目前に堂々と咲き誇る桜のように、私も精一杯蕾を開こうとしていた。できる人から見たら、雑草がみっともなく背伸びをしているようなものだったのかもしれない。それでも、思いつく努力はすべてしたつもりだった。
しかし、そんな頑張りも無駄に終わった。どんなに足掻こうと、私は所詮雑草だった。はじめから綺麗な花になんてなれっこなかったのだ——。
満開の大島桜を背にして記念撮影をする高齢者の団体を横目に、
神奈川県横浜市にあるこの寺は、七百年以上もの歴史を持つ。JR
「佐和子、人が多いで手を離しちゃいかん。迷子になったら大変だでね」
ふと、そんな名古屋弁訛りの祖父の声が耳に蘇った。
耐えかねて流れ出した涙が、はらりと頬に落ちる。
「おじいちゃん、私頑張ったけどダメだった。憧れていた仕事に抜擢してもらえたのに」
佐和子が最後に祖父と總持寺へ来たのは保育園の年長に上がった春。「お姫様になりたい」なんていう無茶な夢を語る孫に笑いかけ、「お前は努力家だで、なんにでもなれるさ」と、優しく頭を撫でてくれた。その年の暮れ、祖父は肺炎で亡くなった。
左右に金剛力士像がそびえる三門まで戻ってきて、袖で涙を拭った。
袋小路に嵌った心をなんとか上向かせようと、やっとの思いで久しぶりに外の空気を吸いに出てきたというのに、門の近くの五分咲きの桜でさえ涙で滲んでしまう。
——この大島桜が新緑でいっぱいになる頃には、私も立ち直っていられるのかな。
前向きに仕事について考えようとすれば、思い出したくない記憶が、頭の奥から引っ張り出される。
『営業部で活躍してたって聞いたけど、期待外れだったな』
『若さでジジイを釣ってたんじゃないの? でなきゃこんなに使えないわけないでしょ。今回の異動も、実力じゃなかったんだよ、きっと』
——ああ。また。
耳にこびりついた自尊心を削る言葉の数々。それを引き金にして、焦燥感とともに転がり落ちていくような地獄の日々が蘇る。嫌な記憶を振り切るように、佐和子は足早にその場を離れた。
鶴見駅前のバスロータリーには、ちょうど佐和子の自宅近くを経由するバスが停車していた。小走りで列の最後尾に並び、窓際の二人がけの席に腰を下ろす。窓の方に視線を向ければ、間も無く景色が動き始めた。
——あれ、誰か隣にいる。
窓側席に座っていたのだが、知らぬ間に隣が埋まっている。チラリとそちらに目線を送れば、ロマンスグレーのパーマヘアを美しく整えた和装の婦人と目があった。気まずさから愛想笑いを作れば、彼女は一瞬驚いたような顔を見せたあと、上品な笑顔を返してきた。
「こんにちは。今日は桜が綺麗でしたねえ」
佐和子は退職してから人と話すのが億劫だった。それに最低限外出に耐えうる服装はしているが、化粧はしておらず、綺麗な身なりの老婦人と会話をするのには躊躇(ためら)われる格好だ。
「そうですね」
淡々とそれだけ返し、ふたたび窓の方へ顔を向ける。こうすればこれ以上は話しかけてこないだろうと思ったのだが。
「あなた、この近辺にお住まいなの?」
「ああ、はい」
どうやら婦人は、なんとしても話し相手が欲しいらしい。
「そうなの。私もこの近くに住んでいるの。ねえ、あなた、ご結婚はまだ?」
「まだです」
初対面の人間に対しては失礼すぎる質問に、窓から目を離し、思わず婦人の顔を睨んでしまった。
「いいわねえ。美しい盛りのときだもの。たくさん恋愛ができるわね。私も若いころ、忘れられない恋をしたものよ」
まさに
「ねえあなた、おいくつ?」
「……二十五です」
「そう。うちの息子とお見合いしない? 同じ鶴見なら、結婚してもお互いの実家が近くていいでしょう?」
佐和子は口をあんぐりと開け、言葉を失う。
——いったいなにをもって、出会ったばかりの私を息子の嫁になんて思ったの?
「え、ええと。あの、私結婚は……」
「ああ、そうよね。相手の年齢も容姿もわからないと不安よね。歳は五十六でね、実家暮らしなの。仕事はね、まあいわゆる物書きね。安心して、結婚歴はないから。顔はいい方だと思うわ」
五十代、実家暮らしの物書き、結婚歴なし。厄介な匂いしかしない。
婦人は佐和子が動揺していることにはかまいもせず、黒い皮の手帳を取り出すと、一番うしろのメモのページに住所、名前と電話番号とを手早く書き上げていく。
「私、
そう言って手帳から破ったメモを佐和子に渡すと、ウキウキとした様子で婦人はバスを降りていった。
——押し切られちゃった……。
遠ざかっていく藤色の着物を見送りつつ。佐和子は開いた口を閉じられぬまま、バスに揺られていた。