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第49話 桜の下で

「ねえ、お嬢さん」

「ん……」

「よかった。声が届いたかしら」

「誰……?」


 ゆっくりと目を開けた先で視界に入ってきた風景を見て、佐和子は息を呑んだ。


 吹雪のように舞い散る純白の花びらが、暖かな光の中で踊っている。

 豊満な大島桜の群生地が、目の前には広がっていた。


 しかし視界はどこかぼんやりとしていて、なんだか現実感がない。桜の季節もとうに終わっているはずだ。


「鳥海佐和子さんというのね、あなた。名前も知らないあなたに、急にお見合いなんて持ちかけてごめんなさい」

「もしかして……富士子さん?」


 そう口にすると、まるでカメラのレンズの焦点が合ったときのように、目の前の人物の姿がくっきりと現れた。


 藤色の着物に、ロマンスグレーのパーマヘア。間違いなく、あの日バスで見た笹野屋富士子の姿だった。


 ——これは、夢?


「あの、驚きはしましたけど。でも、富士子さんに誘われて、ここへきて。……本当によかったです。ありがとうございました」

「そう、それならよかった」


 満足げに微笑んだ富士子は、佐和子の隣に座る。気付かぬうちに佐和子は、白木のベンチに腰掛けていたようだった。


「永徳はねえ、強がりでねえ。飄々としているように見えて、実は心配性だったり、優しいが故に傷つきやすいところもあって。親としては独り身のまま残して逝くのが心配だったのよ」

「でも、笹……永徳さんなら、すごくできた方ですし。おひとりでも楽しく生きていけそうな気もします。永徳さんを慕ってくれるあやかしの皆さんもいらっしゃいますし」


 富士子は佐和子の言葉に苦笑し、「そう見える?」と言いつつ、腕を組んでため息をつく。


「あやかし瓦版を継いだばかりのときはね、いろいろあったの。あやかしと人間の気質の違いとか、働く上での常識の違いとかで衝突して。今はあんな感じだけど、いっときはあの子も相当悩んでいたのよ」


 昔を思い出すように、遠くを見ながら。富士子は佐和子に向かって言葉を紡ぐ。


「そもそも主人が事業を永徳に譲渡したのは、引きこもっていたあの子を外に引っ張り出すためでね。永徳は乗り気じゃなかったのよね。編集部員からの信頼も得られなくて、行き詰まって。さらに塞ぎ込んでしまった永徳に、あるとき主人が言ったの。『過去を見るな、前を向け。お前の手で不幸せにした人間のことでクヨクヨしているなら、より多くのものたちを幸せにする道を探せばいい』ってね。私は知らなかったのだけど、あの人には視えていたのね。永徳が引きこもってしまった理由が」


 永徳には千里眼の能力がある。ということはつまり、山本五郎左衛門にも似たような能力があったのだろう。墓を見舞う永徳を見て、なにがあったのかを調べたのだろうか。


「その言葉を聞いてからかしら。息子が変わったのは。『時代の変化に淘汰され、困っているあやかしの幸せに貢献する』っていうあやかし瓦版の事業目標に、生きる意義を見出したのね」


 繰り返し聞いたその言葉。自分が心を奪われたその言葉に、彼も救われていたのか。


「だからね。人間であるあなたが、自分と視点を共有できる仲間になってくれたこと。きっとあの子は心強かったはずよ」

「そう……ですか……」


 佐和子が富士子の言葉を反芻していると、視界がチカチカと明滅するのを感じ、空を見上げた。すると富士子はハッとした顔をして、残念そうな顔を佐和子に向ける。


「あら、そろそろ時間みたい。ごめんなさいね、いつも一方的で」

「えっ、富士子さん? あの」


 慌てて富士子を引き止めようとする佐和子を見て、彼女はふっと表情を緩め、顔に刻まれた皺を深めた。


「ふふ。その慌てた顔。あの人にそっくりだわ」

「あの人……?」

「佐和子さんて、お祖父さん似だって言われない?」

「はい、祖父を知る人には、よく言われました……けど……」

「私があなたを嫁候補に選んだ理由。それはね、あなたが私の初恋の人に似ていたから。真面目一徹で優しいあの人の孫なら、きっとうちの息子の足りない部分を補ってくれるんじゃないかと思ったの」

「それって」


 まばゆい閃光があたりを包み込み、富士子の輪郭がぼやけていく。佐和子は思わず目を瞑った。


「嫌じゃなかったらこの先も、あの子を、支えてあげて」

「待ってください富士子さん、初恋の人って……」


 光の向こうに消えた富士子の姿を引き止めようと、右腕を伸ばす。自分の腕に意識がいったことで違和感に気づき瞼を開いた。古い木造家屋の天井が見える。佐和子は和室の布団の上で、天井に向けて腕を突き上げていた。飛び起きて辺りを見渡し、自分が笹野屋邸の客間にいることに気がつく。


 ——さっきのは、ただの夢? 客間にいるっていうことは、もしかして、笹野屋さんが運んでくれたのかな。


 廊下に面した側の障子を開けると、すでに空は明るくなっていた。どうやら朝まで眠ってしまったようだ。


 客間から顔を出せば、あやかしたちが廊下のあちらこちらに散らばるようにして寝ており、その誰もが上から布団をかけられ、穏やかな寝息を立てている。


 平和な様子に頬を緩ませつつ。佐和子は洗面台に向かう。


 顔を洗ったあと、ふたたび廊下に出てみまわってみたが、寝転がっているあやかしたちの中に、永徳の姿だけ見当たらない。


 視線を漂わせていると、縁側に紺色の羽織が見えた。


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