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第9話 書店にて

 JR鶴見駅の東口では、二〇一〇年ごろから駅前の再開発が進められた。近年は駅直結の大型商業施設「鶴見シァル」や、区民文化センターなどの公共施設や子育て施設、飲食店などが入居する「鶴見シークレイン」などの新たな施設が建ち、古い商業ビルの多い西口に比べると、小綺麗な印象を受ける。


 永徳が言う書店は鶴見シァル内にあった。注目の新刊棚を横目に、目的のファッション誌のコーナーへと進んでいく。


 ——あれ、あの人。


 明らかに場違いな客がいる。二十歳過ぎくらいの男性だろうか。ボディバッグを前がけにして、二十代の女性向けファッション誌を手に取っては戻しを繰り返している。不思議に思って見つめていると、目が合ってしまった。


「あっ、もしかして邪魔でした? すんません」

「いえいえ、大丈夫です」


 見知らぬ人とこういう形で関わると、厄介ごとに巻き込まれるという前例がある。佐和子はそのまま立ち去って、彼がいなくなるまで待とうかと思ったが。男性の困った様子を見て、見てみぬふりをするのも悪い気がしてしまった。


「……あの、なにかお探しですか?」

「えっ?」

「いえ、いろいろな雑誌を手に取ったり戻したりされてたので」

「ああ……」


 男性は気まずそうに頭を掻き、視線を佐和子から外した。


「恥ずかしいっすよね。男が女の子のファッション誌を読むなんて……」


 ——もしかして、自分で着るのかな。パッと見た感じ、線も細くて背も高いから、女性ものの洋服を着ても、モデルさんみたいに映えそうだけど。最近はユニセックスの洋服も増えてるし、男性もお化粧をしたりする時代みたいだし……。


「あ、もしかして女装趣味があるのかとか思いました? 違いますよ!」


 佐和子は無表情のつもりでいたのだが、どうやら探るような顔をしていたらしい。


「あ、いやいや、そんなふうには思ってないですよ!」


 慌てて否定した佐和子だったが、複雑な表情をされてしまった。


 ——気まずい。おつかいは別の書店で済まそうかな……。


 逃げるように適当な挨拶をしてその場を去ろうとしたのだが、雑誌の彼に呼び止められた。


「あの……もしよかったら、今からちょっと付き合っていただけたりしません? 相談にのってもらいたいことがあるんスけど」

「えっ! わ、私がですか?」

「自分ひとりだとどうしたらいいかわかんなくて。女の人の意見を聞きたいんです。ご迷惑でなければ、なんスけど」


 やはり偶然目があった人に関わるとろくなことがない。そうは思いつつも、「私でよければ」と、反射的に答えてしまった佐和子は、不本意ながらも男性の相談事を聞くことになった。



 ——結局、ついてきちゃった……。


 駅ビル内のカフェで席を探したが、どこも混んでいたので、一度建物から出て、少し先にあるエンジ色の外壁が特徴的なチェーン店へと移動することになった。


「ほんとすいません、突然」

「いえいえ」


 ぺこぺこと頭を下げる男性に向けて、曖昧な微笑みを浮かべつつ、窓際の角席に着席する。お願いされると断れないのが佐和子の性分だ。早く帰りたいと思いながらも、「話を聞く」と言ってしまったからにはきちんと役割を果たさねばと、佐和子は椅子に深く座り直した。


 彼の名前は井川圭介というらしい。自己紹介もそこそこに、「あまり時間をもらっても悪いから」と、井川は本題を話し始めた。


「ちょっと前に、俺、大学入ってからずっと好きだった女の子に告白したんです。だけど見事ふられちゃって。結構引きずってたんスよね。でも、失恋くらいで落ち込んでるの恥ずかしいとか思って。大学ではいつもの通りの自分を演じてて」


 ——大学生かあ。いいなあ、夢も希望もあって。


 そんな羨ましい思いを抱きつつも、目の前の彼が非常に困った表情をしているのを見て、佐和子は姿勢を正す。


 ——周りから見たら夢いっぱいの大学生でも、真剣に悩んでいるんだよね。こんな見ず知らずの女に相談するくらいには。


「失恋から立ち直るのって、なかなか簡単にはいかないですよね。時間が解決するのを待つしか……」

 彼の心の傷を慰めるように、そう同調したのだが。

「あ、相談はそこじゃなくて」

「へ」


 そこじゃないんだ、と思わず突っ込みたくなったのを、佐和子は堪えた。


「彼女のことを思い出してつらくなると、よく三ツ池公園に行ってたんです。今の時期は桜が綺麗だし。あ、俺三ツ池の近くのアパートに住んでて、それで」


 彼の言う通り三ツ池公園は、總持寺と同様、桜の名所として知られている。シーズンには、笹野屋邸にもある大島桜をはじめ、河津桜やソメイヨシノ、八重桜などさまざまな種類の桜が咲き乱れる。また、名前にある通り園内には大きな池があり、満開の時期には群れをなす桜の美しさと、池に浮かぶ数多の花びらを同時に鑑賞することができる絶景スポットなのだ。


「人気のないベンチを選んで、そこで景色を見ながら、毎日ぼんやり過ごしていたら。うしろから女性に声をかけられたんです。『あなた、ここのところよく来るわね』って」

「見知らぬ女性、ですか」

「はい。で、振り返りもせずに答えたんです。『女の子にふられちゃって、ちょっと落ち込んでるんです』って」


 井川の話し口には、だんだんと熱がこもってきていた。


「そしたらね、なんて言ったと思います? その人。『そんなことで頻繁にここで佇んでるくらいなら、バイトでもしたら? フラれた女のことを考えて、メソメソメソメソ、時間の無駄もいいとこよ』って言ったんスよ」


「あらら、ずいぶんと辛辣な……」

「それで俺も、もう、腹が立って。振り返ってやったんです。そしたら、誰もいなくて」

「え?」


 ——今の、怪談だったの?


 思わぬ展開に目が点になった佐和子のことなど気にも止めず、井川は話し続ける。


「それで気になって。そのあとも行ける日は毎日、三ツ池公園に通ったんです。それで女の人の声が聞こえたベンチで、待ち続けて」

「怖くなかったんですか? だって、姿が見えなかったんでしょ?」

「なんスかね。怖いよりも好奇心が勝っちゃって。そしたらしばらくして、また現れたんです。その人。『まだ落ち込んでるの? 馬鹿じゃないの?』って」

「また、現れたんだ」

「そうなんですよ! それでもう、嬉しくなっちゃって。いっぱい話しかけたんです。振り返ったらまた消えられちゃうかもしれないから、顔は前を向いたままで」


 若いということは恐ろしい。姿を見たこともない、何者かもわからない存在に向かって、嬉々として会話を投げかけるなんて。


 石橋を叩いて叩き割るような佐和子の性格では、まったくもって理解できない行動をだった。


「そうして彼女と話すうちに、だんだん……あの、好きになってしまって」

「えっ! だって、相手の姿形もわからないんですよね?」

「姿形は関係ないんです。彼女と過ごす時間が、とても心地よくて。歯に衣着せぬ物言いが、俺にはちょうどよかったんです。それで……ある日、振り向いてもいいかって聞いたんです。顔を見て、話がしたいって」


 先の読めない話の行方に、佐和子は夢中になっていた。思わず身を乗り出し、井川に続きを促す。


「で? それで、どんな人だったの?」

「鳥海さんは、あやかしって信じますか」


 あやかし、というワードが彼の口から出てきたことで、佐和子は息を呑む。


「あ、あやかし……? え、あの、好きになった相手が……?」

「はい……その彼女、あやかしだったんです。ろくろ首の」

「ろ……ろくろ首⁈」

「はい。着物を着てて、首がにゅーって伸びる。時代劇でよく見るような髪型の」


 初日の怒涛の展開で、精も根も尽き果てていたはずなのに。あまりの衝撃に大声で聞き返し、勢いよくテーブルに手をついていた。周りの席からは迷惑そうな視線を向けられていることに気づき、佐和子はしおしおと小さくなる。


「やっぱり、そういう反応になりますよね……」

「ちなみに、その、ろくろ首のお名前って……」

「え、名前ですか。刹那さん、って言うんですけど。……なんか嬉しいっス。だいたいみんな、そんなのいるわけねえだろって、相手にしてくれないんで……」


 三ツ池公園、ろくろ首のあやかし、ときたところでなんとなく予想はついていたが。刹那という名前を聞いて、佐和子は口を押さえた。


「で、どうしたんですか、そのあと」

「実は、うまくいっちゃって。付き合うことになったんです」

「えええええ!」


 ふたたび大声を出してしまい、いよいよ店の中に居づらくなった佐和子は、井川に連れられ、そそくさと店の外へ出た。


 ——あれだけ人間の私に敵意を剥き出しにしていたのに、まさか人間と付き合っているなんて。


「つ、付き合うことになったって言ってましたけど。とりあえず相手があやかしっていうのは置いといて。それだと悩む要素なんてないじゃないですか」


 驚愕のニュースではあるが、付き合うことになったのであれば本人たちにとってはハッピーな状況のはず。


「それが、あるんです」


 井川は困った顔をする。


「公園のベンチに座って話しているだけじゃなくて、デートしませんかって言ってみたんですけど、しぶられてて。『人間とデートするときに、なにを着ていったらいいかわからないから』って。首さえ伸ばさなければ、今着てる着物のままでもいいじゃん、って言ってるんスけど。なんか、納得いかないみたいで」


「……もしかして、それで雑誌を見てたんですか」


 そう尋ねると、井川は恥ずかしそうに頬を掻いた。


「デート用の服を買ってあげようかとも考えたんですけど。サイズわかんないし。それで雑誌を買って、プレゼントしようかなと思って。でも、そもそも、あやかしが人間の服屋に買いに行ったりもできないよなって。ネットも使えないだろうし」


 ぶらぶらと駅周辺を井川と歩きながら、佐和子は腕を組んだ。


 ——人間世界のネットは使えるとは思うけどなあ。あやかし瓦版オンラインの編集部員だし。気の強い彼女のことだから、自分の服装のことで彼が好奇の目に晒されることが嫌なのかも。


 佐和子は井川にどう返答をしようか迷った。刹那と仲良くできていれば助け舟を出すこともできただろうが、残念ながら佐和子はすっかり嫌われてしまっている。間に入ってやるという選択肢はない。


「デートファッションか……。うーん、まあ雑誌を渡してみるのもありかもしれない。好みもあるだろうから、服自体を買ってあげるよりはきっといいと思う」


 結局、井川が考えていたこと以上の案は浮かばず、賛同するだけになってしまった。


「やっぱそうっスよね。もしよければなんですけど。無難そうな雑誌、一緒に選んでもらえたりしますか。俺、ファッションあんまり自信なくて」


 井川のすがるような瞳に負けて、佐和子はおずおずと頷く。


 ——他人と関わるの、極力避けたいんだけどな。でもここまで聞いておいて、断るのもなあ。


 うしろ向きな思いを抱えつつも、佐和子は井川とともに書店へと戻り、刹那のための雑誌を選んだ。購入した雑誌を大事そうに抱える彼を見送ったあと、佐和子は書店に戻って永徳のおつかいを済ませたのだった。

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