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第13話 不可解な取材の依頼

 週始まりの月曜日。外ではしとしとと冷たい雨が降っていた。


 桜が散ってしまわないかと心配になりつつ、寒の戻りに風邪をひくまいと、佐和子は厚手のカーディガンを肩からかけて仕事場へと向かう。


 いつもの通り三ツ池公園方面に向かって坂道を下っている途中、ふと視線を感じ三ツ池公園の入り口を見る。そこにはやはり人影があった。


 ——笹野屋さん? ……いや、あれは、シルエットからして女性か。


 ワイシャツに赤いタイトスカート。肌の色は透けるように白い。雨に濡れた長い髪が少々不気味で。微動だにすることなくその場に佇んでいる。


 ——なぜ、傘をさしていないんだろう。


 佐和子は疑問に思い、眼を凝らす。この肌寒い中薄手のワイシャツ一枚だけというのもおかしい。


 真っ赤な口紅で彩られた唇が三日月型に弧を描く。妖しげな笑みを向けられた佐和子は、ハンドバッグを胸に抱きしめ、思わずあとずさった。


 禍々しい気配に肌が粟立つ。あれは、きっと関わってはいけないものだ。そう、佐和子の本能が告げていた。


 おそろしくて逃げたくて、悲鳴を上げそうになる。しかしまるで凍り付いたかのように、口も足も動かなくなった。


 そうする間にも女は音もなく近づいてくる。鋭い歯を口の間から覗かせ、獲物を狙うように、ゆらゆらと。


 ——いやだ……なんなの……?


 女の顔の口が裂けるほどに大きく開かれる。長く研ぎ澄まされた赤い爪が、佐和子の首元に伸ばされたそのとき。突如、胸に抱えたバッグが熱を帯びた。ひとりでにファスナーが開いたかと思えば、中から永徳に渡された根付が飛び出した。


 シュウシュウと音を立てて根付の中から出た黒い煙が、一目散に赤いスカートの女に飛びかかる。


 すると女は甲高い悲鳴をあげ、霧のように消えてしまった。


「な、な、今のは……なんだったの?」


 先ほどまで動かなかった体がスッと軽くなり、自由を取り戻す。

 情けなく諤々と震える両膝を手で押さえながら、佐和子は女が消えた場所をまじまじと見つめた。そこには桜の花びらが落ちているだけで、なんの痕跡も残っていない。


「お守りって笹野屋さんが言ってたけど……本当に身を守る術みたいなのが、かけられてたんだ」


 物言わぬ小物に戻った根付は地面に落ちていた。永徳は「お守り」だなんて言っていたが、防犯ブザーよりも威力のある代物のようだ。その場のノリで雇い入れたように見えたが、あやかしの巣窟の中に人間を雇い入れるということに関して、それなりに配慮をしてくれているらしい。


「さっきのは忘れよう。あまり迷惑をかけてもいけないし。またなにかあっても、これが守ってくれるわけだし……」


 根付を拾い上げた佐和子は、自分に言い聞かせるように独り言を言った。

 初仕事でもあれだけ手をかけてもらったのだ。これ以上永徳に迷惑はかけたくなかった。


 ——ここでもまた、足手纏いにはなりたくないもの。


 動くようになった足で笹野屋邸まで駆け上がり、門をくぐる。不可解な女の姿を記憶から消去しようと、デスクについて早々、佐和子は一心不乱にノートパソコンに向かった。


   ◇◇◇


「さあ、みんな手を止めて。おやつの時間だ」


 永徳の声が耳に入り、佐和子は時計を見た。きっかり午後三時を指している。


 「おやつ」の号令を受けて、あやかしたちはすぐさま手をとめ、その場で伸びをしたり、立ち歩いたりと休憩モードに入っていた。


「おやつの時間もあるんだ……」


 意外そうにする佐和子に、刹那が反応する。


「あら、佐和子は初めてだっけ?」

「うん、ちょうどこの時間は外へ出ていることが多かったから」

「毎日じゃないけどね。たまにあるのよ」


 刹那の向こうで永徳がお茶を入れているのが目に入り、これはまずいと佐和子は席を立ち、慣れた手つきで支度を進める彼の横に立った。


「あの、お手伝いします」

「おや、いいのに。社員を労うのも俺の仕事なんだから」


 ——いやいや、さすがに経営者兼編集長にそんなことをさせるわけには。


 サラリーマン生活が身に染み付いている佐和子としては、編集長にお茶の支度を任せ、席でそっくり返っているあやかしたちの姿は衝撃的だった。


「ここは人間の世界とは違うんだよ。うちの組織はフラットなの。それにああ見えてちゃんと俺に対する敬意は払ってくれているから、それでいいんだ」

「そ、そうなんですか……」

「まあ、昔はね。もうちょっと厳しかったらしいよ? 特に父に対してとか、大名と配下みたいな関係性だったみたいだし。だがしかし、時は令和。経営者が社員を労うためにお茶を出す、そんな文化があったっていいじゃない。だって『勤めてもらっている』のだもの」


 まるで大学で講義をする教授のように、うやうやしくそう話す永徳を見て。佐和子は破顔した。


「……笹野屋さんは、良い方ですね。きっとここで勤められるあやかしは、幸せです」

「結婚相手としても素晴らしいと思うよ。まあ多少歳はいっているがねえ」

「さて、お茶を配りましょうか」

「つれないね」


 永徳の冗談なのか本気なのかよくわからない台詞を聞き流しながら、佐和子はお茶を配る。


 刹那と会話をするようになってから、いくらか編集部の面々の佐和子に対する刺々しさは緩んだものの、まだ腫れ物に触るような対応のままだ。湯呑みを机に配っている間も、お礼ひとつ言わないあやかしがほとんどで、河童に関して言えば茶を受け取ることさえ拒否された。


 ——焦っても仕方ないよね。一番猛烈に嫌がってた刹那ちゃんと仲良くなれたんだもの。少しずつ頑張れば、きっと。


 永徳はお盆に乗った分のお茶を配り終わると、一度奥に引っ込み、緑色の大きな紙箱を持って戻ってきた。佐和子はお菓子の配布を手伝おうと、箱の中身を覗き込んだところで、思わず歓声を上げた。


「うわあ、綺麗ですね」


 箱に入っていたのは、栗色、抹茶色、桜色の三色のういろうだった。栗色のものには栗金時が、抹茶色には粒餡が、桜色のものには桜の塩漬けが上にのっている。まるで宝石箱のような和菓子の詰め合わせに、佐和子は目を輝かせた。


「ここのお菓子は母のお気に入りでね。……母の月命日には毎回これを出そうと思っているんだ。今日が、初回」

「……あ」


 今日は、三月十三日。永徳の母である「笹野屋富士子」は、佐和子がこの屋敷にやってきた二週間前、つまり二月十三日に亡くなっている。風邪をこじらせ、肺炎を起こし、そのまま帰らぬ人となったのだと、永徳に聞かされた。


「まだ、亡くなって、日が浅いですもんね……」


 祖父がこの世を去った日のことを思い出し、胸がちくりと痛んだ。佐和子の祖父も肺炎を発症して亡くなっている。歳をとると少しの油断が命取りになる。転んで骨折したことをきっかけに引きこもって認知症になってしまったり、富士子や祖父のように、軽い風邪が死への入り口になったりする。


「生きとし生けるものはいつか死ぬ。仕方のないことだ。人間だって、あやかしだって」


 いつもの飄々とした様子でそう言った永徳だったが。その瞳には寂しげな色が浮かんでいる。悲しそうではあっても、少しも堪えた様子を見せないのは、まだ亡くなった実感が湧かないからなのかもしれない。


「私の祖父も、ういろうが好きでした。なんでも初恋の人の好物だったらしくて。思い出深いお菓子だったみたいです」


「そうかい。なんだかロマンチックだねえ」


 呟くようにそう言って、永徳はお盆をもってあやかしたちの席を巡り、彼らに好きな種類を選ばせた。


 佐和子が選んだのは、桜色のういろう。ほんのり甘くて、少しだけしょっぱくて。微かな塩の風味は、どこか涙の味に似ている気がした。



「編集長、この取材依頼、どうしましょう……?」

「んん? どれどれ……おやまあ、とんでもなく抽象的な依頼だねえ」


 おやつ休憩からしばらくして。刹那に頼まれた資料のリサーチ最中、そんな会話が佐和子の耳に飛び込んできた。インターンのヴァンパイア、マイケルと永徳の会話である。


 どうやら問合せフォームから、取材依頼の連絡が入ったらしい。


「よし、これは俺が話を聞いてこよう。鳥海さん、ちょっといいかい」


 机越しに声をかけられ、佐和子は振り向いた。永徳は佐和子に、コートを取ってこいと指示を出している。どうやら今から向かうらしい。


「取材依頼の内容を聞きに行く。今日はもう編集室には戻れないだろうから、帰り支度をして」

「わかりました。あの、お問い合わせの内容は……?」


 佐和子がそう尋ねると、永徳の代わりにマイケルが回答した。


「お問い合わせフォームの内容を、鳥海さんと編集長のメールアドレスにも転送しますね」


 「インターン」ということで海外から来ているマイケルは、仕事に関しては他のあやかしに接するのと変わらず佐和子にも対応してくれる。日常会話はゼロだが、そっぽを向かれないだけまだマシだ。


 佐和子はマイケルが送ってくれたメールをスマホで開き、その画面に表示されている内容を見て——眉間に皺を寄せた。


「我が主の死をともに祝ってほしい、って……どういうこと?」



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