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第19話 発端

学校でのヒアリングを終えた私は思い出していた。

そういえば死にたいと思ったのはいつだったかな?

それが今回の発端と言えば発端だ。

あれは高津が死ぬ前だから……十日?それくらいだったかな。もっと前だったかも。

そう。とにかくそのくらい前のことだ。あのとき、もう三日も経つというのに自分の中から「死」そのものに対する希求が消えてないことに軽く驚いていた。

私が死にたいと思った理由はなんだったのだろう?今となっては思い出すのも難しい。と、いうより「死にたい理由」なんて特段無い。

仮に自分が誰かに「死にたい」と言ったらどうなるだろう?と、私は考えた。

リアルなら親や学校の教師、友達、こうした人達が「なにか悩みでもあるのか?」と自分のことをサランラップに包むかのような態度で問いかけてくるだろう。

ネットだったら女子中学生という肩書に釣られた連中がそれこそ親身になって相談に乗るということを言って、集まってくるだろう。

中には、というかそのほとんどは自分とセックスしたいだけの連中だろうけど。

それでも見返りが欲望に直結している連中はまだ信用できる。

少なくとも見返りを得るまでは、こちらが驚くような持続力に集中力をもって事に当たってくれるだろうから。

しかし、今回はそのどちらも私にとっては必要のない人達だった。

先にも言ったように私には死にたい理由も悩みもない。

ただ「死にたい」という気持ちが自分の真ん中にあって、ずっと居座っているのだ。

そう思うようになったのは三日前の夜だった。

その日も友達とLINEでメッセージのやりとりを終えた私は、パソコンで動画を観ながら無駄に時間を消費していた。

半ば眠ったような意識でパソコンの画面を見ていると、ふと「人は死んだらどうなるのか?」と、いうことを考えた。

天国や地獄というものがあるならとてもシンプルで、人は死んだらどっちかに行く。

では、天国も地獄もなかったらどうなるのだろう?人の魂と呼ばれるものは永遠にこの世にと留まるのだろうか?それともアスファルトにまかれた水のように時間が経てば消え失せてしまうのだろうか?

小さい頃はそんなことを考えていて無性に寂しくて悲しくなったものだ。

私の両隣にいる両親は?まだ産まれたばかりの弟は?

死んだらみんな離れ離れになってしまうのだろうか?

一度そう考えてしまうと、二、三日の間は不安や悲しみや恐怖が寄せては返す波のように、代わる代わる、ときにはいっぺんにやってくる。

でも、今はそんな気持ちには全くならない。

こういうのを成長と言えば成長なのかもしれない。

机の引き出しを開けると奥に隠したタバコとライターを手に取った。

高校に行っている先輩男子が私に気があるらしくて、悪ぶってくれたものだ。

最初に吸ったときは貧血みたいになって立っていることもできなかったが、二本、三本と吸ううちに慣れてしまった。

窓際に行くと網戸を残して窓を開けた。

むわっとした熱気が部屋に侵入してくる。

七月になったばかりなのに今年はもう真夏日らしい。

タバコを口にくわえてライターで火を点けると外に向かって息を吐いた。

そのとき「なんか死にたい」と思った。

理由は特にない。

夜空を見上げて風に流されるタバコの煙をぼんやり見ていたらそう思ったのだ。

私としては驚くようなことではなかった。

今までにも何度もある。

夜中にふと死にたくなる。生きる意味がわからない。

そんな程度だった。

普通なら次の日目が覚めると、そんな気持ちは微塵も残らず消え去っているものだが、今回は三日経っても自分の中から消えない。まるで昔からの主のように真ん中に居座っている。

こんなことは初めてだったが「まあいいや」と、思い考えるのを打ち切った。


その三日目の朝、ビスケット三枚に半熟の卵一個の朝食を済ませると日焼け止めを塗ってから学校へ向かった。

冷房の効いた家から一歩外に出ると燦々と照り付ける太陽、地面から立ち昇ってくる熱気にうんざりすると同時に無性に腹が立つ。

国道が見えてくると横断歩道の信号が点滅している。

しかしこのくそ暑い中走るのなんて御免だ。

ちょうど私が横断歩道の前に着くころ、信号は青から赤に変わった。

次の信号が変わるまで黙って立っていると余計にイラつくが仕方ない。

諦めのため息をつくと目の前を行き交う車を見た。

ここで一つ言っておくと、私の「死にたい」は「自殺したい」ではない。

自殺したいのなら目の前を走っている車に身を投げ出せば事足りるのだろうが、そんな気は起きなかった。

聞いた人は矛盾していると思うだろうが、そう思っているのだから仕方がない。

だから死を希求しながらも私はこうして普段通りの日常を過ごしている。

夏の暑さにムカつきながらも、毎日学校に通っているわけだ。


横断歩道を渡ると広い道路が学校までまっすぐ伸びているが、周囲は田んぼだらけになる。

この時間にこの道路を使っているのは私と同じ篠崎中学の生徒だけだ。

遮蔽物が全くないので、暑さから逃げる場所なんてない。

日差しに焼かれるような感覚が歩いている間続く。

これじゃあ日焼け止めを塗っていても焼けてしまうんじゃないかと思えてきた。

「巴!」

歩いていると後ろから声をかけられた。

声をかけてきたのは野村千沙だった。

「千沙おはよう」

太陽の眩しさに目を細めながら軽く手を上げた。

自転車に乗っていた千沙は私の横で止まると「暑いよね~」と、言いながら第二ボタンまで外したブラウスの胸元をパタパタさせた。

暑いのなんて外を歩いているんだからわかりきっているだろうと思った私は「だね」と、千沙の顔を見ないで短く返した。

いちいちわかりきっていることを言われると、不快なことを再確認させられているようで小腹が立って仕方ない。

千沙は小学校の頃から一緒で、中一になってから現在も同じクラスになっているのでつるんでいる。

ちょっとガサツで大袈裟なところはあるが良い子だと思う。

逆にそういうとこが好きなときもある。

「期末試験最悪だったよー!また親に怒られると思うと鬱になるわ~」

千沙は先週やった期末試験の結果を嘆いている。

「そんな気にするもんじゃないよ」

「巴はいいよね。私と違って頭良いし」

「そんなことないって」

「ねえ、高津先輩のことどうするの?」

急に話題が飛んだ。千沙はそういうところがある。

「高津先輩?どうもしないけど」

高津というのは私にタバコをくれた高校生の先輩だ。

「だって巴のこと気に入ってるじゃん」

「私はそんなふうに考えてないし」

苦笑いして返した。はっきり言って、高津のこととか正直どうでもいい。

「あっ……」

高津といえば思い出したことがあった。

「巴どうした?」

「なんでもない。ちょっと思い出したことがあっただけ」

 今、閃いたように思い出したことというのは、高津が以前話していた高校のことだ。

一年前に一人の女子生徒が自殺。

その後に同じクラスの女子生徒三人が何者かに殺された。

それから残された遺族も自殺や事故と軒並み災難にあっているらしい。

高津はその件で裏のことを知っていると得意気に話していた。

 たしか、女子生徒三人が殺されたのは「呪い」のせいだと言っていた。

最初に自殺した女子生徒が呪いをかけた。その呪いが三人を殺したのだと。

 さらにたちが悪いことに、合計四人の死者が家族をあの世に引きずり込んだというのだ。

そして、最初に自殺した女子生徒は無人となった我が家に帰ってきていると。

あの家に行ったら呪われると言っていた。

最初聞いていたとき、私は殆ど興味を示さなかったが、今だと詳しくその話を聞きたいとかなり強く思っていた。


 その日、学校から帰った私は高津に連絡を入れた。

高津は私の声を聞くと、かなりテンションが上がったようだ。

二人で川沿いにある喫茶店で待ち合わせた。

 先に来ていた高津は、私服に着替えた私を見ると顔をほころばせた。

「会うの久しぶりじゃん。どうしたんだよ?急に二人で会いたいとか」

「先輩久しぶり」

上機嫌な高津とは対照的に私の反応は作り笑いで薄い。

薄いのだが、こうして大きな瞳で一寸見つめれば相手はそんなことは気にならなくなる。

たいていの男はそうだった。

学校の先生でもそういう奴がいる。

そんなのを先生と呼んで勉強教わるとか、正直、終わってるなって思う。うんざりだ。

私は店員にドリンクをオーダーすると高津の顔を見ながら切り出した。

「LINEでちょっと話したけど、前に話したさあ、先輩の高校であった怖い話。あの蛇餓魅の家だか森の話を詳しく聞きたいの」

「ああ、あれね」

高津の話した内容は前に聞いたものと大して変わりはなかった。

それでも話の中で気になる箇所がある度に質問する。

「そのいじめられていた子はなんでわざわざ蛇餓魅の森で自殺したの?」

 高津の話では当初行方不明となっていた女子生徒だったが、日を置いて泉ヶ原という場所にある森で遺体が発見された。

そこがここいらでは大蛇伝説で有名な場所で、地域の人間から「蛇餓魅の森」と呼ばれている。

「なんか、すげえ昔には呪いの願掛けとかされていたみたいだぜ。だから願掛けしたんだろうな。なにかの本でそういうことを知って実行したみたいに聞いたな」

「ねえ。なんで先輩はそんな詳しいの?」

「俺も先輩に聞いたんだけど、自殺した子……っていっても俺の一個上だから先輩とは同級生なんだよ。その子の母親が遺書を学校に持ってきて教室で読み上げたんだよ。その中に書いてあったんだってさ」

「よく先生はそんなこと許したね」

「いじめのことか?いや、遺書にも名前とかは書いてなかったんだよ」

「違くてさ、部外者が教室で呪いだのなんだの書かれたものを読み上げるとか、よく許可したなってこと」

「ああ。それならクラスメイトにお別れをしたいみたいな話だったからじゃないかな。そう言われたら先生も断れないだろう?で、話してみたら呪いだなんだっていうんだからたまんねーよな」

高津は笑いながら言った。

私は話を聞きながら運ばれてきたアイスミルクティーをストローでかき回す。

「呪いは成功したのになんで家に帰ってきたの?家族まで怨んでたから?」

「家に帰ってきたっていうのは噂だよ。俺は見たことない。それに家族がみんな死んだというのも実際はどうかわからないよ。母親が自殺した後に引越してるからな」

「殺された生徒の家族は?」

「それもよくわかんねえ。まあ、事故だか不幸があったとは聞いたけど尾ヒレがついたのかもしれないな」

「先輩、前は本当のことだって言ってたじゃん」

自分が落胆したのを実感した。

わざわざクソ暑い中、会いたくもない奴に会うために時間を作った自分の馬鹿さ加減にも腹が立った。

その腹立ちは目の前の高津に全力でぶつけるしかない。

「悪い。ちょっと怖がらせたくて盛った」

高津は誤魔化すように笑ったが、私は見るからに不機嫌な顔になったのだろう。

高津の表情がおろおろするようなものになった。

畳みかけるように口調を強めて目力を込めた。

「それじゃあ呪いも本当かどうかわからないし、その子が帰ってきてるのも噂なだけでしょ。そういうのガセネタっていうんじゃないの?私のこと騙して楽しい?そんな人だとは思わなかった。悲しいしムカつく」

「いや、たしかに噂だけど見たやつは俺の友達だから本当だよ。それに俺はおまえのこと騙そうだなんてちっとも」

高津は必死に機嫌をとるように言うが、この話に対して私の興味は殆ど消えかけていた。

「あーあ。時間を損した」と、もはや高津の方すら見ないで毒づいたときに高津がくだらない提案をしてきた。

「今から二人で行ってみるか?」

「先輩なに言ってんの?」

なにを言っているんだこいつは?

下心が透けて見えるんだよ。

誰もいない空き家に二人で行ったらどういう展開になるか容易に想像できる。

透けて見えるなんてもんじゃない。

丸見えだ。

男も女も、大人のくせに下半身でしかものごとを考えられない猿みたいな奴がいるけど、きっと、こういう高津みたいな奴がなるんだろうなと思った。

「すみません。私、そういうつもりじゃないんですけど」

私は表情と口調から一切の親しみを排除して高津に告げた。

「いや、そういうつもりじゃないんだよ。大秦が興味ありそうだから言ってみただけだって」

狼狽する高津を余所に、いい加減そろそろ帰ろうかとスマホを手に取った。

「そうだ。写真撮ってきてやるよ。あそこに行って本当に幽霊がいるか見てきてやる」

「いや、先輩、そういうのいいから」

 私が興味を持ったのは「本当に人を殺せる呪い」なのか?と、いう一点だった。

それは「死にたい」という欲求からきている。

だからそこに幽霊がいようがいまいが、そんなことは二の次でしかない。どうでもいいことなのだ。

しかし高津は引き下がらなかった。

高津からしたら、私が死にたいなんて考えているとは夢にも思っていない。

むしろ私が心霊話や幽霊に興味があるのに、自分の迂闊な喋りのせいで興を削いでしまったと思っている。

 うんざりだ。本当に、この高津の見当違いな熱意には辟易したが、爆発しそうな感情を顔には出さずに聞いていた私は、自分の忍耐を褒めてやりたい気分だった。

聞いているうちに、別に本人が行きたいと言っているのだから私が止める必要はない。

それで気が済むなら一人で勝手に行けばいいと考えた。

このクソ暑い時期に、誰が好き好んでなにもない埃臭いだけの空き家に行くものか。

そんなところで私を脱がそうと思っているのかよ。

「じゃあ、先輩が行ったら話を聞かせてよ」

「ああ。今から友達集めて行ってみるわ。写真とか送るか?」

「うん。なんかよさげなのがあれば」

私は機嫌が治ったように振る舞い、それに気が付かない高津は私の機嫌が治ったと思った。

不本意だが、こうでもしないとこの無益な時間は長引くだけだ。

狭い地域の先輩と後輩という関係を考えたら、これいじょう不愛想にするのは後々に面倒くさいことになる。

適当のおだてて肯定してやれば高津は満足して帰るから、この不毛な時間を打ち切ることができる。

高津をいい気分にさせるのは癪だけど。


高津と別れた後、家に帰る途中で漁港に立ち寄った。子供のころは夏休みになると朝早い時間にここにきて、漁でとれた魚を興味深く見たものだった。

朝を過ぎると魚もそれぞれ捌かれて、後片付けも終わった後は市場から誰もいなくなる。時折、漁協の人がやってくるくらいで、夕方の時間帯になると無人の施設になる。

むき出しの鉄筋の支柱は赤さびにまみれて、潮風ががらんとした市場を吹き抜けていくたびに、隅に置かれた問刺し網から魚の臭いが風に乗ってくるような気がした。

ここは死を身近に感じれる場所だ。地面に流れ出る魚の真っ赤な血をホースの水で流したり、腹を裂いて綿をバケツに捨てる。死に触れることができる場所だと、いつしか私は思うようになっていた。

だから人気のない時間に来ては、洗い流された死を感じに来る。周りの子たちは小学校高学年になると、この場所を魚臭いと言ってみんな近寄りたがらないが、私はそんなことはなかった。むしろ、時折無償に惹かれてしまう。

ぶらぶらと堤防のヘリを歩きながら海を眺める。堤防の先では二人ほど釣りをしている人がいた。ライフジャケットの色に見覚えがある。この近所に住む人たちだ。

なにやら大きな声で話しながら笑っている。この辺に昔からいる大人たちは、私にとってはガサツなものでしかなかった。遠慮も何も知らない無神経で横柄な人たち。

漁船のマストに止まっていた海鳥がバタバタと飛ぶと、また別の海鳥が飛んできて止まる。十数羽近い海鳥が港に泊る漁船のマストに停まっていて、そのはるか上級をトンビが海鳥を狙って、鳴きながら旋回している。見慣れたいつもの景色だ。

沖合の消波ブロックにはさらに無数の海鳥がとまっている様子には、見慣れているとはいえ、数の多さに気持ち悪さを感じてしまうが、ここに来るのは止められない。

西日が強くなる頃合いになってから、漁港をあとにして川沿いの道を通りながら家に帰った。


 その日の夜に高津からLINEが来た。

写真が添付してあり、まずは家の全景。

そして庭。

庭には祠のようなものがある。

次に玄関の扉を壊した写真。

「器物損壊じゃん。ここまでやるとか引くんだけど」

こんなことをして誰かに見られたら、この狭い町でどうなるかわかっているのだろうか?

ほんの少しの想像力ですら働かない奴はどうしようもないと思った。

窓際に行くと、タバコに火を点ける。

細く煙を外に向かい吐くと、スマホの画面をスクロールした。

薄暗い室内の写真に赤い小さな発光体が二つ写っている。

「はいはい。フラッシュが反射した埃ね」

ふーっと息を吐く。

「すげー部屋!」

というコメントの下に部屋の壁を写したものが三枚。

いずれも壁に無数の「大呪」という文字が所狭しに書かれている。

「なにこれ?ダイノロイ?ダイジュ?タイジュ?」

初めて見る言葉に巴は首を傾げたが、口にしたとき背中に悪寒が走った。

同時に笑みがこぼれる。

「もしかしてガチで激ヤバなやつか?」

私はこの写真から言い様のないなにかを感じていた。

「蛇餓魅」という文字もやたら書いてある。

これは聞いたことがある。

ここらで噂のダガミだ。

まあ、噂と言ってもよくある学校の怪談みたいなもんだけど。

 呪いの真贋はともかく、自殺した女子生徒が本気で呪いにすがっていたことはわかった。

「日記発見!戦利品ゲット!」というメッセージと共に、埃まみれの机の上に置かれた薄汚れたノートが写っていた。

私としては適当な暇つぶしにはなったから、良しとするか

「凄いね先輩!ヤバいねそこ!」と、労うようなメッセージを送る。

そして「幽霊いた?」と、聞いた。

「いなかった。期待はずれ」

高津の返信を見て鼻で笑う。

いないのかよ。

すると、突然スマホの画面がブラックアウトした。

「は?なにこれ?」

何度か横のボタンを押すが画面は黒いままだが、毛細血管のような光が画面を走った。

「どうなってんの?ちょっと!」

苛立ち紛れに再起動させようとすると、外で轟っと風が吹いて家の窓をガタガタと激しく揺らした。風は吹きすさび、開いた窓から部屋の中にも吹きつけてきた。

「ちょっと!なんなのよ!?」

慌てて窓を閉めようとしたが、荒れ狂ったような暴風は一瞬でおさまり、スマホも起動画面が映った。

「なんだっていうのさ」毒づきながらLINEの画面を開くと、高津との会話は最後から進んでいなかった。

しばらく待ったが高津からのメッセージが入らないので、切り上げて風呂に入ることにした。


翌日の放課後、高津は私を国道沿いのファーストフード店に呼び出してきた。

そして昨日の成果を誇らしげに語ってみせた。

「これ見てみろよ!あの家から持ってきた日記」

それは薄汚れたA4のノートだった。

興味をそそられたが、ノートの汚れが気になって、とてもじゃないが手に取る気になれなかった。

それを察したのか、高津はノートをお絞りで拭いてからページを開いて見せた。

細かい字でびっしり書いてある。

そのどれもが恨みつらみで、カ所によってはふいに字が大きくなったり歪んでいたりで、書いていた持ち主の精神が不安定だったことが察せられる。

「これやばいね。いっちゃってるよ」

アイスティーを飲みながら笑い混じりに言った。

「先輩はこれ全部読んだの?」

字の細かさと乱れ、その内容から私はめんどうくさくて読む気になれない。

自分の一番の関心はそこではないのだ。

「ああ。中でもここが一番やべえな」

私の関心を得たことがよほど嬉しいのか高津は上機嫌だ。

ページをぱらぱらとめくった高津は、あるページで止めると私に見せた。

「蛇餓魅の森に行く」と書いてある。

そこには、この地域で言われている大蛇伝説で今は蛇餓魅と呼ばれているものは本当は蛇ではなく「大呪(タイジュ)」というものから生まれたものだと書いてあった。

あれは「タイジュ」と読むのかと私は一人で納得した。

そして日記には、昔に蛇餓魅と一緒になった人がいるということ。その人が家に来た、本当は前からいた、とか訳が分からないことが書いてある。

そして、自分もその人のように蛇餓魅と一緒になって、自分をいじめた憎い相手を呪い殺すと書いてあった。

さらに「大呪」と「蛇餓魅」のことはその人が教えてくれたと書いてあった。

そうとう精神に錯乱をきたしているようだ。

気の毒だがどうしとうもないところまで追い詰められたのだと思った。

そして次のページは、これまで一ページにびっしりと書いてあったのと異なり、ほんの数行しか書いていない。

最初に「蛇餓魅」に呼ばれたと書いてあり、「蛇餓魅の森へ行く」ということと、両親への別れの言葉が綴られていた。

以降のページは日付が大分飛んでいて書かれていた。

より乱れた筆跡で、前にも増して意味不明な内容が書かれている。

前のページの日付で自殺したんじゃなかったのか?

「蛇餓魅の森へ行く」という言葉、両親への別れという内容から、どう考えても自殺したのはその直後としか考えられない。

私は自らの手でページをめくり、自殺したと思われる日付の一つ前のページを改めて読む。

ページの半分以上は大呪と蛇餓魅について書かれていた。

「あれ?」

腕を見るといつの間にか鳥肌が立っていた。

「なんか寒いかも……」

「窓際に行くか?」

高津に促がされて窓際の席を見たときに一人の女性が目に入った。

髪は黒のロングヘアで年齢は二十か十九といったところだろうか。肌は透通るように白く顔立ちは異様に整っていた。

美しいという言葉しか彼女を表す言葉が見つからない。こんな人が自分の住んでいる田舎町にいたのかと驚いた。

しかしこんな奇麗な女性がこの狭い町で噂に昇らないわけがない。

「きっと旅行者に違いない」と、私は考えを改めた。

服装が古風というか、今時のものとは思えないレトロなものに見えるのだが、持ち主の魅力はいささかも衰えない。

時間にしてほんの数秒だが私はその女性に魅入ってしまった。

心を奪われるとはこのことだ。

ふと、窓際の女性がこちらに顔を向けると紅い口紅を引いた形の良い唇をゆるめて微笑んだ。

その微笑みを受けて自分の中に嬉しさのようなものが湧き上がる。

女性は一瞬、私に微笑むと静かに席を立ち店の外に出て行った。

「おい!大湊」

「えっ」

高津の声で我に返る。

「あそこ空いてるから座ろうぜ」

女性が座っていた席を指して高津が言った。

「う、うん」

「どうしたんだよ?ぼうっとして」

「なんでもない」

女性が座っていたテーブルの上にはなにもなかった。

彼女が席を立ったとき、トレイのようなものは持っていなく空手だった。

きっと、トレイを下げた後に少し休んでいたのだろうと結論付けた。

窓際に座ると、さっきまでの鳥肌は消えて、逆に窓からさす陽の光がひりひりするほどだった。

「凄い奇麗な人だったよね。ここにいた人」

「えっ?誰かいたの?」

自分が女性を見ていたとき、高津はテーブルの上に出したスマホや日記をカバンにしまって、自分の分も含めた飲み物やらをトレイの上にまとめていたから見逃したのだろう。

「まあいいや。それで結局幽霊はいなかったの?なんにも変なことは起きなかった?」

「ああ。ただの無人の家だったよ。家具とかそのまんまになってるから気持ちは悪いけどな」

「ふうん……」

つい先ほどの美女が、あの微笑んだ顔が頭から離れない。

もう目の前にある呪いについて書かれた日記などどうでもよくなってしまった。

それからしばらく話していた私は、わざわざ報告してくれた高津にお礼を言うと、塾があるといってファーストフード店を後にした。

塾の途中まで高津が送ってくれたのはわずらわしかったが、努めて顔には出さなかった。

塾に着くとクラスでも仲の良い男子の伊藤真一と千沙が、さっき高津と一緒に歩いているところを見たといって冷やかしてきた。

私は軽く受け流したが、頭の中にはまだ店にいた女性の微笑んだ顔がある。

この日から自分の中には「死にたい」という希求と「店で見かけた美女」への憧れの二つが共存することになった。


あれから三日が経った。登下校や塾に行くときと、私は行き交う人々を注意深く見ていたが、残念ながら店で一緒になった女性を見ることはなかった。

今日も塾に行く途中の交差点でしばらく立ち止まっていたが、目に入ってくるのは見慣れた人間ばかりである。やはり旅行者だったのだろうか。

自分の奥底に落胆を感じながら自転車を押していると高津から電話が来た。

ちょうどスーパーの前だったので、歩行の邪魔にならない位置に自転車を止めると、店から出てくる人を眺めながら電話に出た。

「はい」

「よお…… 元気?」

電話から聞こえる高津の声は沈んでいるように感じた。

「私は元気だけど、先輩はなんか元気ないね。なにかあった?」

「なんか変なんだよな…… 誰かに見られてるっていうか、誰もいないのに人が部屋にいるみたいな気がしてさ…… それに女の声が聞こえるんだよ。それも俺にしかわからないんだ。家族や友達には聞こえなかったりしてさあ」

「なにそれ?幽霊ってこと?」

「いや。そんなことないと思うんだけどな」

「あの日記とかまだ持ってるの?それで気持ち悪いとか変なことを必要以上に感じちゃうんじゃないの?」

「あんなもん燃やしたよ」

電話の向こうで高津は笑っていたが、その声に明るさはなかった。

「じゃあ大丈夫だよ。気のせいだって」

スーパーから出入りする人を見ながら適当に返す。

「大秦は今ひまか?」

「ああ……ごめんなさい。私、今塾に行くところだから」

「そうか。悪かったな」

そう言うと高津は電話を切った。

スマホの画面で時間を確認すると、もう女性を見つけるのは諦めて自転車に乗って走り出した。

要約すると、高津の身の回りには変なことが起きていて、自分以外にはそれを感知していない。気のせいだと思うようにしている。と、いうものだった。

それにしても高津は案外ビビりなんだなと内心可笑しくなった。

「この前まではあんなに得意げだったのにさ……ダッサ」と、つぶやくと鼻で笑った。


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