お茶の時間が終わると生徒たちは寮かタウンハウスか別荘に帰って行くので、中庭は人気がなく静かだった。
ぼくが芝生を踏みながらゆっくりと歩いて行くと、中庭の木の下でリアがぼくを待っていた。
「どうして、悪役令嬢の取り巻きがいるの!?」
小声で驚いているリアに、ぼくは胸中で答える。
あなたにはめられて、婦女暴行容疑をかけられたら嫌ですからね!
お茶の時間がお開きになってすぐ、サロンを出ようとするブリギッテ嬢とクリスティーナ嬢にぼくはお願いしたのだ。
「平民の特待生がぼくを中庭に呼び出しているのです。二人きりで会って何か仕掛けられたら困るので、ついてきていただけませんか?」
「わたくしでよろしければ、ご一緒いたしますわ」
「それなら、わたくし、記録の魔法が使えます。平民の特待生の言動を記録しておきましょう」
ブリギッテ嬢は王太子殿下であるクラウス殿下の婚約者で、ぼくにとっては義理の従兄弟の婚約者ということになる。年上で頼りになる。クリスティーナ嬢はぼくと同じ学年で、ぼくと同じクラスなので、普段から友人として親しくしていた。クリスティーナ嬢は記録の魔法が使えるようなのでお願いすることにする。
「記録をクリスティーナ嬢、お願いします。ブリギッテ嬢は一緒に来てくださるだけでも助かります」
二人の協力を得ることができてぼくは非常に心強かった。
ブリギッテ嬢とクリスティーナ嬢が一緒に来たのは想定外だったのだろう。リアは動揺している。
できるだけ二人と距離を取りつつ、小声で「なんでゲーム通りにいかないのよ」と呟いている。
それでも気を取り直して、リアは青い目でぼくを見つめた。
「アンドレアス様、わたしに言うことがあるでしょう?」
自信満々のリアに、ぼくは重く目を隠す前髪の向こうで、リアを睨み付ける。
言いたいことは山ほどある。
プロムにユリアン殿と一緒に参加したことを咎めたい。
お義姉様に失礼な口を聞いたことを追求したい。
何よりも、初対面に近いぼくに対して、名前を呼んでいる失礼を指摘したい。
「あなたは学園で行われているマナーの授業に出たことがないのでしょうね。貴族に対する態度というものを学んだ方がいいのでは?」
ぼくは貴族で、しかも高位の公爵子息なのだ。平民が名前を呼んでいい相手ではない。
クラウス殿下のことも「クラウス様」と馴れ馴れしく呼んでいたし、リアは自分が特別な存在で礼儀を払わなくてもいいように思い込んでいるに違いない。
「この方何を仰っているの?」
「あれ、何語ですか?」
ブリギッテ嬢もクリスティーナ嬢も、ぶつぶつと呟きながら妙なことを言って来るリアに、怪訝そうな顔をしている。
「おかしいなぁ……。ここでイベントが発生するはずなのに」
嘘の告白をしてこないぼくに、リアはまた意味の分からないことを呟いている。その呟きの意味をぼくは分かるからまだいいのだが、分からないものからすればただの不審人物だ。
いや、意味が分かっているとしても、こんな風に口に出してしまうのはどうかと思う。
「この方、大丈夫ですの?」
「平民の方は皆、こんな感じなのですか?」
リアとぼくから数歩後ろにいて見守ってくれているブリギッテ嬢もクリスティーナ嬢も困惑を隠せない。
リアの前世の記憶が何歳くらいでよみがえったのか分からないが、ずっとこの調子だったのならば周囲もドン引きしていただろう。
「アンドレアス様、ほら! 言っていいんですよ!」
言っていいんですよじゃないんだよ。
呆れるぼくは踵を返そうとする。
「教育されてない猿以下のものと言葉が通じると思ったのが間違いだった。お時間を取らせて申し訳ありませんでした、ブリギッテ嬢、クリスティーナ嬢」
「いいえ、お気になさらず」
「こんな方に絡まれるなんてアンドレアス様がお気の毒ですわ」
そのままブリギッテ嬢とクリスティーナ嬢と立ち去ろうとするぼくをリアが引き留めた。
「もう! 仕方がない! わたし、アンドレアス様のことが好きなんです!」
ぼくが嘘の告白をしてこないから、リアの方が嘘の告白をすることにしたらしい。
それは賢いやり方ではない気がする。
公爵子息に嘘の告白などして、それが嘘だと分かれば断罪されるし、そもそも平民が公爵子息の名前を呼んで告白すること自体問題だ。
この嘘の告白を聞かなかったことにするのは簡単だ。
しかし、ぼくにも考えがあった。
リアが嘘の告白をしてくるのだったら、それを暴いて全校に知らしめて、リアの居場所をなくしてやろうではないか。
幸いにもリアの言動はクリスティーナ嬢が記録している。
今後もクリスティーナ嬢にリアがぼくに近付いてきたときの言動は記録してもらおう。
「それで? 平民の特待生が公爵家のぼくと関係が持てるとでも思っているのですか?」
冷たく言うと、リアが顔を上げる。青い目が宙を彷徨っている。
「えぇと……おかしいなぁ……でもいっか。ユリアンルートはダメになっちゃったみたいだし、アンドレアスルートを狙うか。よし、アンドレアス様! わたし、アンドレアス様とお付き合いしてあげます!」
「いりません」
「そんなこと言ってもアンドレアス様はすぐにわたしに夢中になるはず!」
やはりリアは控えめに言って頭がおかしいのだろうか?
ゲームに捉われすぎていて、現実が全く見えていない。
「お付き合いしてあげます? この方は自分の身分を分かっているのでしょうか?」
「こんなに愚かな方を、ユリアン様はどうして……」
驚きを通り越して呆れ返っているブリギッテ嬢とクリスティーナ嬢の姿は、リアの目には映っていない様子だった。声も届いていないだろう。
本当にこんな妙な平民の特待生に心を揺らして、お義姉様にプロムで婚約破棄を宣言したユリアン殿も大丈夫なのかと考えてしまう。
「明日、お弁当作ってきますね! 攻略にはお弁当必須だもんね!」
訳の分からないことを言いながら気合を入れて去って行くリアに、ぼくはため息をついていた。
ブリギッテ嬢とクリスティーナ嬢がそんなぼくに同情的な視線を向けてきてくれていた。
『星恋』の中にはミニゲームがあって、それがお弁当作りなのだ。上手にバゲットサンドの具をパンの上に並べて、上にパンを置いても崩れなければ成功。美しくできれば大成功もある。
そのお弁当は、攻略キャラに渡して好感度を上げるのに使っていた。
公爵家の子息であるぼくが平民の作ったお弁当を食べるわけがない。何が入っているか分からないようなものを口にするわけがないのだ。
身分によって食堂が分かれている理由の一つも、食事に妙なものを混入させられることがないようにということがあった。この世界は魔法薬も開発されていて、一時的に相手に夢中になってしまう惚れ薬的なものや、媚薬的なものも闇では売買されている。
下町出身のリアはそういう魔法薬にも詳しいはずだ。
魔法薬を入れられている可能性のあるお弁当なんて絶対に食べない。
ぼくが嘘の告白をしないのでリアの方から嘘の告白をして、ぼくの気を引いてぼくの攻略ルートに入ろうとしているようだが、ぼくはそれを利用することに決めた。
「クリスティーナ嬢、今の平民の特待生の言動は記録されていますか?」
「はい、しっかりと記録しました」
ぼくの問いかけに、クリスティーナ嬢が手に握りしめていた魔法石を差し出してくれた。魔法石に手を翳して魔力を込めると、先程のリアの姿が立体映像として映し出される。
『もう! 仕方がない! わたし、アンドレアス様のことが好きなんです!』
しっかりと記録はできているようだった。
「ありがとうございます、クリスティーナ嬢。今後もお願いしていいですか?」
「もちろんです。あの平民の特待生は、マルグリット様を傷付けた方。わたくし、許せません!」
ぼくもクリスティーナ嬢と気持ちは同じだった。
お義姉様を傷付けた相手は絶対に許さない。
改めてぼくは心に決めていた。