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3.食堂に現れたリア

 長い夏休みが終わり、ぼくは王都のタウンハウスに戻って学園に再び通うことになった。ユリアン殿のせいで傷付いたお義姉様は、領地で静養を理由に学園を休学している。

 本来ならばぼくが三年生に進級するのと、お義姉様が六年生に進級するのは同時で、両親は進級を祝ってくれたはずなのに、ぼく一人だけが王都のタウンハウスに戻ってきていた。


 ぼくはベルツ公爵家の養子である。

 本来、ぼくはベルツ公爵家の遠縁の伯爵家の子息だったのだが、生まれてくるときに母が亡くなって、それを悲しんだ父が世を儚んで食事も喉を通らなくなり、結局病にかかって亡くなってしまったのだ。そのために、ベルツ公爵家に引き取られた。

 お義母様はお義姉様を産む前には早く子どもをと言われ、お義姉様を産んだ後には、次は男の子をと言われて、周囲の身勝手さに怒りを覚えていた。自分は子どもを産むための機械ではないし、子どもは授かりものだから自分の意思で産むことはできない。

 周囲を黙らせるために、お義母様はぼくを養子にして、男の子を産むように促す周囲を黙らせて、お義姉様に婿を取ることで後継者問題を片付けようとした。

 ぼくは養子なので後継者にはなれないが、男の子を産むようにという圧力からは逃れられるし、お義父様もお義母様も養子であるぼくをとても可愛がってくれた。お義姉様は四歳のときに一歳のぼくが引き取られたとき、「とてもかわいい、わたくしのおとうと」と喜んでくれたらしい。

 両親にもお義姉様にも可愛がられて育ったぼくは、ベルツ公爵家でいじめられたことも、粗末に扱われたこともない。大事に大事に育てられた。


 進級した初日の昼に食堂に行くと、ピンクがかった金髪のリアがマルセル先生に連れられているのを見た。マルセル先生はできるだけリアに触れないようにしているが、リアはマルセル先生の腕を掴もうと狙っている。


「わたしが平民だから、この食堂に入ってはいけないとみんなが差別するんです」


 被害者ぶった顔でリアがマルセル先生に言っている。


 そうなのだ、この学園は生徒は平等というのは建前で、きっちりと身分で分けられている。

 王都にタウンハウスや別荘を持っている家の出身者はそこから通うことを許されるが、それがない家の生徒は寮に入る。寮は身分ごとに分けられていて、公爵家や侯爵家の振り分けられる寮と、伯爵家や子爵家の振り分けられる寮と、男爵家や平民の特待生の振り分けられる寮は別々になっている。

 それだけでなく、食堂も王族や公爵家や侯爵家の出身の生徒使う食堂、伯爵家や子爵家の出身の生徒の使う食堂、男爵家や平民の特待生の使う食堂は分けられている。それは、身分によって学園への寄付金の量が違うのだから、提供される料理の質も違って当然という考えからだった。

 リアがマルセル先生に連れて来させたのは、王族や公爵家や侯爵家の出身の生徒が使う食堂である。

 椅子やテーブルまで厳選してあって、壁紙も窓枠も美しいこの食堂には、選ばれたものしか入れないのだ。


 それを子爵家のマルセル先生に「差別されている」だなんて言って、無理やり連れて来させるとは、リアは本当に貴族社会というものが分かっていない。マルセル先生は子爵家の出身なので、本来ならばこの食堂で食事を摂ることは許されないのだが、生徒であるリアが無茶苦茶なことを言うので連れて来ないわけにはいかなかったようだ。


「あ! クラウス様が食事をしているわ! ラウレンツ様もご一緒なのね! マルセル先生、ありがとうございます。わたし、ちょっと、行ってきます」

「お待ちなさい。クラウス殿下に話しかけるつもりですか?」

「はい! 大丈夫ですから!」

「ライマン、やはり、あなたはここにいてはいけません。出ましょう」

「マルセル先生は残念だけど攻略対象じゃないの。ここまで連れてきてくれてありがとうございました」


 訳の分からないことを言っているリアに対して、マルセル先生は止めようと必死になるが、それより先に席から立ち上がった人物がいた。


「リア・ライマン、ここは平民の生徒の立ち入っていい場所ではありません。平民用の食堂にお戻りなさい」

「プロムでユリアン殿とご一緒して、マルグリット様に恥をかかせたあなたにはお似合いの場所があるのではなくて?」


 金髪に青い目のブリギッテ・リートケ公爵令嬢と、焦げ茶色の髪に青い目のクリスティーナ・ロンゲン侯爵令嬢だ。ブリギッテ嬢は皇太子であるクラウス殿下の婚約者で現在五年生、クリスティーナ嬢は侯爵令息のラウレンツ殿の婚約者で、ぼくと同じ三年生だ。

 ラウレンツ殿はクラウス殿下の学友で、クラウス殿下と同じ五年生である。


 ブリギッテ嬢とクリスティーナ嬢は、お義姉様の学友で、お茶の時間には同じサロンでお茶をしていた。


 学園は授業だけでなくお茶の時間も取り入れられている。

 それぞれサロンの部屋を借りて、親しい学友とお茶をする時間までが授業の一環だ。社交界ではお茶会に招かれることがしばしばあるので、そのときのマナーを学ぶために身分が近い学友同士で毎日お茶会を開くのだ。

 お茶の手配からお菓子の手配まで生徒に任されており、学園を卒業してからお茶会を開くときの練習になるようになっているのだ。


 お義姉様はぼくとクラウス殿下とラウレンツ殿とユリアン殿、ブリギッテ嬢とクリスティーナ嬢と一緒にお茶をしていたが、リアがユリアン殿に近付いてから、ユリアン殿はお茶会に来ないことがよくあった。

 ユリアン殿はリアとお茶をしているのだと噂される中でお義姉様がどんな気持ちでお茶会の手配をしていたか、ぼくにはよく分かっている。


 お義母様がクラウス殿下の父上である国王陛下の妹なので、お義姉様はクラウス殿下の従姉ということになるのだが、お義姉様の方が一つ年上だったのでサロンではお義姉様がお茶会を取り仕切っていた。


「悪役令嬢が成敗されたら、取り巻きも委縮してわたしに近付かないはずなのに」


 ぶつぶつと呟きながらリアが明らかに演技の怯えた顔をする。


「わたしが平民だからって差別するんですね! 学園では生徒はみんな平等なはずなのに!」

「本当に貴族社会というものが分かっていないようですね、あなたは」

「王太子殿下を『様付け』で呼ぶだなんて、どういうおつもりですか? 王太子殿下の地位も平民の方にはよく分からないのでしょうか」


 ブリギッテ嬢とクリスティーナ嬢が呆れているのに対して、リアは話を全く聞いていない様子でクラウス殿下とラウレンツ殿に近付いていく。


「クラウス様、ラウレンツ様、わたし、リア・ライマンです。クラウス様、その素晴らしい赤毛、朝日のようですね!」


 急に話しかけられて、クラウス殿下が眉間に皴を寄せ、ラウレンツ殿が戸惑っているのが分かる。

 この世界では赤毛はあまり歓迎されない。お義姉様とクラウス殿下の祖母に当たる方が赤毛だったのでそれを引き継いでいると分かるのだが、世間では赤毛は不義の子の証だとか、色素が薄いのでそばかすが散ることが多いとかいう理由で嫌われている。

 お義姉様も赤毛の一種のストロベリーブロンドだが、そばかすが散っている。それをリアに指摘された失礼な事件のときにも、お義姉様は何も言わず、ブリギッテ嬢とクリスティーナ嬢がリアを注意していたはずだ。


 それにしても、「その素晴らしい赤毛、朝日のようですね!」というのはゲームの攻略のときに選択肢に出て来るセリフである。クラウス殿下とある程度交流があって好感度が上がらないと意味がないのに、初手でそのセリフを使ってくるあたり、リアは『星恋』のゲームに捉われすぎていてこの世界が見えていないのかもしれない。


「ラウレンツ、ブリギッテ嬢、クリスティーナ嬢、今日の昼食はあまりわたしの口に合わなかったようだ。失礼する」

「わたしももう満腹になりました。クラウス殿下、ご一緒いたします」

「わたくしももう十分ですわ」

「わたくしも」


 当然、何の前触れもなく気にしている赤毛のことに触れられたクラウス殿下は不機嫌になって席を立つ。ラウレンツ殿もブリギッテ嬢もクリスティーナ嬢も同じく席を立って、食堂を出て行った。


「おかしいわね……あのセリフでクラウスは落ちるはずなのに」


 ぶつぶつと呟いているリアの目が、ぼくの方に向いた。

 事態を静観していたぼくは、リアに見つめられて、視線を食器に落として食事に集中しているふりをする。


「あそこにいるのは、アンドレアス・ベルツ。隠しルートのキャラじゃない。わたしにメモを渡すはずなんだけど……」


 本来ならば、ユリアン殿か誰かにこの食堂に連れて来られたリアに、進級した日、ぼくはこっそりとメモを渡す。放課後中庭に来てくれるようにと書かれたメモに従ってリアが中庭に行くと、ぼくに嘘の告白をされるのだ。


 しかし、ぼくはもちろんメモなんて渡さないし、リアに嘘の告白をするつもりもない。


「早くメモを渡しなさいよ……。悪役令嬢の弟のくせに」


 ぶつぶつと呟くリアが、ぼくに歩み寄ってくる。


「アンドレアス様」


 本来ならば地位が下の者から紹介もなしに話しかけることは許されない。お義姉様もリアが話しかけてきても全く相手にしなかった。

 だから、ぼくも食器から顔を上げず、返事もしない。


「今日の放課後、中庭でお待ちしています」


 小声でぼくに囁くリア。

 どうしてもイベントを起こしたいようだ。


 放課後、中庭に行くかどうか。

 用は済んだとばかりに食堂から出て行くリアに、ぼくはどうするか考えていた。


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