クリスティーナ嬢と共にお茶の時間にサロンに行くと、クラウス殿下がぼくの顔を見た途端、堪えきれないように笑い出した。しばらくくつくつと笑っていて、落ち着いてころにクラウス殿下が、「失礼」と口を開く。
「ユリアンがアンドレアスに縋り付いて土下座する姿の情けなかったこと。普段格好付けて、自分がこの世で一番美しいと思っているあのナルシストが、顔をぐしゃぐしゃにして、涙も洟も垂れ流しでいる様子を見られるなど、愉快でしかなかったな」
クラウス殿下が口を開けば、ラウレンツ殿も堪えきれなくなったように笑っている。どうやら投影魔法でサロン全体にユリアン殿の姿を配信する試みは成功したようだった。
手で口元を隠して、ブリギッテ嬢も笑っている。
「マルグリット様を傷付けたユリアン殿があのように裁かれるとは痛快でしたわ」
「父上にもこの映像は見せるのだろう?」
「もちろんです。クリスティーナ嬢が記録魔法で記録していてくれました」
ぼくが答えてクリスティーナ嬢をちらりと見ると、クリスティーナ嬢がぼくに今日のことを記録させた魔法石を渡してきた。魔法石に手を翳すと、ユリアン殿がぼくに縋り付いて泣いているのが立体映像として映し出される。
ユリアン殿の兄君たちが来たところまでしっかりと記録に残しているのは、ぼくのささやかな慈悲の心だ。謹慎中なのにユリアン殿が抜け出したとあれば、国王陛下の命を破る大逆である。それを兄君たちがきっちりと止めに来たことを示して、カペル侯爵家がこれ以上ユリアン殿のせいで罪を被るなどということはないようにしたのだ。
「カペル侯爵家の長男と次男は、ユリアンのしたことによって、婚約を破棄されたらしいぞ」
「当然ですわね。ユリアン殿のような方のいる家には、侯爵家とはいえ嫁ぎたくはないでしょう」
「カペル侯爵と侯爵夫人も引退を促されて、長男に譲ることになるだろう」
幼少期にはクラウス殿下が「おねえさま」と慕ったお義姉様を傷付けたカペル侯爵家に対して、クラウス殿下もブリギッテ嬢も容赦はなかった。
クラウス殿下が仰るのならば、国王陛下も同じ沙汰を下すに違いない。
香りのいい紅茶に牛乳を入れてミルクティーにして飲みながら、ぼくは静かにクラウス殿下の話を聞いていた。
お茶の時間が終わってタウンハウスに帰ると、お義父様とお義母様がタウンハウスに来ていた。馬車がタウンハウスの前で停まり、ぼくが降りてくると執事がそのことを告げる。
「旦那様と奥様がこちらへお戻りです。着替えられたら、お話をなさりたいそうです」
「すぐに行くとお伝えして」
「かしこまりました」
速足で部屋に戻って学園の制服から普段着に着替える。普段着とはいっても、両親がいるのだから上質のシャツにスラックス、アスコットタイまでは着けないが、ベストは着て、それなりに見られる格好にする。
家族で寛ぐための部屋に降りていくと、お義父様とお義母様は紅茶を飲んでぼくを待っていた。
「ただいま帰りました。お義父様、お義母様、お義姉様の様子は?」
「学園生活で皆の手本とならなければならないというのが肩にのしかかっていたのだろう。今はのびのびと領地の屋敷で暮らしているよ」
「ユリアン殿の件もありましたし、マルグリットは気を張っていたようです」
王太子であるクラウス殿下の参加するお茶会に参加せずに、平民の特待生であるリアと行動を共にしていたユリアン殿。そのせいでお義姉様は自分の身の振り方ひとつで周囲に迷惑をかけると気を張っていたようだ。
優しいお義姉様は自分が動けばユリアン殿の地位も揺るがし、家族にもそれが及び、リアに至っては保護者が責任を取らされる事態にまでなってしまう。
『星恋』の中で主人公は両親を幼いころに亡くしていて、身寄りがなく、教会で孤児として育てられていたはずだ。そうなれば責任を取るのは主人公であるリアを育てた教会のシスターたちになるだろう。
「国王陛下は何と仰っているのですか?」
「それを明日聞きに行こうと思っているのだ」
「カペル侯爵家の件に関しても、しっかりと兄上とお話しせねばなりません」
紅茶を飲みながら真剣な眼差しで告げるお義父様とお義母様に、ぼくは今日クリスティーナ嬢から受け取った魔法石をテーブルの上に乗せた。
手を翳して魔力を込めると、ユリアン殿の立体映像が映し出される。
『父上も母上も、わたしを庇い切れないと言うのです。わたしは真実の愛を見つけたと思ったのに、謹慎を言い渡されたら、リアはわたしのことは好きではなかったと手紙を送りつけてくるし。アンドレアス様からマルグリット様にとりなしてくれませんか? わたしはリアに騙されただけなのです! わたしが本当に愛しているのは、マルグリット様に違いありません!』
勝手なことを述べるユリアン殿がぐしゃぐしゃの泣き顔で映し出されるのに、お義父様とお義母様は顔をしかめている。
最後まで記録を見て、ユリアン殿が兄君たちに捕獲されて連れて行かれたところまで見て、お義父様とお義母様は深くため息をついた。
「謹慎を言い渡されているはずなのに、アンドレアスに接触してきたのか。恥知らずめ」
「アンドレアス、この記録を兄上に見せたいと思います。魔法石を預かってもいいですか?」
「はい。そのつもりでクリスティーナ嬢に記録していてもらいました」
「クリスティーナ嬢が協力してくれているのか」
「ロンゲン侯爵家のクリスティーナ嬢ならば安心ですね」
クリスティーナ・ロンゲン侯爵令嬢は、ラウレンツ・ギュンター公爵令息の婚約者であり、ラウレンツ殿はクラウス殿下の学友でもある。お義姉様がお茶会を取り仕切っていたときから、ラウレンツ殿もクリスティーナ嬢もお茶会に参加している。
何よりも、クリスティーナ嬢は侯爵家の出身で、ぼくと同じ学年で同じクラスという安心感があった。
婚約者のいるクリスティーナ嬢とぼくが何かあるはずはないし、婚約者のラウレンツ殿ともぼくは仲良くさせていただいているので、クリスティーナ嬢には信頼感がある。
それに、『君恋』ではクリスティーナ嬢やブリギッテ嬢はいわゆる脇役扱いで、隠し攻略キャラであるぼくと恋仲になることなどあり得なかった。
公爵家や侯爵家の令嬢が自分の婚約者を捨てて他の相手と恋仲になるはずがない。それはゲームの中だけでなく、この世界の貴族社会のルールとして当然のものだった。
「アンドレアス、ユリアン殿がプロムでパートナーにしていた平民の特待生がアンドレアスに絡んできているという話をクラウス殿下から聞いたのだが、何もないだろうね?」
「もちろん、何もありません。ぼくが平民の特待生を相手にするはずがありません」
リアがぼくを中庭に呼び出したときも、ブリギッテ嬢とクリスティーナ嬢が一緒にいて、クリスティーナ嬢は記録の魔法まで使ってしっかりとその場の様子を記録してくれている。二人きりで会うようなことはぼくはしなかったし、リアに心許す気もない。
クラウス殿下はユリアン殿のようにぼくがならないか心配して両親に伝えてくれたのだろう。昼間にリアが僕を探して王族と公爵家と侯爵家しか入れない食堂に来ていたのをクラウス殿下は苦々しく見ていたのを覚えている。
入り口で止められたのでぼくとリアは接触していないが、それでもリアはユリアン殿を陥落させたとしてクラウス殿下の中では要注意人物になっているのだろう。
「今後も平民の特待生と関わる機会はないと思います」
そう宣言したのだが、ぼくは少しだけその宣言に自信がなくなっていた。
これから三年生は魔法の実地訓練がある。
魔法の実地訓練は実際に魔物を倒すことで行われる課外授業なのだが、この世界では貴族の血が濃いほど魔力が強いと言われている。
そのため、公平に実地訓練が行えるようにクラス関係なくグループが組まれるのだ。
『星恋』のゲームだと、その時点で攻略ルートを選んでいる相手とグループが一緒になるご都合主義だった。
ユリアンルートを攻略していたリアは、ユリアン殿の謹慎を受けて、ぼく、アンドレアスルートに切り替えたに違いない。
そうなると、リアとぼくが同じグループになる可能性は高い。
『星恋』をしていたころはこの強制力がありがたかったものだが、攻略されるキャラクターに生まれ変わってみると、この強制力が厭わしくて仕方がない。
「もし関わることがあっても、相手はマルグリットを侮辱したということを忘れずに」
「同じ学園なのですから、関わることがあるかもしれません。どうしてあの平民の特待生が退学にならないのか分かりませんが」
お義父様もお義母様もしっかりとぼくに言い含める。
ぼくはお義父様とお義母様の言葉に深く頷いた。