみません、泊まらせて頂いちゃって……」


 振り返った永徳の顔には、疲労の「ひ」の字も感じられない。あれだけ飲んで、人一倍騒いでいたのに。大魔王の血はおそろしい。


「おや、起きたんだね。ぐっすり眠れたかい? 疲れているだろうから、そのままにしておいたんだ。あ、布団はかけてあげたけどね」


「もしかして、全員に布団をかけて回っていたのって、笹野屋さんですか?」


「従業員の健康管理も、俺の仕事のうちだからねえ。まあ、あやかしは風邪なんてひかないから、放っておいてもよかったのだけどね」


 穏やかに笑う永徳に釣られて、佐和子も微笑んだ。この人は適当に見えて、とても愛情深い人なのだというのが、今ではよくわかる。


「そういえばね、興味本位で調べていたのだけど。わかったんだよ、なぜ母がこの世から旅立つ前に、君を俺に紹介したのか」

「えっ、本当ですか?」


 先ほどの富士子の姿を思い出し、どきりとする。


「知りたいかい?」

「知りたいです」


 佐和子は永徳の隣に腰をかけ、話を聞く体勢を作った。


「俺の母はね、名古屋のお嬢様だったんだ」

「あ、それでういろうが好物だったのか……」


「商家の出でね。あの近辺では一番隆盛を極めた家だったようだ。そこまで栄えた背景には『魔王信仰』があったと言われていてね」


「魔王って、まさか」


「そう。『魔王信仰』で祀られていたのが、うちの父、大魔王山本五郎左衛門だったんだ」


「なんでまた、魔王信仰なんて」

「始まった経緯を聞いて、俺はドン引いたのだけどね」


 全国のあやかしを統括する大魔王「山本五郎左衛門」は、時代時代で各地を転々としていたらしい。富士子の先祖が商いを始めた当時、山本五郎左衛門は名古屋を拠点にしていたのだという。


「父はね、母の先祖の娘である『お富』に一目惚れをしたそうだ。恋焦がれて、どうしても一緒になりたくて、彼女の両親のところに夜な夜な現れ、婚姻を迫ったという」


「嫌なストーカーですね……」

「まったくだ」


 永徳は高らかに笑いつつ、子どもに昔話を聞かせるようなトーンで、佐和子の目をみて続きを話した。


「それでお富の両親は、『笹野屋家』の発展に力添えをすることを条件に、お富を嫁にやることを約束したんだ。父は大層喜んで、その条件を飲んだ。山本五郎左衛門に娘を輿入れさせて以降、笹野屋家は莫大な富を築いた」


「それが笹野屋家の隆盛の始まりだったんですね。……でも、お嫁に行ったのは『お富』さんで『富士子』さんではないですよね?」


 まあ、続きを聞きなさい、と永徳は佐和子を嗜める。


「人間の寿命は短い。しかしあやかしは長寿だ。お富が亡くなったとき、山本五郎左衛門は名古屋を離れようと決めた。笹野屋家とのつながりもそこまでにするつもりだった。しかし笹野屋一族は納得しなかった」


「え……それでどうしたんですか?」


「笹野屋家は生贄として、ふたたび一族の若い娘を嫁に出そうとしたんだ。これがまあ、魔王信仰の始まりだったわけだけど。でもそのとき父は断ったようだけどね、それでも一族は引かなかった。結局根負けして、父は生贄を受け入れたんだけど。やっぱり娶る気にはなれなくて、こっそり養子に出していたらしい」


「それは、お父様も困っていたでしょうね……」


「本当にねえ。それでそんなことが、笹野屋家の代替わりのたびに繰り返されたんだ。お富のときは彼女が亡くなったタイミングで生贄を差し出したけど、それ以降は父から沙汰がなかったからね。代替わりのたびに嫁を送り出すようになったみたいだ」


 お富のときほどではないが、生贄を送り出される手前、なにもしないわけにはいかず、山本五郎左衛門はそれなりに事業の繁栄に助力はしていたらしい。あやかしなのに、ずいぶんと律儀である。そういう性格だから、全国のあやかしをまとめ上げるほどの力を持っていたのかもしれない。


「それでね、笹野屋家からの最後の生贄が、母だったんだ」

「最後の……? ようやく終わりにできたってことですか」


「そうなんだ。白無垢を着た母が送られてきたとき、父はまた養子に出そうとした。だけどそれを母が断ったんだよ。『嫁として送られてきたのですから、他所へやられるわけにはいきません』ってね。父は呆気に取られた。嫁に来た女で、そんな気の強い女は初めてだったらしい。そして母は真っ直ぐに父を見据えて啖呵を切ったそうだ。『私も笹野屋家の生贄文化には嫌気が差しています。どうぞ私を嫁にお迎えください。籍を入れていただきましたら、私は実家へ絶縁状を叩きつけて参ります』ってね。当時うちの屋敷で勤めていたあやかしがね、モノマネ付きで披露してくれたよ。そのときの母の啖呵を」


 佐和子は白無垢を着た花嫁が、大魔王に向かって啖呵を切る場面を想像して痺れた。


 ——なんてかっこいい女性だったんだろう。富士子さんは。


「父はそんな母の姿を見て、ふたたび恋に落ちたそうだよ。そして母は、名実ともに父の嫁になった。これ以降笹野屋家とも縁が切れて、名古屋を離れ、大魔王山本権左衛門は鶴見に居を移したんだ」


「縁は切ったのに、笹野屋って苗字は残したんですね」


「父は人間の世界に戸籍がないからね。俺が生まれたことでいろいろ困って、そのまま笹野屋の苗字を使ったんだよ」


「なるほど。……あれ、でも。私、全然関係ないですよね。そのお話」

「それが関係あるんだよ」

「え、どの部分にですか?」


 永徳は口角を上げ、佐和子を見つめる。


「母には実は、将来を誓い合った恋人がいたんだ」

「えっ」


 夢の中で富士子が言った言葉が蘇り、佐和子は動揺した。


「鳥海さんのお祖父様は名古屋のご出身だそうだね」

「そうですけど、まさか……」


 料理人を目指していた祖父は、昔名古屋の料亭に住み込みで働いていたという話を佐和子は聞いたことがあった。


「どういうきっかけかまでは分からなかったんだけどね。彼らは恋に落ち、家族に隠れて逢引をして、愛を育んでいたそうだ。だがしかし、一族の中でとびきり容姿が良かった母に『山本五郎左衛門の嫁』の白羽の矢が立ってしまう」


 バスの中で出会ったときの、富士子の言葉が思い起こされる。


『いいわねえ。美しい盛りのときだもの。たくさん恋愛ができるわね。私も若い頃、忘れられない恋をしたものよ』


 彼女の昔を懐かしむような、切ない表情。あれは祖父を思っての言葉だったのだろうか。


 ——富士子さんはどんな気持ちで、山本五郎左衛門さんに啖呵を切ったんだろう。


 そのまま養子に出してもらえたら、祖父と結ばれる人生もあったかもしれない。自分の幸せを築くことができたのかもしれないのに。


「なぜ、養子の話を断ったんでしょう……」

「自分のように不幸な思いをする人間を、これ以上出したくなかったんじゃないかな。そういう正義感の強い人だったんだ、あの人は」


 庭を眺めていた永徳は、佐和子の方を振り向く。じっと見つめられると、なんだか落ち着かない。


「鳥海さんは、お祖父様似なのかな」

「はい、子どもの頃からよく、隔世遺伝だと言われてました……」


「……母は、君の顔を見て。かつて愛した男の面影を重ねたんじゃないかな。それで懐かしくなって、自分の自宅に呼び寄せた。……ついでに、結婚しそびれた愚息とうっかり結婚でもしてくれたらいいな、とでも思ってたんじゃないかね。若いときに結べなかった縁を……結びたかったんだと思うよ、鳥海さんのお祖父様との」


 今はもうどうすることもできない、遠い昔の恋の物語を聞いて、佐和子は胸が締め付けられた。


「なんだか、切ないですね。富士子さんが、天国でうちの祖父に再会できているといいな……」

「そうだねえ。だからどうだい。うちに嫁に来ないかい」


 急な話の方向転換に、佐和子は目を瞬かせる。


「え。今の話でどうして『だから』になるんですか」

「いや、これも縁じゃないか」

「笹野屋さん、しつこいです」

「悪いね。お富の話で分かっただろう。血筋なんだよ、しつこいのは」


 あっけらかんとそう言い放った永徳を見て、佐和子は吹き出した。

 両手で口を覆いながら、笑いを止められずにいる佐和子を眺めながら、永徳はふたたび口をひらく。


「鳥海さん」

「……なんですか」

「あやかし瓦版で、あやかしの幸せに貢献するための記事を、君は一緒に書いてくれると決めたんだよね。人間の世界ではなく」

「そうですが」


 佐和子のその言葉を聞いて、永徳は嬉しそうに頬を緩ませると、内緒話をするときのように、佐和子の顔に、自分の顔を近づけた。


「今日からは、真面目に口説くからね」

「は……」


 上目遣いで青い瞳に見つめられて、佐和子は耳まで真っ赤になった。

 慌てて逃げるように距離をとると、今度は永徳が吹き出す。


「じょ、冗談ですよね、笹野屋さん」

「冗談ではないよ、嫁候補殿」


 二人の座る縁側に、暖かな風が吹く。


 寒さに凍える季節を越え、芽吹き、美しく咲き誇った桜は、今、花散る季節を終えて、力強い青葉に命を漲らせている。


 陽の光に照らされた日本庭園の大島桜は、青々とした緑の葉を風に靡かせていた。



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