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第45話 彼女の将来のために

 おどおどしながら隣の自席に座る。すると早速山田がにじり寄ってきた。


「ねえ、社長からの話。なんの話だったの? もしかして新規デジタル施策の話? 例のインフルエンサーの」

「あ、はい……」

「山吹くんが途中で投げ出したやつね。社長ったら、性懲りも無くまた若者を捕まえて。私に任せてくれればいいのに。で、やるの」

「まだ仕事を覚えなければならない段階ですし、ご遠慮させていただこうと思ったんですが、押し切られてしまって」


 山田の眉間に皺がよる。明らかに不機嫌になったのを見て、佐和子は自分が彼女の地雷を踏んだことを知った。


「安請け合いしちゃって。あ、社長案件受けたからって、通常業務の手は抜かないでよ。仕事の量も減らさないから。じゃ、私これから打ち合わせだから」


 彼女は席を立つと、背の高いヒールをツカツカと鳴らしながら、エレベーターホ―ルへ出ていく。


 入社早々、目をつけられてしまった。目立ちたくなかったのに。


 思い返してみると、山吹も言っていた。新規のプロジェクトを任されたと。張り切っていた様子だったが、もしかしてこれがきっかけで上長とギクシャクして、会社に居づらくなったのでは。


 この日の帰り。山吹にメッセージを打ってみたが、既読がつくことはなかった。


   ◇◇◇


「探したよ。ようやく姿を現したね」


 永徳が微笑みかけた相手は、緑の生気に満ちた大島桜の下で不気味に笑っていた。


「またお会いできて嬉しいわ。永徳さん」


 新芽の青々とした様子とは対照的に、椿に屋敷に侵入してきたときほどの勢いはなく、体のあちこちに玉龍によると思われる噛み跡ができている。満身創痍といった様子で、息も絶え絶え。しかし永徳に視線を向けられれば、うっとりとした表情で目を細める。


「追いかけっこは楽しかったけど。眷属じゃなくて永徳さんに追いかけられたかったわ」

「悪いね。俺もそんなに暇ではないんだ」


 引き攣った笑みを浮かべながらそう言う永徳に、ねっとりとした愛情をはらんだ眼差しで椿は答える。


「でも、こんなふうに私に気持ちを向けてくださって、とっても幸せ。これまでは暖簾に腕押しで、全然反応していただけなかったもの」

「俺は、ずいぶんと鈍かったんだねえ。こんなに熱烈に想われ続けてたなんて。……まあ気が付かなくて幸せだったみたいだけど。知らぬ間にだいぶ周りにも被害を出していたようだし」


 うんざりした様子で顔を歪める永徳の顔を、椿は嬉しそうに眺めた。


「あの女を狙ったのは正解だったわ。こんなふうに永徳さんの手で殺してもらうことを夢見ていたの。想いが届かず愛してもらえないなら、そうしてもらうのが一番いいわ。本当はその前に、あの人間の首を掻き切ってやりたかったけどね」


 刹那が言っていたように、マイケルの事件以降も椿は執拗に佐和子に攻撃を仕掛けていた。しかしどれも事前に永徳に阻止され、ことなきを得ていた。


「あの女を殺せていたらきっと、もっともっと激しい感情を私に向けてくださったでしょうね。ああ、本当に口惜しい! でも完敗だわ。もう逃げる力も残ってないもの……さあ、永徳さん、殺してちょうだい」


 恍惚の表情で笑う椿の顔を、永徳は表情を一ミリも動かさず凝視している。


「残念ながら君の願いは叶わないよ。自分の身内に危害を加える人間に、そんなに優しくなれないんだよ、俺はね」


 永徳の背後から陽炎のようなモヤが立ち上る。すると椿の背後の大島桜が、バキバキと音を立てて形を変えていく。鞭のように黒々とした腕をしならせる化け物となった桜を見て、椿は永徳の真意を探るように視線を向ける。

「なにをするつもり……?」


 大地に降ろされた根の部分に、底の知れない大きな穴がぽっかりと開いた。おどろおどろしい大穴の様子に、さすがの椿もごくりと唾を飲む。


「俺はね、空間を自由に繋げる能力に長けているらしいんだ」


 その言葉に、永徳がしようとしていることを、椿は察したようだった。


「まさか……」

「殺しなんて生ぬるいことはしない。君には鬼門の向こうで永遠に彷徨ってもらう」


 桜はまるで生き物のように幹を伸ばし、椿の脚を絡めとる。慌てた椿は、赤い両手の爪を刃物のように伸ばし、なんとか地面に止まろうと、石畳の上に爪を立てた。しかし足掻けば足掻くほど、幹は椿の足をキツく締め上げていく。


「いや! 生きたまま永徳さんに会えないなんて、そんなの嫌よ! ひどい、ひどいわ! 絶対にそんなことにはさせない! だったら殺して、殺してよ」

「君は俺の大事な人を傷つけようとした。残念ながら、許すことはできないね。それにこれは他のあやかしへの見せしめでもある。半妖笹野屋永徳の想い人に手を出せば、どんな目に遭うかっていうね」


 永徳がグッと拳を握りしめると、幹はさらに椿の体に絡み、ずりずりと穴の奥へと引きずっていく。


 耳をつんざくような叫び声も、桜の枝に異界へ引き摺られていく鬼女の姿も。永徳が周囲に張った結界により、通行人には届かなかった。あたりには静寂が戻り、椿は誰にも気づかれぬまま、この世とあの世のあわいへと消えた。


 永徳は自分の顔に手を当て、強張った顔を崩すようにもみくちゃにした。残酷な気持ちを追い出そうと、肺の奥から息を吐き切ると、その場に大の字になって寝転んだ。


 どこまでも青い空が広がっている。

 すっきりしたようで、どこか寂しさが残る。

 それは隣にいて欲しい人が、手の届かないところへ行ってしまったせいだろうか。


「本当ならこういう手荒な真似はしたくないんだけどねぇ。あのまま放っておいたら鳥海さんが危ないからなあ。モテたいはモテたいけど、ああいうのに好かれるのはもうごめんだな……」


 しばらくそのまま寝転んで、さあ起きあがろうというところ。立ち上がったつもりが、無様に転んでしまう。膝が笑っている。どうやら思ったより体力を消耗していたらしい。


「いやはや。ひさしぶりに大きな術を使うと、体にくるね」


 頭上では、陽の光を鱗にやどす玉龍が舞っていた。


「ご苦労だったねえ、玉龍。もうお昼寝に戻っていいよ」


 玉龍は主人の元へ降りてくると、頭を垂れ、笹野屋家の屋敷の額縁を目指して飛び立っていく。


 ——これで鳥海さんは自由に生きていける。彼女が選んだ道を応援してあげないと。ああ、でも心配だなあ。あの子、周りが見えなくなって突き進んじゃうところあるから。


 永徳は「よっこらせ」とやっとやっとで立ち上がり、へっぴり腰でもつれる脚を引き摺りつつ、自分の屋敷へ戻ったのだった。



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