「血の臭いがします……魔物の気配が近いです」
「武器を構えましょう」
クリスティーナ嬢が魔法石のはまった杖を構えて、フィリベルト殿が長剣を腰から引き抜く。ぼくは魔法のかかった軽い短剣を腰から引き抜いた。短剣と言っても剣なのでそれなりの長さはある。
「さぁ来なさい、シルバーウルフ!」
嬉しそうにリアが言った瞬間、暗闇の中からキラーラビットの血で口を真っ赤にしたシルバーウルフが飛び出してきた。銀色の毛並みは血で汚れ、大型犬よりももっと大きな体でぼくたちを威嚇してくる。
「シルバーウルフ!? どうしてシルバーウルフが襲ってくると分かったのですか!?」
「クリスティーナ様、シルバーウルフを刺激しないように逃げましょう」
「フィリベルト殿、足止めの魔法をかけてくれますか? ぼくは目くらましの魔法をかけます」
動揺しているクリスティーナ嬢に、静かに声をかけるフィリベルト殿に、ぼくは土の魔法で足止めをしてくれるように頼んだ。ぼくは闇の魔法でシルバーウルフの視界を閉ざしてしまう。
ぼくたちの姿が見えなくなったシルバーウルフだが、匂いで分かるのか、低くうなりながら近付いてこようとする。フィリベルト殿がシルバーウルフの脚に土の魔法をかけて、土の塊が足に張り付いて動けないようにする。
「クラウス殿下、ラウレンツ殿、ブリギッテ嬢、お願いします!」
肩耳のピアスに声をかければ、リアが嬉しそうにぼくの前に躍り出る。
「アンドレアス様、わたしのことは気にせず逃げてください!」
命の危機かもしれないというのに笑顔を隠しきれていないリアに、クリスティーナ嬢がぞっとした顔をしている。
「アンドレアス、無事か!」
「シルバーウルフですね、すぐに退治します!」
「任せてください!」
ピアスであらかじめ伝えておいたので、すぐに駆け付けてくれたクラウス殿下とラウレンツ殿とブリギッテ嬢がぼくたちの前に出た。クラウス殿下は火の魔法を纏わせた長剣を構えており、ラウレンツ殿は土の魔法でシルバーウルフの脚を固めて動けなくして、ブリギッテ嬢は素早くぼくたちに風の障壁を張って守ってくれる。
クラウス殿下がシルバーウルフに切り付けて、シルバーウルフはすぐに討伐された。
「なんで!? わたしがアンドレアスを庇うはずだったのに!」
命の危機を助けてもらったというのに、クラウス殿下とラウレンツ殿とブリギッテ嬢に不満を漏らすリアを無視して、ぼくはクラウス殿下とラウレンツ殿とブリギッテ嬢にお礼を言っていた。
「本当にありがとうございました」
「シルバーウルフと対峙してよく冷静に助けが呼べたな」
「何事もなくてよかったです」
「探索を続けてくださいね。シルバーウルフの件に関しては、わたくしたちからマルセル先生に報告しておきます」
クラウス殿下とラウレンツ殿とブリギッテ嬢は快く後処理を引き受けてくれて、ぼくとクリスティーナ嬢とフィリベルト殿は、文句を言っているリアを連れてもう少し奥に入って行く。
近くにクラウス殿下とラウレンツ殿とブリギッテ嬢がいると思うと、安心感がある。
少し進んだところにキラーラビットが三匹群れになっている草地を見つけた。草を食べていたキラーラビットはぼくたちにまだ気付いていない。
「今度こそ間違いなくキラーラビットですね。課題をこなしましょう」
「はい、アンドレアス様」
ぼくが促すと、クリスティーナ嬢が杖を構えてキラーラビットの後ろに氷の壁を作る。氷の壁で逃げられなくなったキラーラビットを、フィリベルト殿が落石の魔法で脅してこちらに来させて、ぼくが闇の魔法をかけて気絶させていく。
気絶したキラーラビットを仕留めるのは、フィリベルト殿が長剣でやってくれた。
「わたしが大活躍して、アンドレアスの心を掴もうと思っていたのに!」
文句を言っていて出遅れたリアは光の魔法を放とうとしていたが、もうキラーラビットが仕留められたのに気付いて魔法を止めた。
「おかしいなぁ。クラウスとラウレンツが助けに来るなんて、ルートが混ざってしまったのかしら」
ぶつぶつと訳の分からないことをリアが言っている間に、フィリベルト殿がマルセル先生を呼びに行って、仕留めたキラーラビットを見せた。
「ベルツ公爵令息、ロンゲン侯爵令嬢、ショール伯爵令息、ライマンさんのグループは、キラーラビットを三体仕留めたのですね。シルバーウルフに遭遇してしまったというのに、冷静に対処もできていましたね。課題はこれでクリアです。テントに戻って休んでください」
課題はこれでクリアしたのでテントのところに戻ると、クラウス殿下とラウレンツ殿とブリギッテ嬢がぼくたちを待っていた。
「アンドレアス、無事に課題はこなせたか?」
「はい、おかげさまで。クラウス殿下はマルセル先生に報告してくださったのですか?」
「報告したよ。シルバーウルフが活発になっているようだから、他のグループも警戒するように知らせて、待機している五年生も、警備の兵士も森を見回るように言われたよ」
「これからわたしたちは森を見回ってきます。アンドレアス様が無事に課題を終えられたようでよかったです」
義理だが従兄弟の親しさで声をかけてくれるクラウス殿下に感謝しつつ、ラウレンツ様とクラウス殿下とブリギッテ嬢を見送ろうとすると、リアが声をかけてくる。
「クラウス様、わたしを助けに来てくださったのですか? もしかして、クラウスとのフラグを立てちゃったんじゃない?」
クラウス殿下をまた「クラウス様」と呼んでいるし、独り言のように言っているときには呼び捨てにしているし、不敬極まりないリアに、クラウス殿下の眉間に皴が寄る。
「クリスティーナ嬢はこんな平民の特待生と一晩一緒で大丈夫なのでしょうか」
ラウレンツ殿の心配そうな声が聞こえたが、何かあればクリスティーナ嬢は記録の魔法できっちりと記録を取ってリアを糾弾するだろう。
ちなみに、今回の魔物狩りの課題の最中も、ぼくはクリスティーナ嬢にお願いしていた。
シルバーウルフの出現を喜んでいた様子も、課題の魔物狩りで全く役に立っていなかった様子も、全てクリスティーナ嬢の記録の魔法で記録されているはずだった。
「ねぇ、フィリベルト様、あっちに魔物の陰が見えた気がするの。ちょっと見てきてくれない?」
早速リアはフィリベルト殿を遠ざけて、ぼくに接近しようとしてくる。
テントに入ろうとしていた僕にフィリベルト殿は困ったような視線を向けてくる。
「テントには魔物除けの魔法がかけられているので問題ないですよ。寝ましょう、フィリベルト殿」
「アンドレアス様がそう言われるのでしたら」
「魔物が近くにいるんだって! 襲われたらどうするのよ!」
「そこまで言うなら、ご自分の目で確かめてきたらいかがですか?」
冷たくぼくが言い放つと、リアは歯ぎしりをしながらテントに戻って行く。リアの様子を記録するためにまだテントに入っていなかったクリスティーナ嬢が、ぼくに近付いてきて確認する。
「今の様子も記録の魔法で記録してあります。平民の特待生は何がしたいんでしょう」
困惑顔のクリスティーナ嬢にぼくはため息をついてみせる。
「あまり考えたくはないのですが、ぼくに懸想しているのかもしれません」
「え!? 平民が!? 身分も考えずに!?」
告白場面は見ていたが、クリスティーナ嬢はリアの行動がおかしいので本気にしていなかったようだ。リアがぼくのことを本当に好きなわけがないし、ユリアンルートが断たれたので仕方なくぼくのルートを攻略しているリアの様子にぼくへの好意は見られない。
恋心があるのならば、顔を赤らめたり、声をかけるのを躊躇ったりする動作があってもおかしくはないのだが、リアはひたすらゲームの攻略のことを口にしているし、それはクリスティーナ嬢には全く理解できないことであるに違いない。
「平民だからこそではないのでしょうか。身分というものがよく分かっていないのですよ」
「それはアンドレアス様もお困りですね。アンドレアス様がマルグリット様を侮辱した平民の特待生に心動かされることなどないと分かっているのに」
「それで、クリスティーナ嬢に記録を取ってもらっているのです。ぼくと平民の特待生が何もないことを証明するために」
ぼくの思惑はそれだけではなかった。
『星恋』の世界には、好感度が足りなかったときに、強制的にそれを上昇させる魅了のアイテムがある。
ゲーム内では手に入れるのにかなり苦労するアイテムだったが、あれもこの世界にあるとすれば、攻略法を知るリアはそれに手を出すだろう。
リアより先んじてそれを手に入れて、まずはぼくやぼく以外の人の安全を確保する。
それからリアを泳がせておけば、自滅するような行動を勝手にしてくれるだろう。