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第11話 お化粧

「ほ、本当にこれで大丈夫なの?」

「うん、とっても似合ってるよ。こういう格好すると、刹那ちゃんも大学生くらいの女の子に見える」

「そう?」


 日曜日。佐和子は永徳の屋敷の一室を借り、刹那の支度を手伝っていた。刹那の日本髪を解くとかなりの長さになったので、頭は緩めのお団子ヘアにまとめ、オーバーサイズのデニムに、幾重にも花びらが重なったような袖口の、女性らしい印象の半袖ブラウスを合わせた。


「街歩きをするんだったら、こっちの方が着物よりも楽だと思うよ」

「でもなんだか、締め付けがまったくないと落ち着かないわ」


 洋装をするのはこれが初めてらしい。ソワソワしながら鏡の前で服装を確認する刹那の様子は、彼氏とのデートに浮き足立つ人間の女の子となんら変わりなく、佐和子には微笑ましく映った。


 ベンチでの和解のあと佐和子は、刹那が井川から贈られた雑誌を活用し、彼女の洋服の好みを聞くことにした。服装のだいたいの見当がついたところで、昨日二人で横浜駅まで服を買いに行ったのだ。着物では試着がしづらいと思い、そのときは佐和子の服を貸し、化粧品からデート服数セットを買い揃えてきている。


「お化粧するからここへ座って」

「佐和子、お化粧上手なの? あんたの地味な薄化粧を見てると、どうもうまいようには見えないのだけど」

「たぶん……」


 刹那は普段、真っ白なおしろいをはたき、まぶたに紅、目元に墨を引いて目尻に赤いアイシャドウでアクセントを加え、朱色の口紅を唇にのせている。あやかしの化粧文化について佐和子はよく知らなかったが。現代の日本人女性の化粧と比べると、派手で古風なものだと感じる。


 佐和子はそれなりにきちんと化粧をしているつもりだったが、刹那の化粧があやかしにとって標準的なものなのだとすれば、人間の化粧は彼女の言う通り「地味」と言えるだろう。


「まあ、いいわ。座ってあげるから綺麗にやりなさいよ」

「うん、頑張るね」


 会話ができるようになった当初は、佐和子のことが特別嫌いできつい態度を取られているのかと思っていたが。どうやらこれが彼女の生来の気質らしい。他のどのあやかしにもこの態度なので、この数日のうちに彼女の辛辣な言葉遣いに対しては、なんとも思わなくなってきていた。


 メイク特集のページを広げながら、佐和子は失敗しないよう、慎重に作業を始める。


「ねえ」

「なあに、刹那ちゃん」


 ファンデーションを塗られながら、目を瞑ったまま刹那は話す。


「アタシ、思ったのだけど。人間への化け方とか、人間が運営するレジャースポットの楽しみ方とか。……人間とのデートで気をつけるべきこととか……そういうの、まとめて記事にするのはどうかしら」

「えっ」

「……アタシみたいに。人間の生活に関心はあるけど、どうやって入り込んでいったらいいかわからないあやかしも、一定数いると思うから」

「お……面白そう! それ、すっごく面白いと思う。さすが刹那ちゃん、天才。記事でお手伝いできることがあれば、言ってね」


 興奮気味に佐和子がそう言うと、刹那は瞼をあけ、佐和子の額を軽く人差し指でつついた。


「あ・ん・たが書くのよ、佐和子」

「えっ、私……?」

「そうよ。編集長があんたを雇ったのは、人間ならではの視点で記事を書いてほしいからって聞いたわ。これこそ、人間のあんたにしか書けない記事なんじゃないの?」

「あ……」

「ほらっ、手が止まってるわよ! 仕事の話はまた月曜日に相談しましょ。今はアタシのお化粧を完璧に仕上げなさいよね!」

「う、うん……! 刹那ちゃん、ありがとう……」


 刹那に自分の価値を認めてもらった上で、仕事をもらえたのが嬉しくて。気づくと佐和子の目からは、大粒の涙が流れていた。


「な、泣くじゃないわよっ! なんでそんなことで泣くのよ。もう、人間ってのはよくわかんないわね!」

「ご、ごめん……。ありがとう刹那ちゃん、私、頑張ってみる」


 これ以上涙を流さないよう、厳しい表情を作った佐和子は、刹那の化粧に本腰を入れる。

 なんとか今風のおしゃれ女子に刹那を仕上げた頃には、涙も引っ込み、すっきりとした心持ちになっていた。



 絶対についてくるな、という刹那の言葉に頷きつつも。佐和子はこっそり、屋敷から公園の方に向かって坂を降りていく刹那の背中を見守っていた。


 デート中に張り付くようなことはもちろん考えていなかったが、やはり井川の反応が気になって、二人が落ち合うところだけは見届けたいと思っていたのだ。


 三ツ池公園の入り口の前で、刹那が井川と合流したのが見えた。表情は見てとれないが、落ち着きのない井川の動きから、照れているであろうことが察せられる。そもそも、服を気にしているのは刹那の方だけで、彼は服などどうでもいいのだ。好きになった彼女が自分のために着飾ってきてくれた事実だけで、きっと嬉しいはず。


 縮こまってお辞儀をする刹那の手を、井川が握る。刹那は一層背中を丸め、下を向いた。


 バス停の方に向かっていく彼らの背中は初々しくて、なんだかこちらまでこそばゆくなってしまう。


「いいなあ。恋愛かあ」


 仕事で認められたい。評価されたい。失敗を挽回したい。そんな思いでがんじがらめになって、うまくいかなくて。佐和子の心は氷のように冷たく固くなり、仕事以外のことになど目を向けられなくなっていた。


 二人の姿を見ていたら、ひさしぶりに自分も「恋をしてみたい」なんていう気分になったことに気づき、自分のことながら意外な気持ちになる。

 春うらら、暖かな陽のもとで、佐和子の心の蕾も綻んでいた。




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