午後の授業が終わった後、ぼくはお義姉様が借りていたサロンの部屋に向かった。
部屋にはクラウス殿下、ラウレンツ殿、ブリギッテ嬢、クリスティーナ嬢が集まっていた。
「マルグリット様が休学なさると聞いたので、本日からわたくしが責任を持ってこのサロンは取り仕切らせていただきます」
「よろしく頼む、ブリギッテ嬢」
「よろしくお願いします」
「何かお手伝いすることがあったらいつでも仰ってください、ブリギッテ様」
ブリギッテ嬢が挨拶をするのに、クラウス殿下もラウレンツ殿もクリスティーナ嬢も拍手で賛同している。
「お義姉様がご迷惑をおかけします」
「マルグリット様のせいではありませんわ。それよりも、マルグリット様も大変なことになりましたね。ユリアン殿があのようなことをされるとは思いませんでしたわ」
義弟としてぼくが頭を下げると、ブリギッテ嬢はふるふると首を左右に振った。ため息をつきつつ、プロムの日のことを話すブリギッテ嬢に、ぼくもため息が出て来る。
「ユリアンは本当にどうしてしまったのだろう。平民の特待生をプロムに誘って、マルグリットを蔑ろにするなど」
従兄弟同士であるクラウス殿下とお義姉様はとても仲がよかった。年上のお義姉様を、クラウス殿下は学園に入学するまでは「お姉様」と呼んで慕っていたのだ。学園に入学してからは少し大人になられたのか、「マルグリット」と呼ぶようになったが、その呼び方に親しみが込められているのをぼくもよく知っている。
「ユリアン殿は国王陛下に謹慎を命じられて、学園に出て来られないようになったのでしょう。平民の特待生に何のお咎めもないというのは不自然ですね」
「あの方は、マルグリット様に失礼なことを何度も言ってきていましたが、マルグリット様は全く相手にしていませんでしたわ」
「わたくしたちが貴族社会のルールを教えても、聞く気がなかったです。それどころか、わたくしたちが身分を笠に着て自分を苛めているなどと言いふらしていたのですよ」
リアならばやりそうだ。
怪訝な顔のラウレンツ殿と、紅茶のカップを手に顔をしかめるブリギッテ嬢とクリスティーナ嬢に、ぼくは少し安心していた。
ゲームの『星恋』の中では、クラウス殿下もラウレンツ殿も、リアの言うことを信じてしまって、ブリギッテ嬢とクリスティーナ嬢がリアを苛めているのだと信じ込んで遠ざけてしまうのだが、ユリアン殿ルートを攻略していたリアはクラウス殿下やラウレンツ殿とは接触していなかったようで、お二人がブリギッテ嬢とクリスティーナ嬢を遠ざける様子は今のところなかった。
ユリアン殿は侯爵家の三男だが、甘やかされて育った末っ子なので、貴族社会のルールを息苦しく感じているところがあって、リアはそこにつけ込んだのだろう。
ゲームの中ではユリアン殿は市井で出回っている恋愛小説に入れ込んでいて、情熱的な「真実の愛」を見つけたいと思っているのだ。
ユリアン殿はリアが攻略できたようだが、国王陛下がユリアン殿に謹慎を言い渡すというのはゲームではなかったことなので、リアは慌ててクラウス殿下やラウレンツ殿を攻略しようと食堂に現れたのだろう。
本来ならば王族と公爵家と侯爵家出身でなければ入れない食堂に入るためだけに、マルセル先生を利用し、マルセル先生は攻略対象ではないなどと言っていたから、攻略ルートを変えて来たに違いない。
次のターゲットは誰なのか。
クラウス殿下はお義姉様が侮辱されたことに対してお怒りだし、ラウレンツ殿もリアの破天荒な動きについていけるとは思えない。
このまま放っておいてもリアは自滅するのではないかと思うのだが、ゲームの主人公だから学園に残れている可能性を考えると、ぼくは油断できなかった。
「クラウス殿下のことを、平民の特待生は『クラウス様』と呼んでいましたよね」
「アンドレアス、聞いていたのか。紹介もなく突然話しかけてくるし、わたしの髪のことを無遠慮に口にするし、不敬罪に処してやろうかと思った」
クラウス殿下の言葉に、そうしてくださったらどれだけよかったかと思う。だが、クラウス殿下はリアを相手にしないことに決めたようだった。
「アンドレアス、マルグリットは夏休み中どのように過ごしていた?」
「領地で心安らかに過ごしていましたよ。お義姉様はお気に入りの栗毛の馬に乗って、ピクニックにも行きました。ユリアン殿にあのように辱められて、学園に平民の特待生が残っていることを知って、顔を合わせたくない様子だったので、休学なさっていますが、とてもお元気です」
そもそも、あのユリアンという男、ぼくは気に入らなかったのだ。
侯爵家の三男でベルツ公爵家に婿入りする予定なのに、平民の特待生ばかり気にかけて、平民が好むような恋愛小説から持ち出してきた「真実の愛」などという言葉を使って、お義姉様との婚約を破棄しようとした。
公爵家の中でも古くから続く家柄で、お義母様は現国王陛下の妹というベルツ公爵家を馬鹿にするようなことをしたのだ。相応の罰を受けてもらわなければ。
「国王陛下はユリアン殿についてなんと仰っていますか?」
「父上は、ユリアンとマルグリットの婚約を白紙に戻すと言っている。その上で、ユリアンは修道院に入れるようにカペル侯爵家に促している」
「ユリアン殿は末っ子として可愛がられてきたようですから、カペル侯爵がその要求を飲むでしょうか」
「父上は飲ませるだろう。マルグリットは父上にとって可愛い姪だ。王族の顔に泥を塗るようなことをしたユリアンを許すはずがない」
貴族社会ではこれが普通のことなのだが、ゲームの『星恋』ではユリアン殿は咎められることなく、残りの学園生活をリアと共に過ごし、リアを貴族の養子にさせて結婚するエンディングになっていたはずだ。
そんなことが実際の貴族社会でできるはずがない。
ゲームの『星恋』の感覚しかないリアにとっては、誤算だったはずだ。
だから、リアは次の攻略相手を探して焦っているように見えた。
「平民の特待生が学園に入学できた理由をご存じですか?」
ゲームの知識ではぼくは知っているのだが、今世でぼくはお義姉様同様、平民の特待生などとは関わらず生きてきたので、ゲームと同じかどうかを確かめたくてクラウス殿下に聞いてみる。
「アンドレアスは知らないのか。平民の特待生は、極めて稀な光属性の魔力の特性があって、治癒魔法と武器への付与魔法、それに、防御魔法の才能が高いのだ」
「そうなのですね。平民の特待生とはクラスも離れているので知りませんでした」
学園のクラス分けもしっかりと身分で決まっている。
ぼくは王族や公爵家や侯爵家出身の生徒がいるクラスに配属されているが、リアは男爵家と平民の特待生のいるクラスに配属されているはずだ。
それにしても、リアの魔法の才能はゲームと同じようだ。平民の中でも魔力の特性が稀少で才能が高いものは、特別に貴族しか入れない学園に入学することができて、魔力を磨き、貴族の養子となるケースが高い。
この世界では魔力が高いのはほとんどが貴族で、平民は魔法を使うこともできないものが多い。その中でも稀に生まれる魔力の高い平民は、貴族の養子になることが多く、貴族の養子とならず平民のままならば学園に特待生として入学することが許されるのだ。
魔法属性は六つあって、火、水、風、土が一般的で、稀少なのは光と闇だ。クラウス殿下は火の魔法の使い手で、ラウレンツ殿は土の魔法の使い手。ブリギッテ嬢は風の魔法の使い手で、クリスティーナ嬢は水の魔法の使い手だ。
ぼくがベルツ公爵家に引き取られたのは、この属性も関係している。
ぼくは稀少な闇の魔法の使い手なのだ。
闇の魔法の中には時を操るものもあって、非常に重宝される。
魔法には相性もあって、火と水は打ち消し合うし、風と土は打ち消し合う。光と闇も同じく打ち消し合うので、ぼくは戦闘になったときにリアに対抗できる魔力を持っていると言える。
「あの平民の特待生の魔力が稀少だから、学園は平民の特待生を特別扱いするのでしょうか」
「光の魔法はそれだけ貴重だからな」
ユリアン殿が謹慎処分になってリアにお咎めがないのを気にするブリギッテ嬢に、クラウス殿下が苦々しく言う。
そこで今日のお茶の時間はお開きとなった。
お茶の時間が終わると、生徒たちは学園の寮に戻るか、タウンハウスや別荘に帰って行く。
ぼくは放課後リアに呼び出されている。
ゲームの流れではぼくの方が食堂に来たリアにメモを渡して、中庭に呼び出すのだが、ストーリーに反して、呼び出されたのはぼくの方だ。
リアがぼくに何を仕掛けようとしているのか。
見極めるためにぼくは中庭に行くことにした。