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第22話 呪いによる死

土曜日の朝。

スマホを開いてみると真一と千沙から相次いで怯えたようなLINEメッセージが届いた。

内容は呪われてしまったというものだった。

しかし、昨日の晩から今日にいたるまで私の身には何一つ呪いを想起させるようなことは起こっていない。

しいて言えば変な夢を見たくらいだ。見たこともない部屋で私が寝ている。なんとなく転寝しているという感じで、うっすら目を開けている。

床は畳で、窓が少し空いている。外には庭があるようだ。こんな家は私の記憶にない。小さいころに行ったことのある家かな?とも思ったが、そうこう考えているうちに窓の隙間から人が入ってきた。

これも見たことのない男だ。着物姿で髪は上げている。見た感じ三十代くらい?その男が畳に手をつきながら、息を殺すように眠っている私に近付いてきた。

夢はそこで終わった。


夏真っ盛りな日差しの下を歩いて学校へ向かっていると、途中で千沙に会った。

信号待ちしていると、いつの間にか後ろの方にいる。

いつもなら向こうから声をかけてくるのがパターンだけど、今日の千沙は俯いていて私には気がついていないようだ。

「千沙」

珍しく私の方から声をかけた。

「あ、巴。おはよう……」

顔を上げた千沙は笑顔を見せるが、肌色が良くなく、いつものはつらつとした明るさがない。

目の下にも隈がある。

昨日寝付けなかったことがわかる。

「おはよう。元気ないね」

「うん……」

「昨日言っていた、あれのこと?」

「そう」

千沙の声には張りがなく、前を車が走ると聞き取れないくらいだった。

信号が変わり、横断歩道を渡る。

「真一とはなにか話した?」

「うん。なんか変なことが起きてるみたい」

「LINEのあれだけじゃわからないよ。なんなの?呪われたって?」

「ひっ」

いきなり千沙が短く声を発して顔を引き攣らせた。

「な、なに?いきなりどうしたの?」

私の問いに答えず、千沙は前方を凝視して固まったように動かない。

しかし、その視線の先には同じ学校の生徒が歩いているだけだ。

「ちょっと!千沙」

「あ、ああ…… ごめん」

肩を叩くと千沙は我に返ったかのように謝った。

「うちの生徒じゃん。どうかしたの?」

「…… 後で話すよ」

そう言うと千沙は別の話題をふってきた。

私も今はこれ以上聞いてもしかたないと考え、千沙の話題にのった。

それにしても…… さっき千沙の視線を追って見てみたが、見えたのは同じ様に登校する生徒たちの姿だけだった。

私には他になにも見えなかった。

千沙にはなにが見えたのだろう?


教室に着くと真一はすでに登校していた。

真一の様子もまた酷いものだった。

「真一」

声をかけると千沙と二人で真一の席へ行った。

「よお」

真一の声には張りがなく、千沙と同じでそうとう参っているみたいだ。

「真一どうしたの?昨日のLINEで言ってたやつが原因?」

聞くと真一は目を伏せたままうなずいた。

二人の身になにが起きているのか、具体的に知りたいと思った私は提案した。

「学校が終わったらみんなで話そうよ。私だって同じ家に行ったんだし」

幸いにも今日は土曜日で、午前中で学校は終わる。

それまでの我慢だと思った。

真一と千沙の様子を心配したクラスメイトの何人かは、二人に話しかけたりしていたのを見た。

二人ともなんと返したのだろう?

「どうかした?」と、聞かれて「例の家へ行って呪われた」と言うのかな?

そして、もしも真一と千沙、それに私が死んだりしたら学校中に広まるだろうな。

その先がどうなるかは知らないけど。

二人が呪われているということは、私だって呪われているんだから。

その頃には死んでいるだろう。


学校が終わってから一度帰宅して、真一と千沙と三人で少し学校から離れたカラオケ店へ入った。

「あー涼しい…… 生き返るね」

午後になってもこの時期は日差しも強く、気温もたいして下がらない。

Tシャツの胸もとをパタパタさせてエアコンの冷えた風を送り込んだ。

注文したドリンクが運ばれてきて、一息ついてから私が切り出した。

「二人ともなにがあったの?」

重い口を開いたのは真一だった。

「あれからさあ…… なんかいるんだよ…… そばに」

「なんかって、なにさ?」

「わからねーよ。見えないんだから」

「見えないのになにかいるってわかるの?」

「声が聞こえるんだよ。ときどきさあ…… 空耳かと思ったけど違うんだ。たしかになにか喋ってる。でも家族や友達にら聞こえないんだよ…… 学校でもみんなといるときに聞こえたけど、俺だけだった」

「なにを喋ってるの?」

「最初は小さくて聞き取れなかった…… 今でもなに言ってんのかわからねーけど、子供の声って感じがする」

「わ、私も同じ」

「千沙も?子供の声なの?」

「たぶん…… だけど」

「それに視線や気配みたいなもんを感じるんだよ…… ただ、声もそうだけど、しょっちゅうってわけじゃないんだ…… 」

「私も。なんか近くの空気が動いたり、部屋の隅や廊下の奥に気配を感じたり、誰かがじっと見ているような…… でも誰もいないの」

真一と千沙は子供の声と言った。

高津はたしか、自殺した女子高生の声が聞こえると言っていた。

なんで?

呪っているのは、あの家に住んでいた女子高生じゃないの?

だが、真一と千沙から聞いた内容は、前に高津が言っていたものと同じだった。

そして、二人のこの怯え様を見ていて、やはり呪いは本物で間違いない。

二人の話を聞いていて私は軽く興奮してきた。

私にはいつ来るのだろう?

高津や真一、千沙のことから考えて今日、遅くても明日には私のところにもなにかしら兆候が現れるはずだ。

真一と千沙、私のうち誰が最初に殺されるだろう?

できれば人が呪い殺される瞬間を見てみたい。

私は自分の死だけでなく、他人の死にも強烈に惹かれている。

それから私は登下校と、放課後。できるだけ二人と一緒にいるようにすることにした。

そうすれば、それだけ死ぬ瞬間を見れる確率が高まるというものだ。

もちろん私も。

二人のような兆候はないにしても、突然殺されるかもしれない。

怖さはある。怖い。どうしようもなく怖い。

だけど、怖さは私に未だかってない興奮をもたらしてくれた。

恐怖と興奮は、甘美で香しい毒のように私の心を麻痺させていた。

「ねえ千沙。今朝のこと覚えている?私と一緒にいたときのこと」

「ああ…… あれね」

「あのときはどうしたの?後でって言っていたから」

「見えたの」

「もしかして幽霊が見えたの?」

私の問いに千沙は首をふる。

「わからない。なんだか薄くて黒っぽい影みたいなものがふわふわ漂っているみたいに見えたの……。昨日は家の前に、自分の部屋からちょうど外を見たときに見えて、大きさは子供くらいだと思う」

「マジかよ!?俺も見えるぞ!しかもそういうときに、なんだか腐ったような臭いがしてくるんだよ」

真一の顔は青ざめていた。

すると私にも見えるようになるということだ。

「巴はなんともないの?」

「私は……変な夢を見たくらいかな。知らない家で寝ていたら窓から変な男が入ってきた…… そこで終わり。起きてからいくら記憶を辿っても、あんな家も男も知らないって感じ」

「なんとか呪いをリセットできる方法はないのかな?」

「リセット?」

千沙の言葉に、一瞬私は首を傾げた。

なにを言っているんだ?

「そうだよな。きっとなにか秘密があるんだよ。きっと助かった人もいるはずだって」

真一も続く。

ちょっと冷静に考えてほしい。

もともとこちらにはわけのわからない怨みで、全く関係のない人間を呪って殺すような奴にリセットとかありえないだろう?

ドラマや作り話じゃあるまいし、そんな都合のいいことがあるとは思えない。

これが幽霊だとして、生きている人間に例えるなら、そうとうに頭がイカレてる奴だ。

要するに直接的にも間接的にも怨みがない相手を殺しているわけだから、まともな話が通じる相手ではない。

「無理だよ」

「おい!なんでだよ?」

「ひどいよ巴!」

私の言葉に二人は声を荒げた。

「だって、呪っている相手がだれだかもわからないんだよ?自殺した女子高生の家に行ったのに、子供の声とかおかしくない?」

「じゃあどうしたらいいの?」

千沙は泣きそうだ。

おいおい、二人とも私に「死にたい」と、言っていたじゃない。

それで、呪われるとわかっていながら例の家に行ったくせに。

あの家に行った高津が死んだことも聞いたくせに。

いざ、呪われた可能性が出てくるとこの始末か……。

内心では呆れてしまった。

しかし表面には出さないで接しないと。

「こういうので定番なのは除霊じゃない?お祓いとか。お祓いならこの辺にある神社でもしてくれるんじゃないかな。後はお守りを持つとか」

「除霊とかお祓いって、お金かかるのかなあ?」

千沙が不安そうに聞く。

「それは調べないとわからないけど……」

「少なくても、お守りなら簡単に買えるんだから、これから行ってみないか?」

「そ、そうだね!とりあえずそうしよう!」

真一の提案に千沙が乗った。

「私も一緒に行くよ。そうと決まったら早いとこ行こうよ」

ここから一番近い神社に行くと決めた私たちは、カラオケの会計を済ませて外に出た。

四時を過ぎていたが、日は全然高い。

暑さも多少和らいだくらいだ。

カラオケ店を出てから反対側の道路に渡るために信号を待っていたときだった。

「あっ」

これから渡っていこうとしている歩道にあの人がいた。

前に高津といたときに見かけた、あの綺麗な人が向こう側を歩いている。

一瞬、こちらを見ると微笑んだような気がした。

それを受けて、どうしようもなく嬉しくなっている自分がいる。

どうしよう?声をかけてみようか?

なんてかける?だいたいいきなり話しかけるなんてヤバイ奴と思われないかな?

前を走る車が視界を遮って、通る度に女の人が私の視界から消えるのがもどかしい。

信号はまだ赤のままだ。早く変われ!

「どうしたの巴?」

「あれ!あの人!すごい綺麗な人なの!私、この前見かけてさあ」

私が指さすと千沙が首をかしげる。

「どこどこ?」

「ほら!」

目の前を車が通りすぎていく。

そして車が走り去った後には、向こうの歩道にあの人の姿はなかった。

「うそぉ……」

見晴らしのいい通りだ。見渡せばすぐにわかる。

あの人はどこにも見えない。

さっきまでの高揚感が嘘のように、一気に落ち込んだ。

「行こうぜ」

真一に言われて私も千沙も横断歩道を渡った。

歩道を行き交う人たちは、夕方といってもそんなに多くない。

見失うはずはないのに。

私の目は歩きながらあの人を探していた。

「ねえ、巴。誰のこと言っていたの?」

「いたじゃん。凄い綺麗な人がここを歩いていたじゃない」

私が言うと、千沙は怪訝な顔をした。

「ごめん。そんな人いなかったよ」

「えっ」

「俺も巴が言うから見て見たけど、誰のこと言っているのかさっぱりわからなかった…… っていうか、そんな人いなかったぞ」

「嘘でしょう?」

あれだけはっきり見えていたのに、見えないなんてありえない。

しかし、千沙と真一は口をそろえて「いなかった」と言った。

じゃあ、私が見たあの人はなんだというのだろう?

もしかして幽霊?


それから神社に行って、お守りを三人で買った。

私はそういうのは必要なかったが、付き合い上仕方なかった。

二人はここに来るまでよりも明るくなったように見える。

信じる者は救われるとはよく言ったものだ。

人間の世界から宗教がなくならない理由がよくわかった。

真一が、明日は日曜日だからみんなでお祓いに行こうと提案した。

千沙も大乗り気で賛成した。

私は、まあ、その場のノリで行くことになった。


解散して家に帰ってから、今日見かけたあの人のことを考えた。

もしもあの人が幽霊だとしたらどうなんだろう?

あの家となにか関係がある人なのだろうか?

私があの人を見たのは高津に会ったときだ。

そのときはまだあの家に私は行っていない。

日記には触れた。内容も読んだ。

それで呪われるなら、私の前には高津と同じように自殺した女子高生が出てくるはずだ。

私はあのとき家に入っていない……。

待って。本当にそうか?入ってはいないけど、家の中を、あの部屋を見ていないか?

見ている。

高津とのLINEのやりとりで私は細かくあの家と部屋の中を見ている。

これがもしも家の中に入ったことと同じになるなら、私は二回あの家に行ったことになる。

それにしてはなにも起きない。

あの人が、あの家に関わりがある幽霊だとしたら、どうして私になにもしないのだろうか?

これは勝手な思い込みなのだが、あの人からは好意的なものを感じる。

もしも私を呪っているなら、そんな相手から好意的なものなんて感じるはずがない。

ああ…… わからない。

いくら考えてもわからなかった。

この件については考えるのを止めたが、私の頭の中からは、あの人の微笑んだ顔がはなれなかった。

風呂に入って、いつものように勉強を済ませて寝ようというときも頭に浮かんでいた。

また会いたい…… 今度はちゃんと声をかけてみたいと思いながらベッドに入って目を閉じた。

そしてまたあの奇妙な夢を見た。


日曜日になると三人でお祓いに行った。

それ以降は、真一からも千沙からも、なにかおかしなことを伝えるようなメッセージは来なかった。

こんなもんなのかと思った。

お守りとお祓い程度で終わるようなことだったのか?

なんだか拍子抜けした気分だった。


そして月曜日。私が学校に行くと真一は深刻な様子で押し黙っていた。

千沙の姿は見えない。

だいたい私と同じ時間に登校してくるから、もうすぐ来るだろうと思った。

「真一」席の側まで行くと声をかけた。

「どうかしたの?」

昨日の別れ際とは明らかに様子が違う。

ということは、あれからなにかあったのだと思った。

「見せた方が早いからちょっと来てくれ」

真一はそう言うと席を立った。

私が黙ってついていくと、廊下の一番端まで来てから、階段を少し降りて止まった。

「こんなとこまで来てなにかあった?」

教室や廊下で話す生徒の声は聞こえるが、こちらに誰か来る様子はない。

真一はシャツの袖をまくると、二の腕に巻いた包帯を外した。

「どうしたのそれ?」

包帯を外した二の腕にはミミズ脹れのような跡が二ヶ所あった。

「昨日、家にいたらさあ、いきなり腕が痛みだして、見たらこの傷がついてたんだよ」

「えっ?傷がいきなり?どういうシチュエーションよ」

「わからねーよ。お守り買って安心してたら、子供の笑い声がしていきなり腕に痛みが走って…… それに、ほら」

真一はポケットからなにかを取り出して見せた。

それは真っ二つに裂けたお守りだった。

「腕に痛みが走ったのと同時にいきなりこうなったんだよ…… 目の前で誰もいないし触れてもいないのに」

激ヤバなやつだなこれは。

「昨日の昼間に三人でお祓いしただろ?それでこれなんだよ。もう、どうしたらいいんだよ?」

真一は泣きそうだ。

「千沙からはなんか連絡きた?」

真一は首をふった。

「昨日の夜から既読がつかない」

自分のスマホを見てみる。

私の方にも千沙からはなんの連絡もない。

「巴はなんともないのか?大丈夫なのか?」

「私はそういうのは。前に話した変な夢は見たけど」

あの夢は本当になんなんだろう?

「とにかくさあ、後で有名な霊能者っていうの?そういう人探して相談してみようか?」

「それしかないか…… でも大丈夫なのかな…… 神社でお祓いまでしてこれなのに」

「私だってわかんないよ」

話していて、ふと思った。

金曜日に蛇餓魅の家で出くわした非常勤講師と、その仲間はどうなったんだろう?

真一や千沙と同じように、呪われた兆候が現れたのだろうか?

そしてこのように怯え、憔悴しているのか?

あの非常勤講師に聞いてみようかと考えてから、沈み込んでいる真一に声をかけた。

「昨日はその傷がついた他は?なんか見えたとか聞こえるとか言ってたじゃん」

真一は私の顔を見ずにボソッと「今日来るって言ってた…… 絶対逃げられないって」と、言った。

「昨日からはっきり声が聞こえるようになったんだよ…… ただ、姿は見えない…… 相変わらず人影みたいなモヤモヤした奴がたまに見えるくらいで…… 家は共働きだから一人でいたらおかしくなりそうでさあ……」

なるほどね。こうして人がたくさんいる場所なら怖さも紛れるかもってことか。

「私のあげるよ」

自分のお守りを真一に差し出した。

「いいのかよ…… 巴だって必要なんじゃないか?」

「別に私はいいよ。もともと死にたくてあの家へ行ったんだし」

「あんときは俺だって……」

「真一は私と違うみたいだからさ。こんな気休めになるかどうかわからない程度しか出来ないけど」

「いや。助かるよ。ありがとう、ありがとう」

真一は何度もお礼を言った。

教室にもどってみると、始業時間間近というのに千沙の姿が見えない。

机に鞄も置いていないから、まだ登校していないということだ。

LINEを送っても既読がつくことはなかった。


授業が始まり、一時限目、二時限目と過ぎていく。

私は真一にずっと注目していたが、今のところ変化はない。

千沙から連絡が来ないのも変わらずだった。

それから何事もなく昼休みが終わり、私は睡魔に襲われて居眠りをしてしまった。

なんだこれ?今度も知らない部屋にいる。

私の目に映るのは、天井から吊るされた電球の明かりに照らされたたくさんの着物と、なんだか古くて高そうな感じの調度品。

ふかふかの布団は光沢のある真っ白な生地で、これも高そうだ。

木製の箪笥の上には日本人形が置いてある。

部屋を見回していて気がついたのは、この部屋には窓がないということだった。

なんだか変わった部屋だな…… そう思ったときに木製の扉が開きかけた。

そのときに私の中に強烈な嫌悪感と憎悪が噴き出すように溢れた。

そこで目が覚めた。

なんだったんだろう今のは?

あんな部屋見たことがない。

それにあの扉が開いたときの感情はなんだったのか?


まだ残っている眠気を払うように、小さく頭をふってから教室の時計を見た。

もう今日の午後の授業も終わろうとしたときだった。

真一の方を見ると、背中を丸めて肩で息をしている。

まるでなにかの圧に耐えているように私には見えた。

そのうちに震えだしたかと思うと、不意に顔を上げてキョロキョロしはじめた。

顔面は蒼白だ。

他のクラスメイトは誰一人、真一の不審な挙動に気が付かない。

すると音もなく教室のドアが開いた。

本当に音もなく。だから誰も気が付かなかった。

しかし誰もいない。

いないけど、きっとあそこにいるに違いない。

「来た!」私がそう思った瞬間、真一が絶叫して立ち上がった。

「わああああああッ!!」

教室中が驚いて真一を見る。

後退りした拍子に、イスに脚を引っかけて倒れる真一。

必死の形相で起き上がると、開いているドアの方へ叫んだ。

「来るなあー!来るなあー!!」

みんなドアと真一を交互に見る。

ドアの方には誰もいない。

クラスメイトはなにが起きているのかわからない。

しかし、私にはわかっていた。

「蛇餓魅の家」にいる霊が来たのだ。

もちろん私にも見えないが、真一の取り乱し方からして、それしか考えられない。

真一は教室の後方にあるロッカーの上に置かれた本や備品を手当たり次第にドアの方へ投げ始めた。

「伊藤!止めろ!」

あまりのことに呆然としていた先生が真一を止めに入る。

しかし、真一は止まらない。

先生がなんとか真一を落ち着かせようと声をかける。

真一は掃除用具入れからホウキを取り出すと、喚きながら振り回し始めた。

先生は取り押さえようとするが、凄まじい力で手を振りほどく。

振りほどかれた壁に激突した。

真一の双眼はカッと見開かれ、顔は引き攣り、叫び、歯を剥いた口の端からよだれが垂れている。

あらん限りの敵意を、私たちには見えない、ドアの方にいるなにかに向けているように

見えた。

私の体が怖さに震えた。

幽霊にではない。

真一にだ。

あの凄まじい形相に、人というより獣に近い叫び声。

自分よりも体格の良い大人の手を振りほどき、壁に激突させるほどの力。

もう人には見えない。

人はこんなにも変わり果てるのかと恐怖した。

まるで真一の中に別のなにかがいるのではと思ってしまう。

「ひいいっ!」

真一が後退りする。

少し後ろには窓がある。

そしてふいに真一は顔を後ろに向けた。

そのとき私は真一の顔を見た。

敵意剥き出しの狂気が貼り付いた顔が、絶望と恐怖に凍りついたものに変わる瞬間を。

真一の体がふわっと宙に浮く。

もの凄い悲鳴と一緒に、真一はそのまま窓の外に飛び出した。

そしてドン!!と、真一が地面に激突したであろう音が四階にある教室まで聞こえた。

今度は教室中にクラスメイトの悲鳴が上がる。

何人かは変わり果てた真一の姿を見ようと、窓から身を乗り出した。

あれはなんだった?

真一のあの最後はなんと言えばいいのだろう?

いきなり後ろ向きに飛び上がって、窓を飛び越えて落ちていった。

いや、飛び上がったとかではない。なんというか、後ろから首を掴まれて放り投げられたように私には見えた。

ドアの方を見ると、いつの間にか閉まっていた。

誰かが入ってきて、そして出て行った。

私にはそう思えた。


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