リアがいなくなって学園は平和になった。
学園に復帰したお義姉様も落ち着いて勉強に励んでいる。婿を取ることなく自分が公爵になると決めたお義姉様の行動は早かった。
履修する科目を変えて、領地経営に相応しい科目を勉強するようになったのだ。
お義姉様の変化に周囲も気付いていた。
そして、お義姉様とぼくとの婚約が囁かれ始めていた。
曰く、元婚約者に酷い仕打ちをされたお義姉様は、男性に頼ることをやめて自分で公爵位を継ぎ、他家との婚約を望まず、養子である自分の義弟を結婚することに決めたのだと。
それは間違っていなかったのでぼくもお義姉様も否定しなかった。
お義姉様が学園に復帰してからもお茶会の采配をするのはブリギッテ嬢に譲られていた。
王都で有名な紅茶の店から取り寄せた紅茶と、今流行っているお菓子の店から取り寄せたお茶菓子。ブリギッテ嬢はもうすっかりとお茶会の主催として采配をできている。
香り高い紅茶を飲みながらお義姉様の横に座って寛いでいると、クラウス殿下がぼくとお義姉様に問いかけてきた。
「マルグリットとアンドレアスの婚約の件だが、あれは本当か?」
「本当ですわ。両親が今国王陛下に許可を取っております」
「アンドレアスがマルグリットとか。めでたいな。アンドレアスはずっとマルグリットのことを追いかけ続けていたからな」
クラウス殿下に言われてぼくは噎せてしまう。げほげほと咳き込んでいるぼくにクラウス殿下が笑って言う。
「ユリアンがアンドレアスに取りすがって謝罪する映像をサロンに流したのも、平民の特待生を断罪する場面を学園中に流したのも、マルグリットのためだろう?」
「クラウス殿下、言わないでください」
「ユリアン殿の映像を学園中に流したのですか?」
お義姉様には知られていないはずだったのに、クラウス殿下のせいで知られてしまった。
ぼくがどれだけユリアン殿に復習したかったのか。それをお義姉様に知られたくはなかった。
「アンドレアス、あなたという子は」
「すみません、お義姉様」
どうしてもユリアン殿が許せなかったのだ。そんなことをしてもお義姉様が喜ぶはずはない。お義姉様は気高いひとだから、ぼくがユリアン殿にしたことを知ったら、逆にプライドを傷つけられるかもしれないと思って黙っていたのに。
「わたくしのことを思ってしてくれたのですね」
「お義姉様……」
「クラウス殿下、アンドレアスはわたくしのことを守ると言ってくれたのです。この可愛いアンドレアスが」
ぼくの身長はまだお義姉様と変わらないし、顔立ちもどちらかといえば可愛い方だが、そういう言われ方をすると恥ずかしくなってしまう。
頬を押さえたぼくにお義姉様が紅茶のカップを持ち上げて一口飲む。
「このフレーバーは新作ですね。ブリギッテ嬢、とても美味しいです」
「マルグリット様が領地で静養している間に新しい茶葉が入ったので、飲ませたいと思って取り寄せたのですわ」
「わたくし、引き継ぎもせずにブリギッテ嬢にお茶会をお願いしてしまいました。何も分からず困ったことでしょう。すみませんでしたわ」
「マルグリット様が紅茶やお菓子を取り寄せていた店の記録は残っておりましたから、それほど苦労はしませんでした。わたくしにもできるのだと思うと楽しくて、本当のお茶会の主催の練習をした気分になりました。これからもお任せください」
お義姉様はこれから勉強で忙しくなるし、お茶会の主催はブリギッテ嬢に任せた方がいいのではないか。ぼくもそう思っていたので、ブリギッテ嬢の申し出は嬉しく思う。
「男性陣と変わらぬ教育を受けて来たつもりでしたが、わたくしには公爵位を継ぐにはまだ足りないところがあります。それを残りの学園生活でしっかりと身に着けなければなりません」
「ぼくが学園を卒業したら、お義姉様の補佐として一緒に領地を治めます」
「アンドレアスがそうしてくれると本当に助かります。わたくしが別の相手と結婚して、アンドレアスも別の相手と結婚しても、領地に残ってわたくしの補佐をしてもらおうと思っていましたからね」
お義姉様の人生計画にはぼくはしっかりと入っていた。他の相手と結婚するのではなく、ぼくと結婚するので補佐もしやすくなることは計算外だったかもしれないが、悪くない結果だろう。
「ユリアン殿の件を繰り返すことを考えたら、アンドレアスと結婚した方がいいだろうな」
「アンドレアス様は成績も優秀で、魔力も高いですからね」
クラウス殿下の言葉にクリスティーナ嬢が言葉を添えてくれる。
同じクラスのクリスティーナ嬢とは学年の首席を争う中ではあるが、三回に二回はぼくが首席を取っている。
もちろん、お義姉様は五年生までずっと首席で、六年生もそうなるだろう。
五年生はブリギッテ嬢が首席を取っているが、クラウス殿下とラウレンツ殿も学年五位以内には入っている。魔法の授業ではクラウス殿下が断トツで一位だった。
「アンドレアスとマルグリットの婚約式はいつ頃になりそうなんだ?」
お義姉様は王族に血を連ねるし、ぼくも王家に関わりの深いベルツ公爵家の養子なので、婚約式をしなければいけない。お義姉様にとってはユリアン殿との婚約式に続いて二度目の婚約式なので、気が進まないところもあるだろうが、国王陛下に婚約を認めてもらうには仕方がない。
「アンドレアスの十五歳の誕生日を終えてからと思っておりますわ」
具体的な日程がお義姉様の口から出たのは初めてだった。お義父様とお義母様が国王陛下と話し合っていたのは聞いていたが、その結果がぼくの耳にまでは届いていなかった。
「ぼくの誕生日……来月ですね」
ぼくの十五歳の誕生日は来月に迫っている。
『星恋』のイベントの中で、流星群を見るイベントがあった。そのときがぼくの誕生日なので、ぼくはゲームの主人公だったリアとではなく、お義姉様と流星群が見られるだろう。
そのころには学園は冬休みに入っているだろう。
冬休み中にぼくとお義姉様との婚約は結ばれるのだろう。
お義姉様がユリアン殿と婚約をしたのは学園に入学する十二歳のときのこと。貴族は学園に入学する前に婚約を済ませておくことが多いので、お義姉様とユリアン殿の婚約はちょうどいい時期だった。
銀髪に紫の目のユリアン殿は髪を長めに伸ばしていて、見た目だけは非常によかったので、婚約式のドレスを着たお義姉様と並ぶととてもお似合いに見えた。
あのときにはぼくはユリアン殿の性格をよく知らなかったし、顔だけはいいと思ってしまったのだ。
その後、ユリアン殿が極度のナルシストで自分の容姿を褒められないと満足できない人間だったとか、平民が読むような恋愛小説にどっぷりとはまって政略結婚ではない愛を求めているだとか、そういうことが明らかになるのだが、それはぼくが学園に入学してからのこと。つまり、ぼくと同学年のリアが学園に入学してから全てがおかしくなったのだ。
リアがユリアン殿の攻略ルートを選んだのは、一番簡単そうだったのと、ユリアン殿の見目がよかったからでしかないとぼくは思っている。
結局、リアは国家の転覆なんて大仰なことは望んでいなくて、美形の金持ちの貴族にちやほやされて裕福に贅沢をして暮らしたい、くらいの浅い考えしかなかったのだとよく分かる。
ぼくに攻略ルートを変えてきたのも、ぼくが公爵家の養子で、そこそこ見目がよくて、同じ年だったからにすぎない気がする。
「アンドレアス、この焼き菓子、とても美味しいわ。バターの香りがして」
テーブルの上の焼き菓子を一つ摘まんでお義姉様が微笑むのに、ぼくは同じ焼き菓子に手を伸ばす。バターの香りがするサブレの生地に苺ジャムとバタークリームを挟んだバターサンドのようだ。
一口食べると口の中にバターの香りと甘酸っぱい苺の味が広がってとても美味しい。
「これは美味しいですね」
「王都の貴族の中で流行っているのですよ。これを手配するのは大変でした」
「ブリギッテ嬢、とても美味しいです」
流行りの店にお茶菓子を手配するのは大変だっただろうが、褒められてブリギッテ嬢は誇らしそうな顔をしている。紅茶を飲みながら苺のバターサンドを食べていると、クラウス殿下も同じものを手に取る。
「ブリギッテは本当に趣味がいいからな」
「クラウス殿下にそう言われると嬉しいですわ」
「わたしの自慢の婚約者だ」
リアがクラウス殿下ルートを選ばなかっただけでなく、クラウス殿下がリアを全く相手にしなかったので、ブリギッテ嬢とクラウス殿下の関係は今も良好である。
クラウス殿下ルートを選ぶと、ブリギッテ嬢も五年生のプロムのときに婚約破棄を言い渡されるイベントが発生するはずだった。ゲームの中ではお義姉様もブリギッテ嬢もクリスティーナ嬢も、三人でゲームの主人公のことを苛めるのだが、お義姉様はそんなことはしないし、ブリギッテ嬢もクリスティーナ嬢もリアの無礼を注意してはいたが、苛めたりしていなかった。
この世界はゲームの中のものとそっくりだが、やはりどこか違うのだろう。
生身の人間が生きて生活しているのだから当然だ。
ぼくはお義姉様と一緒に冬の流星群を見たい。
そこでお義姉様にもう一度気持ちを伝えたいと思っていた。