それは学園のプロムでの出来事だった。
貴族だけが通える学園は十二歳から入学して十八歳で卒業する。
ぼくが学園の二年生、お義姉様は五年生で、五年生から年度末のプロムに参加する資格をもらえる。年度末のプロムで、ぼくのお義姉様……マルグリット・ベルツ公爵令嬢は、婚約者のユリアン・カペル公爵令息からプロムに誘われなかったのだ。
ショックを受けたお義姉様はプロムを欠席することを考えていたようだが、ぼくがパートナーとしてエスコートすると言ってお義姉様を連れ出した。
それがいけなかった。
プロムの会場にユリアン殿は平民の特待生をパートナーとして連れていた。
お義姉様とユリアン殿の婚約はベルツ公爵家とカペル侯爵家の間で決められたもので、我が家はお義母様が国王陛下の妹であり、王家とも関わりの深い古くからの公爵家だった。そんなベルツ公爵家と縁を結ぼうとする貴族はたくさんいた中で、選ばれたユリアン殿が、こんな裏切りをするだなんてぼくもお義姉様も思っていなかったのだ。
いや、薄々は感じ取っていたのかもしれない。
学園に平民の特待生が入学してから、ユリアン殿の態度はおかしくなった。平民の特待生ばかりを気にかけるようになり、お義姉様のことを蔑ろにしていた。
それが、学園の公式行事であるプロムにまで平民の特待生を連れてくるとは思わなかったのだ。
扇を握り締める手が震えているお義姉様を見て、ぼくはユリアン殿に詰め寄っていた。
「ユリアン殿、これはどういうことなのですか? ベルツ公爵家とカペル侯爵家の婚約と結婚は国の一大事業。それを覆すようなことをなさるおつもりですか?」
小声で囁き、平民の特待生に身を引くように促したつもりだったが、ユリアン殿は銀色の髪を掻き上げて堂々と宣言したのだ。
「わたしは真実の愛を見つけたのです。マルグリット嬢には申し訳ないが、婚約は破棄させていただきたい」
こんな公衆の面前で婚約破棄を告げられて、お義姉様が黙っているはずがない。
「ユリアン殿、仰っていることの意味が分かっておられますか? この婚約は家同士で結ばれたもの。簡単に破棄などできるはずがないのですよ」
「出た! 悪役令嬢! ユリアン様、やっつけちゃって!」
ユリアン殿の横から平民の特待生が小声でユリアン殿に言う。
悪役令嬢?
何か聞いたことがあるような。
ぼくは記憶を探るが、平民の特待生の名前も思い出せないくらいなので、悪役令嬢という単語が何を示すかよく分からない。
「わたし、ユリアン・カペルは、この場で宣言する! マルグリット・ベルツ公爵令嬢と婚約を破棄し、彼女、リア・ライマンと真実の愛を貫くと!」
真実の愛。
そんなものが貴族社会に存在すると思っているのだろうか。
もちろん、ぼくがお義姉様を大事に思っているように、貴族社会の中にも愛情というものは存在する。しかし、政略結婚で真実の愛を語るのは無理というもの。それを理解して貴族は結婚をするのに、ユリアン殿はそれに抗おうとしている。
「どうしても婚約を破棄したいと仰るのですね」
お義姉様の声が震えている。
どちらかといえばお義姉様は心優しく、気遣いができて、公爵令嬢にしては気が優しい方だった。そういうお義姉様だからこそ、ぼくは守りたいと思うし、幸せな結婚をしてほしかった。
平民の特待生に心奪われるようなユリアン殿と結婚しても、お義姉様は幸せにはなれないだろう。
「破棄したいと言っているのではなく、破棄すると宣言したのだ」
堂々と言うユリアン殿は本当に貴族社会というものを理解していない。家同士の婚約が片方の子息の考えで簡単に破棄できるはずがないのだ。
ユリアン殿はカペル侯爵家の三男で、家を継ぐのは長男と決まっている。カペル侯爵家を継げないからお義姉様との縁談が持ち上がり、侯爵家ながらこの国の古くから続く王家の血も入ったベルツ公爵家に婿入りというものすごく好条件でお義姉様と婚約したのだ。
それをユリアン殿は自分の考えで破棄しようとしている。
ちょっと理解できない。
貴族の婚約、結婚はそんな簡単なものではないし、格下のカペル侯爵家のユリアン殿から婚約を破棄できるはずがないのだ。
「他所に出す子に教育を惜しむとは、よほどに台所事情が悪いのですか? それとも教育を与えてもらえぬほど親に疎まれておられたか? いずれにせよ、母君の母胎から出るには早かったようですね」
生まれてこなかった方がいいんじゃないですか、アホ野郎、という気持ちを込めてユリアン殿にぼくが言い放つと、ユリアン殿は顔を真っ赤にしている。
「ユリアン様、悪役令嬢の弟なんかに負けないで!」
「し、失礼な!」
「失礼はどちらでしょうね。それがお分かりにならないからこそ、こんな事態を引き起こしているのでしょうが」
平民の特待生がユリアン殿に妙なことを言っているが、完全に無視してぼくはユリアン殿に追い打ちをかける。
王家の血を引く現国王陛下の姪であるお義姉様との婚約を、侯爵家の三男ごときがこんなところで大っぴらに破棄するなどと口にしてどうなるか分からないのか。分からないからこそやっているのだろうが、愚かすぎてぼくは呆れ返ってしまう。
「気分が悪いわ、アンドレアス……。お屋敷に帰りたい」
もっと言ってやりたかったがお姉様優先だ。お義姉様が帰りたいと言っているのであれば、そうしないといけない。
「お義姉様! すぐに馬車を用意させます。ユリアン殿、カペル侯爵家に抗議させていただきます。沙汰を待つことですね」
扇で顔を隠してしまったお義姉様の手を引いて、ぼくは馬車に乗り込んだ。お義姉様に手を貸して馬車に乗ってもらって、ぼくも乗り込んだところで、ふっとぼくはめまいを感じた。
今日のできごとに怒りを感じすぎてしまったのかもしれない。
息を整えていると、お義姉様が扇で顔を隠しながら小さく肩を震わせているのが分かる。
「ユリアン殿があんな方とは思わなかった」
「お義姉様……」
「アンドレアス、わたくしはどうすればいいの?」
どうすればいいのか。
正直なぼくの感想を言わせてもらえば、ユリアン殿とお義姉様は婚約を破棄するといいと思う。あんなことをしでかしたユリアン殿とお義姉様は絶対に幸せにはなれない。
ユリアン殿は社交界から追放されてしまえばいい。
ベルツ公爵家に実子がお義姉様であるマルグリット・ベルツ公爵令嬢しかいないので、カペル侯爵家から婿を取ってベルツ公爵家を継がせようとお義父様もお義母様も考えていたわけである。
婿入りするユリアン殿の方から婚約破棄を申し出ているのだ。ベルツ公爵家に迎え入れる必要などない。
それを口に出してしまえばお義姉様は落ち込むだろうから、黙っていると、めまいが酷くなってくる。
顔色を悪くした僕に、お義姉様は自分も大変な状態なのに気付いてくださったようだ。
「アンドレアス、馬車に酔ったの? 顔色が悪いわ。御者、馬車を止めて。アンドレアスが……」
「お義姉様、ぼくは平気です」
そう言ったのだが、気が遠くなってきてぼくは意識を失ったようだった。
意識を失ってぼくは夢を見ていたようだ。
夢の中で、ぼくは全く知らない妙な部屋にいた。そこでぼくは必死に本を見ながらゲームの攻略をしていた。
『星降る夜に実る恋』
それがゲームの題名だ。
ぼくはそれを『星恋』と略して呼んでいた。
「絶対に主人公をハーレムルートにしてみせるぞ! まずは侯爵令息の五年生のプロムに誘われて、婚約者の悪役令嬢を退場させなくては!」
悪役令嬢!?
ぼくの口からあの単語が出た。
平民の特待生が口にしていたよく分からない単語だ。
ぼくはこの世界を知っている?
乙女ゲームを妹から貸してもらったぼくは、それにはまってしまって、全ての攻略キャラを攻略すると出て来る一番困難なハーレムルートにまで到達したのだ。
とすると、この世界は『星恋』の世界!?
目を覚ましたとき、ぼくは全てを思い出していた。
ここはぼくがこの世界に生まれる前に生きていた世界で攻略したゲームの世界で、なぜかぼくはそこに生まれ変わってしまったようなのだ。
ちなみに前世の死因は老衰。普通にぼくは寿命を全うして死んだ。
恋愛に縁がなく最後まで結婚できなかったのは残念だったが、妹の子どもたちを可愛がって幸せな人生だったと思う。
それが今は『星恋』の悪役令嬢だったベルツ公爵家のマルグリットの義弟で、養子であるアンドレアス・ベルツに生まれ変わっている。貴族社会のルールやマナーというものを十四歳ながら叩き込まれているので、お義姉様が悪役令嬢だったのではなくて、『星恋』の主人公であるリア・ライマンとお義姉様の婚約者のユリアン殿が無茶苦茶だったのだと理解できている。
リア・ライマンはストロベリーブロンドの美しい髪を持つお義姉様と少し色合いが似たピンクがかった金髪で、その色がお義姉様と「被っている」とか難癖をつけたり、お義姉様が顔にチャーミングなそばかすが散っているのを「そばかすを消す化粧方法なんてどれだけでもあるのに努力しないのは猿以下ね」などと失礼なことを口にして、お義姉様の学友に注意されていた。
お義姉様は公爵家の令嬢なので、紹介されてもいないし、名乗っても来なかったリア・ライマンに声をかけることはなかった。一度も言葉を交わしたことがないのに、リア・ライマンはお義姉様の学友が貴族社会のルールを教えようとするのを、「いじめだ!」と言ってお義姉様のことをユリアン殿に報告して、悪役令嬢に仕立て上げたのだ。
高貴なお義姉様は平民に声をかけたりしない。最初から相手にもされていないのに、リア・ライマンはお義姉様を目の仇にした。
「アンドレアス、目を覚ましたの? 馬車の中で倒れてしまって驚きました。あんなことがあって、アンドレアス、あなたまでわたくしのもとからいなくなってしまったら、わたくしは耐えられません」
ぼくが目覚めたのを聞いたお義姉様が部屋の中に駆け込んでくる。お義姉様はお化粧もそのままで、ドレスも着たままだった。
「ぼくは長時間倒れていましたか?」
「いいえ、馬車がお屋敷に着いて、馬車からベッドに運んで少しして目覚めたと聞いているわ。誰か、アンドレアスに水を持ってきてあげて」
優しいお義姉様がぼくの手を握ってほろほろと涙を流すのに、ぼくは心の底から思った。
ユリアン殿がお義姉様と婚約破棄するのだったら、お義姉様はぼくがもらってもいいですよね?
むしろ、婚約破棄されてラッキー!
お義姉様はぼくが幸せにします!
こんなことは傷心のお義姉様には言えないので、心の中だけにしておくが、許せないのはリア・ライマンだ。
お義姉様をこんなにも傷つけた。
ユリアン殿に関しては、ベルツ公爵家が王家に働きかけて沙汰が下されるだろう。
「あんなに辱められて、わたくしはもう学園には行けません……。お父様とお母様に話をしたら、しばらく学園を休学して、領地で静養するように言われたわ」
お義姉様の言葉に、ぼくはお義姉様の手を握り返す。
「お義姉様、領地でゆっくりと心を癒してください」
その間に、ぼくはリア・ライマンに復讐をします。
許すまじ、リア・ライマン!