思ったより早くリアが魅了のアイテムを使おうとして来たから、ぼくは課外授業の次のイベントを忘れていた。
課外授業の次のイベントは、学園に魔物が襲って来て、その魔物が怪我をしていることに気付いたリアが光の魔法で怪我を治癒して、魔物が落ち着いてリアに懐くというものだ。
それをクリアすると、リアは「光の御子」と呼ばれるようになり、学園での地位も格段に上がる。
このイベントをクリアするためには『星恋』の中で主人公の治癒能力と感知能力を上げていなければいけなかったのだが、リアは真面目に授業を受けているのかぼくはクラスが違うのでよく分からない。
何より、魔物が人間に懐くということがあり得ないので、このイベントが本当に成立するかぼくは疑問だった。
魔物は森の中にいる獣とは全く違う。
魔物は生殖することなく、森の奥に隠されている闇の核からのみ生まれてくる。
闇の核は壊すことも可能なのだが、何度壊しても、数年すると復活してくるし、壊そうとすると魔物を大量発生させて闇の核を守ろうとしてくるので、触れないのが一番いいとされていた。
魔物には感情などない。
それがこの世界の常識である。
魔物が人間に感謝することも懐くこともないのは共通の認識だ。
闇の核から生まれてくる魔物には幼少期もなければ、親もいない。ただ破壊することのみを目的とし、魔物同士でも共食いをするし、人間を見れば餌としか認識しないのが普通なのだ。
学園に魔物が襲ってくる日は近い。
ぼくはこのイベントが成立するのかどうかを見極めたかった。
リアの方も「光の御子」と呼ばれるようになって、自分の心証が多少はよくなったところでぼくに接触してくるだろう。
それまではぼくに偽物の魅了のアイテムを渡すことはないのではないかとぼくは思っていた。
学園に魔物が襲ってくる日は、正確にはぼくにも分からなかったが、襲ってきたら大騒ぎになるのですぐに分かるだろう。
午前中の授業を終えて食堂に移動しようとしていたときに、学園の裏庭の方から悲鳴が上がった。
「ケルベロスだ! ケルベロスが侵入してきている!」
そうだった。
このイベントで襲ってくるのは、三つの火を噴く顔を持つ地獄の番犬、ケルベロスだった。
思い出しながらぼくが裏庭の方に駆けて行くと、クラウス殿下とラウレンツ殿とブリギッテ嬢がケルベロスと対峙していた。
「アンドレアスか! 警備の兵士を呼んでくるのだ!」
「はい! クラウス殿下!」
炎を纏った剣を構えているクラウス殿下だが、ケルベロスも炎を使うので火属性では相性が悪い。ラウレンツ殿がケルベロスの足元を土で固めて足止めをしている。ブリギッテ嬢は風の刃でケルベロスに攻撃しているが、毛皮が分厚くてなかなか攻撃が通らない。
「警備の兵士よ! クラウス殿下とラウレンツ殿とブリギッテ嬢をお守りするのだ!」
ぼくが警備の兵士を呼んでくるころには、学園の中でも戦いに慣れた六年生も攻撃に加わっていて、ケルベロスは圧されていた。
そこへリアが駆け出す。
「このケルベロスは、悪い魔物ではないのです! この通り、傷を治せば……」
「何をしている!?」
「魔物の傷を治すですって!?」
ケルベロスに近寄って治癒の魔法を発動させたリアに、クラウス殿下もブリギッテ嬢も驚きを超えて怒りを覚えているようだ。
「わたしは『光の御子』なのよ! 大人しくなりなさい!」
ケルベロスに治癒の魔法を発動させたが、ケルベロスは闇の属性を持っているので作用せず、傷は治らなかったがリアは、ケルベロスに語り掛けてその毛皮を撫でようとした。その瞬間、ケルベロスは乱食いの牙の間から涎を垂らしてリアに食らい付こうとする。
寸でのところで警備の兵士がリアを助け出す。
「あの平民の特待生は大丈夫なのか?」
「魔物を治癒させた挙句、自分で食われに行きましたね」
「どこかおかしいのではないでしょうか」
クラウス殿下もラウレンツ殿もブリギッテ嬢も呆れ返っている。
そこに隙をついてケルベロスが炎を吐きかける。ぼくはクラウス殿下とラウレンツ殿とブリギッテ嬢の前に走り出た。
ぼくの制服のシャツの下に隠してある魔法無効化の魔法具が光ったのを感じる。
ぼくを焦がすはずだった炎は魔法無効化の魔法具によってかき消されていた。さすが国宝。威力が強い。
ケルベロスは炎を吐くと、次のターンは行動ができないというのが『星恋』のゲームの中の常識だった。それはこのケルベロスにも当てはまるようで、炎を吐いた後は動けなくなっている。
「クラウス殿下、ラウレンツ殿、ブリギッテ嬢、今です! とどめを!」
「助かった、アンドレアス!」
クラウス殿下は礼を言いつつ、ケルベロスの頭の一つを剣で串刺しにした。ラウレンツ殿の土魔法で土が隆起してもう一つのケルベロスの頭を貫く。最後の一個のケルベロスの頭は、ブリギッテ嬢が風の刃で切り落とした。
三つの頭を破壊されても体だけで動いているケルベロスは、警備の兵士によって捕らえられてとどめを刺された。
魔物は核となる場所を破壊されると完全に息の根を止められる。
核を破壊されたケルベロスの死体が回収されていくのを見ながら、ぼくはクラウス殿下とラウレンツ殿とブリギッテ嬢に歩み寄っていた。
警備の兵士に取り押さえられたリアが何か叫んでいる。
「わたしは『光の御子』なのよ! あの魔物はわたしに懐くはずだったのに!」
以前から奇妙な言動で周囲を困惑させているリアは、今回のことで完全に頭のおかしい相手だと認識されたようだった。
警備の兵士が保護という名目でリアを連れて行ったが、学園に侵入してきたケルベロスの傷を癒そうとして失敗して、食われかけるなど、どうかしていると思われても仕方がない。
「アンドレアス様」
「クリスティーナ嬢、ご無事でしたか」
「はい。わたくし、平民の特待生が魔物にしたこと、記録していましたわ」
ぼくが何も言わずとも、クリスティーナ嬢はぼくの意思を理解してくれて、リアが魔物に治癒の魔法をかけて、回復した魔物に食われかけた場面を記録してくれていたようだ。記録された魔法石を受け取って、ぼくはクリスティーナ嬢にお礼を言う。
「よく記録しておいてくださいました」
「あの平民の特待生はマルグリット様を侮辱した許せない方です。アンドレアス様は平民の特待生をこの学園から追放する方法を考えているのでしょう」
「そうですね」
追放どころではなく、リアが罪人になって処罰されることを望んでいるのだが、そこまでは口に出さない。
貴族を危険に晒したということでリアは糾弾されるだろうが、頭がおかしいとしか思えない行動で警備の兵士もどう裁いていいか分からないのではないだろうか。
リアの沙汰は国王陛下に任されるかもしれない。
それならばそれでいいのだが、最後にぼくはきっちりとけじめをつけておきたかった。
ケルベロスを治癒しようとしたがそれが叶わず、ケルベロスに殺されそうになっただけのリアの罪をどうすればいいのか警備の兵士が決められずにいる間に、リアと接触して、リアが魅了のアイテムと思っているものを渡される。
そのときがぼくの断罪の瞬間だった。
ユリアン殿が縋って来たときのように、学園全体にリアのやったことを配信するとともに、国王陛下にもそれを見ていただく。
とりあえず謹慎となって寮の部屋から出てはいけないと言われ、部屋のドアの脇には警備の兵士がつくようになったリア。
リアに会いに行くのは危険だが、リアはぼくに接触してこようとするだろう。ぼくのとりなしがあれば自分の罪はなくなると思っているかもしれない。
魅了のアイテムと思っている何の魔法もかかっていないブローチで、ぼくを操つろうとして、自分の罪を庇ってもらおうとするに違いない。
リア断罪の瞬間はそのときだ。
ぼくはいつリアが接触して来てもいいように準備を始めた。